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心と身体がよろこぶ“気功養生”

「養生気功塾」のお知らせ、気功の魅力、気功養生法、気功の生活術をメインに、日々のあれこれも書いています。

成仙的方法(仙人になる道)

2025-04-19 02:26:54 | 気功の話
台湾の道観
「指南宮」

ここではいろいろな講義も受けられるようで
その様子を
指南宮facebookページで
紹介してくださっていたので
メモを兼ねてご紹介。


ーーー


中華道學高等研究院2025年春季班課程
題目「成仙的方法」。
李老師一開始先抛出問題:「一般人對神仙的想像是什麼?」
他整理出兩個特徵:「長生不死」與「瞬間移動」。李老師說:這兩個特徵實則反映「時間與空間」突破,這也是古人對神仙的想像。事實上,這種想像是以人類自身的局限為出發點,因為人無法隨心所至,也感受到生命有限,於是投射出一種超越這些限制的存在,形成神仙的特性或特徵,所以要成為神仙也是某種對人生困境和限制的想像。此外,從人們對神仙世界的描述中,天庭的神仙各有分職,有負責農業的、有負責經濟的,有負責財政的,有資深、有資淺的,有先、後等級的區別等,皆可看出這其實是人間社會的投射。
談及「神仙」,祂們原先是不同的概念。而「神」通常又跟「鬼」連結在一起,對於神鬼的想像,始於漢代。漢代人試圖解釋「人死後會變成什麼?會去哪裡?」於是形成了對「鬼魂」的觀念。這也變成中國傳統文化裡面對生命的看法,也是中國人生命觀非常重要的奠基期,直到今天,我們都還受到漢代人想法的影響。那麼漢代人對於人死後會變成什麼又怎麼解釋呢?對!是變成鬼,(《說文解字》:鬼,人所歸也。)變成魂魄;若再細分「魂」跟「魄」的差別,則從陰陽的角度去想,魂屬陽,升天;魄屬陰,入地。這裡的「入地」並非後世佛教傳入後的「下地獄」,地獄的觀念是很晚才形成的,要到佛教傳進來才成形。
漢代人這個魂魄的觀念其實帶有很重要的意義,那就是:人死後會以另外一種形式繼續存在。以什麼方式的存在呢?就是魂和魄,魂魄會變成鬼,也可能變成神。
漢代人以為「人死後仍會以某種形式存在」,那一種東西基本上就是身體裡面的氣,陽氣跟陰氣會聚集存在,所以要長生不老的話要追求什麼?就是魂魄不滅、靈魂不滅。
後來魂魄觀念又結合陰陽五行觀念。整個中國對生命的論述,建立起對生命的認知,就是「氣論」,漢代人的「氣論」所建立起來的「氣」的觀念,是整個中國文化與哲學裡面非常獨特看待生命的方式,「氣」是生命的基礎,在這個基礎上談怎麼保養生命?怎麼讓身體健康?就是要養氣。同樣的,一定要有神仙是什麼,才能談到怎麼成為神仙。
由氣才會更精緻化變成精氣神,「精」就是氣的精煉和凝煉所組成的,這是漢代人論述裡面才有的觀念,所以漢代的醫書,就是現在中醫《黃帝內經》,黃帝內經分靈樞和素問兩部分,它其實就是整個中醫理論的基礎,包含醫經、醫方,它提出:身體的氣的協調才能夠身體健康,如果身體的氣不平衡,就需要有積極的治療方式,什麼治療方式呢?中醫最基本的治療的兩種方式理論是「補」跟「泄」,補法就是指補氣,哪裡缺什麼氣就補哪裡的氣,用飲食的,用調理的,用煉功的,運氣的方式,吸食的方式來補;泄就是哪邊氣太旺、太盛,要排出來,所以補泄二法是中醫最基本的理論基礎。為什麼是這樣的方式呢?因為生命就是氣啊!中醫在認識人體的生命觀裡,去從氣的角度來認識。漢代人的生命觀就是要健康要達到一個平衡和諧,生命會以氣的方式死掉,以氣的方式存在,所以要長生不死就要養氣。
那麼要長生不死的是什麼?當然是身體。漢代人論述身體就是形神,形神關係一路從先秦、兩漢到南北朝都是這麼看待生命的。形就是形體,就是身體;神就是剛才說的精神,在這裡的意思有點像「心智」、「意志」,因為從先秦到兩漢文獻都有提到,神在控制我們的行為,我們說話的意識,所以把神理解成神識。
回到神仙,漢語裡講神仙是個複合詞,重點其實在講「仙」。漢代人認為「仙」是這個字,其實它還有另一個寫法「僊」,這個字帶有早期遷徙的意思,可是為什麼後來會變成人跟山,神仙為什麼要住在山裡面,為什麼不飛到天上去?兩晉時期的葛洪討論過這個問題,那時候已經普遍在使用「仙」字,所以顯然兩晉這個「仙」的概念發生了變化,其實不只兩漢,先秦就已經在追求成仙。
在神仙的想像裡,神仙和人是有距離的,是相隔的,這個想法在南北朝出現變化,神仙不再遙不可及,而是可能隱身於市井之中。「大隱於市」的概念興起,認為真正的修道人可在人群中低調修行。「隱」這個概念不再是山中,而是變成一種心靈上的隱,神仙也可能隱,就在群體之中,可以也在考察是否有虔誠的修道人可以度化他,例如杜子春的故事,道士試了三次,後來煉丹不成功,這個故事也帶入佛教轉世的觀念。
漢代尚未形成「投胎轉世」的概念,而是將生命視為「氣」的轉換。如精衛填海,這類神話稱為「變形神話」,人變成鳥;又如大禹治水的大禹,工作時變成大熊。這類故事的背後就是「氣論」,「氣論」也是中國傳統哲學、特別是在先秦到兩漢的哲學基礎,文學、建築、音樂、宗教、醫學各種理論基礎上都是建立在氣的觀念上。變形神話也是氣論,我們可以想像氣很像一團白黏土,捏捏捏成一個樣子,死後又揉成一團,捏捏捏又成另一個別的東西,所以人跟物是可以轉換,轉換的意思就是換一個形式繼續存在,就可以達到某種生命延續的效果,這是一種想像,那修煉和長生不死也是一種想像,就是希望肉體永遠不要消散。
那麼,究竟如何才能成仙?李老師說,在先秦就是吃不死藥。後來慢慢發展出以下的方式:
外丹:服食、辟穀(金石、草木)
內丹:行氣(龜息)、導引(存思、吐納)
房中:寶精練氣
行善積德
符籙咒語
(指南宮facebookページより)

