A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

無名のサックス奏者が最高のバックを得て・・・・・

2014-05-30 | PEPPER ADAMS
PONY’S EXPRESS / PONY POINDEXTER

ペッパーアダムスがドナルドバードとのコンビを解消したのは1961年10月。ニューヨークに戻ったアダムスはクリスマスシーズンの仕事をいくつか片付け新年を迎えた。

アダムスの活動歴としては、この62年からサドメルに加わるまでの65年までが一区切りとなる。
"journeyman"と名付けられていて、レギュラーグループを作る事も無く自由な旅がらす人生を過ごした時期だ。

年明けの仕事はテディーチャールスとのセッションであったが、レコーディングは2月に入ってから、この年最初の仕事はアルトのポニー・ポインデクスターのこのアルバム。
2月、4月、5月と3回に分けて録音されたが、アダムスは2月、4月と二回参加している。
大分前に紹介したが、その時はアダムスが加わっていたのは意識していなかった。節目のアルバムでもあるので少し加筆して再掲しておくことにしよう。

ジャズらしいボーカルグループといえば、ランバート・ヘンドリックス&ロス。
ベイシーの名演をヴォーカライズし、ベイシーに認められて共演して一躍有名になった。途中で、女性はアーニーロスからヨランダヴェバンに代わったが、実はこのグループのバックに“PONY POINDEXTER”という一人のサックス奏者がいた。
この前紹介したCARMEN LEGGIOも過小評価された一人だと思うが、このPOINDEXTERもその一人。
アルトのプレーが主だがソプラノも吹く。以前紹介したLHBのBASIN STREET EASTでのライブ盤にもソプラノサックスで参加している。

ニューオリンズ出身の彼は、ニューオリンズ市の名誉市民でもあり、シドニーベシエの使ったソプラノも吹いたことがあるとか。このLHR(B)のバックでは、自分でも時々歌も聞かせてくれた。
BOP色の強い演奏をしてライオネルハンプトンオーケストラなどにも参加したようだが、あまり表舞台では活躍してはこなかった。ソプラノはコルトレーンの影響か多少モーダルなプレーをする。

このようなキャリアなので自分のリーダーアルバムはあまり無いが、このPOINDEXTERが実に「豪華な」一枚のアルバムを残している。当代のサックスの名手を集めてバックに従えそしてソロを競い合うという企画だ。
企画をしたのは、当時のコロンビアのプロデューサーのTEO MACERO。
ライナーノーツの冒頭に、「PONY POINDEXTERという名は知らないと思うが」と一緒にプレーをしていたJon Hendricksの但し書きがあるように、当時のアメリカでもほとんど知られていなかったらしい。多分日本でも同様であったろう。

この無名のPOINDEXTERに、マセロが特別豪華なセッションを用意した。
LHRがコロンビア所属になり、テオマセロもアルバムをプロデュースした。その時にでも、POINDEXTERに目が留まったのであろう。
セッションは3回に分かれているが構成は同じ。アルト、テナー、そしてバリトンを加えたサックスセクションにアレンジを付け、それをバックにサックスのソロを競うものだ。
メンバーは、下のpersonnelを参照してのとおりだが、WOODSにQUILL、DEXTER GORDONに、PEPPER ADAMSとお気に入りのメンバーが集う。他にも有名どころが。さらに、ERIC DOLPHYも加わるという特別編成。
リズムセクションにも、ELVIN JONES や RON CARTERの名前が見える。スタジオミュージシャンをバックオーケストラに集めたのとは訳が違う。

一曲目から、サックスの分厚いアンサンブルに乗って,ラテンビートでスタート。ポニーのソプラノに続いて、ビリーミッチェル、フィルウッズ、そしてペッペーアダムスの例の豪快な音が。一曲聴いただけでその先が楽しみだ。2曲目のソルトピーナッツでは、ポニーが歌を。LHRでは第4の歌手といわれた片鱗を見せる。次のスカイラークはアルトでパーカースタイルのバラードプレー。この曲は好きな曲だ。
4曲目のバーベキューは、サッチモの演奏で有名な古い曲。ここでは、ポニーのアルトとデクスターゴードンのテナーの2管だけ。この2人の絡みが絶妙。
B面に入って、一曲目がディズニーのミッキーマウスマーチ。ディズニーの曲というのはJazzでやると別な魅力が出る。これもその例に漏れない。ソニーのソプラノを筆頭に皆のソロが続く。
B面のハイライトは、lonyopはポニーのオリジナルだが、これは圧巻のスローブルース。
ELVINのドラムをバックに、ドルフィーの熱演も聴ける。

