中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

胴塚稲荷と首塚八幡(旧中山道を歩く 69)

2005年10月28日 22時54分00秒 | 3上州(群馬県)の.旧中山道を歩く(66~10
(新町駅北口の案内看板。左下に見える胴塚稲荷と首塚八幡)


(新町宿4)

日本橋をスタートして14日目、2005.Apr.05.無風快晴、最高気温20℃。

JR新町駅南口から約1.5km歩いたところに、
「首塚八幡宮」は左、の案内看板が電柱から突き出ている。
看板の右脇に酒屋さんがある。

(首塚八幡宮の案内看板.。電柱の右側の酒屋さんの裏側に胴塚古墳がある)

JR新町駅の史跡案内看板に拠れば、
この酒屋さんのあたりに胴塚古墳があるはずと、
酒屋さんの周りを見渡すと、ちょうど酒屋さんの裏手に
胴塚稲荷古墳があるのを発見した。

(胴塚稲荷古墳)

古墳らしく、こんもりと盛り上がった場所に稲荷堂があり、
手前に7段ばかりの階段がある。
階段の手前には、お稲荷さんらしく赤い鳥居があり、
左脇に「胴塚稲荷古墳」と書いた標柱がある。
「藤岡市指定史跡」と書いてある。

新町とばかり思っていたのに、いつの間にか藤岡市に入っていた。
昔はこんな行政区域は無かっただろうから、本来は新町宿であったと思われる。

(胴塚は径十四メートル、高さ二・二メートルの円墳と推定され、
かって直刀や人骨が発見されたとの言い伝えが残っている。
天正11年(1582)六月、合戦史上、関東最大の神流川合戦に
おける戦死者の胴を埋葬したと伝えられるところから、
胴塚古墳と呼ばれている。近くには新町史跡指定首塚がある。)
(藤岡市教育委員会)
胴塚も首塚も神流川合戦で戦死した、兵士たちの首だけのものや
胴体だけのものを、集めて埋葬したものと見られる。

看板の案内に沿って胴塚古墳を背に、進むと道路沿いに
首塚八幡宮がある。

(首塚八幡、しだれ桜がちらほら、四月五日。)

やはり神流川合戦で討ち死にした武士の首を検視し、
この場所に埋蔵し、この地を実見塚『字(あざ)名を』といっている。
無縁の霊を祭り里人によって首塚と称し、
古くから首から上の病の神として参詣人が多い。)
(新町教育委員会)

(神流川合戦首塚の碑)






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