中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

間の宿 茂田井(旧中山道を歩く 126)

2007年11月17日 08時42分34秒 | 4信濃(長野県)の.旧中山道を歩く(110~1


(立派なお屋敷が続く間の宿 茂田井)

(間(あい)の宿 茂田井)
大伴神社を過ぎると道路は長い登り道となる。
少し登ると道は左に曲がり、その先で国道の下をくぐると、
道は右にカーブして、国道と平行になる。
左手上のほうに先に向かう矢印と茂田井の文字看板が見える。


(長い坂道を登りきる頃国道の高架をくぐる)


(道路の左上に茂田井の看板あり、ここは直進する)

さらに歩くと馬頭観音像と双体道祖神を左に見て、
その先坂の上の前方右側に武重歯科医院の看板が見える。
間(あい)の宿茂田井はさらにその先にある。
案内によれば、ずいぶん近くに茂田井はあるように書いてあるが、
上り坂で苦しいためか遠くに感ずる。


(馬頭観音と道祖神)


(右の細い道路が旧中山道)

広い道路は左に曲がっていくが、曲がらずに直進する細い下り坂の道がある。
手前に諏訪湖・白樺湖直進の案内標識がある。
これが旧中山道で、入り口に「中山道茂田井入り口」の案内が道路の左手に立っているが、
道路と平行に立っていて分かりにくい。
東京方面から行くと、この看板が右手にあればわかりやすいと思う。
今ある案内看板は、京都側から来たほうが判り易い。


(諏訪湖・白樺湖直進の方向に行く)

案内看板によれば、
(茂田井は東の望月宿と西の芦田宿の間にある村で、
現在は間に宿(あいのしゅく)とも呼ばれている。ここは茂田井への入り口で
坂を下り始めると江戸時代の面影残る民家や造り酒屋が軒を連ねている。
――以下省略。佐久市教育委員会)とある。

道は坂道を下り右にカーブすると向こう側に茂田井の家の屋根が見えてくる。
町というか村というか、家並みが始まるところからは、
道路は上り坂になっており少し登ると、右側に長い白壁の家が見えてくる。
造り酒屋の土蔵や塀である。道路左側は用水が流れており、
人通りも無く、せせらぎの音が聞こえる静かな道である。


(白壁の家)


(武重酒造)


(武重酒造入り口の「さかばやし」)

手前の酒屋が武重酒造で門の屋根の下に杉玉がぶら下がっている。
杉玉は「さかばやし」というらしいが、その横に次のように、

「さかばやし」についての看板がある。
「酒は飲みたし銭はなし酒に林を見て通る。さかばやしは造り酒屋の看板であり、
杉の葉を集めて丸く刈り込んで作られたもので、
昔は毎年新酒ができる春になると青い杉の葉で作った「さかばやし」を軒下につるしたものです。
古来酒壷のことを「みわ」と呼び
酒の神を祭る大和の国の三輪山の杉を標(しる)しの神木とし、
特に尊崇なるようになった。
古来由縁あるものとも云われています。
俳諧寺入道 一茶坊の句に

杉の葉の つるしてみるや 濁酒
杉の葉の ピンと戦(そよ)ぐや 新酒樽」


(集められた酒器の数々)


(昔使った酒造道具)


(奥の酒造り棟)

武重酒造の門が開いていたので中に入る。
いろいろな酒器、昔使用していた酒造道具が陳列してあり、
その奥が酒造りの棟になっている。

「さかばやし」のあった門前には、お酒をこよなく愛した若山牧水の記念碑があり、

有名な短歌
(しらたまの 歯にしみとおる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり)

他二首が刻んである。若山牧水は本当の酒好きであったようである。

牧水は肝硬変が原因で亡くなっている。


(牧水の記念碑)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