ーー


簡単な訳

「仙人になる道」
李先生はまず、「一般の人々は神についてどのような想像を抱いているか」という質問を投げかけました。
彼は「長生不死」と「瞬間移動」という2つの特性を整理しました。李先生はこう言いました。「この二つの特徴は、実は「時間と空間」の突破口を反映しており、それは古代の人々の神々に対する想像でもあるのです。」実際、このような想像力は人間自身の限界に基づいています。人間は、自分のやりたいことを何でもできるわけではなく、人生に限界を感じているため、その限界を超えた存在を投影し、神仙のような性格や特徴を形成します。したがって、神仙になることは、人生の困難や限界を想像することの一種でもあります。また、仙人の世界についての人々の描写によれば、天上の仙人には異なる任務がある。農業を担当する者、経済を担当する者、金融を担当する者、上級者、下級者など、階級の違いがあり、実はこれが人間社会の投影であることが分かります。
「神仙」について言えば、それらはもともと異なる概念でした。 「神」は通常「鬼」と関連付けられており、神と鬼の想像は漢王朝に始まりました。漢代の人々は「人は死んだらどうなるのか?どこに行くのか?」を説明しようとしました。そして「鬼」という概念が生まれました。これは中国の伝統文化における生命観にもなり、中国人の生命観にとって非常に重要な基礎期間でもありました。今日に至るまで、私たちは漢民族の思想の影響を受けています。では、漢王朝の人々は死後人々に何が起こるのかをどのように説明したのでしょうか?それは鬼となり(鬼は人が行くところ)、魂魄に変わります。 「魂」と「魄」の違いをさらに分けると、陰陽の観点から見ると、魂は陽であり天国に行きます。魄は陰であり、地に入ります。ここでの「土に入る」とは、後世に仏教が中国に伝来した後の「地獄に行く」という意味ではない。地獄の概念は、仏教が中国に伝わってから非常に遅く形成されたものです。
漢代の人々が抱いていた魂と魄の概念は、実は、人は死後も別の形で存在し続けるという、非常に重要な意味を持っています。それはどのような形で存在するのでしょうか?それが魂であり魄です。魂と霊は鬼になることもあれば、神になることもあります。
漢代の人々は、「人は死後も何らかの形で存在し続ける」と信じていました。それは基本的に体内の気です。陽の気と陰の気が集まって存在するのです。では、不死を達成したいなら、私たちは何を追求すべきでしょうか?つまり、魂魄は不滅なのです。
その後、魂と魄の概念は、陰陽五行の概念と組み合わされました。人生に関する中国の言説と人生理解はすべて「気論」に基づいています。漢民族の「気論」によって確立された「気」の概念は、中国文化と哲学全体の中で非常に独特な人生観です。 「気」は生命の根源です。これを基にして私たちはどうやって生命を維持するのでしょうか?健康を保つには?すべては気を養うことです。同様に、神仙になる方法について話す前に、神仙人は何かを知らなければなりません。
気はより洗練され、精気神に変わります。 「精」は気の精製と凝縮から構成されます。これは漢代の議論にのみ見られる概念です。したがって、漢代の医学書は現在の中国医学の『黄帝内経』である。黄帝内京は霊枢と素問の2つの部分に分かれています。それは実際に、医学の古典や処方箋を含む中国医学理論全体の基礎となっています。体の気の調整が健康につながると提唱しています。体の気のバランスが崩れている場合は、積極的な治療が必要です。それはどのような治療ですか?伝統的な中国医学における最も基本的な治療理論は「補」と「泄」の 2 つです。補とは、気を補充すること、つまり、食事、体調管理、運動、呼吸、吸入などを通じて、気の不足している部分を補充することを意味します。泄とは、ある部位の気が強すぎて排出する必要があることを意味するため、補と泄という2つの方法は、中医学の最も基本的な理論的根拠です。なぜそうなるのでしょうか?生命は気だから!伝統的な中国医学は、気の観点から人体を理解します。漢民族の人生観は、健康であるためにはバランスと調和を達成しなければならないというものでした。生命は気という形で死に、気という形で存在するので、不死を達成するには気を養わなければなりません。
では不死の鍵とは何でしょうか?もちろん体です。漢代の人々は、身体は形神であると論じ、形神の関係は、秦以前の時代、漢代から南北朝に至るまでの生命観と同じであると主張しました。形とは形身であり、身体である。神とは、先ほど述べた精神のことで、ここでの意味は「心智」や「意志」に少し似ています。これは、秦以前から漢代にかけての文書に、神が私たちの行動や話すときの意識を制御しているとの記述があり、神は神聖な意識として理解されているからです。

神仙に戻ると、中国語では「神仙」は合成語であり、実際には「仙」に焦点が当てられています。漢代の人々は「仙」がこの単語であると信じていました。実は「仙」には別の書き方があるんです。この言葉は初期の移住という意味を持っていますが、なぜ後に人や山という意味になったのでしょうか。なぜ仙人は山に住んでいるのでしょうか?なぜ空に飛ばないのでしょうか?晋の葛洪はこの問題について論じた。当時すでに「仙」という言葉が一般的に使われていたため、晋代における「仙」の概念が変化したことは明らかです。実は、漢代だけでなく、秦以前の時代でもすでに不老不死が追求されていました。
神仙の想像の中では、神仙と人間の間には距離があります。この考え方は南北朝時代に変化しました。不死者はもはや手の届かない存在ではなく、市場に隠れているかもしれない。真の僧侶は群衆の中でひっそりと修行できると信じ、「都市で隠遁生活を送る」という概念が生まれました。 「隠」という概念は、もはや山に隠れるということではなく、一種の精神的な隠を意味するようになりました。神々や仙人さえも集団の中に隠れているかもしれないし、彼らを救うことができる敬虔な僧侶がいるかどうかを観察するかもしれない。例えば、杜子春の物語では、道教徒は3回試みたが、不老不死の薬を作ることができなかった。この物語には仏教の輪廻転生の概念も取り入れられています。
漢代には「投胎輪世(輪廻転生)」という概念はまだ形成されておらず、人生は「気」の変化として捉えられていました。精衛填海の物語は「変形神話」と言われ、人が鳥に変身します。もう一つの例は、洪水を制御する大禹の物語で、大禹は作業中に巨大な熊に変身します。これらの物語の背後には「気論」があり、これは特に秦代以前から漢代にかけての伝統的な中国哲学の哲学的基礎でもあります。文学、建築、音楽、宗教、医学のさまざまな理論的基礎はすべて「気」の概念に基づいています。変化の神話もまた気論です。気は白い粘土の塊のようなもので、練って一つの形にし、死後にまた別の球に練り、また別のものに練り直すことができると想像できます。したがって、人も物も変化できるのです。変容とは、異なる形で存在し続けることを意味し、それによって生命が継続するという一定の効果を達成することができます。これは想像です。修行や不老不死も一種の想像力であり、肉体が消滅しないという希望です。
それで、どうすれば不死になれるのでしょうか?李先生は、先秦時代には不老不死の薬であったとおっしゃいました。その後、以下の方法が徐々に開発されました。
外丹:服食、辟穀(金石、草木)
內丹:行氣(龜息)、導引(存思、吐納)
房中:寶精練氣
行善積德
符籙咒語



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三魂七魄

2025-03-06 05:12:16 | 気功の話
メモブログ

「三魂七魄」

wikipediaさまより

道教の魂魄
中国の道教では魂と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。


民間での三魂七魄
三魂にはいくつかの説があり、
「天魂(死後、天に向かう)、 地魂(死後、地に向かう)、 人魂(死後、墓場に残る)」
「胎光、爽霊、幽精」
「主魂、覺魂、生魂」
「元神、陽神、陰神」
「天魂、識魂、人魂」
などとされ、
七魄も複数の説があって
「喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望」
「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺」
からなるとされる。
また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。


