上毛新聞9月4日の記事によると、官営工場で現存するのは、年代的に富岡製糸場(明治5年)の次の工場は明治10年の新町屑糸紡績所と考えられていたが、明治8年(1875)に作られたレンガ造りの建造物が現存することが判明したと書かれていました。
この建造物は生野鉱山の昆こう所で、レンガ造り、モルタル塗り、基礎は石造、建物の長さは約58メートル、設計はフランス人技師ということです。
生野鉱山は生野銀山として16世紀中頃に本確的採掘の始まったところで、兵庫県中部(兵庫県朝来市)に所在する鉱山。明治元年(1868)に官営、1896年・三菱合資会社に払い下げ、1973年閉山。
富岡製糸場の建築と比較研究の出来る建物として紹介されています。
この建造物は生野鉱山の昆こう所で、レンガ造り、モルタル塗り、基礎は石造、建物の長さは約58メートル、設計はフランス人技師ということです。
生野鉱山は生野銀山として16世紀中頃に本確的採掘の始まったところで、兵庫県中部(兵庫県朝来市)に所在する鉱山。明治元年(1868)に官営、1896年・三菱合資会社に払い下げ、1973年閉山。
富岡製糸場の建築と比較研究の出来る建物として紹介されています。