gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

2019-02-16 12:16:31 | 日記
座右の銘という言葉が好きではない。好きではないが、どうしてもと言われれば「楽」楽と答えるしかない。「楽」は大切である。人は努力がないと生きられない。希望の学校に入るべく徹夜で勉強することもある。それは、その学校のテストに合格すれば、楽しい学生生活が待っているからである。社会人になって、眠らずに働かねばならぬ日もある。それは、生活を楽にすることにつながるし、楽しい家庭づくりに役立つからである。苦あれば楽あり、である。

『』
。つまらないものがある。怠け人間はそれを選んで生きようとする。前から書いているように、私達の小学校高学年、中学生時代は終戦間もない頃であって、ロクな教師はいなかった。いわゆる税金泥棒ばかりだった。私は授業がつまらない時は、野球中継の真似をして、席の近い仲間たちに聴かせていた。それが、楽しい時間だった。サボりは楽であり、楽しくもあるのだ。価値のない授業を聞くより、ずっとマシである。

結婚の基本は相性である。相性とは、その人といて楽しいかであり、その人といて気楽であるかだと私は思う。2月4日は、私達夫婦の結婚記念日である。何回目の記念日であるかを数えるのは面倒だ。石原裕次郎さんに『わが人生に悔いなし』という歌があり、その一節に「はるばる遠くへ来たもんだ」というのがある。私は家人と暮らして楽であり、彼女の笑い声を聞くのは楽しい。そうやって、はるばる遠くへ来たことになる。ありがたいと言う他にない。

バレンタインデー

2019-02-16 12:10:44 | 日記
小中学校は男女共学だった。バレンタインデーのバの字を聞くこともなかった。もしその頃女の子が男の子にチョコレートを贈る習慣があったらどうだったか。隣家の1ツ年下のYちゃんが板チョコ1枚くれたかのしれないが、アテにできるのはそれぐらいのものだ。つまり、私は異性にはモテなかった。

会社員になってからも同じである。義理チョコという言葉があるようだが、もらえたとしてもその類のものでしかなかったと思う。そもそも私は途中入社の人間であって、入社時はすでに妻帯者だった。義理モノ以外に望むべくもない。

随筆同人誌会ではバレンタインではないが、大変なプレゼントを先輩女性から頂戴した。山口瞳先生直筆のサインである。それをそのまま硬化プラスチック板に印刷してくれたのも同人の男性だった。山口瞳筆の表札が完成した。これは現在のマンションには使っていない。家宝として娘が保存している。

デイケアサロンへ行く前、ケアマネのOさんから「サロンのメンバー同士でプレゼントの交換などはしないでください」と言われた。ナルホドと思った。麻雀も金品は賭けない。理由は、小さなことでも何か問題が起きると困るからである。私は93歳の先輩にチョコレートをプレゼントしたいと思うことがある。先輩は一人暮らしである。家に帰って、ひとりでテレビの前にたたずむとき、プレゼントされたチョコレートの包みを開け、その中の1粒を口に入れる。それはちょっと良い時間であるはずと思うからだ。それが面倒なあるいは厄介なことになったりするのかなぁ。

カン

2019-02-16 12:03:32 | 日記
馬券を買う。電話で買い目のボタンを押す。その作業はたいてい午前中に終える。レースが行われるのは午後3時を過ぎてからだ。昼食の後、ベッドに戻って眠る姿勢になる。実際に30分か40分ほど眠ることもある。目が覚めて、さて居間のテレビの前に行こうと起き上がると、ふと、今日は当たると感じることがある。根拠はない。馬券はいつも1時間半以上の熟慮の後で買っている。しかし、それに絶対の自信があるわけではない。それとは関係がなく、全く別のカンとしか言いようのないモノが頭の中に湧出するときがあるのだ。そのカンは当たる。その日の馬券は的中する。私はよく思うのだが、こういう経験をお持ちの方は少なくないのではないだろうか。

カンというものは記録や経験が基礎になっているのだと思う。そして、そこに、生まれ持った或る小さなチカラがのっかって醸成されるような気がしている。また野球のことになるが、同点の9回裏、1死で1塁に走者が出たとき、何球目かにヒットエンドランをかけるかは監督のカンである。記録と経験にもとづく、勝負カンである。しかし、そこにデータとは別のヒラメキが加わることがある。ヒットエンドランでなく2盗を試してみようと策戦変更をする。こういうときのカンは、たいていは当たるものなのだ。