儒学における魂魄現象の解釈
、張載(11世紀)の鬼神論を読んだ朱子の考察として、世界の物事の材料は気であり、この気が集まることで、「生」の状態が形成され、気が散じると「死」に至るとした上で、人間は気の内でも、精(すぐ)れた気、すなわち「精気」の集まった存在であり、気が散じて死ぬことで生じる、「魂は天へ昇り、魄は地へ帰る」といった現象は、気が散じてゆく姿であるとした。この時、魂は「神」に、魄は「鬼」と名を変える(三浦国雄『朱子集』朝日新聞社)。この「魂・魄」から「神・鬼」への名称変更は、気の離合集散の原理の解釈によるもので、気がやって来るのは「伸」の状態であり、気が去っていくのは「屈」の状態であるとして、気の集散=気の伸屈・往来と定義したことから、「神」は「伸」(シン)に通じ、「鬼」は「帰」(キ)に通じ、元へ戻る=「住」(向こうへ行く)となる。ここに、鬼神=気の集散の状態=魂魄と至る。


伝統中国医学における魂と魄

伝統中国医学において、魂とは、肝に宿り、人間を成長させて行くものであり、また、心を統制する働きだとされている。漢字の部首は「鬼」であるが、この「鬼」が現在の「霊」とほぼ同じ意味で、頭にまだ少し毛が残っている白骨死体の象形文字である。左の云は、「雲」と同じで、形のないもの、掴み所の無いものの意味である。魂が強くなると、怒りっぽくなるとされる。

「魄」のほうは、文字通り白骨死体を意味する文字で、人間の外観、骨組み、また、生まれながらに持っている身体の設計図という意味がある。五官の働きを促進させ、成長させる作用があるとされる。肺に宿り、強すぎると物思いにふけるとされる。外観という意味では、「落魄(らくはく、落ちぶれて見てくれまでひどく悪くなる)の語がよくそれを表している。



百度百科さまより

三魂
三魂,一种关于人的灵魂说法,一为天魂,二为地魂,三为生魂。

人内在的管理者。《左传.昭公二十五年》:“心之精爽,是谓魂魄;魂魄去之,何以能久?”《昭公七年》:“人生始化曰魄,即生魄,阳曰魂;用物精多,则魂魄强。”
孔颖达疏:“魂魄,神灵之名,本从形气而有;形气既殊,魂魄各异。附形之灵为魄,附气之神为魂也。附形之灵者,谓初生之时,耳目心识、手足运动、啼呼为声,此则魄之灵也;附所气之神者,谓精神性识渐有所知,此则附气之神也。”
参阅晋葛洪《抱朴子.地真篇》及《云笈七签》卷五四《说魂魄》。由此可见,在古人眼里,魂负责主管人的精神灵魂,而魄负责主管人的肉体生理。
三魂是指“天魂、地魂、人魂”,古称“胎光、爽灵、幽精”,也有人称之为“主魂、觉魂、生魂”或“元神、阳神、阴神”或“天魂、识魂、人魂”等。
三魂生存于精神中,所以人身去世,三魂归三线路:
天魂归天路,到达空间天路。因天魂只是良知亦是不生不灭的“无极”,因有肉体的因果牵连,所以不能归宗源地,只好被带走上空间天路的寄托处,暂为其主神收押,这是所谓的“天牢”。
地魂归地府,到达地狱,因地魂可知主魂的一切之因果报应,也可指使在世肉身之善恶,所以肉身死亡后,地魂再进因果是非之地。
人魂则徘徊于墓地之间,因人魂本来是“祖德”历代姓氏流传接代之肉身。以七魄在身其性行之魄力,死亡后再墓地对神主,来来往往之走上人路之寄托处。
直到再度轮回,三魂才会重聚。而“三魂”的根本是“真如”(生命实相),“三魂”是由于“真如动念”所产生的一种能量形态并吸附了灵质而具形体,属于“灵界”。


魂魄解释
魂为阳,魄为阴。其中三魂和七魄当中,又各另分阴阳。三魂之中。天魂为阳,地魂为阴,命魂又为阳。七魄中天冲灵慧二魄为阴为天魄,气魄力魄中枢魄为阳为人魄,精英二魄为阳为地魄。
三魂当中,天地二魂常在外,唯有命魂独住身。天地命三魂并不常相聚首。七魄中两个天魄两个地魄和三个人魄,阴阳相应,从不分开。并常附于人体之上。其实人类的七魄,实际上就是藏密所说的位于人体从头顶到胯下会阴穴的中脉之上的七个脉轮,七个能量场。其中天冲魄在顶轮,灵慧魄在眉心轮,气魄在喉轮,力魄在心轮上,并同时与双手心和双脚心相连。中枢魄在脐轮,精魄在生殖轮,英魄在海底轮。人体的七魄同由命魂所掌。命魂又称为人魂,或者色魂。人类生命就是从此命魂住胎而产生的。命魂住胎之后,将能量分布于人体中脉的七个脉轮之上。而形成人的七魄。魄为人的肉身所独有,人死之后,七魄随之消散,而命魂也自离去,生命即以此告终。


人要死时七魄先散,然后三魂再离。
生病时就是和魄散了,所以要用药物去阻止它散发。如果和魄和力魄散了就容易鬼上身。
人的精神分而可以称之为魂魄,其魂有三,一为天魂,二为地魂,三为命魂。其魄有七,一魄天冲,二魄灵慧,三魄为气,四魄为力,五魄中枢,六魄为精,七魄为英。
人的命魂,透过七魄中的天冲灵慧魄主思想,主智慧。透过气力二魄和中枢魄,主行动。通过精英二魄主身体主强健。唯中枢一魄,乃为七魄的中心。人的命魂就依附于七个脉轮之上。
人身中命魂与中枢魄的联系最为密切,所以中枢魄也称为命魄,在人体内部,天冲灵慧二天魄之阴,与精英二地魄之阳交,而产生人魄有形之气力。在人身外部,则是因天魂之阳,与地魂之阴交合,成命魂。并同时三魂相合,主人无形的命运。运是由人的天地二魂联合,主人命的好坏和强弱。命则是人的命魂,支持自身的天地二魂,运发的旺盛与兴衰。运由命所主,命由运所发。运无形而命有形,运与命复合,则构成人类完整的生命体。
运主虚空,命主实相。凡人命运的好坏,在于人的命与运是否生合或者相制约。若是运强过了命,不去生扶自己的命,并反而压制命,则人身七魄的天魄地魄人魄也必不相生。此人必表现为命薄和体弱。若得命强过运。而能使得运不得不去生扶自己的命。则人身七魄之天魄地魄人魄必得相生合。人就会表现得身强命旺,人的根基必深而厚,此等行者,修行才易于成功。
命魂乃七魄之根本,七魄乃命魂的枝叶。魄无命不生,命无魄不旺。命魂是人身的主魂。天地二魂的聚合产生命魂而生人,命魂终结时又分出阴阳。并回归天地。天魂主光,地魂则是天魂的光照射在人命魂之上所形成的影子。所以地魂又称为影魂。无光不成影,无影不成相。修行人若能修得命运融合,天光与地相才能与人的色魂相合。如此人体眉心的灵慧之魄,才能得以显现出天魂地魂的形象。如此人的天地二魂常在外而所见的一切相,才能得以在人的大脑和天眼里显示出来。因为天魂和地魂既能依附与肉身而显化万象,也能脱离肉身而自由存在,所以人的天魂和地魂也称为身外化身。
其实每一个人的眉心轮天眼都是打开着的,眉心轮又称为月轮。月本身就是一个开着的目。目又为眼睛。所以月轮眉心原来就是一个开着的眼睛。月无日不明,月若得日目自明。此乃命魂得天魂的光合,若月能同时兼得地魂的影。月明之中自能成相。此即是千光之眼千眼明。


