(新緑2005.May.03.近所の公園で撮影)
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(大宮宿)
氷川神社の表参道入り口に戻り、
「武蔵一ノ宮」の石塔を右に見て、左側の旧中仙道を行く。
「吉敷町」の信号から20メートルほど左に、
町に似合わない古い門構えが見えてくる。
これは加賀前田家の江戸屋敷から貰い受けた門という。
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(吉敷町の信号)
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(加賀前田家の江戸屋敷から貰い受けたという門)
その20メートル先の右側に、
郵便ポストがあるタバコ屋を右に入ると、
大きなケヤキの木が二本あり、
その先に「子育て地蔵」と「塩地蔵」がある。
由来は、
(「塩地蔵」は、幼い二人の娘を連れた浪人者が、
大宮宿で病に罹り、医者の手当ても薬も利かず寝込んでしまった。
ある夜、夢枕に地蔵様が現れ、二人の娘に塩断ちするよう告げられ、
孝行娘の二人は塩断ちして、近くの地蔵様にお祈りしたところ、
医者も薬も利かなかった父親の病が快方に向かい、全快した。
そのお礼に沢山の塩を奉納し、父親も主家に帰参が叶い、
娘たちも幸せになったと言う伝説。
以後沢山の人たちが塩を奉納して、参詣に訪れると言われている。)
(さいたま市教育委員会)
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(写真右が子育て地蔵と左側が塩地蔵)
「子育て地蔵」については、何も記されていない。
さいたま市教育委員会の案内板によれば、近くに旧跡涙橋、
高札場跡、北沢本陣跡、内蔵本陣跡、山崎本陣跡などが
あったようであるが、その場所についての
案内板は設置されていない。
中山道に戻って進むとデパート高島屋があるが、
ここが昔、北沢本陣跡といわれる。
JR大宮駅を左に見て進む。
その先、すずらん通りの先に内倉本陣が、また
住吉通り先に、山崎本陣があったとされるが、
今は跡形もない。
さらに進むと国道16号線と交差する。ここを右折し、
最初の道を左折すると東光寺がある。
今は、曹洞宗の禅寺 大宮山東光寺である。
平安時代の末、関東に赴いた紀伊の国那智山の裕慶が、
「熊野の光明を東国に輝かす」と開山したお寺。
この言葉の光と東を採って、東光寺とした。
元々は、氷川神社の東方、黒塚にあったが、
江戸時代徳川家光の時、当地に移された。
(さいたま市教育委員会)
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(東光寺門前)
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(東光寺本堂)
ここで旧中山道の古道と合流のしるしとなる
氷川神社裏参道の石碑ー「官幣大社 氷川神社」を
右に見て、JRのガードを潜り、中山道を進む。
右側に郵便局を見て、信号を直進すると、
レストランがあり、その駐車場に石碑の道しるべがあるという。
「大山 御岳山 よの 引又 かわ越道」 とあるらしい。
残念ながら見落としてしまった。
さらに進み、保健センター入り口交差点を左折すると、
「石上神社(いそのかみじんじゃ)」の石塔と鳥居が見える。まだ真新しい。
江戸時代の中山道の絵図にも掲載されている古い神社。
今では死語になりつつある病気の疱瘡(ほうそう)。
それを治す神様を祭っている。
昔は医学が発達していなかったので、ホウソウの伝染は
恐れられ、村人は他村でホウソウが発生すると、
村内に伝播しないようにと祀った神様。
(さいたま市教育委員会)
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(疫病は神頼みの石上神社)
中山道を進むと、右側歩道上に馬頭観音と小さな地蔵像がある。
さらに進むと、新幹線・国道17号に交差するが、
その手前50mほど左手に「東大成の庚申塔」がある。
入り口に赤い鳥居。お堂と鳥居の間に大きな金木犀が植えてある。
丁度訪ねた時に金木犀は満開で、良い香りを発散させていた。
お堂の中には、高さ1.42mもある庚申塔があるが、
猿田彦が彫られている。
云うまでも無い、街道を行き来する旅人を守る神様である。
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(馬頭観音)
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(地蔵像)
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(東大成の庚申塔)
しばらく歩くと、高崎線宮原駅が左に見える。
この先から上尾宿に入っていく。
6日目は、宮原駅から帰る事にする。
時計を見たらPM16:40であった。
万歩計は2万歩あった。一歩が60センチであるから、
今日は12キロ歩いたことになる。
思えば日本橋をスタートしたのが3月27日であったが、
その後は暑かったり、雨だったり、のっぴきならぬ私用で、
中山道を歩くことが出来なかったため、六日目はもう秋になっていた。
考えてみれば、そうか、何もなしで建てられる訳がない。
2万歩とは、お元気ですね。
とても嬉しく拝見しました。
よくお訪ねくださいました!
つたない文章ですが、なんとか京都まで行きたいと
夢を見ています!
引き続きよろしくお願いします。
HIDE-SANより
腎臓悪かったのかしら? それとも水と同じくらい塩は大事だから 願掛けの対象になったのでしょうか?
黴の生えそうなコメントでごめんなさい。