A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

巨人戦のテレビ視聴率

2006-07-20 | Weblog
「情報」を伝える基本は人と人との会話です。

しかし、多くの人にたくさんの情報を同時に伝えたいという情報の出し手と、色々な情報を知りたいという受け手双方の欲求に技術の進歩が組み合わさり、マスメディアなるものが登場しました。
20世紀は色々なものをこの世に生み出しましたが、日常生活の中で「情報」にとって一番大きな役割の変化は、「情報」が単なる伝達の手段から、このマスメディアがもたらした新しい「文化」の担い手になったことだと思います。

文字による「情報」の伝達は人類にとってかなりの歴史があります。ラジオやレコードによる音や、テレビの映像による「情報」の伝達は、人類の長い歴史の中で、たった1世紀の歴史しかありません。
特に、テレビはやっと50年です。しかし、この短期間で、マスメディアを通じた「情報」伝達を、毎日の生活の楽しみとする生活習慣ができあがってしまいました。それも、全国民レベルで。時代を象徴するひとつの「文化」です

映画「三丁目の夕日」を懐かしく感じる我々世代にとっては、テレビの普及の歴史と共に子供・学生時代を育ちました。自然に「テレビ視聴」が生活習慣に組み込まれて今に至っています。昔の色々な番組が思い返されますが、プロ野球それも巨人戦はいつも主役であり続けました。

ここ数年巨人戦の視聴率の低下が話題になっていますが、先日それに追い打ちをかけるようなニュースが流れました。「延長ナイターを止める」に続いて、「地上派で巨人戦を放映しない」という発表です。



最近の視聴率を見ても、5月から一桁台が目立ち始め、交流戦が終わって通常のトーナメントに戻ってからは一桁台の連続です。それも、6%とか7%台の低視聴率が続いています。子供や若者はなんと1%台。完全に野球離れが起こっています。

これでは、地上波の放送中止が決定されても不思議ではありません。確かに6月にはワールドカップがあったとはいえ、放送時間帯は違っていました。終わってからも戻らないのは、もはや構造的なものだと思います。
これは、プロ野球(巨人戦)というテレビと共に育ったひとつの文化の衰退です。さらに、20%の視聴率をとれる番組が全体に無くなったといわれています。多分、これは次なる「巨人戦」が控えているということに他なりません。

一方で、テレビに関しては、「ハイビジョン」、「地上派デジタル」、そして「放送と通信の融合」とか、技術先行の話題ばかりがニュースを賑わしています。
実は、情報の出し手の事情(論理)とは別に、情報の受け手である我々の生活にとって、「テレビ」の役割が変化しているかもしれません。
いよいよ来るべきものがきたというのが、正直な感想です。

10年後のテレビはどうなっているのだろう。
実は、それを決めるのはテレビメーカーでも放送局でもなく、我々自身なのです。
10年後、生活者一人一人が毎日をどう過ごすか、何を楽しみに生活するかで、新しい「文化」が生まれてくるのだと思います。
コメント (2)
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