自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

民話 「権の守}

2010-01-05 12:33:53 | Weblog
数年前 堂々川の狸原近くの3番砂留を整備していたら



大きな狸が狸原の西方へ去って行きました。
今日はこの狸の先祖と思える民話を載せます。

昔々、そのまた昔、
神石は坂瀬川村に人が住んでいないお社がありました。



このお社に何時とはなく大きな動物が住むようになりました。
この動物は人に化け、毎年村の娘やたくさんの食べ物を要求して来るようになりました。この要求を断ると、池の堤防を決壊したり、田畑を荒らしまわったり、家で飼っているウサギや鳥を皆殺しにし、村人を苦しめていました。

ある月がきれいな夜、武者修行の若者がこの付近を通りかかると
このお社の小さな広場の前で大きな古狸が



「出雲の国の権吾呂太夫に知られないように食べや踊れやよいよいよい」
と踊りながら歌っていました。

翌朝、若者は村人を集め、この様子を教えました。
「へえじゃあ、あの化け物は古狸で、出雲の権吾呂太夫様が怖いのか。こりゃーどうしても出雲の太夫様のお力をかりんといけん」
村人の難儀を取り去るために、村の長はすぐに旅支度を整え出雲へ出かけました。


道をまどいながら


ところが出雲の太夫様は旅に出られ留守でした。
長は事情を話したところ、太夫が直々に仕込まれた「権の守」という犬を借りることが出来ました。


何この犬、洋犬ではないか。
要件さえまっとう出来れば和洋は関係ないさ(影の声)


坂瀬川に帰ってきたら早速、古狸退治の相談が始まったのです。
村人は棒や鍬・鎌を持ち、犬の跡に続いてお社の前に。
その時から狸と「権の守」のすさまじい戦いが始まり
もう村人は手が出せない状態で小半刻が過ぎました。
ようやく、権の守が優勢になると村人が古狸をたたき、鎌で切り付け応援しました。
古狸はたまらずお社の中へ、権の守も中へ続く、
「ギャオー」の一声で古狸は昇天したのです。
権の守もこの戦いで傷つき、村人の手厚い介護を受けましたが7日後には命を経ちました。
村人は感謝をこめて、この地に改めて犬明神を立て犬塚を築きました。


この犬碑は安政5年(1857年)再建されております


その後「権現の守」の偉業を何時までも忘れないように正月7日にはこの場所でお祭りがとりおこなわれております。



「権の守」安らかに
これでこの話は終わります。
が余談
この民話は神石高原町油木にも伝わり、ここでは猫が悪役でした。



どちらの話を信頼するか考えたのですが
今回は地元で大明神が見つかったことから私は坂瀬川を取り上げました。
ちなみにお祭りには油木の「シンライ」という銘柄が貢献していると聞きました。