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2月17日

2019-02-18 10:16:36 | 日記
金曜日にデイケアサロンで麻雀を打つ。わずか2時間ほど打つ。それだけで土曜日の朝になると腰の痛みが増しているような気がする。午後に重田名人が来て、治療を受けると、やはり本当に腕と腰が固まっているのがわかる。凝っているのがわかる。治療中に何度か悲鳴をあげる。それでもサロンへ行くのが楽しくなって来た。93歳のKさんとの昔話は大声に近くなるので、周囲のメンバー、スタッフの5,6人が聴いている。メンバーは老人たちだから、皆さん理解されながら聴いているようだが、スタッフは若い方(50歳以下)が多いので、時々質問が入る。「赤線、青線って何ですか?」訊かれたりする。

水泳の池江璃花子選手が白血病と発表され、テレビでは白血病とは何か、その治療法はといったことが解説されているが、それによると骨髄移植と言っても提供者と患者の間に合致がないと移植はできないとか、要するに簡単ではないらしい。私は9年前の胸部大動脈瘤のオペの際に4リットルの輸血を受けた。今の私の体内を流れる血液の8割は顔も名前も存じ上げない方からいただいたものである。池江さんのことから、そのことを想った。ありがたいと言う他にない。池江さんの運を願う。

競馬フェブラリーステークスで、GⅠ初騎乗の女性ジョッキー藤田菜七子さんが話題となり、もしかすると…も加わり、馬(コパノキッキング)も人気になった。私は最外枠の14番・オメガパヒュームから馬連で流したが不発。菜七子ちゃんは5着と好走。今朝は血圧を測るのを忘れてしまった。

2019-02-16 12:16:31 | 日記
座右の銘という言葉が好きではない。好きではないが、どうしてもと言われれば「楽」楽と答えるしかない。「楽」は大切である。人は努力がないと生きられない。希望の学校に入るべく徹夜で勉強することもある。それは、その学校のテストに合格すれば、楽しい学生生活が待っているからである。社会人になって、眠らずに働かねばならぬ日もある。それは、生活を楽にすることにつながるし、楽しい家庭づくりに役立つからである。苦あれば楽あり、である。

『』
。つまらないものがある。怠け人間はそれを選んで生きようとする。前から書いているように、私達の小学校高学年、中学生時代は終戦間もない頃であって、ロクな教師はいなかった。いわゆる税金泥棒ばかりだった。私は授業がつまらない時は、野球中継の真似をして、席の近い仲間たちに聴かせていた。それが、楽しい時間だった。サボりは楽であり、楽しくもあるのだ。価値のない授業を聞くより、ずっとマシである。

結婚の基本は相性である。相性とは、その人といて楽しいかであり、その人といて気楽であるかだと私は思う。2月4日は、私達夫婦の結婚記念日である。何回目の記念日であるかを数えるのは面倒だ。石原裕次郎さんに『わが人生に悔いなし』という歌があり、その一節に「はるばる遠くへ来たもんだ」というのがある。私は家人と暮らして楽であり、彼女の笑い声を聞くのは楽しい。そうやって、はるばる遠くへ来たことになる。ありがたいと言う他にない。

バレンタインデー

2019-02-16 12:10:44 | 日記
小中学校は男女共学だった。バレンタインデーのバの字を聞くこともなかった。もしその頃女の子が男の子にチョコレートを贈る習慣があったらどうだったか。隣家の1ツ年下のYちゃんが板チョコ1枚くれたかのしれないが、アテにできるのはそれぐらいのものだ。つまり、私は異性にはモテなかった。

会社員になってからも同じである。義理チョコという言葉があるようだが、もらえたとしてもその類のものでしかなかったと思う。そもそも私は途中入社の人間であって、入社時はすでに妻帯者だった。義理モノ以外に望むべくもない。

随筆同人誌会ではバレンタインではないが、大変なプレゼントを先輩女性から頂戴した。山口瞳先生直筆のサインである。それをそのまま硬化プラスチック板に印刷してくれたのも同人の男性だった。山口瞳筆の表札が完成した。これは現在のマンションには使っていない。家宝として娘が保存している。

