森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

善き人のためのソナタ-その2

2007-09-28 | 映画ドラマ
昨夜のブログを読み返して、ああもうホントに
表現力がない!!と、自己嫌悪(笑)
どう感動したかを言いたかったのに・・orz

でも、ブログは自分のために残している記録のような
つもりでやっているので、良しとしよう。
たまに興味を持たれた方がいたら見てやってください的
スタンスは、始めた時から変わらない。
この歳で「お友達ごっこ」はやりたくないと、いつも
周囲の人に言ってきたのにはワケがあるのだ。

私は一見、人当たりが良さそうに見えるらしいし、
実社会ではどこでもすぐに友達ができる。実際、
これまで人と争うことなども皆無だった。
自分でも嫌になるくらいに嘘は言えないし、平和主義だし
目の前の人の話すことも、嘘だと思って聴いたことはない(政治家や
メディアの情報は別・笑)

だけどネットの世界は、悲しいけれど違う。
限られた場所を除いて、殆どが虚構で成り立っている。
こちらでもコメントを装ってアダルトサイトなどに導く
ものやトラックバックも無関係の貼り付けが増えてきた。
これはコメントできなく設定すれば良いだけだが、
こんなことに左右されたくないので今は消すだけでいる(笑)

それよりも私にとって一番悲しいのは、よく見かける儀礼的コメントの方。
それが本音であるなら、文章の巧さに関係なく読み取れる。
私はうわべだけの人間関係を続けるのが苦手な人間なので
そういう虚礼は虚しくて堪らなくなる。
そういうことに時間を割き続けることの意味も解らない。

文章を書くことは、私にとってある種カタルシスなので
人から善く思われようと思うなら成り立たないのだ。

昨日の映画は、そういう意味でも私の好きな表現だった。
説教がましいこともなく、淡々と描いたことで、
より胸に熱く沁みてきた。

まだ始めの方のシーンで、大尉と同期で今は少佐に出世した
幹部仲間が、その地位を肩に食堂で学生を脅かすのを観た時の
彼の目。その表情こそ、この映画の根底にある「品性の下劣さへ
の嫌悪」を芽生えさせたシーンだと感じたのは、私だけじゃないと思う。

誰かがレビューに書いてあった「凄い映画を観てしまった」という言葉どおり、
私にも忘れられない映画になりそうだ。
コメント