南部牛追唄

2023-11-03 00:08:10 | 世界の民謡
金沢明子





田舎なれどもサーハーエ 南部の国はサー 西も東もサーハーエ 金の山 コラサンサエー

今度来る時サーハーエ 持って来てたもれヤー(おくれヨー) 奥の深山のサーハーエ なぎの葉を コラサンサエー

さても見事なサーハーエ 牛方浴衣ヨー 肩に籠角(かごつの)サーハーエ 裾小斑(すそこぶち) コラサンサエー

沢内三千石サーハーエ お米の出どこヨー つけて納めたサーハーエ お蔵米 コラサンサエー

沢内三千石サーハーエ およねの出どこヨー 枡で計らねでサーハーエ 箕で計る コラサンサエー

肥えた牛(べこ)コにサーハーエ 曲木(まげき)ょ鞍コ置いてヨー 金の成る木をサーハーエ 横づけに コラサンサエー

江刈葛巻サーハーエ 牛方の出どこヨー いつも春出てサーハーエ 秋もどる コラサンサエー

大志田羊歯(しだ)の中 サーハーエ 貝沢野畑ヨー まして大木原(おぎはら)サーハーエ 嶽の下 コラサンサエー

牛よ辛かろうサーハーエ 今ひと辛抱ヨー 辛抱する木にサーハーエ 金がなる コラサンサエー

サンサ羊歯の中サーハーエ 萱野の兎ヨー 親が跳ねればサーハーエ 子も跳ねる コラサンサエー

 一の先達はサーハーエ すだれと小斑ヨー それの後たちゃサーハーエ 裾小斑 コラサンサエー






今太閤、庶民宰相と持ち上げられて登場し、巨悪、金権政治家とたたかれて失脚した田中角栄元首相(1918〜93年)、その毀誉褒貶の激しさは、

歴代首相の中でも突出しています。

そんな田中氏の関連本が、没後20年余して次々と出版され、今もその人気が続いているようです。

なぜ今、「角栄」なのでしょう・・・。

その角栄氏、若き頃、地元での演説で、「新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩して新潟の豪雪をなくす」と訴えたことがあったとか。

たしかに、山脈を切り崩せば冬場の季節風は日本海側から太平洋側に抜けるわけで、荒唐無稽な発想とはいえ理には叶っています。

理を持たず、支離滅裂な答弁しかできない宰相よりは、ずっとマシだと思う方が多いのでしょうね。(笑)


さて、この南部牛追唄ですが、岩手の代表的な民謡です。

歌詞で唄われる「南部の国」とは、安土桃山時代に豊臣秀吉から公認された東北地方の南部藩(のちの盛岡藩)のこと。

現在の岩手県、青森県・秋田県の3県にまたがっており、砂金、紫紺、良馬の産地でした。

南部藩名産の南部牛は「赤べこ」と呼ばれ、「南部牛追唄(牛方節)」は牛での荷物運搬や放牧時などに唄われていたと言います。

南部牛は、足腰が強く、役牛として飼われ、特に山越えの荷役にも活躍していました。

積んだものは、塩であり、鉄、・・・そして米を積んで、南部藩の米蔵のあった盛岡(岩手県盛岡市)や黒沢尻(岩手県北上市)等へ。

ちなみに、「今度来るときゃ 持て来てたもれ 奥の深山(みやま)の なぎの葉を」の「なぎの葉」ですが、ナギ(梛)は、関東以南に生息するマキ科の常緑樹。

熊野神社では神木とされており、熊野巡礼者は袖や笠につけて魔よけやお守りにしていたと言われています。























































































































































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