1963年、東京オリピックの前の年、その年は大きな事件が続いた。
国内では三井三池の炭鉱事故、鶴見の列車事故。そして海外ではケネディーの暗殺。それも11月に立て続けに起こったのを覚えている。
音楽界では、あのBEATLESが2枚目のシングル“Please please me”を出し、初アルバムを出してヒットチャートを独占し始めた年だ。
そしてPPMの「パフ」に代表されるようなフォークソングが復活した年でもある。
そんな中で、普通のポピュラーとはおよそ趣が違う曲が一時チャートの1位を続けた。
VILLAGE STOMPERSの「ワシントン広場の夜はふけて」である。
バンジョーの軽快なリズムに合わせて、管楽器が絡み合いながらメロディーを奏で、楽しそうでありながら、何故か物悲しさも感じる曲であった。
他のチャートの曲を聴いても、似たような雰囲気の曲は皆無だった。
今のように簡単にインターネットで物を調べることができる時代ではなかったので、書物や雑誌を見ながら、それがディキシーランドJAZZとFOLKの流れということを知り、そのルーツを探索することとなった。
自分の「JAZZ」と「SWING JOURNAL」との出会いである。
興味を持つのに、何がきっかけになるかは分からない。そして好きになると色々な事があっても、新たな楽しさをいつまでもこだわりを持って追求し続けるのが自分の性分。
恋愛と同じだ。きっと一生付き合い続けるであろう。
国内では三井三池の炭鉱事故、鶴見の列車事故。そして海外ではケネディーの暗殺。それも11月に立て続けに起こったのを覚えている。
音楽界では、あのBEATLESが2枚目のシングル“Please please me”を出し、初アルバムを出してヒットチャートを独占し始めた年だ。
そしてPPMの「パフ」に代表されるようなフォークソングが復活した年でもある。
そんな中で、普通のポピュラーとはおよそ趣が違う曲が一時チャートの1位を続けた。
VILLAGE STOMPERSの「ワシントン広場の夜はふけて」である。
バンジョーの軽快なリズムに合わせて、管楽器が絡み合いながらメロディーを奏で、楽しそうでありながら、何故か物悲しさも感じる曲であった。
他のチャートの曲を聴いても、似たような雰囲気の曲は皆無だった。
今のように簡単にインターネットで物を調べることができる時代ではなかったので、書物や雑誌を見ながら、それがディキシーランドJAZZとFOLKの流れということを知り、そのルーツを探索することとなった。
自分の「JAZZ」と「SWING JOURNAL」との出会いである。
興味を持つのに、何がきっかけになるかは分からない。そして好きになると色々な事があっても、新たな楽しさをいつまでもこだわりを持って追求し続けるのが自分の性分。
恋愛と同じだ。きっと一生付き合い続けるであろう。