古人认为人身上有三魂七魄,也有说三魂六魄的,三魂又叫三精。
《玄怪录》载三魂七魄故事,唐元和五年五月,司戎郎崔宣子崔环病中被两黄衫带到阴间判官院受刑。崔环站判官院外,忽听到四声以杖击人声音,旋有阴吏出来对崔环传话:今且宽恕,只将你轻杖四板放归。崔环说:“此身不入,何以受刑?”阴吏说:“凡人有三魂,一魂在家,二魂受杖耳。不信,看郎胫合有杖痕?”崔环拉起衣一看,两胫上果然各有四条杖痕,且痛苦不堪,不能举足,只能匍匐而行。
清袁枚《续子不语》亦载:杭州风俗,新娘子过嫁时须手执宝瓶,内盛五古,入男家门后交换,然后放在米柜中。某日,一梁氏新娘执宝瓶过城门时,因守门人索钱吵闹受惊,随即精神恍惚。后喝一碗符水,才神魂稍定,乃对人说:“我有三魂,一魂失落于城门外,一魂失落于宝瓶中,须向两处招归之。”家人依言施行。新娘子说:“城门外魂已归矣,宝瓶中,魂为米柜所压,沿不能出,奈何?家人又依言施为,新娘病才好。
而梦笔生《续金瓶梅》中的沈花子也有三魂:一魂在阳间随身乞食,一魂留在阴间做饿鬼受罪,还有一魂在西门庆坟上守尸。某日清明,沈花子不小心摔死在路边。正遇上替西门庆守坟之魂,便把随身魂叫到西门庆坟内。两魂各诉其苦,甚至打起架来,随身魂怪守尸魂不该把他骗来,误了他清明节的好生意;守尸魂却怪他终日游食在外,让自己干守尸的苦差。直到土地神来把两魂叫去合入前身还阳才算了事。
袁枚《子不语-随园琐记》中曾自述:他某日病重高烧,感觉到有六七人纵横杂卧一床,他不想呻吟,但他们呻吟;他想静卧,但他们却摇醒他。后来高烧退去,床上人也渐少,等到烧退尽,那些人皆不见了。原来,与他同卧之人,皆是他的三魂六魄。
阳世之人有三魂七魄,乃胎光,爽灵、幽精三魂尸狗、伏矢、雀阴、吞贼、非毒、除秽、臭肺七魄,各主精神、气及心、胃、肾、肠,胆、肝、肺,三魂七魄去半便性命危,阴世魂魄也有魂精糖及魄精两者若幻灭,便将魂飞魄散永世轮回超生了.


人的命魂
三魂:夫人身有三魂,一名胎光,太清阳和之气也;一名爽灵,阴气之变也;一名幽精,阴气之杂也。
七魄:其第一魄名尸狗,其第二魄名伏矢,其第三魄名雀阴,其第四魄名吞贼,其第五魄名非毒,其第六魄名除秽,其第七魄名臭肺。
卷三三曰:三魂相嫉,七魄流竞。天地万物都有灵魂、觉魂和生魂三种魂。


ーーーーー

七魄
人的精神分而可以称之为魂魄,也就是常说的“三魂七魄”,魂有三,魄有七,一魄天冲,二魄灵慧,三魄为气,四魄为力,五魄中枢,六魄为精,七魄为英

道家
道家谓人有七魄,各有名目。第一魄名尸狗,第二魄名伏矢,第三魄名雀阴,第四魄名吞贼,第五魄名非毒,第六魄名除秽,第七魄名臭肺。见《云笈七签》卷五四。

脈論
人体的七魄同由命魂所掌。命魂住胎之后,将能量分布于人体中脉的七个脉轮之上。而形成人的七魄。魄为人的肉身所独有,人死之后,七魄随之消散,而命魂也自离去,生命即以此告终 


在《离骚》已可见到 "魂" 与 "魄" 二字连用, "三魂七魄"有时被人认为三与七并不是有特定意义, 有时又被认为在医学与黄老尚有其意涵,在此摘录了不同人的看法,瞧瞧哪种说法可靠.
转载自欧崇敬博士的<<浑沌之知的讲造>>第十章
在春秋战国时代里关于<魂>、<魄>的地位,以及「人」在多重时空中的存在属性问题已被把握到了,却尚未成为多重知识整合。所谓的多重之知识整合即是其与<八卦>、<五行>的结合等发展。很明显,<三魂七魄>即是与<八卦>这一知识系统结合后而产生的内涵。而不代表"个数"的<三>或<七>。在汉代由于黄老道家及医家对此观念的发展,使得<魂>与<魄>的观念已明确地成为<三魂七魄>,事实上此四字乃说明着<魂 ><魄>二者属性的关系,亦即<水火>对偶性的关系。
而魂魄这组字词也应限定在医学和黄老之学的叙述系统中才有其正确的意义。当<三魂七魄>被误用为三个魂、七个魄时,一切认识的混乱由此而起。另一个宗教上的发展,当魏晋南北朝以后,道教对此理论把<三魄>与<祖宗牌位 地府.墓碑>结合时,表称人死后的世界乃是以三个魂各立于<祖宗牌位 地府.墓碑>各一。于是<魂>的认识乃被阶段性地确认。要问的是何以<魂>因<八卦 >中的属生与方位介定,以从属为一种医家的观念后被转化为一个数量上的时空属性呢。一个很明显的疑问则是:若在其他宗教中无此之设立,则是否仍为 <三>呢。
从这样地循问,很明显地发现问题所在,并且可以推断出<魂>应回复春秋战国的认识结构中,<三魂>的使用是<八卦 >系统中的指涉,而非一个数量的指称,魏晋以后还为<三魂>命名以确立为<三个>是一种观念上的错误。当然,关于< 七魄>为七个与为七者命名的方式,亦是相关的错误。

之分
转述自许衡山先生的<<先道静坐丛书之开天眼神通研究>>
人因为有三魂七魄而形成一位有智慧会活动的肉体.
三魂分为:灵魂(天魂、主魂),觉魂(地魂、视魂),生魂(人魂、象魂)
七魄分为:喜、怒、哀、惧、爱、恶、欲
三魂在于精神中,七魄在于物质,所以人身去世,三魂归三线路。
七魄归肉身消失,肉身消失三魂七魄之归处。
灵魂(天魂、主魂)归天路,到达空间天路。因灵魂(天魂、主魂)只是良知亦是不生不灭的“无极”,因有肉体的因果牵连,所以不能归宗源地,只好被带走上空间天路的寄托处,暂为其主神收押,就是所谓的“天牢”。
觉魂(地魂、视魂)归地府,到达地狱,因地魂可知主魂的一切之因果报应,也可指使在世肉身之善恶,所以肉身死亡后,地魂再进因果是非之地。
生魂(人魂、象魂)则徘徊于墓地之间,因人魂本来是“祖德”历代姓氏流传接代之肉身。以七魄在身其性行之魄力,死亡后再墓地对神主,来来往往之走上人路之寄托处。
七魄在肉身死亡时已随之消失,就无须再说。

