風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

なぜ霜柱はできるのか

2018年01月08日 | 「新エッセイ集2018」

 

冷え込んだ今朝は、公園の草むら一面に霜が降りていた。
草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。
地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。

子どもの頃は、よく霜柱を踏み砕きながら登校した。
夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思ったこともある。
小さな足裏に、誰かが作ったものを踏み砕いていく快感があった。誰がどうやって作るのか、それが解らない少年には、壊すことで疑問を解いていくしかなかった。

父の剃刀の刃を折ってしまったのも、カミソリというものが不思議な刃物だったからだ。
父のその剃刀は、折りたためるようになっていた。床屋にあるようなベルト式の皮の砥石で、父はいつも剃刀を丁寧に研いでいた。
そのような父の習慣も不思議だったが、髭のような硬いものが切れるのに、父の肌を傷つけることがない、そのことの方がもっと不思議だった。

父が居ない隙に、その剃刀で色々なものを切ってみた。そして、とうとう刃を折ってしまったのだ。
ぼくは父が怖かった。いつも些細なことでも叱られた。ましてや父が大事にしていた剃刀のことだ。
まず母に見つかった。父が独身の頃から大切に持っていたものだと、母は言った。どれだけがっかりするだろうか、と母も嘆いた。
ぼくは毎日びくびくしていたが、けっきょく父からの咎めはなかった。ぼくの落胆ぶりをみて、母が何らかの手を回したようだった。

ぼくは父の万年筆も何本も駄目にした。
ペン先からインクが出てくるのが不思議だったからだ。ペン先の部分をばらし、ペン先を広げてしまったり、曲げてしまったりした。
万年筆はどれも、ふだん父が使っていないものだったので、ぼくの悪戯がばれることはなかった。
目覚まし時計も分解してみた。ばらばらになって元には戻らなかった。小さなネジまですべて、こっそり裏山に捨てた。

ぼくはいつも壊すばかりで、どれひとつ不思議を解決することは出来なかったのだ。
いまのぼくは、霜柱ができる原理をすこしは知っている。不思議な世界のいろいろな仕組みを、いつのまにか知るようになった。
けれども、今朝も霜柱を見つけたとき、ぼくはまた少年の不思議に戻っていた。
こんな細工を誰がしたんだろう、と一瞬おもったのだった。

 


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