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Concert By the Sea / Erroll Garner
ボブフローレンスのBig bandが出演したのは、ジャズクラブの”Concerts by the sea”であったが、コンサートバイザシーといって思い浮かぶのはやはりエロル・ガーナーのこのアルバムタイトル。
こちらもライブの録音だが、場所はカーメル。同じカリフォルニアでもロスよりも北、サンフランシスコに近い。このカーメルはゴルフの好きな方には有名なぺブルビーチゴルフリンクスがある。モントレー半島を廻る17マイルドライブ沿いには他にも有名ゴルフ場があり、ゴルフファンには憧れの地だ。
半島を廻って反対側に行くとそこはモントレー。ここは歴史のあるモントレージャズフェスティバルが例年開かれる場所。こちらはジャズファンには所縁のある地だ。一帯は同じカリフォルニアでも砂漠に囲まれたロスとは全く雰囲気が異なるリゾート地だ。
カーメルはジャズファンでもあるクリントイーストウッドが市長を務めたことがあったことでも有名だが、このクリントイーストウッドの監督としての作品にはジャズが多く使われる。イーストウッドの監督としての初の作品は、このガーナーの作った名曲”Misty”をテーマにした”Play Misty for Me”であった。
このアルバムも2人を結び付ける何かきっかけになったのかもしれない。
このエロル・ガーナーというピアニストはジャズピアノの世界では少し異端視されているかもしれない、特に日本では。異端になった理由はいくつかあるとは思うが・・・
今どきのジャズプレーヤーは音楽教育をきちんと受けた者が大部分だと思う、反対に音符を読めないミュージシャンというのを探す方が難しいと思う。しかし、昔は有名プレーヤーでも何人もいた。古くはニューオリンズジャズが生まれた頃は譜面を読めないのが当たり前だったかもしれない。モダンジャズの時代になっても、ウェスモンゴメリーやジミースミスといった大物達も譜面を読めなかったという。
耳だけで覚えた「音」、頭に浮かんだ「音」を、自在に楽器を操って再現できる能力に長けているということは、ジャズの命であるアドリブを自在に行うにはかえって好都合なのかもしれない。
昨今「教育」が話題になることが多い。人間が考えたことを表現し、人の考えを理解するには言葉が必要だ。しかし言葉を知っているからといって、独創的な考え方が生まれてくるわけではない。数字に強くて計算能力が高いからといって、誰もが世の中の事象を数式で表せるわけでもない。
同じように音符に強いからといって、だれもが独創的な音楽を演奏できるわけではない。一般的な知識や技術は今の教育システムでも身に付ける事ができるが、人間が本来持っている能力を最大限引き出すには、別の教育手段&環境が必要だと思う。人間の持つ創造力を育てる教育というのは別物だろう。今の時代にはせっかくの素材を持ちながらそれを引き出すことができない天才の予備軍がたくさんいるように思う。
このガーナーも譜面を読めなかった一人だ。名曲”Misty”も頭に浮かんだ曲を忘れないようにあわててピアノに向かって演奏しそれをテープに収めて生まれたといわれている。
譜面を読めないというのは、反対に知識や既成の枠組が邪魔することなく、反対に自己のスタイルが明確になり、結果的に並のプレーヤーとは差別化できるようにもなる。ジミースミスやモンゴメリーのスタイルが独創的であったように。
このエロル・ガーナーの特徴は、左手を強調した独特のリズム感を持ったノリだ。アップテンポな曲ではスインギーに、枯葉のようなバラードでも装飾音が多く、リズミックにきらびやかだ。
このようなピアノスタイルをカクテルピアノともいわれるようだ。確かにホテルのラウンジでの演奏には良く似合い、気難しく向き合うより、気楽にリラックスして聴くにはピッタリだ。自宅で聴く時も、ヘビーなアルバムの合間にはこのような演奏で一息つくには好都合な一枚だ。ガーナーの世界はあくまでもピアノが主役。ピアノをオーケストラのように演奏するので、ベースとドラムは脇役に徹することになるが、それでよいのだと思う。また、他のソリストとの共演というのもあまりないようだ。
このアルバムは1955年の録音、ハードバップ全盛期にジャズの本流が転じていったが、このガーナーのピアノスタイルは不変であった。決して昔ながらのスタイルを伝承するわけもなく、目新しいことを追いかけるでもなく、色々な要素を取り入れてながら自分の世界を作りながら。演奏する曲にもこだわりは無かった。スタンダードが主体であったが、次第にPOPSも素材に。それにしたがってジャズピアノの本流からは外れていったが、ひとつのジャズのスタイルを作り上げた巨人であるには違いない。
亡くなった後に評価が高まったというのも、天才には良くあることだ。
1. I'll Remember April G. DePaul / P. Johnston / P. Johnston / D. Raye 4:14
2. Teach Me Tonight Sammy Cahn / Gene DePaul 3:37