之位

转载自徐华震的<<西洋神秘学宝典>>
三魂 -- 是中国式的对人体能量的一种称呼,尤其以带有主要意识的能量体的称呼,而此三魂主要存在于人体的上丹田(玄关)、中丹田(太阳神经丛)、及下丹田(脐下三指幅)处。
七魄 -- 中国式的对人体七个能量体的称呼,此七个能量体分别来自人体的海底轮、脐轮、太阳神经丛、心轮、喉轮、眉心轮、及顶轮。 [2]
李凉<<天齐大帝>>中, 将军阴魂与道士柳志宏间的对话:
启禀法尊。阳世之人有三魂七魄,三魂乃胎光,爽灵、幽精。七魄乃尸狗、伏矢、雀阴 、吞贼、非毒、除秽、臭肺七魄,各主精神、气及心、胃、肾、肠,胆、肝、肺,三魂七魄去半便性命危,阴世魂魄也有魂精及魄精,两者若幻灭,便将魂飞魄散永世不能轮回超生了。
七魄:人的精神分而可以称之为魂魄,其魄有七,一魄天冲,二魄灵慧,三魄为气,四魄为力,五魄中枢,六魄为精,七魄为英。
人类的七魄,实际上是藏密所说的位于人体从头顶到胯下会阴穴的中脉之上的七个脉轮,七个能量场。其中天冲魄在顶轮,灵慧魄在眉心轮,气魄在喉轮,力魄在心轮上,且同时与双手心和双脚心相连。中枢魄在脐轮,精魄在生殖轮,英魄在海底轮。

另说

又有一说,七魄是与德行挂钩的,认为是:
和魄、代表平衡之力、
义魄、代表生死之义
智魄、代表智慧、
德魄、代表品行、
力魄、代表力量、
气魄、代表正义、
恶魄、代表邪恶。











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気功のリラックス・放鬆

2025-03-04 02:25:03 | 気功の話
リラックスは難しいですね

こういうことは
気功レッスンでもよく言います。

なので、
そんな参考になれば


津村喬さんの文章より

放松
 放は「放っておく」あるいは「そのままでいる」こと、松は鬆の簡体字で「ずぶずぶに気の通るようになった弛んだ状態。
ふたつ合わせて日本で言う「リラックス」のこととされる場合が多い。

『健身気功用語辞典』にはなんと放松も放松功も載っていない。
『気功用語手册』には「放松功」だけが載っている。
「上海気功療養所(現上海市気功研究所)で1957年に蒋維喬の因是子静坐法の中で出現した失敗の教訓を総括して作ったものである。この功法は主として「鬆」の字から着手する。意念と呼吸を結びつけてだんだんにリズミカルに「ファンソーン」の音を黙念(黙って唱える)し、それにつれて全身の筋肉骨格をリラックスし、身体に舒適自然を自覚させ、それによって心身の安寧、気血の調和、経絡の疎通、臓腑の協調、体質増強の目的に達するものである。このやりかたは三線放松、分段放松、局部放松、整体(全身)放松、側行放松の五つの方法がある。終えてから全身を叩いたり按摩したりするのが普通である。」

五十年代にはこれで必要十分だったのだが、五十年後の健身気功の中では、まったく別の側面が協調されるようになった。
それは「松と緊は同じことである。リラックスしてもだらしなく[懈]なってはいけない。緊張してもこわばって[橿の弓篇]はいけない」。
『健身気功培訓教程』によれば
「放松は放ではあるが懈ではない。弛んでいるが張りがないわけではない。緊張しているがこわばらないようにし、筋肉の張力を保つのである。生物力学の最新の研究によれば、正常な状態下で、人体の各組織と器官は内的応力が分布しており、その器官と組織の能力を発揮するための最適の応力が分布している」
「気功学から言えば、松に成っても懈にならないことのキーポイントは「体はリラックスするが意識は満ちている」ということである。」


この
「体はリラックスするが意識は満ちている」
これですね。





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紫気東来その2

2025-01-27 03:49:59 | 気功の話
今年の旧正月(春節)は
1月29日

もうすぐ
旧暦のお正月ですね!

気功をするようになってからというもの
旧暦の方が
しっくりくるのです。

ということで、
年越し練功もできればと思っています。


前にも書いた
「紫気東来」の話題です。

参考までに
「上海城隍庙」さまより

紫气东来

文化影响
如今在函谷关一带,除了不少传说和纪念建筑外,还有不少特殊的风俗也因老子而起。如农历正月二十三日,老百姓以黄表剪牛,贴于门首,写上“正月二十三,老君过函关,门上贴金牛,四季保平安”。
《道德经》虽只有五千字,但却留下了许多成语,诸如“自知之明”、“善始善终”、“千里之行始于足下”等都出于此,被中华民族世代沿用。而今,一进入函谷关风景点,就能感受到“紫气东来”的文化气息,老子骑着青牛飘然而至的石头塑像、老子撰写《道德经》的书案“灵石”和“自知之明”等名句的石刻都跃然眼前。由于函谷关具有“紫气东来”的吉祥含义,吸引着海外众多的游客慕名而来,领略这千古雄关的美丽风采。

千古传说
“紫气东来”的传说千古传诵:太上道祖降圣人间化身老子,在周王朝担任主管图书典籍的官职。时值天下大乱,诸侯之间争夺地盘和权位的战争经常发生,老子预料到,将来会发生更大的战乱,所以辞官周游天下,骑着一头青牛,离开了洛阳向西而去。一个清晨,函谷关善观天象的关令尹喜突然看到东方紫气氤氲,便知必有贵客相临,便出关相迎。果然见一长须如雪,道骨仙风的老者,骑着青牛悠悠而来,这就是老子。尹喜礼请老子留关,虚心请教处世之道,方得《道德真经》五千真言流传世间。如今在豫西灵宝,陕县一带流传着许许多多有关老子的故事,函谷关有老子著经处,老君塬上有老君观及老君冢。

“紫气东来”就是紫气自东而来。比喻祥瑞降临。正是由于它的美好含义,所以在中国民间,每逢节日之际,家家户户都喜欢把它作为春联的横批,贴在门框上。人们希望紫气带来吉祥、带来好运。
“紫气东来”可谓是源于道教的最为人熟知的典故。汉朝刘向在《列仙传》中写道:“老子西游,关令尹喜望见有紫气浮关,而老子果乘青牛而过也。”“紫气东来”这句成语就出典于此。此处所说的“关”是指函谷关,在河南省最西部的灵宝市北边,是中国最早的雄关要塞之一,与山海关、武胜关等齐名,并称为中国八大雄关。春秋时期开始建立,三千多年来,一直都是东去洛阳、西达长安的咽喉要道,成为历代兵家必争之地。


一部の簡単な訳
「紫気東来」とは、紫の気が東から来るという意味です。吉祥の到来のたとえ。その美しい意味から、中国の民間伝承では、どの家庭でもお祭りの際には春節の対句の旗として戸枠に貼るのが好まれる。 人々は、紫が幸運と富をもたらすことを願っているのだ。