無名のPONYのアルバムだが、廻りの好演が思わぬ拾い物。TEO MACEROのプロデュースの賜物。
ライナーノーツを書いている、JON HENDRICKSが最後に、「このセッションが行われたからには、アルバムタイトルはPONY’S EXPRESSではなく”PONY’S EXPRESSION”
に変えたら?」と括っている。

結果的には豪華なアルバムに仕上がっているが、内容は最初の企画段階ではアレンジも揃っておらず一部には間違いもありバタバタだったようだ。入念に準備しても失敗作もあるので結果良ければすべて良しということだ。

1. Catin' Latin           Poindexter 4:15
2. Salt Peanuts        Gillespie, Clarke 3:39
3. Skylark          Carmichael, Mercer 3:44
4. Struttin' With Some Barbecue  Hardin, Raye 5:32
5. Blue                 Mahones 5:31
6. "B" Frequency             Macero 1:43
7. Mickey Mouse March           Dodd 3:06
8. Basin Street Blues         Williams 3:44
9. Pony's Express          Poindexter 2:20
10. Lanyop              Poindexter 9:40
11. Artistry in Rhythm         Kenton 2:15


Jimmy Heath , Cliford Jordan (ts)
Pony Poindexter , Sonny Redd , Eric Dolfhy (as)
Pepper Adams (bs)
Guildo Mahones (p)
Ron Carter (b)
Elvin Jones (ds)
February 10,1962 , New York

Sal Nistico , Cliford Jordan (ts)
Pony Poindexter , Phil Woods , Sonny Redd (as)
Pepper Adams (bs)
Tommy Flanagan (p)
Ron Carter (b)
Charlie Persip (ds)
April 18,1962 , New York

Dexter Gordon , Billy Michell (ts)
Pony Poindexter , Phil Woods , Gene Quill (as)
Pepper Adams (bs)
Guildo Mahones (b)
Charlie Persip (ds)
May 10 ,1962 , New York


Prpduced by Teo Macero & Jon Hendricks
コメント (2)
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人の出会いというのは何かきっかけがあり、再会もまた何か必然のようなものが・・・・

2014-05-30 | PEPPER ADAMS
Four on the Outside / Curtis Fuller


あまり華々しく活動をしなかったタルファーロウ、一時引退していた時には田舎に引き籠り看板屋の仕事をしていたとか。そのファーロウが若手のジェイムス・ウィリアムスとの共演が実現したのも、両者が同じレーベルに属していた事、そしてオーナーでありプロデューサーであるカールジェファーソンが配下の有名ミュージシャン同士、あるいはベテランと新人のマッチメーカーが好きだったという理由からだろう。
一般的に、人嫌い、引っ込み思案、そして出不精だとどうしても交友範囲が限られてしまうが、このようなお節介役が上手く立ち回ると、思わぬ付き合いが始まるものだ。

一方のジェイムス・ウィリアムスはその後も表舞台を歩き続け、その交友範囲は大きく広がっていった。ペッパーアダムスも、このジェイムス・ウィリアムスがまだジャズメッセンジャーズの一員として売り出し中であった1978年に、同じデトロイト出身の旧友カーティスフラーと共に共演したことがある。

ペッパーアダムスは77年9月にサドメルのオーケストラを辞めてから一年余り、フリーランスのソリストとして、そしてスタジオワークで幅広く活動をし始めていた時だ。その年の7月、8月はライオネルハンプトンのバンドに加わってヨーロッパを巡業していた。これは、ニューヨークに戻って直ぐの録音だ。昔からの友人、そしてこのアルバムの主役であるフラーから声が掛かったのだろう。

フラーはというと、70年代に入って時代に流れに乗って電子楽器を使ったファンク色の強い演奏もしたが、70年代の後半は流行りものを追いかけるのを止めたのか、しばらくベイシーオーケストラに加わっていた。コンボでの演奏が有名だが、クインシーやガレスピーなどのビッグバンドにも加わった事があり、アダムス同様ソロ良し、アンサンブルワークも得意な両刀使いであった。

