風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

福笹

2021年01月10日 | 「新エッセイ集2021」



大阪では、正月10日は十日戎で各神社はにぎわう。
七福神の恵比寿神が主神で、神社の境内では福娘が福笹を飾って売る店がならぶ。
商売繁盛だ笹もって来いと、威勢のいい囃子言葉は、商人が多かった土地柄が生んだものだろう。浪速では、なにはさておき金もうけが大事だったのである。
だが今年はえべっさんも商人も、コロナに打ち負かされて気勢が上がらないのではなかろうか。

例年ならこの日、大阪でいちばん人が集まるのは今宮戎神社だが、「えべっさん」(恵比寿さん)は大きな耳をしているが、どういうわけか耳が遠いとされている。願いごとは大声を張り上げて叫ばなければ通じない、と言われている。
だから誰もが我さきに大声で叫びながら、神社の裏にある銅鑼をガンガンと叩く。いくら耳が遠いえべっさんでも、たまらず耳をふさぎたくなりそうな、賑やかな光景が大阪ではある。

いつの正月だったか、娘が福笹をもらってきたことがある。
娘はもちろん商売繁盛などではなく、良縁祈願でもしてきたのにちがいなかった。
その福笹の笹に虫の卵がついていた。
福笹はリビングの天井近くに飾ってあったのだが、部屋を暖房していたせいで、まだ戸外は冬なのに早々と卵が孵ってしまったのだ。
はじめのうち、それが何の虫の幼虫だかは分からなかったし、その後の騒ぎのもとになろうとは思いもしないことだった。

その日頃、部屋の中で蚊のような虫が飛び交っているのを、なんとなく気にはしていたのだが、日ごとに数を増して、いつのまにか部屋中いたるところで、その小さな虫が動き回るようになった。
どうしたんだろう、と家族みんなが気味悪がっていたのだが、よく注意していると、幼虫は天井の方からふわっと落ちてくることに気がついた。そして、なんと福笹にたくさんの幼虫が綿毛のように群がっているのを発見したのだ。
手にとってよくみると、それは小さなカマを持ったカマキリの幼虫だった
まさに孵ったばかりのカマキリの幼虫が、次々と飛びたつ順番を待っているのだった。

OLだった娘は夜しか家にいなかったが、トンボだろうがセミだろうが、虫というものはどれも嫌いだったので、この環境はとても我慢ができなかったようだ。
福笹ごと外へ出してしまえと娘は訴える。しかし、そんな寒いところへ出してしまったら、カマキリは即お陀仏なのは目に見えている。かといって、このままリビングをカマキリに明け渡すわけにもいかず、なんとなく曖昧な態度をとり続けているぼくに、
「私とカマキリとどっちが大事やの」と娘は言い出す。
決心がつかないぼくは、娘をからかう気持もあって、
「カマキリの方が大事や」などと言ってしまった。
そこで娘は、ついにキレてしまった。
「それなら私が出てゆく」と。

えべっさんも、とんでもない福の神を持ち込んでくれたものだが、そんな騒動のあった年の秋に、娘は本当に家を出ていくことになったのだった。
カマキリの幼虫がどうなったかは覚えていないが、その後、春から秋にかけてわが家では、カマキリ騒動がずっと尾を引いてしまったのである。
その夏のある日曜日の朝、リビングの床に新聞を広げて読んでいたぼくの背中に、娘がとつぜん体を投げかけてきたことがあった。
それはほんの短い時間だったかもしれないし、娘は起きてきたばかりでまだ寝ぼけていて、発作的に親に甘えたい気持がおきて、子供がえりをしてしまったのだと考えると、それほど大した行動ではなかったのかもしれなかった。
けれども、娘が言葉を発しないことで、娘の体が私の背中に何かを伝えようとしているようにも感じられた。娘が伝えたいことがまだ言葉にならないものかもしれないと思うと、そのような重さのあるものを、ぼくも言葉で確かめることができにくいのだった。

結局、娘のそのときの行動の意味は曖昧なままで残された。何か言いたいことがあったのかもしれないし、あるいはただ衝動的に甘えてみたかっただけなのかもしれなかった。
だがその後のさまざまな出来事をふり返ってみると、あのときの娘の行動にも、思い当たるふしがないこともなかった。
その頃、娘のお腹には小さな命が宿っていたのだ。それは娘だけの秘密だったが、娘がそのときに何かを伝えたいことがあったとすれば、そのことではなかったかと想像できた。

娘は高校を卒業するとすぐに、ある銀行に勤めていたのだが、同じ支店の同僚との恋愛関係が発展し、そのことが銀行としては不都合なことらしくて、支店長までがわが家に訪ねてきたりでごたごたし、結局、娘は退職せざるをえないことになったのだった。
そんなことになってしまった相手とは結婚させるわけにはいかないと、母親はずっと頑張っていたが、最終的には娘の体のこともあり、娘の気持は変わらないということで、結婚式の準備なども当事者ふたりが進めるうちに、周囲では祝福するほどの気持が熟さないまま、秋には結婚ということに落ち着いてしまったのだった。

披露宴で、ぼくが花嫁の父としてのスピーチを終えて席に戻ると、カミさんをはじめ家族がハンカチを顔に押しあてて泣いていた。ぼくもその様子をみると、急に気がゆるんだこともあって涙が溢れてきた。感動でも悲しみでもなかった。
ここに至ってもまだ、割り切れない悔しさのようなものが残っていた。職場ではよほど悪いことでもしたかのように、さして正当な理由もなく職場を辞めさせられ、そのうえ、ひとりの男にあっという間に娘をさらわれてしまったような、複雑な思いが未整理のままに残っていたのだった。

年がかわり春がきて、娘は男の子を産んだ。
娘は母乳がよく出て、赤ん坊が欲しがるままに飲ませたものだから、子どもは標準をはるかに超える体重となり、夏がきて、力士のしこな入りの浴衣など着せた時には、まるで小さな関取りのように太って可愛かった。
十日戎の福笹のカマキリ騒動に始まった年だったが、新たな命の誕生で騒ぎが収まってみると、やはり、えべっさんはわが家に、小さな福の神を運んでくれていたのかもしれなかった。

 

 

 

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