麻雀というゲームは、どんなに大きな手をテンパイをしていても、千点の早上がりの方が勝つというところに勝負の妙味がある。3人の敵のうち、誰の手がいちばん早いかを見分ける。3枚切ってリーチなんていうのは仕方がないが、10巡目あたりまで進むと、早上がりか、大きな手か、自分の手はGoかStopかが見えて来る。その辺のカンが、今日は冴えているかどうかで勝ち負けが分かれる。託老所の麻雀も同じである。83歳になってもカンが冴える日もある。

会いたい人

2019-02-16 11:54:09 | 日記
私は霊界というものが存在すると思っている。その証拠については以前に書いている。そこでいろいろな人と会えると信じている。歴史上の人物で言えば、大石内蔵助、明智光秀などがおもしろそうだとも書いた。

むろん父親にも会わねばならぬ。私は昭和10年12月に生まれ、父は翌11年の11月に旅立ってしまった。顔を憶えているはずもなく、写真でしか知らない。父は私に何と言うだろうか。「早く逝きすぎて悪かったなぁ」と言うだろうか。それとも、「おまえは長生きしたなぁ」だろうか。

子供の頃の私をいちばん可愛がってくれたのは、ミッドウェー海戦で戦死した叔父である。その叔父は私の中のヒーローだった。気は優しくて、ケンカは芦屋でナンバー1だった。今度は私は恩返しをする番である。叔父がミッドウェーの海に沈んだのは22歳のときである。好きな女性はいただろうか。酒の味は知っていても、ごく浅いものではなかったか。叔父を案内するのは焼肉店→キャバレー→ホテルのバーのコースがいいのではないか。

父のすぐ下の妹は昭和7年に他界している。その叔母も、私は写真で知るだけだ。しかし、写真を見るだけでも懐かしい感じがする。死亡時は17歳で、雙葉高女の生徒だった。このフタバの女学生に会いたいのだ。「お姉さんと呼べばいいですか?」「それがいいわ。叔母様はイヤよ」というような会話をしたいと思っている。

2月10日

2019-02-16 11:41:13 | 日記
次女と孫娘一家が遊びに来た。当然にボンちゃんが中心になる。ボンちゃんは生まれて120日ほどで、体重6キロ、身長は60センチあるそうだ。よく泣く。全力で泣く。ボンちゃんにとっては祖母にあたる次女が一生懸命にあやしながら抱き揺らすが、泣き続ける。5分か10分か、仕方なく孫娘に渡すと、ピタリと泣き止む。1秒で泣き止む。

ボンちゃんは私の曾孫に当たる。3親等の間柄になる。このヒマゴというのがピンと来ない。新しく小さい孫が出来た感じだ。反対を考えてみると、私は曽祖父母の顔を知らないし、写真も残っていない。わずかに、祖父から、「村の寺で働いて、そこで文字を習い、後には寺子屋を開いた」と聞いた程度だ。

長女がボンちゃんに大型の玩具と数冊の絵本を用意していた。その本を孫娘が読み聞かせる(といっても、トントントン、ポンポンポンと音を口にするだけだが)喜んだような表情になる。私はふと、リレーという言葉を想った。長女も幼い頃に叔母(家人の妹)に可愛がられた。いろいろな玩具や人形をもらっていた。家系には親以外の人たちの可愛がりリレーがある気がしている。私も子供の頃にそういう育てられ方をしていた。

昨夜は夕食前に貧血状態になった。眩暈がした。酒も呑まずにベッドに入った。睡眠薬をもらったが眠れない。1時間ほど経って少し落ち着いたので、食堂へ行って、いつよもより濃い水割りを1杯呑んだ。やはり、ウィスキーの(ストレートに近くなった)味は美味だ。貧血の因は肉食不足であるらしい。しかし、もう10年以上前から100グラムの肉は重たくなっている。毎日少しずつでも食べるようにと長女から言われているが、簡単ではない。肉嫌いではない。胃袋が小さいのだ。柿ピーと冷奴とカボチャサラダだけでもすぐに満腹に近くなる。酒のスタートのつまみだけでも満腹に近くなってしまう。今朝の血圧は129-73。