仲間たち

2023-05-26 16:21:44 | 青春歌謡
仲間たち



歌をうたって いたあいつ
下駄を鳴らして いたあいつ
思い出すのは 故郷の道を
みんな一緒に はなれずに
ゆこうといった 仲間たち

帽子まるめて いるあいつ
リンゴ噛って いるあいつ
記念写真は とぼけていても
肩をならべた ツメエリにゃ
夢をだいてた 仲間たち

手紙よこせと いうあいつ
あばよあばよと いうあいつ
口じゃ元気に どなったくせに
ぼくが故郷を たつ朝は
涙ぐんでた 仲間たち




青春歌謡の時代とは、或る意味、舟木一夫の時代であったかもしれません。

ほかの歌手たちを押しのけて舟木一夫で代表させる理由の一つは、彼の代名詞にもなった「学園ソング」です。

「青春時代」とは、もはや「少年」ではないがいまだ「大人」ではない過渡期、

「少年」が「大人」になるための移行期間、猶予期間(モラトリアム)、準備期間を指します。

社会の正式メンバーではないので労働も責任も免除されるのが「少年」、社会の正規の構成員として労働し責任を負うのが「大人」です。

「青春」という言葉自体は昔からあるし、それが人生の若年の一時期を指す言葉として転用されたのも古いことです。

けれども、社会がこういう猶予期間を大規模に制度化するのは近代になってから。

たとえば江戸時代には、武士の子は十代半ばで元服すればその日から「大人」で責任を問われれば腹も切らねばなりません。

 百姓町人なら子供も労働します。

十代で結婚して父親や母親になるのもありふれたことでした。

「青春時代」という概念は近代に誕生し、制度化され、長期化し、普及します。

その制度の中心には高等教育の拡充があり、心も体も成熟していながら労働も社会的責任も免除されている若者たちの中心は学生だったということです。
 
「青春」という言葉が小説の表題になった最初はたぶん小栗風葉の『青春』ですが、その主人公は大学生です。

また、森鴎外に『青年』という小説がありますが、この主人公・小泉純一(よく似た名前の政治家がいましたね)は学生ではありませんが、

財産家の息子で働く必要がない上に学問する気もない、という設定はまさにモラトリアムそのものです。

『青春』は明治38年、『青年』は明治43年に連載されました。日露戦争後です。西暦でいえば20世紀の初頭です。

その時期に「青春=モラトリアム」が社会制度として日本社会に定着したのだといってよいでしょう。

ついでにいえば、夏目漱石の『三四郎』(明治41年)も学生小説ですが、漱石も日露戦争後に作家になった人です。

つまり、学園生活こそが青春の中心なのです。

その意味で、「終り」(学園生活というモラトリアム期間の終り)の意識を先取りしながら現在(社会的利害関係のしがらみから護られた純潔)の

かけがえのなさを歌う舟木一夫の「学園ソング」こそが青春歌謡の時代を代表するのかもしれませんね。
































































































































































































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