むかし、広島県深安郡の北部に山野と言う集落があった
この集落へ行くには岡山県の井原市から行く道もある
この集落に松石定衛門さんが住んでいた
猿もキーと鳴き叫ぶ山の中の一軒家
草木も眠る静けさが包む丑三つ刻
「お頼み申しあげやんす。助けてくれんきゃーのー」
家の木戸をたたく音に主人の定衛門は驚いてはね起きた
ちょうどその晩は女房がホボロを売って実家へ帰っていたので
一人じゃった
きょうてい(怖い)気持ちが先に立ったのじゃが仕方がなく
「だれじゃー」と戸口にたち、表を見ると異様な人のような濡れた影が見えた
「わしゃーこの先の淵に住どる河童ですらー。
こにゃーだの大雨で淵んなきゃーマンガ(馬鍬)が流れ込んできたんじゃ
へーでまいっとるんじゃ。わしの身がマンガにあたる肉がくさるんじゃ
なんとしてもマンガを陸へ引っ張りあげてもらえんきゃーのー」
切実に訴えられた定衛門さんは
「わしゃーは夢をみとるんじゃろうか」と思うたが
「わかった。あしたん朝淵へ行くけへーもういね~(帰れ)」と約束をした
河童は
目を白黒させながら淵へいんだ
次の日の朝
定衛門さんは昨日の晩のことがたいそう気になり
「約束したんじゃけー、行ってみるきゃー」
淵に着くと赤く錆びたマンガが川底に沈んでおった
「これきゃー、昨日の河童が言うとったんはー」
と言いながら淵からマンガを引き上げた
推定の今の馬鍬淵
馬鍬(馬鍬=まくわが何時かなまってマンガと呼ばれるようになった)
へーで、その晩のことじゃ
また、木戸をどんどんたたく音がした
へえじゃが定衛門さんはまた河童に何か言われるのはおもろうにゃーけー
戸を開けんかった
小さな声がして
「今日はおせわになりゃんした。お礼言うても何が好きなんかわからんけー
アユをここへ置いときぁんすけー、食うてくれまへんか」
縁側でなんかの音がしたが朝まで外へでんかった
へえでも日が昇る頃に戸をあけてみるとぎょうさんのアユが置いてあった
「河童が恩返ししてくれたんじぁ」
と喜んでアユは集落の皆に分けてやった
へーから
女房に逃げられて一人で住むとこぎゃーにきょうていめをするなら
女房に頭を下げて家へ戻ってもらわんといけん
早速、女房の実家へ迎えに行ったというお話です。
馬鍬は大正の中ごろから昭和の20年代に牛や馬に引っ張らせて
田圃を鋤でひいた後、土を細かくする道具である
大正の話が民話になっていると思うと河童の伝説は最近まで
気にしている人が多いのだなーと感じたのであります
この集落へ行くには岡山県の井原市から行く道もある
この集落に松石定衛門さんが住んでいた
猿もキーと鳴き叫ぶ山の中の一軒家
草木も眠る静けさが包む丑三つ刻
「お頼み申しあげやんす。助けてくれんきゃーのー」
家の木戸をたたく音に主人の定衛門は驚いてはね起きた
ちょうどその晩は女房がホボロを売って実家へ帰っていたので
一人じゃった
きょうてい(怖い)気持ちが先に立ったのじゃが仕方がなく
「だれじゃー」と戸口にたち、表を見ると異様な人のような濡れた影が見えた
「わしゃーこの先の淵に住どる河童ですらー。
こにゃーだの大雨で淵んなきゃーマンガ(馬鍬)が流れ込んできたんじゃ
へーでまいっとるんじゃ。わしの身がマンガにあたる肉がくさるんじゃ
なんとしてもマンガを陸へ引っ張りあげてもらえんきゃーのー」
切実に訴えられた定衛門さんは
「わしゃーは夢をみとるんじゃろうか」と思うたが
「わかった。あしたん朝淵へ行くけへーもういね~(帰れ)」と約束をした
河童は
目を白黒させながら淵へいんだ
次の日の朝
定衛門さんは昨日の晩のことがたいそう気になり
「約束したんじゃけー、行ってみるきゃー」
淵に着くと赤く錆びたマンガが川底に沈んでおった
「これきゃー、昨日の河童が言うとったんはー」
と言いながら淵からマンガを引き上げた
推定の今の馬鍬淵
