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カン

2019-02-16 12:03:32 | 日記
馬券を買う。電話で買い目のボタンを押す。その作業はたいてい午前中に終える。レースが行われるのは午後3時を過ぎてからだ。昼食の後、ベッドに戻って眠る姿勢になる。実際に30分か40分ほど眠ることもある。目が覚めて、さて居間のテレビの前に行こうと起き上がると、ふと、今日は当たると感じることがある。根拠はない。馬券はいつも1時間半以上の熟慮の後で買っている。しかし、それに絶対の自信があるわけではない。それとは関係がなく、全く別のカンとしか言いようのないモノが頭の中に湧出するときがあるのだ。そのカンは当たる。その日の馬券は的中する。私はよく思うのだが、こういう経験をお持ちの方は少なくないのではないだろうか。

カンというものは記録や経験が基礎になっているのだと思う。そして、そこに、生まれ持った或る小さなチカラがのっかって醸成されるような気がしている。また野球のことになるが、同点の9回裏、1死で1塁に走者が出たとき、何球目かにヒットエンドランをかけるかは監督のカンである。記録と経験にもとづく、勝負カンである。しかし、そこにデータとは別のヒラメキが加わることがある。ヒットエンドランでなく2盗を試してみようと策戦変更をする。こういうときのカンは、たいていは当たるものなのだ。

麻雀というゲームは、どんなに大きな手をテンパイをしていても、千点の早上がりの方が勝つというところに勝負の妙味がある。3人の敵のうち、誰の手がいちばん早いかを見分ける。3枚切ってリーチなんていうのは仕方がないが、10巡目あたりまで進むと、早上がりか、大きな手か、自分の手はGoかStopかが見えて来る。その辺のカンが、今日は冴えているかどうかで勝ち負けが分かれる。託老所の麻雀も同じである。83歳になってもカンが冴える日もある。

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