大木昌の雑記帳

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ゴリラから学ぶ(1)―「分かち合い」と「ゴリラの民主主義」―

2023-01-09 14:05:06 | 思想・文化
ゴリラから学ぶ(1)―「分かち合い」と「ゴリラの民主主義」―

暦が2022年から23年に移ろうとする12月31日、NHKEテレのNHK ACADEMIAで、
山極壽一氏の、『ゴリラから見る暴力と戦争の起源』と題する30分の興味深い番組が放送されました。

山極氏は人類学者であり霊長類学者でもあり、ゴリラ研究の第一人者です。京都大学の霊長類研究所を
振り出しに京都大学総長を経て、2021年より総合地球環境研究所所長となっています。

私は以前から、山極氏の幅広い知識と見識に基づく論考を高く評価し注目してきました。

番組の冒頭で、「人間の本質とは何か」「人間はなぜ繁栄したのか」「人間はなせ戦争を止められない
のか」という主要な三つのテーマを示されていました。

最初の「人間の本質とは何か」は人類学におけるもっとも基本的・一般的なテーマで、次の「人間はな
なぜ繁栄したのか」も、道具の発明、火の使用、言語の発達など、ごく一般的なテーマです。

ところが、この二つに「なぜ戦争を止められないか」というテーマとセットになると、まったく別の意
味合いが感じられます。

近年、世界各地で生じている紛争や戦争、とりわけ現在進行中のウクライナでの戦争が念頭にあるので
はないか、と感じました。

人類学や霊長類の研究において戦争を扱うことはあまり一般的ではないので、私は大いに興味をもって
この番組を観ました。

山極氏は、一体、戦争はどうして止められないのか、という極めて今日的な課題にたいして、人類学・
霊長類の立場からどのように語るのか興味津々でした。

とりわけ、以上の三つのテーマは人間に関する問題なのに、それを考えるために、山極氏はゴリラの研
究からの知見を援用している点が画期的です。

霊長類の研究は、最終的には「人間とは何か」「人間の本質とは何か」を問う学問なので、人間と同じ
霊長類に属するゴリラの生態を通して人間世界の問題を解明しようとすることは山極氏の学問的立場か
らするとごく自然なのかもしれません。

この番組は30分という短いものでしたが、その内容は非常に中身が濃く、示唆に富むものでした。

まず、山極氏がなぜゴリラに興味をもったのか、という点から話は始まります。彼は、ゴリラが近い過
去に人間と共通の祖先をもっている、だからゴリラを知ることは人間の起源を知ることにつながると考
えてきたという。

そして今回の番組は、彼のゴリラ研究を足掛かりにして我われが直面している人間の暴力性や戦争の起
源について考えることを目的にしているという。

人間は元来暴力的なのか、あるいは平和を好むのか。この二つの対立する考えはこれまでさまざまな学
者や思想家によって議論されてきました。

この議論に転換をもたらしたのは、19世紀永ごろのダーウィンの「進化論」でした。ダーウィンによ
れば、人間も昔をたどれば共通の祖先に行き着く。そういう進化の道をとってきた。だから進化論に基
づくと、人間のルーツは系統的に近い霊長類、特にアフリカにすむチンパンジーやゴリラなどの類人猿
に近いということが分かってきました。

しかしゴリラに関する人々の印象は当初、否定的なものでした。ゴリラは1846年アフリカで欧米の
探検家によってゴリラが発見されました。その時探検家たちは、ゴリラは狂暴で悪魔のような性質を持
っている戦争好きな動物だと紹介したのです。

なぜ? 探検家と出会ったときゴリラは二足で立って、胸を左右の手でたたくドラミングをしたからで
した。彼らは襲われるのではないかという恐怖にかられました。

その後100年以上も、ゴリラは狂暴だという印象が定着してしまったのです。その狂暴なイメージを
もとにして作られた映画が『キングコング』(1932)でした。この映画ではキングコングはゴリラに似せ
て登場します。

しかし、ゴリラの発見から100年後の1950年以降、ゴリラの生態が詳しく観察できるようになる
とだんだん真実が明らかになってきました。ドラミングというのは戦いの宣言ではなくて、むしろ戦い
を避けるために自己主張をし合う、戦わずにお互い面子をもって引き分けるというようなコミュニケー
ションであることが分かってきたのです。実際、ゴリラはとても平和な生活をしています。

ゴリラの民主主義
ゴリラの生活の中では、ケンカやトラブルを巧妙に仲裁する行動が色々な場面で見られますが、それは
山極氏が「ゴリラの民主主義」と呼ぶ、以下の事例によく表れています。