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気功・・世界を気として体験

2025-01-11 03:57:16 | 気功の話
以前もご紹介したものですが再度。

気功家・津村喬さんが残してくださった文章です。

気功の授業では
これと同じことは何度も伝えています。

皆さんの参考になれば。


ーーーーー


気功は世界を気として体験する方法のカタログです。

手を当てて温かくなれば、自分のからだも何かの流れで出来ていることがわかります。

気を動かせば、わたしたちの心も変わることがてできます。

木や石と話ができそうなら、世界全体が気でできているからこそ、こっそりと気脈を通じることもできることがわかります。
 
中国で五千年余りにわたって形成され練り上げられてきたおびただしい種類のからだと心のレッスンを、いつしか全部まとめて「気功」と呼ぶようになりました。

そうした「世界を気として体験する方法」はただ保健や医療の中だけでなく、武術、体育の中でも、儒教や仏教や道教といった伝統宗教の中でも、書や画や文などの芸術の中でも、その中の一番生き生きとした内実として伝えられ豊かにされてきました。

だから、気功は東方文化の全体のカタログであるだけでなく、気として体験される人の心身と地球全体の博物誌でもあるのです。

その意味では、気功そのものは中国で生まれたけれども、気の文化、気のレッスンは世界全体至る所にあって、ただ新しい名前で呼び出されるのを待っているのです。
 
どうやって世界を気として体験できるのでしょうか。

それは、自分がとらわれている世界への反応のしかたを変えること、さまざまな気配りやヨロイを捨ててリラックスし、自然で本当に気持ちのいい状態を知ることによってです。
木々や石や水と深く出会うことで、自分の見えなかった自然状態が見えてくるかもしれません。
逆に、私の中の大自然を発見することで、私のボディとしての地球が見えてくるかもしれません。


ーーーーー


気功のレッスン

体験してみませんか?

いつでもお待ちしています。



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紫気東来

2024-12-30 03:47:15 | 気功の話
『紫気東来』

聞かれたことはありますか?

実は、
毎年9月に開催されている
一般社団法人全日本混化気功協会の
「気功特別講座」でも
この話が出てきており

・・・

参加してくださった皆さまへの
参考にもなり

もうすぐ新年なので
ということもあり

ご紹介。


「新浪網」さまより

紫气东来

紫气东来,老子过函谷关之前,关令尹喜见有紫气从东而来,知道将有 圣人过关。果然老子骑着青牛而来。旧时比喻 吉祥的征兆。出自《 史记·老子韩非列传》“於是 老子 乃著书上下篇,言道德之意五千馀言而去,莫知其所终” 司马贞索隐引 汉 刘向《列仙传》:“ 老子 西游,关令 尹喜 望见有紫气浮关,而 老子 果乘青牛而过也。”后遂以“紫气东来”表示 祥瑞。
传统文化中的五色,指青、赤、黄、白、黑五种颜色,五色对应五行,金、木、水、火、土,其中青色,按方向来讲,对应的是东方,在五行中对应的是木,对应的季节是春天。
春天有生发,萌发的意思,是万物生长的开始,太阳又是从东方升起,代表阳气十足,因此青色是吉祥色,其青牛也是很吉祥的坐骑,紫气也属于青色,因此紫气东来,就是吉祥的意思了。
“紫气”后来在中国文化里面也是代表最高、吉祥的意思。
紫气东来呈吉祥,福禄寿喜永安康,利好晓日腾云起,财源更比水流长!紫气东来,就是紫气自东而来,比喻祥瑞降临。正是由于它的美好含义,寄托了人们对未来的憧憬和向往,所以在中国民间,每年的春节来临之际,家家户户都喜欢把它作为春联的横批,贴在门楣上。人们希望紫气带来吉祥、带来财富,带来好运。



老子が函谷関を越える前に、尹喜が紫の気が東より来るのを見た
彼は聖人が峠を越えようとしていることを知った。
案の定、老子は緑の牛に乗ってやってきた。



「大理日報」さまより

紫气东来”说的是老子李耳,汉刘向《列仙传》记载:“老子西游,关令尹喜望见有紫气浮关,而老子果乘青牛而过也。”说的是周朝末年,李耳骑青牛由东至西出函谷关,守关将领尹喜见老子李耳周围有紫气环绕,心想此人非凡人,于是热情接待李耳,由于尹喜待人热情、态度恭谦,老子就把千言《道德经》传授给了尹喜。


尹喜,字公文,相传是西周王朝中的一位贤大夫。他自幼研修古籍,精通历法,善观天文,习占星之术,能知前古而见未来。周昭王二十三年(公元前1026年),眼见天下将乱,他便辞去大夫之职,请任函谷关令,以藏身下僚,寄迹微职,静心修道。尹喜上任后,在关旁结草为楼,称为楼观,每天在这里观察天象。有一天夜里,尹喜在楼观上凝视,忽见东方紫云聚集,长达三万里,形状犹如飞龙,由东向西滚滚而来,十分惊喜,自语道:“紫气东来三万里,圣人西行经此地,青牛驾车载老翁,藏形匿迹混元气。”知有大圣人将从此经过,他便立刻召见守关兵卒孙景说:“传令下去,九十天内将有大圣人路经此关,汝等要时刻留意,如有形容奇特、车服异常者从东而来,要求度关,切勿放行,立即禀报,不得有误。”同时,派人清扫道路四十里,夹道焚香,以迎圣人。尹喜自己也天天沐浴,日日斋戒,净身等待。


七月十二日午后,日已偏西,光华东射,关卒孙景不敢懈怠,仍在关上守望,忽见行人中有一青牛之车,其牛大而车小,车板薄而载人重。车上坐着一位白发老翁,红颜大耳,双眉垂鬓,胡须拂膝,身着素袍,道骨仙貌,非同凡人。孙景飞奔下关禀报。尹喜闻报大喜,迎接在牛车数丈前,跪拜道:“关令尹喜叩见圣人!”老子有意试其神智,故意说道:“吾乃一介贫贱老翁,如此非常之礼,不知有何见教?”尹喜道:“请大圣人暂留神驾,到关中小住,指点修行之道。”老子说:“老夫家居关东,田在关西,今往田中取点柴火,怎么会是圣人呢?”尹喜道:“尹喜早得神明示象,已扫路焚香、沐浴净身,在此恭候多日,诚望圣人赐教。”老子笑道:“你说的圣人是古先生,此人善修施教,有绵绵永存之术,老夫正欲西去求教,还望大人放行。”尹喜再拜道:“今视圣人真姿超绝,望圣人略为尹喜指路,尹喜感恩不尽。”老子道:“汝何以知道老夫是神仙?”尹喜道:“尹喜好观天文,略知变化。今月之初,和风立至,见紫气东来,知有圣人西行;紫气浩荡,滚滚如龙,长达三万里,知来者至圣至尊绝非一般之神;而紫气之首有白云缭绕,圣人当为白发,是老翁之状;紫气之前有青牛之星相牵,圣人必乘青牛之车来也。”数试尹喜之后,见其态度诚恳,所言真切,确是可度之才,便怡然含笑道:“汝知老夫,老夫知汝,当得度汝也。”尹喜闻言大喜,叩头问道:“敢问大圣人姓名?”老子道:“吾姓字渺渺,无世不出,本人现姓李,字伯阳,号老聃。”尹喜焚香叩首,行拜师大礼,做了老子的入室弟子。


