きくち寛
片親育ちとおちょくられ
負けず嫌いの この俺は
でこにタンコブたえなんだ
そんな男におまえは惚れた
愛の温みを教えてくれた
なにわ嫁なの初情け
惚れて暮らした
一間の部屋の
裸ランプがなつかしい
おかずは梅干 ひとつだけ
日の丸弁当で 行く俺に
おきばりやしゃと 声かけた
あれが最期の おまえの笑顔
やっとつぼみも 膨らみかけた
春も待たずに なぜ死んだ
いつか可愛い 花嫁衣裳
着せて 頬ずりしたかった
おまえは夜空の 星になり
俺は下から 仰ぐだけ
酒も喧嘩も あの日から
止まらないまま 転げていった
さいの河原の 渡し場あたり
あわてちゃ 駄目よと 声がして
空を仰げば おまえの星が
俺を見つめて 濡れていた
やっとつぼみも 膨らみかけた
春も待たずに なぜ死んだ
いつか可愛い 花嫁衣裳
着せて 頬ずりしたかった
負けず嫌いの この俺は
でこにタンコブたえなんだ
そんな男におまえは惚れた
愛の温みを教えてくれた
なにわ嫁なの初情け
惚れて暮らした
一間の部屋の
裸ランプがなつかしい
おかずは梅干 ひとつだけ
日の丸弁当で 行く俺に
おきばりやしゃと 声かけた
あれが最期の おまえの笑顔
やっとつぼみも 膨らみかけた
春も待たずに なぜ死んだ
いつか可愛い 花嫁衣裳
着せて 頬ずりしたかった
おまえは夜空の 星になり
俺は下から 仰ぐだけ
酒も喧嘩も あの日から
止まらないまま 転げていった
さいの河原の 渡し場あたり
あわてちゃ 駄目よと 声がして
空を仰げば おまえの星が
俺を見つめて 濡れていた
やっとつぼみも 膨らみかけた
春も待たずに なぜ死んだ
いつか可愛い 花嫁衣裳
着せて 頬ずりしたかった
この曲は、20世紀を代表する天才漫才師横山やすしさん(本名:木村 雄二、1944年3月 18日 - 1996年1月21日)が奥様である木村啓子さんに贈られた曲です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/23/bbd308d8746c270aa3471206ed5f9b44.jpg)
元々は1981年頃、きくち寛さんが横山やすしさんから詩をもらい、すぐ作曲した曲なんだそうですが、やすしさんがすぐに唄えずお蔵入りしていた楽曲でした。
その後7・8年経って再度レコーディングし、発売になるわけですが、やすしさんの身辺でのいろいろなトラブルが重なり、結局はまたしてもお蔵入りになります。
その後、やすしさんは吉本興業を解雇され、不遇の数年を過ごし、そして病に倒れ他界。
・・・その告別式で出棺のおり、会場に流されていたのがこの曲でした。
テレビでその光景が流されと、あの曲は何という曲なのかとテレビ局に問い合わせが殺到。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/23/bbd308d8746c270aa3471206ed5f9b44.jpg)
元々は1981年頃、きくち寛さんが横山やすしさんから詩をもらい、すぐ作曲した曲なんだそうですが、やすしさんがすぐに唄えずお蔵入りしていた楽曲でした。
その後7・8年経って再度レコーディングし、発売になるわけですが、やすしさんの身辺でのいろいろなトラブルが重なり、結局はまたしてもお蔵入りになります。
その後、やすしさんは吉本興業を解雇され、不遇の数年を過ごし、そして病に倒れ他界。
・・・その告別式で出棺のおり、会場に流されていたのがこの曲でした。
テレビでその光景が流されと、あの曲は何という曲なのかとテレビ局に問い合わせが殺到。
それならばと発売元のクラウンが急遽「追悼盤」として発売、ようやく日の目を見たというわけです。