たとえば、群れがまとまってどこかに出発しようとするとき、オスのリーダーが胸を叩いて、あっちへ
行こうと宣言する。メスや子供たち、そしておそらくほかの群れのメンバーが、いや私たちはこっちに
行くんだ、という声を出し合う。そして最終的に声が多い方が群れの意向となりリーダーのオスもしぶ
しぶメスに従うのだそうでせす。

この例は、いわば多数決による決定という民主主義のルールと同じです(注1)。これをみてみてもゴ
リラは暴力的ではなく、意見の相違を平和的に解決していることがわかります。

山極氏は、ゴリラと共通の祖先をもつ人間も、元々は平和的な生活を好む性質を持っていたのではない
か、と考えるようになったのです。

ところが、人間は本質的に暴力的であるという仮説が、第二次世界大戦後に出てきました。その仮説に
」よれば、人間はまず狩猟によって進化の道筋を作った。その後、狩猟道具を武器にして人間に向けて
戦争を始めた、という仮説です。これは「狩猟仮説」というものです。

「狩猟仮説」を基にして作られた映画が『2001年宇宙の旅』(1968)です。この映画の冒頭に人間
が動物の骨を武器に狩猟を始めたというシーンがあります。そして、骨を武器にほかのヒトの集団を撃
退するために使い始めたことになっています。

しかし、この仮説は間違っていたのです。

ヒトが進化系統で一番近縁なチンパンジーやゴリラから分かれたのは700万年前でした。この時ヒト
は二足歩行を始めました。石器を使うようになったのは300万年前、火の使用は100万年前。槍の
使用は50万年前、その武器を人間に向けるようになったのは1万年前、進化の歴史からすればごく最
近のことです。だから、戦争が人間の本質であるとは言えないのです。

では、人間はなぜ暴力性を強く持つようになったのでしょうか。これには複雑な要因が関係しています。
以下に順を追って見てゆきましょう。

700万年前、人間は熱帯の森から草原に出たのですが、そこは肉食獣に襲われたら逃げ場所がない危
険な場所でした。実際、初期には多くのヒトが肉食獣にやられたと思われます。

そこで肉食獣に対抗するために、複数の家族が結束して大きな集団(共同体)を作って暮らす必要があ
りました。

しかし山極氏は、共同体の形成という社会の発展と進化が人間社会の中で暴力と戦争を生み出したこと
は間違いない、と言います。

それは、どういうことなのでしょうか?山極氏の推測によれば、人間集団同士の戦争の原因は、元々は
戦争には関係なかった、集団の中での「共感の力」の使い方を間違えて暴発してしまったことにある、
というものです。

そもそも「共感」は、群れの中の個々の人々が結びつきを高め、助け合って強い社会を作るために不可
欠なもので、これは人間に近いチンパンジーやゴリラなどの霊長類にもその萌芽のような行動が認めら
れます。

その代表的な例は食べ物を分配する(分け合う)という行為です。

ゴリラが食べ物を分け合うとき、互いに相手の目をじっと見る(覗き込み行動)。相手の気持ちを読む。
これは、目の動きから相手の気持ちを察知する、対面コミュニケーションです。

人間も互いに顔を見ながら一緒に食べ物を食べるようになり、高まった共感力を使って広範な食物の分
配をして暮らすようになり、分かち合いと平等性といった人間独自の社会性を発展させていったと考え
られます。

今も狩猟採集で暮らすアフリカのハッザ族にも獲物を平等に分ける行為がみられます。獲物を仕留めた
ハンターが独占するのではなく、細かく切り分けて狩猟に参加した人、キャンプで待っていた人たちに
も、ことごとく行き渡るように分配します。

ここには能力のある人だけが利益を得るのではなく、みんなで平等に分かち合いましょう、という決ま
りがあり、共感力を高め集団の結束力を強化しています。

これは強い者や国家が弱い国家を支配しようとする近代世界とは全く反対です。

今回は、ゴリラも人間も分かち合い、助け合うことを通して共感し、集団の結束を強めてきたことを紹
介しましたが、次回は、その共感をさらに強化した要因、そして強化された共感こそが実は暴力と戦争
生む原因の一つになったという事情を検討します。

(注1)私は、「ゴリラの民主主義」と同様に、動物学者ローレンツがカラスの研究で、夕方ねぐらに戻るか否かを、カラスの群れが鳴き合い、数が多い方に決まるという「カラスの民主主義」を発見したことを思い出しました。





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