暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Bukowski, Born Into This, 見た映画、Oct 07

2007年10月24日 23時54分46秒 | 見る
ブコウスキー: オールドパンク

2002年

BUKOWSKI: BORN INTO THIS

113分

ドキュメンタリー/伝記



憎みきれない ろくでなし

監督: ジョン・ダラガン

出演: チャールズ・ブコウスキー
リンダ・リー・ブコウスキー
トム・ウェイツ
ボノ
ショーン・ペン
ハリー・ディーン・スタントン


同時代のビート作家たちとは一線を画し、数々の逸話に彩られたアメリカ文学界の異才・チャールズ・ブコウスキーの実像に迫るドキュメンタリー。94年にこの世を去ったブコウスキーの貴重なインタビュー映像に加え、ショーン・ペンやトム・ウェイツ、U2のボノなど、彼と親交を持ち、彼を愛した人々が登場、その魅力と素顔を語ってゆく。

上のように映画データーベースの解説に記されていたドキュメンタリーDVDである。 どこかでブコウスキーの作品の映画化、「Factotum」のことを遅まきながら見てアマゾンで検索して一緒に注文した。 郵便の合理化、私有化と競争原理が働いてポストが届くのが10年前に比べると格段に早くなっているのだがアメリカからDVDの小包が届くのが少々遅れてネットで注文したものに今までトラブルがなかったのに今回初めてクレームか、と思った日に同時に別々の送り主から届いたのがブコウスキーの映像だった。 

このドキュメンタリーで印象づけられたことがいくつかあるがその一つはこの作家の郵便局務めの18年間である。 50年代のはじめの2年間の重い袋を提げての配達人時代、その後、依頼退職をしてから再就職し、ブラックスパロウ出版社のオーナーから一ヶ月100ドルの給料をもらい作家に専念するまで16年間郵便物の振り分けを小棚に向かって行った時代で、世間の印象とは裏腹にこの作家の経済的基盤に対するしっかりした見方と、自身がかたるよう「政府の仕事で糞仕事だけれどちゃんと定収入があって、ある程度の福祉がうけられるからね」がそれを裏付けている。

世間の印象はブコウスキーは飲んだくれのパンクである、というのだが作品中のヘンリー・チナンスキーはそうであっても作家はそうではない。 今までに写真やCDでその人となりは承知していても映像でさまざまなインタビュワーに答えながらなじみの古いフォルクスワーゲンを運転し洗濯しにコインランドリーに運ぶあたり、どうしてこんな遠くまでわざわざくるかとの70年代白黒フィルム中での問いに、安いからと他のところには胸糞の悪くなる小市民的雰囲気があってそういうとこよりここがおちつくから、というような作家のコメントがあったりする。 言葉面だけではこの作家、特別なことではない。 かれの全作品、これが満載なのだがこのドキュメントで炙られてくるのは彼の作品の言葉が自身のことばと違和感が無く少々小声のゆったりした小声とも言うべき音量で優しく語られるところがこの映画の印象づける第二点である。

この作家のことを知ったのは文学雑誌の「新潮」で作家、作品紹介があり翻訳の短編数編を読んでのことだ。 もう20年ぐらい前だったろうか。 日本語翻訳が手に入る環境に無くペーパーバックの「Factokum」に始まって
Women
Post Office
Note Of A Dirty Old Man
The Most Beutiful Woman In Town
Tales Of Rodinary Madness

と80年代には読み進めていた。 その間に青野聡訳の「ありきたりの狂気の物語」新潮文庫フ41-2にも目を通している。 しかし、この文庫の編者の写真のチョイスが藤原新也の撮った強い目を持ったわかものがアルコールか麻薬の錯乱かはたまた若い日の悲しみを持った若い女を掻き抱くポートレートで本文の内容のハードコアからは遠く、むしろこれなら戦後セーヌ川左岸の錯乱の恋や若者の生態をドキュメントしたエド・ヴァンデル エルスケンのカテゴリーにはいるものだと承知し、そのころにはチナンスキーの世界が日本語に翻訳された二、三のものには違和感を抱くようにもなっていた。 それは翻訳者の技量というより米語で読んできたブコウスキーの住む世界と日本語世界の隔たりの個人的感慨だと粗雑に結論付ける。

