故郷へ...

2024-02-13 01:32:15 | 八代亜紀
八代亜紀




流されて 流されて
ひとり傷ついて
浮きぐさのように
いつか馴染んだ 夜の川
帰りたいけど 帰れない
うぶなむかしは遠すぎる
ああ故郷へ今日も汽車が出てゆく

恋をして 恋をして
そして捨てられて
どうにでもなれと
酒におぼれた 夜もある
よわい 女に なったのか
過去をふりむく この私
 ああ故郷は青い海のある町・・・





ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
 
 [小景異情ーその二] より


室生犀星は石川県金沢の出身で、市内を流れる犀川の近くで生まれました。

筆名「犀星」はたぶんこの犀川から得たのでしょうか。

21歳の時、文人たらんとの思いを押さえがたく、やみくもに故郷を捨てて東京に出たといわれますが、貧困のどん底の中で詩作を続け、

食い詰めると金沢に帰ってきたといいます。

その頃の犀星の心情は、上の詩にも次の詩にも、痛いほど読みとれます。

美しき川は流れたり
そのほとりに我はすみぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本の情けと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
                         
 [犀川] より


犀星の生活と心情は、当時寮で勉学をしていた、貧しいがそのくせ理想主義的な高校生の生活に重りあう点が多く、彼の詩を愛読する者は少なくありませんでした。

マスターにとっても犀星は、抒情派詩人として、長らく心の中にその位置を占めています。

ところが、最近になって、犀星が次の詩を作っていることを知って、驚きました。

逢いたきひとのあれども
逢いたき人は四十路(よそじ)すぎ
わがそのかみ知るひとはみな四十路すぎ
四十路すぎては何のをとめぞ
をとめの日のありしさえ
さだかにあはれ
信じがたきに

[四十路] より


わずか40歳をすぎたばかりで、犀星はあの透徹するまでに澄み切った純粋なのもへの憧れを、捨ててしまったのでしょうか。

もしかして、犀星は老いへの反語としてこの詩を作ったのかも知れません。

是非ともそうであってほしいとの願いが、この詩と犀星に対する年老いたマスターの心情です。(笑)
                         






























































































































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