3. Mambo Carmel Erroll Garner 3:43
4; Autumn Leaves Joseph Kosma / Johnny Mercer / Jacques Prévert 6:27
5. It's All Right with Me Cole Porter 3:21
6. Red Top Lionel Hampton / Ben Kynard 3:11
7. April in Paris Vernon Duke / E.Y. "Yip" Harburg 4:47
8. They Can't Take That Away from Me George Gershwin / Ira Gershwin 4:08
9. How Could You Do a Thing Like That to Me Tyree Glenn / Allan Roberts 3:59
10. Where or When Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:06
11. Erroll's Theme Erroll Garner 0:46
Eroll Garner (p)
Eddie Calhoun (b)
Denzil Best (ds)
Recorded live in Carmel, September 1955
ボブフローレンスのBig bandが出演したのは、ジャズクラブの”Concerts by the sea”であったが、コンサートバイザシーといって思い浮かぶのはやはりエロル・ガーナーのこのアルバムタイトル。
こちらもライブの録音だが、場所はカーメル。同じカリフォルニアでもロスよりも北、サンフランシスコに近い。このカーメルはゴルフの好きな方には有名なぺブルビーチゴルフリンクスがある。モントレー半島を廻る17マイルドライブ沿いには他にも有名ゴルフ場があり、ゴルフファンには憧れの地だ。
半島を廻って反対側に行くとそこはモントレー。ここは歴史のあるモントレージャズフェスティバルが例年開かれる場所。こちらはジャズファンには所縁のある地だ。一帯は同じカリフォルニアでも砂漠に囲まれたロスとは全く雰囲気が異なるリゾート地だ。
カーメルはジャズファンでもあるクリントイーストウッドが市長を務めたことがあったことでも有名だが、このクリントイーストウッドの監督としての作品にはジャズが多く使われる。イーストウッドの監督としての初の作品は、このガーナーの作った名曲”Misty”をテーマにした”Play Misty for Me”であった。
このアルバムも2人を結び付ける何かきっかけになったのかもしれない。
このエロル・ガーナーというピアニストはジャズピアノの世界では少し異端視されているかもしれない、特に日本では。異端になった理由はいくつかあるとは思うが・・・
今どきのジャズプレーヤーは音楽教育をきちんと受けた者が大部分だと思う、反対に音符を読めないミュージシャンというのを探す方が難しいと思う。しかし、昔は有名プレーヤーでも何人もいた。古くはニューオリンズジャズが生まれた頃は譜面を読めないのが当たり前だったかもしれない。モダンジャズの時代になっても、ウェスモンゴメリーやジミースミスといった大物達も譜面を読めなかったという。
耳だけで覚えた「音」、頭に浮かんだ「音」を、自在に楽器を操って再現できる能力に長けているということは、ジャズの命であるアドリブを自在に行うにはかえって好都合なのかもしれない。
昨今「教育」が話題になることが多い。人間が考えたことを表現し、人の考えを理解するには言葉が必要だ。しかし言葉を知っているからといって、独創的な考え方が生まれてくるわけではない。数字に強くて計算能力が高いからといって、誰もが世の中の事象を数式で表せるわけでもない。
同じように音符に強いからといって、だれもが独創的な音楽を演奏できるわけではない。一般的な知識や技術は今の教育システムでも身に付ける事ができるが、人間が本来持っている能力を最大限引き出すには、別の教育手段&環境が必要だと思う。人間の持つ創造力を育てる教育というのは別物だろう。今の時代にはせっかくの素材を持ちながらそれを引き出すことができない天才の予備軍がたくさんいるように思う。
このガーナーも譜面を読めなかった一人だ。名曲”Misty”も頭に浮かんだ曲を忘れないようにあわててピアノに向かって演奏しそれをテープに収めて生まれたといわれている。
譜面を読めないというのは、反対に知識や既成の枠組が邪魔することなく、反対に自己のスタイルが明確になり、結果的に並のプレーヤーとは差別化できるようにもなる。ジミースミスやモンゴメリーのスタイルが独創的であったように。
このエロル・ガーナーの特徴は、左手を強調した独特のリズム感を持ったノリだ。アップテンポな曲ではスインギーに、枯葉のようなバラードでも装飾音が多く、リズミックにきらびやかだ。
このようなピアノスタイルをカクテルピアノともいわれるようだ。確かにホテルのラウンジでの演奏には良く似合い、気難しく向き合うより、気楽にリラックスして聴くにはピッタリだ。自宅で聴く時も、ヘビーなアルバムの合間にはこのような演奏で一息つくには好都合な一枚だ。ガーナーの世界はあくまでもピアノが主役。ピアノをオーケストラのように演奏するので、ベースとドラムは脇役に徹することになるが、それでよいのだと思う。また、他のソリストとの共演というのもあまりないようだ。