70年の後半は、新しジャズの流れのフュージョンも一般化する中で、ちょうど新主流派、新伝承派といわれる原点回帰の流れも定着して、メインストリームジャズに再度取組む決心をしたのだろう。
43歳の時だった。中年の盛りで隠居するにはまだ早い。何をやっていてもちょうどそれまでの仕事を振り返り、その先の仕事の立ち位置を見極める時期だ。

相棒にアダムスに声を掛けたのは何となく頷ける。アダムスが少し年上だが同年代、昔よくプレーした仲間、そして一緒に仕事をする機会はそれほど無くともお互いの活躍の噂は聞こえてくる。ちょうど2人ともベイシー、サドメルというオーケストラを辞めた後で、さて何をやるかと思いあぐねている時の再会であった。ビジネスの世界でもよくある話で、「仕事変ったんだって?久々に会って情報交換を兼ねて一杯やろうか」というノリであったろう。

その時に、昔の仲間だけで集まると昔話に終始して終わるところだが、このセッションは違う。ピアノのジェイムス・ウィリアムスをはじめとして他のリズムの3人は若手。カーチスフラーといえば、ウィリアムスにとっては当時加わっていたジャズメッセンジャーズの大先輩。今の親分であるアードブレイキーの昔の仲間から誘われたようなものだ。
「親父2人が久々にちょっと気合を入れてやるので、“若い”の手伝ってくれないか。ただし、エイトビートやエレキは俺達も色々やったが今回は無しでやるから」といったセッションだ。
ウィリアムスにとってもまだ駆け出しの時に、せっかく声を掛けてもらったのに、今の親分の顔をつぶす訳にはいかないので当然気合が入ったと思う。

フラーのこのセッションへの気合の入れ方は選曲にもあらわれている。スタンダードは「ハローヤングラバー」だけ、後はフラーのオリジナルだ。一曲目からこの試みは明確になる。少しモーダルな演奏は50年代のハードバップやファンキー節の再演ではない。70年代のハードバップだ。

フラーのトロンボーンというと少し朴訥な感じの人間味の溢れるサウンドが魅力。超絶テクを駆使する訳でもなく、かといって甘いサウンドに終始する訳でもない。ゴルソンとのファイブスポットがあまりにも有名だが、他の演奏でも味のあるプレーを聴かせてくれることが多い。アダムスはトロンボーン相手というとジミーネッパーとコンビを組みことが多かったが、このフラーとアダムスの低音の魅力同士のボケと突っ込みの組み合わせも悪くない。

他の曲でも、ジェイムスのピアノだけでなく、当時ジェイムスと一緒にジャズメッセンジャーでプレーをしていたデニスアーウィンも「2人の親父」を刺激している。ドラムは記憶に無い名前なので改めて調べてみると、今ではマイアミ大学で教鞭をとっているとか。レコーディングへの参加は少ないようだが、ジャズだけではなく、ソウル、ロック、歌伴、オーケストラ何でもこなすオールマイティーのドラマーのようで、このアルバムでも新しいしタイルを取り込んでその片鱗を感じさせてくれる。

今回のセッションも実際はどのような経緯でメンバーが人選されたかは分からないが、いずれにしても昔からの旧友の再会に若手が花を添えて今後の活躍を激励する会になったようだ。アダムスとフラーはこのセッションを久々の再会を結果的に昔話に終らせることなく、若手3人と一緒のプレーに自信を得て2人ともその後新時代のメインストリームを追い続けるきっかけになったのだと思う。

1. Four on the Outside               Curtis Fuller 4:54
2. Suite Kathy                   Curtis Fuller 13:04
3. Hello, Young Lovers   Oscar Hammerstein II / Richard Rodgers 5:11
4. Little Dreams                   Curtis Fuller 7:49
5. Ballad for Gabe-Wells               Curtis Fuller 8:19
6. Corrida del Torro                 Curtis Fuller 7:35

Curtis Fuller (tb)
Pepper Adams (bs)
James Williams (p)
Dennis Irwin (b)
John Yarling (ds)

Produced by Wim Wigt
Engineer : Elvin Campbell

Recorded on September 18,1978 in New York City

フォー・オン・ジ・アウトサイド
Curtis Fuller
アブソードミュージックジャパン
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