中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

贄川(にえかわ)宿(旧中山道を歩く 158)

2008年11月04日 08時43分15秒 | 5.木曽(長野県)の旧中山道を歩く(157~2


(贄川宿の立派な看板。そのはるか先に橋がある)

(贄川(にえかわ)宿2)
贄川(にえかわ)駅は時代を思わせる古い駅舎である。駅員も見当たらない。
駅前には朝通勤で出かけたであろう人たちの自家用車が数台並んでいた。
駅舎の右手にお手洗いがあったので利用する。
建物は古臭いが便器は水洗で思ったより綺麗であった。
障害者用のトイレが隣にあったので覗いてみたが、
広さもたっぷりあって、使いやすそうである。


(贄川駅舎)

駅のホームを覗くと工事関係の方がいたので、
聞き及ぶ贄川(にえかわ)関所の場所を訊いた。
「この先坂を登ってすぐそこに橋があるので、渡ったところです。」という。
駅を出たらいきなり大きな看板「贄川(にえかわ)宿」が目に入る。
橋はどこか?と見渡したが見当たらないので、坂道を歩くが、
教わった「すぐそこは」500m以上先で、
疲れた体には1kmもあるように感じた。
バスでは贄川駅前の次が贄川関所前で一駅分の距離がある。

(贄川宿入り口の看板)

坂を上りきったところに線路をまたぐ橋があり、
「贄川(にえかわ)宿入り口」の大きな看板がまた出迎えてくれる。

その橋には、
「昭和の終わりごろ着工して、
平成元年(1964)に完成した時代のかけ橋であり、
末永くこの地から未来へこだまを響かせ、
希望を照らすことを期するものです。」
(楢川(ならかわ)村・贄川(にえかわ)郵便局)と碑文がある。


(線路を越える橋、中央にガラスのモニュメントがある)


(ガラスのモニュメント)

今ひとつの碑文はは、橋げたの切り絵作家、
橋中央にあるガラスの造形作家が記念文を残している。

「木曽谷を賑々しく往来した大名行列に往時をしのぶとき、
渡る風に馬の嘶きを聞く。時代を超えて、
草木はまっすぐに天へ伸び、人々は、
今を確かめるために節を奏でてみる。
いま、そして未来を照らすガラスのかがり火に果てしない夢を描いて、
永遠のふるさとを抱きしめる。」
(柳沢京子(きりえ作家)高橋禎彦(ガラス造形作家)とある。


(切り絵)


(屋根に石を置いた関所)

橋を渡って線路の上から反対側を見ると、
なるほど坂の下に関所が見える
「贄川(にえかわ)関所跡」である。

贄川と言う地名は、当初は温泉が川の中に湧き出して、熱川(にえかわ)と言ったが、
温泉が枯れてからは麻衣廼神社(あさぎぬのじんじゃ)の本社である
諏訪神社の神事としての生け贄として、
この地方で取れる鯉や鱒を献じたところから、
「熱(にえ)」から「贄(にえ)」に改めたことによると伝承にある。

坂を下り幔幕の掛かった関所に入る。
入り口に若いお姉さんがいて、
「入場料200円」と言う。
さらに「聞きたいことがあったら声をかけてください」と。

聞くところによれば、関所内のガイドもなさると言うが、
時間が30分以上掛かると言うので、今は時間がなく、
今度もう一度お訪ねしますからと一人で見学した。

関所は、敷地322坪(=1062㎡)
     間口八間(=14.56m)奥行五間(=9.1m)であった。
(参考:現在復元された関所は970㎡であるからこれよりやや大きい)

贄川(にえかわ)関所については、
今度詳しく説明を聞いてからご報告したいと思います。
電車の時間に追われて、そそくさと内部を見学して帰った。

塩尻発17:07新宿着19:35.

歩いた距離26.5km、44087歩であった。


(丸一の紋は関所番を仰せ付かった山村家の家紋)



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