このアルバムは1955年の録音、ハードバップ全盛期にジャズの本流が転じていったが、このガーナーのピアノスタイルは不変であった。決して昔ながらのスタイルを伝承するわけもなく、目新しいことを追いかけるでもなく、色々な要素を取り入れてながら自分の世界を作りながら。演奏する曲にもこだわりは無かった。スタンダードが主体であったが、次第にPOPSも素材に。それにしたがってジャズピアノの本流からは外れていったが、ひとつのジャズのスタイルを作り上げた巨人であるには違いない。
亡くなった後に評価が高まったというのも、天才には良くあることだ。
1. I'll Remember April G. DePaul / P. Johnston / P. Johnston / D. Raye 4:14
2. Teach Me Tonight Sammy Cahn / Gene DePaul 3:37
3. Mambo Carmel Erroll Garner 3:43
4; Autumn Leaves Joseph Kosma / Johnny Mercer / Jacques Prévert 6:27
5. It's All Right with Me Cole Porter 3:21
6. Red Top Lionel Hampton / Ben Kynard 3:11
7. April in Paris Vernon Duke / E.Y. "Yip" Harburg 4:47
8. They Can't Take That Away from Me George Gershwin / Ira Gershwin 4:08
9. How Could You Do a Thing Like That to Me Tyree Glenn / Allan Roberts 3:59
10. Where or When Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:06
11. Erroll's Theme Erroll Garner 0:46
Eroll Garner (p)
Eddie Calhoun (b)
Denzil Best (ds)
Recorded live in Carmel, September 1955
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同じように音符に強いからといって、だれもが独創的な音楽を演奏できるわけではない。一般的な知識や技術は今の教育システムでも身に付ける事ができるが、 人間が本来持っている能力を最大限引き出すには、別の教育手段&環境が必要だと思う。人間の持つ創造力を育てる教育というのは別物だろう。今の時代には せっかくの素材を持ちながらそれを引き出すことができない天才の予備軍がたくさんいるように思う。」
仰る通りですね。そして知識があるからといって魅力的な人間になれるわけでもありません。佐村河内氏は障碍者と偽ってのコンサート巡業で衆目の涙を誘いつつカネ儲け。小保方さんもいずれ明らかに虚偽とわかる研究成果を意気軒昂に発表して恥じ入る気配もない。PC遠隔操作犯の片山など世話になった数少ない味方にさえ汚い罵声を浴びせる始末で、やはり人として肝心なものが欠けています。この連中、元を糺せばみんな戦後教育と近代資本主義社会の落し子に見えます。自己愛ばかりが病的に肥大化し、上から下までみんな小狡くなってしまって、信用できる人がめっきり少なくなった気がします。それだけに、その対極にいる人間には男女問わず惹きつけられます。救いを感じるというか、干天の慈雨のようなものですから。お勉強ができればいいというものではない。信じるに値するかどうか、それだけです。そう感じる方とは話をしたいと思うものですし、そうしてきました。
人はみな選び選ばれる立場にあります。こちらが選んでも、相手に選ばれないこともある。それは仕方のないことです。それでも、信じることができる人がいるということ以上に幸せなことはないのではないかというのが、ささやかながら僕が心で実感したところです。生き返りますものね・・心が。先の3人はそうした信頼関係の中に生きていない、ないし生きることができない人間なわけで、人として生きることの醍醐味を味わえない不憫な人達と言うこともできます。他人を騙すこと、世の中を騒がすこと、他人の善意を踏みにじることに悦楽を覚える人間の行く末は、幸福ではなく荒涼たる孤独です。世界を見回しましても、なんでみんなもっと仲良くやれないのかと思うことばかりですし寂しいものです。
さて、もうコメントしないと言いながら何度も書いている人がいますが(嗚呼)、小生の場合は既にそんなことを言える余裕すらなく、「もうコメントする気力もないし、なんだか疲れた・・」といったところです。久々に拝読し変わらぬYAN様のご健筆に触れ少しコメントしたくなりました。失礼いたしました。