中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

武蔵一ノ宮 氷川神社(旧中山道を歩く 34)

2005年05月09日 20時47分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65
(桜「ウコン」2005.Apr.25.撮影)

(武蔵一ノ宮 氷川神社)
左にスーパーアリーナ、さいたま新都心駅を見ながら歩くと、
右側に氷川神社の赤い鳥居と「武蔵一ノ宮」の石塔が見える。
氷川神社参道の入り口で、これより約2キロは鬱蒼とした
ケヤキやクスノキの並木が続く。
旧中山道は左へ行くが、かってはこの参道が本来の中山道であった。
参道のほうは、今では古中山道と呼んでいるらしい。
(氷川神社入り口の武蔵国一宮の石碑)

(奥に見えるのは旧中山道の古道「一の鳥居」)

氷川神社は、出雲の国の簸(ひ)の川(かわ)(氷川)の杵築(きつき)大社(出雲大社)を
招いたものとされる。朝廷により権威付けられた式内社であり、
武蔵国の一ノ宮として伝統と格式を誇っている。

一宮といえば
「武蔵一ノ宮」「尾張一ノ宮」「上総一ノ宮」「常陸一ノ宮」など
全国に一ノ宮がある。

諸国において由緒深い神社、または信仰厚い神社が
勢力を得て、自ずから神社の階級的序列が出来、
その首位にあるものが一ノ宮とされ、
公認されるに至ったもののようである。
だから、時には「一ノ宮」と「二ノ宮」が代わるようなことが
時代時代によって起きた事もあるようだ。
その「武蔵一ノ宮」の「氷川神社」は全国に270社余あるという。

氷川神社は今から2000年以上前、
孝昭天皇三年に創建されたと社伝に残ると言う。
日本武尊が東征のおり、当社に祈願したと言われる。
治承4年(1180)源頼朝が社殿を再興し、以後
時の権力者による祈願、庇護、信仰が続く。
江戸時代には、寺領三百石を寄進されていた。
(さいたま市教育委員会)
(神楽殿の向こう側にあるのが、氷川神社の本殿)

ここでは旧中山道の古道(氷川神社表参道)を歩いてみる。
「武蔵一ノ宮」の石碑のすぐ後ろにある「一の鳥居」をくぐると、
古色蒼然としたケヤキやクスノキに覆われた参道が、
見渡す限り続いている。
中央は自動車道になっており、歩道は並木道の根元を避けながら歩くことになる。

すぐ左手に稲荷神社がある。赤い鳥居に奉納者の名前がでかでかと書いてある。
案内看板には「楢姫稲荷」とあるが、どんな姫を祀ったのか知らない。
鳥居の左側に享保7年(1722)建立の碑があり、
「是より宮まで18丁」としるされている。
並木道に、氷川神社、「一丁、二丁、三丁・・・」と間隔をあけて石碑が立っている。

やがて右側に庚申神社がある。街道沿いにたくさん見かける
庚申塔が小さな小屋に安置されている。
(楢姫稲荷)
(庚申神社)

さらに進むと左側に埼玉県合同庁舎があり、
周りは公園になっており、蒸気機関車と共に
大宮市を築いた「白井助七」の碑がある。

「大宮」の地名は、大宮に古くから鎮座する
氷川神社に由来すると言われている。
江戸時代に書かれた書物には、大宮と言う名前
(文字通り「大きな神社」)は大きな神社が立っていると
いうことで付けられたと記されています。
平安時代(794~1185)までに集落が神社周辺や
参道沿いに出来ました。
この集落が現在の大宮市の発祥なのです。
(さいたま市教育委員会)

その大宮に、東北本線が開通するや、
「白井助七」誘致により停車場が開設され、
以来鉄道の街として鉄道と共に発展してきた。
明治28年大宮町長となった「白井助七」よって、
現在の大宮市が築かれたといえます。
大宮市発展の歴史を象徴するものとして、
蒸気機関車と白井助七の碑を造り
功績を永く顕彰する。
(昭和45年  大宮市長)
(白井助七翁の碑)

参道はやがて「二の鳥居」に出るが、並木の大木が
繁っており鳥居は両脚しか見えない。
ここからは参道は石畳となり歩道となる。
車道は並木の外側に追い出される。
(二の鳥居)

(ケヤキの表参道)

(三の鳥居)

しばらく常夜灯とケヤキ並木が続き、「三の鳥居」が見える。
その奥が氷川神社である。
鳥居をくぐるとすぐ右側に能舞台があり、
その左手に「額殿」がある。
江戸時代に出来たこの額殿は、あまりにも古いため
地震があった時は、すぐに外へ出るよう大きく看板が出ている。
百年以上も前から、奉納者の額が掲げられており、
古いものはすでに墨書が消えてしまっている。

確認できる古い額は、皇紀2506年とあるが、
2600年が昭和15年(1940)であるから、
160年前のものだ。
(能舞台)

(江戸時代の額殿)

この額殿を右に見て進むと朱塗りの太鼓橋があり、
奥に神楽殿、その向こうに本殿が見える。
由緒ある神殿らしく荘厳であるが、明治神宮や
伊勢神宮ほど形式張っていない感じがするところが良い。

太鼓橋の手前を左折すると、裏参道へ出る。
形ばかりの裏参道、実はこれこそ旧中山道の
古道を思わせる道の広さである。
自動車一台通れれば良い道幅だ。
出たところに赤い鳥居があり、武蔵一ノ宮の石碑もある。
(太鼓橋)
(神楽殿より本殿を望む)
(裏参道の鳥居、左側が裏参道通り)
(裏参道通りの看板)

脇に現代の自動車道があるので、この道に沿って
左方に出ると旧中山道に到る。
裏参道通りであるが信号に出たところに、
「官幣大社 氷川神社」の石碑がある。
(官幣大社の石碑)

ここで旧中山道と合流し、旧中山道の古道は終わる。





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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
古道 風情があって良いですね? (どら)
2005-06-03 18:18:30
古道 風情があって良いですね?
松並木や 日光街道の杉並木は有名だけれど ケヤキ並木は初めて知りました。
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