Basieのオーケストラが、Newport Jazz Festivalの常連であるならば、Ellingtonも負けてはいない。Basieがゲストを招いてショーアップするのなら、Ellingtonは「大作」を持ち込んだ。
エリントンは、「・・・・組曲」と称して、テーマを決めて新たな作品を組曲として発表することが多い。単発的に曲を作るのではなく、組曲としての全体のトーンとイメージを大切にしているのだろう。JAZZ界の偉大な作曲家の一人だ。
今回のタイトルは、そのものズバリ「Newport Jazz Festival Suite」だ。
一曲目のFestival Junctionは、ジミーハミルトンのクラリネットに始まり、オーケストラの中心的なソリストが次々に顔見世だ。最後は、Cat Andersonハイノートで終わる。
2曲目以降も、ラッセルプロコープのクラリネット、レイナンスやクラークテリーのトランペットなどが続く。
まさに、エリントンサウンドここにありといった感じである。
Jeep’s Blueでは、大番頭ジョニーホッジスの登場。
しかし、このアルバムの最大の見ものは、この組曲ではない。最後の「Diminuendo and Crescendo in Blue」のPaul Gonsalvesのテナーソロ。
「伝説の27コーラス」といわれているものだ。
息をつく間も感じさせず一気に吹きまくるプレーに、会場が段々と只ならぬ興奮状態になってくるのが感じとれる。女性が踊りだしてしまうのも分かる気がする。
Big Bandのソロのフィチャーで、ここまでのロングプレーは聴いたことがない。
あのサドメルも、ライブでは乗り出すと延々やることはあるが、ここまでは・・?
このプレーだけでも価値ある一枚。
このアルバムも、CD盤が出ると実態が明らかになった。組曲の演奏は実はライブではなく、スタジオ録音であったとか。
「レコードは所詮編集されているものだ」と割り切りで聴かねばならないものだが。
ライブ演奏はそのままの姿だと信じていたのは自分だけか。多少ソロがカットされている程度は仕方が無いが。そもそもライブではなかったというのはどうしたものか。
顔立ちが気に入って付き合っていたら、いきなり整形と明かされても・・・。
昔のライブ盤のLPを興奮して聴いていたものに関しては余計に思い入れがあるので。
ライブ全体の録音が再発されコンサートの全貌が分かって聴いてみても、何となく最初の感動を覚えないのは仕方がないのか・・・?とも思ったが、
よくよく調べてみるとライブの演奏ではエリントンが満足せず、一部再録音になった物にライブ音を合成したそうだ。ゴンザルベスのソロも間違ったマイクに立ってしまったために満足する音では録れていなかった物をVOAの録音と合成したりして現在のCD盤は完成したとか。
歴史的なコンサートを忠実に再現するのも一つだが、最高の演奏を残すのも意義があること。整形も素材を生かすための場合は良しとしよう。
1. Festival Junction
2. Blues To Be There
3. Newport Up
4. Jeep's Blues
5. Diminuendo And Crescendo In Blue
Duke Ellington Orchestra
Recorded in performance at the American Jazz Festival at Newport , on July,1956
Ellington At Newport 1956 | |
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