デイケアサロンへ行く前、ケアマネのOさんから「サロンのメンバー同士でプレゼントの交換などはしないでください」と言われた。ナルホドと思った。麻雀も金品は賭けない。理由は、小さなことでも何か問題が起きると困るからである。私は93歳の先輩にチョコレートをプレゼントしたいと思うことがある。先輩は一人暮らしである。家に帰って、ひとりでテレビの前にたたずむとき、プレゼントされたチョコレートの包みを開け、その中の1粒を口に入れる。それはちょっと良い時間であるはずと思うからだ。それが面倒なあるいは厄介なことになったりするのかなぁ。

カン

2019-02-16 12:03:32 | 日記
馬券を買う。電話で買い目のボタンを押す。その作業はたいてい午前中に終える。レースが行われるのは午後3時を過ぎてからだ。昼食の後、ベッドに戻って眠る姿勢になる。実際に30分か40分ほど眠ることもある。目が覚めて、さて居間のテレビの前に行こうと起き上がると、ふと、今日は当たると感じることがある。根拠はない。馬券はいつも1時間半以上の熟慮の後で買っている。しかし、それに絶対の自信があるわけではない。それとは関係がなく、全く別のカンとしか言いようのないモノが頭の中に湧出するときがあるのだ。そのカンは当たる。その日の馬券は的中する。私はよく思うのだが、こういう経験をお持ちの方は少なくないのではないだろうか。

カンというものは記録や経験が基礎になっているのだと思う。そして、そこに、生まれ持った或る小さなチカラがのっかって醸成されるような気がしている。また野球のことになるが、同点の9回裏、1死で1塁に走者が出たとき、何球目かにヒットエンドランをかけるかは監督のカンである。記録と経験にもとづく、勝負カンである。しかし、そこにデータとは別のヒラメキが加わることがある。ヒットエンドランでなく2盗を試してみようと策戦変更をする。こういうときのカンは、たいていは当たるものなのだ。

麻雀というゲームは、どんなに大きな手をテンパイをしていても、千点の早上がりの方が勝つというところに勝負の妙味がある。3人の敵のうち、誰の手がいちばん早いかを見分ける。3枚切ってリーチなんていうのは仕方がないが、10巡目あたりまで進むと、早上がりか、大きな手か、自分の手はGoかStopかが見えて来る。その辺のカンが、今日は冴えているかどうかで勝ち負けが分かれる。託老所の麻雀も同じである。83歳になってもカンが冴える日もある。

会いたい人

2019-02-16 11:54:09 | 日記
私は霊界というものが存在すると思っている。その証拠については以前に書いている。そこでいろいろな人と会えると信じている。歴史上の人物で言えば、大石内蔵助、明智光秀などがおもしろそうだとも書いた。

むろん父親にも会わねばならぬ。私は昭和10年12月に生まれ、父は翌11年の11月に旅立ってしまった。顔を憶えているはずもなく、写真でしか知らない。父は私に何と言うだろうか。「早く逝きすぎて悪かったなぁ」と言うだろうか。それとも、「おまえは長生きしたなぁ」だろうか。

子供の頃の私をいちばん可愛がってくれたのは、ミッドウェー海戦で戦死した叔父である。その叔父は私の中のヒーローだった。気は優しくて、ケンカは芦屋でナンバー1だった。今度は私は恩返しをする番である。叔父がミッドウェーの海に沈んだのは22歳のときである。好きな女性はいただろうか。酒の味は知っていても、ごく浅いものではなかったか。叔父を案内するのは焼肉店→キャバレー→ホテルのバーのコースがいいのではないか。

父のすぐ下の妹は昭和7年に他界している。その叔母も、私は写真で知るだけだ。しかし、写真を見るだけでも懐かしい感じがする。死亡時は17歳で、雙葉高女の生徒だった。このフタバの女学生に会いたいのだ。「お姉さんと呼べばいいですか?」「それがいいわ。叔母様はイヤよ」というような会話をしたいと思っている。