3年前の夏に大病を患った。3週間の入院生活を経て退院する2日前、昔からの友人A氏、B夫妻、C夫妻が不意に見舞いに来てくれた。みんなと会うのは久しぶりだった。私がB夫人に「少し痩せましたか?」と訊き、すると彼女は「とんでもない」と大きく左右に手を振った。私は正直な印象を言っただけだったが、夫人はそれをお世辞と受け取ったようだ。この例に限らず、いまや「痩せる」というのは一級の褒め言葉であるようだ。 3カ月で10キロのダイエットに成功!といった言葉を並べた(本や薬などの)広告が目立つが、dietには「痩せる」という意味はない(単に、健康という言葉であって、もちろん、肥る健康だってある)。 痩せる→カッコイイという神話はどこから生まれたのか。肥満が健康によくないのは私程度の頭でもわかるが、一方で、いちばん長生きするのは小太り体型だというデータもある。 昔、恰幅がいいという形容があった。少々肥り気味のガッシリとした体躯、ダブルのスーツがピッタリの重役タイプ、具体例で言えば二本柳寛さんあたりか。いや、これは少し古いし、男性よりは女性の例の方がいいだろう。 森公美子さんというシンガーがいて、オペラ歌手らしく豊かなボディだ。もし、モリクミさんが何10キロかのダイエットに成功して、今の半分ほどのスリム体になったらどうだろうか。私が言いたいのは、それぞれの魅力ということであって、ただ痩身・スリムに誰もが憧れ、食べたいものを食べないでいる人達の神経が不可解ということだ。
少年時代に隣家に住んでいたAさんは3ツ年上で、私の呼び名『ヤボ』の命名者であり、いわば兄貴分的な存在だった。そのAさんが50歳を待たずに病死した。もう30年も前のことだが、そこから不思議なことが始まる。 中学時代から仲の良かったB君は50代の前半、C君・D君は60代の初め、さらにはウチの娘も会ったことのあるE君は73歳で他界する。そのことをヒトコトで言うと、「親しかった人が、次々と」となる。 言うまでもないが、死の理由は人それぞれであって、結局は運命であるとか神の領域といった言葉で括られることになるが、どうも私の場合は、親友に限って早く逝ってしまうのが不可解だ。 しかも、前記の人々はすべて私より健康体であり、大酒豪であったり、不摂生な生活をしていたということもないのだ。つまりは私より先に旅立つ理由はない。 家族という単位だけで言えば、年齢の順に旅立つのが理想だと思っている。私の父は、私より25歳上だから、私が60歳のときに見送ったとしても85歳だから(悲しみはあるだろうが)ゆっくりお休みくださいと言えるだろう。 しかし父の人生は26年で終わっている。また私は、叔母の息子が満1歳を過ぎたばかりのときに肺炎で死亡したのを目の前で見ている。死の順序を決めている神が存在するとしたら、その決め方を訊いてみたい。