馬鍬(馬鍬=まくわが何時かなまってマンガと呼ばれるようになった)
へーで、その晩のことじゃ
また、木戸をどんどんたたく音がした
へえじゃが定衛門さんはまた河童に何か言われるのはおもろうにゃーけー
戸を開けんかった
小さな声がして
「今日はおせわになりゃんした。お礼言うても何が好きなんかわからんけー
アユをここへ置いときぁんすけー、食うてくれまへんか」
縁側でなんかの音がしたが朝まで外へでんかった
へえでも日が昇る頃に戸をあけてみるとぎょうさんのアユが置いてあった
「河童が恩返ししてくれたんじぁ」
と喜んでアユは集落の皆に分けてやった
へーから
女房に逃げられて一人で住むとこぎゃーにきょうていめをするなら
女房に頭を下げて家へ戻ってもらわんといけん
早速、女房の実家へ迎えに行ったというお話です。
馬鍬は大正の中ごろから昭和の20年代に牛や馬に引っ張らせて
田圃を鋤でひいた後、土を細かくする道具である
大正の話が民話になっていると思うと河童の伝説は最近まで
気にしている人が多いのだなーと感じたのであります
いろんなものに親しみ持っていたんだなぁと
民話を読ませていただくと感じます。
あんまり白黒はっきりしない世界もいいですね。
写真の河童殿はちょっとコワい顔ですが。
先日、住宅街のはずれの田んぼが田返しされているのを見て、
昔は馬や牛や人力でこの重い土を耕したんだろうなぁと
じっと見入っていました。
馬や牛はさぞかし大切にされたんでしょうね。
二日続きの冷たい雨です。
今夜は、みぞれも降るとの予報。
行きつ戻りつ春の待ち遠しいこと。
広島県深安郡の北部に山野と言う集落、・・・・・・。
松石定衛門さんと河童の話、・・・・・・。
素敵なショットと話から、様子、雰囲気、伝わってきました。
楽しめました。
民話も、いいものですね。
昨日も、コメント&応援ポチに、深謝です。
札幌の定山渓温泉には、かっぱ公園が
あります。
日本では、もう農耕に牛馬を使う姿は見られませんねえ。
家畜を飼うのは大変なことだったし、家畜で耕すほどの田畑を持っているというということは裕福な農家だったのでしょう。
牛馬が人の側に居ない日本の社会は、環境の理解にも、欠けた所があるような気がします。
民話は面白いですね。
方言で判らない言葉もありましたが 全体的に理解出来ました。
特にマンガがさっぱり判らなかったのですがマクワ(実物を見た事が無いですが)だったのですね。
それでは河童も困りますね。
人間と河童のつながりは大体良好のようですね。
現在でも河童を研究する熱中人がいることを先日TVで観ましたが いると信じていてその方には見えるそうですから不思議です。
河童とはそう言う存在の生き物なのでしょうね。
それ故良い結果になってよかった民話でした。
パチパチ・・。
私の田舎は馬が多かったですね。
河童伝説・・・岩手県遠野市ではいまだに現役で出てくると信じられているそうです。
じっくり拝読させて頂きました。
日本全国このような民話がありますね。
駿河の国でも結構あるようですが詳細は知り
ません。
>この社長、風呂屋で富士山の絵を描いてい
>たと言われますが、今ではもう書く人はい
>ないだろうと嘆いていました。
先般地元のTVで見ましたが全国で二人になったそうです! 伝承が必要です!
私は、町に出て田舎の言葉が恥ずかしくて、恥ずかしくて困ったことがあります。
今でも方言も使っているのでしょうが・・・。
郷に帰って、古老の話を聞くと、その方言が懐かしくて聞きなおすこともあります。
「そぎゃぁな言葉があったん!」と。
昨日は、節分に塩イワシを食べさせられて、塩辛い(しょっペーことを覚えている、と)のが懐かしいと。恵方巻きなどなかったけぇど、ちいせぇのを作ってみるか、と)
安頓先生の紹介でコメントさせていただきました、今後ともよろしくお願いします。