春を待つ手紙

2023-12-10 05:45:14 | 吉田拓郎
春を待つ手紙




直子より
   追いかけました あなたの姿だけ
   幼い あの頃の 想い出 あたためて
   あれから 幾年 友さえ 嫁ぎ行き
   その日を 待つように 父母も 逝きました
   人間だから 求めてしまうけど
   それこそ悲しみと 知ってもいるけれど

俊一より
   変わらぬ心を 素直と呼ぶならば
   オイラの気持ちは 最終電車だろう
   涙を見せると 足もとが フラフラリ
   めめしくなるまい 男の意気地なし
   時間が 僕らに別れを すすめてる
   このままいる事で 寒い冬越えられぬ

直子より
   約束なんて 破られるから 美しい
   誰かの言葉が 身体をかすめます
   あなたは あくまで 男で いて欲しい
   私を捨てても あなただけ 捨てないで
   傷つく事に 慣れてはいないけど
   ましてや 他人など 傷つけられましょか

俊一より
   夢またひとつ 二人で暮らす町
   通り通りゃんせ オイラだけ 通せんぼ
   これが最後の ひとつ前の便りです
   春には 小川に 君の櫛 流します
   待つ身の辛さが わかるから 急ぎすぎ
   気づいた時には 月日だけ 年をとり

誰もが誰かを 恋しているんだね
それは あてのない 遙かな 旅なんだね
旅する人には 人生の文字似合うけど
人生だからこそ ひとりになるんだね
ここでも春を待つ 人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人



あれから 幾年 友さえ 嫁ぎ行き
その日を 待つように 父母も 逝きました
人間だから 求めてしまうけど
それこそ悲しみと 知ってもいるけれど



さて、まず修辞法(レトリック)的に解説しますと、「嫁ぎ行き」と「父母も逝き」と、韻を踏んでいるわけですが、要するには、ここでは天涯孤独の身である、

ということをまず強調して訴えています。

また、「求めてしまうけど」と「知ってもいるけれど」は、これもまた韻を踏んで、かつ対句のような形式になっていますが、「けど…」、「けれど…」という

接続詞のあとに続く言葉の部分が「…」として、隠されています。

つまりは、ここが書けない文字ですね。


変わらぬ心を 素直と呼ぶならば
オイラの気持ちは 最終電車だろう



そして、これは比喩、いわゆる隠喩と呼ばれるもので、気持ち=最終電車としています。

さて、ここが比喩の難しいところです。
 
このフレーズだけでは、最終電車を、「もう次は来ない電車」ととらえるのか、「最後に間に合う電車」ととらえるのか、という選択肢があることになります。

そこで、これでは誤解を招くので、次のフレーズに移るわけですが、ここで登場させるのが、いわゆる擬人法と呼ばれるレトリックです。


時間が 僕らに別れを すすめてる
このままいる事で 寒い冬越えられぬ



つまり「時間」が「別れをすすめている」のであって、ず・る・い~~~と思われるかもしれませんが、決して「オイラ」が別れたいのではないのです。(笑)
 
うんうん、ほら、「時間」がいうのよねぇ。(笑)


約束なんて 破られるから 美しい
誰かの言葉が 身体をかすめます



誰かの言葉ということなんで、調べてみましたが、いったい誰の言葉なんでしょうか。

「約束は破るためにある」なんて言葉も、よく聞きますが、はたして誰の言葉なんでしょうか。

ともかく、一見、なんか格言風、箴言風で、つまりは引用で権威付けをするとともに、つまりは誰かの言葉であって、けっして、自分の言葉ではないと責任転嫁を

してるということになります。

   
あなたは あくまで 男で いて欲しい
私を捨てても あなただけ 捨てないで
傷つく事に 慣れてはいないけど
ましてや 他人(ひと)など 傷つけられましょか



このフレーズあたりは、対句のオンパレードとなっており、リズム感を出すことには成功していますが、言葉の重みと素晴らしさに関わらず、内容はあまり

無いよう~~~な。(笑)

しかし、ひとつの泣かせどころではあります。
 
ともかくここは、建前を前面に押し出して、健気さと優しさを印象付けようとしているのです。


これが最後の ひとつ前の便りです
春には 小川に 君の櫛 流します



最後の便りとはせずに、最後のひとつ前ということであり、いわゆる予告編ということなります。

これは、衝撃を和らげる手法として有効であり、心の準備期間を置かせるためのものです。

しかし、その予告編には、櫛を流すシーンが映し出されるようなんですが、白線を流すのならいざ知らず、櫛やったら流れにくいやろな。(笑)


待つ身の辛さが わかるから 急ぎすぎ
気づいた時には 月日だけ 年をとり



健気さと優しさに対して、こちらは、律儀さと気遣いで答えています。

そして、ここでもまた、擬人法です。
 
気がついてみたら、シワとシミが増えて、老けたよな~~~なんて、けっしていわずに、「月日」だけが高齢化したよというわけです。(笑)
 
「月日」にしたら、ハタ迷惑な話ですけどね。(笑)


誰もが誰かを 恋しているんだね
それは あてのない 遙かな 旅なんだね
旅する人には 人生の文字似合うけど
人生だからこそ ひとりになるんだね
ここでも春を待つ 人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人



さて、これは、「直子さん」の手紙なのでしょうか、あるいは「俊一くん」の手紙なのでしょうか。

順番からいえば、「直子さん」なのですが、どちらかといえば、「男言葉」なので「俊一くん」でしょうか。

おっと、その前に、歌詞には、「直子より」「俊一より」と付いてますが、もちろん、歌では、微妙にそのフレーズごとに歌い方を変えてはいますが、

「直子より」「俊一より」とは歌ってはいません。

そこで、考えてみたのですが、この最後のフレーズは、きっと「拓郎さんより」なんじゃないでしょうか。

つまり、若いときは「今はまだ人生を語らず」といっていた拓郎さんですが、ここに至って、「人生ひとり旅」と、人生を語ったのではないでしょうか。(笑)

 …ということで、結論といたします。(笑)





































































































































































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