gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

時(とき)と 刻(とき)

2013-06-18 23:59:23 | 日記
健康だったころは、よく家族でドライブ旅行に出かけた。運転の巧い次女がハンドルを握った。 私の指定席は後部の左側である。 私における旅の目的はボンヤリにあると、前にも書いた。 別に名所旧跡を巡る必要はないが、家人は一度出かければ、あっちの寺、こっちの滝、そっちの庭園と、修学旅行的にまわりたがる性質で、むろん私がそれに逆らうことはない。 小さな旅は、1泊なら30時間、2泊ならその倍ぐらいのとき(時間)であるが、ボンヤリを味わえるとき(刻)は、その中のほんの一部でしかない。  車が赤信号で止まる。左側に古い家があって、窓先でタバコを売っている。老夫婦だけの住まいだろうか。いや、2階建だから息子夫婦もいるのだろう。家の前に自転車が置いてあるのは、息子夫婦の子供のものか。ちょっと洒落た型だから、子供は女子高生で、もしかすると美少女かもしれぬ。 空想を重ねながら、ポケットウィスキーをヒトクチ呑む。「ね、おなかすかない?どこかで何か食べようよ」、長女の大声があって、家人が「さっきからずっとお菓子を食べてるじゃないの」と応えて、笑いが起こり、私もボンヤリの刻から覚める。 春宵一刻価千金という言葉があるが、私の場合は、ボンヤリ一刻価千金なのだ。もちろん、他にもボンヤリの刻はあって、今だって、誰もいないから、美酒一刻価千金を静かに、そして頭をカラッポにして味わえるだろう。 時は6月18日午後6字30分。その時の中の刻だ。