老子在函谷关住下后,见尹喜心慈人善,气质纯清,于是融静修、服药、画符之效为一体,取其精华而为尹喜著书,名为《道德经》。《道德经》写成后,老子对尹喜道:“老夫授汝《道德经》,分上、下两篇,上篇为《道经》,言宇宙根本,含天地变化之机,蕴神鬼应验之秘;下篇为《德经》,言处世之方,含人事进退之术,蕴长生久视之道。研习不止,苦修不懈,终有所成!”言罢,老子飘然而去。


老子去后,尹喜辞去关令之职,终日在楼观之上修习,初时不甚明了,诵之口熟,渐渐品出其中妙蕴。后终于悟出真谛,修成大道,成为文始先生无上真人。尹喜在升天之前,来到老子故里,并把自己的躯体留在这里,让自己的忠魂永远守护恩师的家门,以报答至言教诲之恩。



「吉祥の前触れ 」

という意味。


そんなパワーのことですね。





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イルカは楽しいことしか考えない

2024-11-19 03:47:12 | 気功の話
以前もご紹介した

気功家・津村喬さんの文章。

再度ご紹介します。


ーーーーー


「イルカ・海の気功師たち」
 
イルカの姿を見たことがありますか。水族館で芸をさせられている姿は少し悲しすぎるので、あまり見たくはありません。海で自由にしているイルカのことです。イルカに会う旅というのもあって、憧れてしまいますが、誰もが行けるものでもないし、あんまり会いに行っても先方も迷惑かも知れませんから、せめてタルボットのイルカの映像でも見てみましょうか。その優美な姿と動きは、見ているだけで瞑想になってしまいそうです。やさしく、なめらかな動きが海とほんとうに一体になっているので、人間の泳ぎに比べてすごく自由に思え、あんなふうに動けたらどんなに気持ちいいだろうと思ってしまいます。

ご存知と思いますが、イルカのあのヒレには五本指が入っています。イルカはもと陸上動物で、イヌの祖先と同じように陸上をかけていたのです。そしてイヌよりもだいぶ大きい、人間より二回りほど大きい脳を持っていました.ところが彼らはどの時点でか「やーめた」とまた海に帰ってしまったのです。なぜでしょうか。イルカと話す努力をしている人たちがまだはっきりと説明を受けるのに成功していないので、推測するしかありませんが、おそらくこのまま自分たちが手を使って道具を作り文明を発達させると、やがては地球を何度でも壊してしまうような道具を作る羽目になるかも知れないとある時悟って、別な道を歩むことにし、海に帰って手を発達させないようにしたのではないでしょうか。そうとすれば、結局手を発達させてもう限界まで地球を壊してきてしまった人間が、もう一度なんとかやり直す道があるのだろうかというこの曲がり角に立って、こんなにもイルカに引かれてしまう理由がわかるではありませんか。
 
 彼らはぼくら自身のもう一つの生き方、もうひとつの進化の道を見せてくれているのです。

 海に帰ったイルカはその人間より大きな発達した脳を何に使ってきたのでしょうか。彼らはずっと気功をしていました。いや、本当の話です。
イルカたちは家族を愛し、もの静かに助け合い、決して争わず、海の中で歌い、踊り続け、また瞑想し続けて、地球の声を聴き、地球と一体になることにすべての時間を使ってきました。それは悟りの道ではないでしょうか。イルカは誰でも超音波を発信して、ほかのイルカや魚や人間の体の中まで一瞬に見通して、相手がからだや心の病をもっているかどうか、すぐに見分けてしまうといわれます。高度に訓練した気功師がまれに見せる透視力と同じものをどのイルカも身につけているのです。

中国で一番古い気功は亀を真似た気功です。亀の中には一呼吸60分というのもいて、あんなに長い呼吸ができると長生きするに違いないと思われたのです。イルカだって肺呼吸ですが、一呼吸で20分も潜ります。それも時には海中で激しい運動をしながらです。イルカが身近にいたら、イルカの気功もきっとできたことでしょう。アボリジニがイルカとのドリーミングが大好きであるように。

そんなに肺が大きくないのに、なぜ人間の10倍も潜れるのでしょうか。肺活量のせいでないとしたら、何が違うのでしょうか。脳の酸素の消耗率が違うのです。心の状態に寄って、脳の酸素の消耗率は大きく変わります。それによって、必要な酸素の量も当然変わります。

ダイビングの好きな人によく聞くのですが、60分潜れるはずのボンベの酸素が海中でパニックを起こすと、すごくたくさん使ってしまい、20分しか持たないというようなこともおこります。平常心がおかされると、いっぱい酸素を使ってしまうのです。

イルカごっこをしましょう、というと畳の上でくねくねするのかと思う人がいますが、実はそのまま息を止めてもらうだけのことです。まず30秒止めてみます。次に、もう一度息を止めているあいだ、嵐が来て船がしずみそうだとか、不安なこと、こわいことをいろいろ話します。そうすると、同じ30秒かと思うほど苦しいのです。次にもう一度、イルカと一緒にのびのびと泳いだり、気持ちよく太陽の光の中で遊んでいる情景を思い浮かべると、30秒を45秒にしても誰も気がつきません。これはどういうことかというと

 『イルカはゼッタイ楽しいことしか考えない』

だから酸素の消耗量が少なく、ずっと潜っていられるのだということなのです。実は気功でも、その人がどれくらい「気功状態の脳」になっているかを客観的に確かめたい場合、脳の酸素の消耗率が眠るよりどれくらい下がっているかをみます。この基準で言うと、イルカは誰でも気功師なのです。

このまま地球の温暖化が進んで行って陸地が大幅になくなり、もう一度人間は海に帰らなければならないかも知れません。もし海面が石油や放射性物質で覆われ切っていなければ、半ば海中で暮らすかもしれません。その時ぼくらはイルカに何を習えるのでしょうか

ジャック・マイヨールは素潜りで100メートル以上も潜ってみせ、こんな風にやれるんだよと示した上で『イルカと海に還る日』なんて、びっくりするような本を出しました。それは、人類の絶望というべきでしょうか、希望というべきでしょうか。

フランスやオーストラリアでは、海中出産をする人が少しずつでてきています。

 『とにかく、海の字の中には母がいるのです』

イルカには生まれたばかりの海面に連れて行って、おぎゃあとは言わないかも知れませんが息を吸わせる係の産婆さんがいて、そういうイルカに近くにいてもらって海中出産をすると、人間の子供もちゃんと扱ってくれるのです。ところがそういう子供は最初に会うのが人間でなくイルカというわけですね。不思議なことにそういう子供は五分六分と潜って遊んでいられます。ジャックのような訓練をしなくても、産まれるときに空気中の子供が無意識のうちにするだろうある種の断念を持たなければ、イルカ人になれるかもしれないのです。そんなびっくりするような映像を見せてもらったことがあります。

きみらの経験からしても人間にはどんな未来があるんだろうと、イルカにもう一度相談してみたいと、改めて思います。
 

 
自分の心の在り方で

自分は変わっていくのだな…と

気功的な理解を

一歩深めるヒントになれば。


 

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気功を広く理解する…

2024-10-12 02:57:09 | 気功の話
以前もご紹介した
津村喬さんの文章の一部です。



『それ(気功体験)が人々と地球がともに元気になる道だからです。それに、皆さん一人一人に参加してほしいし、加担してほしいのです。「気功的経験の100メニュー」は気功とあなたが出会うチャンスの100の例です。こうした体験をしてから日常に還るとき、そこから新しい旅が始まります。  』


その気功体験の一部として
残してくれた文章です。

ーーー

気功は世界を気として体験する方法のカタログです。

手を当てて温かくなれば、
自分のからだも何かの流れで出来ていることがわかります。

気を動かせば、わたしたちの心も変わることがてできます。

木や石と話ができそうなら、
世界全体が気でできているからこそ、
こっそりと気脈を通じることもできることがわかります。
 
中国で五千年余りにわたって形成され練り上げられてきた
おびただしい種類のからだと心のレッスンを、
いつしか全部まとめて「気功」と呼ぶようになりました。

そうした「世界を気として体験する方法」は
ただ保健や医療の中だけでなく、
武術、体育の中でも、
儒教や仏教や道教といった伝統宗教の中でも、
書や画や文などの芸術の中でも、
その中の一番生き生きとした内実として伝えられ
豊かにされてきました。

だから、
気功は東方文化の全体のカタログであるだけでなく、
気として体験される人の心身と地球全体の博物誌でもあるのです。

その意味では、
気功そのものは中国で生まれたけれども、
気の文化、気のレッスンは世界全体至る所にあって、
ただ新しい名前で呼び出されるのを待っているのです。
 
どうやって世界を気として体験できるのでしょうか。

それは、
自分がとらわれている世界への反応のしかたを変えること、
さまざまな気配りやヨロイを捨ててリラックスし、
自然で本当に気持ちのいい状態を知ることによってです。
木々や石や水と深く出会うことで、
自分の見えなかった自然状態が見えてくるかもしれません。
逆に、
私の中の大自然を発見することで、
私のボディとしての地球が見えてくるかもしれません。


ーーー


気功への理解が一歩深まるのではないかと思い
ご紹介させていただきました。






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自分のため・私のためにすること

2024-07-13 02:37:35 | 気功の話
<気功法を実践してほしいわけ>
 
気功は・・・
「最善を尽くして自分を養うという道」
 と言われます。
  
気功には、 
何千年という月日の実績があります。
多くの人々が実践して実感してきた結果が
伝わっているのです。
 

気功法実践の効能1
 → 気血の流れを調整(毎日の生活の中で起こる乱れや偏り、滞りを調整)

気功法実践の効能2
 → 気血の流れを調整することでその人の本来の力がアップする(毎日の実践で徐々にアップする)

気功法実践の効能3
 → 自分の心身を大切にする気持ちを行動に起こすことで得られる効能

 などなど
 

これらの効能は、
やるからこそ得られるものです。

知識として知っただけでは・・・
残念ながら自分のものになりません。

試しにちょっとやっただけでも
(一時的にスッキリなどは感じると思いますが)
 本来の力を改善まではなかなか届かない。
 
免疫力を上げたい!
内臓の機能をアップしたい!

・・・などなどは、 
それなりに日々実践することで
叶えることができるのです。

だから、気功を習慣にする!
 
これをおすすめしたいのです!!
 
  
最初から毎日できなくても、
体調がよくなった実感が出てから
徐々に習慣にしていければいいと思います。
 

ーー 
毎日食事をするように… 
毎日寝るように… 
自分に最善を尽くすこととして気功の習慣作り。
ーー
 

毎日、自分に最善を尽くしす習慣がつけば…
そういう行動を通して、
自分に自信を持つことに繋がると感じています。

そして、それは、
ぶれない精神になっていくようにも思います。
 
気功をすることは積極的に養生する感じに思います。
だから、どんな事態においても、
先手を打っているので、(事前にできることはしているので)
無駄に不安になったりストレスにならないで
落ち着いて対処できるのではないのかなと・・。
 
 
肉体は・・
バランスよく、本来の力も働きやすく
 
精神は・・
バランスよく、落ち着いている
 
  
皆さんの気功習慣作りの第一歩としては、
やはりレッスンや教室に通っていただくことが一番早いと思います。
遠方の方は、まずはDVDで実践でもいいと思います。
オンラインレッスンもあります。
 
  
ぜひ、気功を習慣にしませんか?
 

お問い合わせ(メール)
yojokikou@mail.goo.ne.jp
 
 
「なぜ気功なの?」
こういったことは
最近では
特別授業として
または
気功師養成クラスなどで
詳しくやっています。
ご縁があればそういうところにも是非!


ここのブログや
ヒントになるように…と願って
作っていますので
良ければご覧ください。







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雷斋月(旧暦6月)

2024-07-02 06:54:24 | 気功の話
『雷斋月』

旧暦6月1日~6月24日なので
2024年は7月6日から7月29日


参考までに

「上海城隍庙」さまより

“雷斋月”之“斋”字,除了斋醮和素食外,更是在告诫大众应时时内省,发忏悔之心,生慈悲之念,除却身心意上的业障,斋戒形神,以保大道至简、性命全真,以求正者不邪、一者不杂。

“雷斋月”の“斋”という言葉は、断食や精進料理のほかに、常に内省し、悔い改め、慈悲の心を持ち、心身のカルマの障害を取り除き、心身を断食して、道を簡素にし、人生を真実にするために、正しく、邪悪でなく、混じりけのないものにしなさいという戒めである。 正しい者は邪悪ではなく、混じり気のない者である




「长沙县李公庙」さまより

雷斋月的斋是“吃素”么?

斋戒期间,道士为了清净身心,要持“食斋”,不触荤腥的。道教通常所指的“荤腥”:荤字为草字头,其实是指植物类,道教中的五荤在《云笈七签》中记载为“韭、蒜、芸薹、胡荽、薤”。芸薹据小道的传承以及考证其实就是我们现在所吃的油菜。胡荽又名芫荽,就是香菜。薤就是藠头。而以月字旁为代表的腥,指的一切动物血食。这些食物进入人体后容易燥火升欲,使心不静,尤其“荤物”过食后口气重,恐秽口亵神,故而皆不能食。道教的斋法,源自上古,成于老庄,又有身斋,口斋,食斋,心斋,坐忘斋,涂炭斋等等。所以道士持戒绝对不仅仅只是吃素这么简单。

首先,是斋心,外想不入,内想不出,遣欲清净,尽量不参加各类娱乐活动;

第二,戒荤腥酒肉,保养真元;

第三,持诵玉枢宝经,没有条件的可持诵雷祖圣号;

第四,勤行善举,助人为乐,多多布施,利益社会。

学习雷祖之神格,可以明道德真义,智慧圆融,身心安泰;可以明白祸福之源,完善向善的人格;可以形成强大的愿力,更具执行力、行动力;可以避免星辰五行不利,远离灾厄;可以修大乘之心,利益社会苍生。



第一に、断食の心であり、外的な思考は入らない、内的な思考は出てこない、欲望を浄化し、あらゆる種類の娯楽活動に参加しないようにしてください;

第二に、肉と酒を断ち、真髄を保つ;

第三に、玉枢経を読誦し、条件が整わなければ雷祖の聖名を読誦する;

第四に、善行に励み、他人を助け、社会のために多くを与えることである。

雷祖の神性を学べば、道徳、智慧、心身の平安の真の意味を理解することができ、災難と福徳の源を理解し、善に向かう人格を完成することができ、強い願力を形成し、実行力と行動力を高めることができ、星の好ましくない五行を避け、災難から遠ざかることができ、大乗の心を養い、社会と生きとし生けるものに恩恵を与えることができる。



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