その頃、読み続けていたIris Murdochのものは書店のペンギンブックス、ブコウスキーのものは雑然とした英語版ペーパーバックの棚からを手にしてベッドに寝転がり読み進め、その伴にはビールやワインを口にするのが普通になっていたし、それがこの作家の狂気を矯めることでもありその世界でもあった。 90年代には上記出版社からそろった棚から詩篇をまじえたテキスト、Run With The Huntedや自叙伝、ビルドゥングス・ロマンでもあるHam On Ryeも読むようになり、その後の作品は密度の緩いものに変わった印象をもったのだがこのドキュメントでその事情が理解できた。

私はそのころはオランダ人の友人が持つベルギーの山間部にある小さな別荘で家人、小さな子供2人とともに幾夏か2週間ほどバカンスを過ごし、熱気を避けるゆったりした怠惰な時間にジャズやクラシックの音楽、酒に太い葉巻を40分燻らすのを一区切りにしてその家のベランダで読む本にはブコウスキーのものが必ず入っていた。 このベルギーにはブコウスキーに惹かれた映画作家がオランダ語で「ありきたりの、、」と「町中で一番の美女」を折衷した映画を製作していたし、「ありきたりの、、、」をフランス語で撮った作家もいた。

作品の中にはいつも安ワインとブラームスが漂っていたのだが何故ブラームスなのかがこのドキュメンタリーを見てもわからない。 古いワーゲンの窓ガラスが石つぶてか小口径の銃弾のあとにようにひび割れたフロントガラスをガールフレンドのハイヒールのかかとで割られたものだとコインランドリーに向かいながら若いガールフレンドに入揚げて町をぐるぐる廻っていたと説明するカーラジオから流れてくるものはブラームスではなかった。

実際にドキュメントで示される作家の女性たちとのやりとり、遍歴とそれが投影された作品群の女性から80年代初め頃、私が住んでいた街の市立図書館がこの作家の作品の貸し出しを凍結しそれはこの作家の女性観にたいする女性グループからの抗議の結果だったのだが、それも状況の違いを理解しない過保護で育った当時30代のオランダ女性群のヒステリーとも言われたものの、時代と場所が変わればヨーロッパで女性が政治に大きく進出しつつある時代の現象だったのだろう。 その糾弾は作家自身にも作家をめぐる女性たちには少しも届かないし、歯牙にもかけられないものであるのは、このドキュメントの中でオランダ人女性がファンレターをよこしてぜひともブコウスキーと寝たい、と迫ったというような当時のエピソードが語られていたことでも分かるということだ。 フェルディナンド・セリーヌに向かった半可通の刃の勢いが飲んだくれ親父に向かったということか。

へミングウエーからケロワック、ギンズバーグのロスト・ジェネレーションが過ぎ、遅れてラースト・ジェネレーションとこの作家にレッテルが貼られたことがあった。 けれど、明らかにロスト・ジェネレーションの作家とは一線を画しておりそれはインテリ作家たちを尻目に自分の孤独と怒りをタイプライターに向かい一週間に一度は父親のベルトの鞭を背中に浴びそれを黙認しながら介抱する母親に体現された戦前の社会から自分の居場所をタイプのキーボードを通して探し続けた作家の生き様だったのだ。 

偶然にも8月の終わりに出かけたオランダ北部の街でのジャズ・フェスティバルのおり、公園で野外芸術展が開かれており20代後半の若者達がブコウスキーの部屋、と題するインスとレーションを長方形の大型コンテナーの中に仕上げていた。 金を払ってワイヤレスヘッドフォーンを受け取ればブコウスキーの自作の詩の朗読、インタビューに答える声がながれ、そのごみごみした部屋に入り、安楽イスにすわると古いラジオからクラシックが、古い読書灯の小テーブルには脇にはマッチ、灰皿に盛り上がった吸殻、汚れたウイスキーグラスがころがり頭の上の書架にはペンギンブックスクラシックやDHローレンスにロストジェネレーションの作家のものがいくつか並んでいた。 部屋には紐が交差していて古いガラスが入ったドアを覆うようにいくつもの少々黄ばんだ下着が吊るされていて苦笑した。 

私の部屋の様でもあるがこれは作家の部屋ではない。 かといって作品中の部屋なのだろうか。 作品中のチナンスキーは本を読まなかったのではないか、書を捨てて町に出よ、といわれたことがあるのだがそれはインテリがプロパガンダとしていった事で、これが言われる前に作品の男には捨てる書など初めから持たなかったのだし関心も無い。 ただ、作家の講演や詩篇のなかにさまざまに登場する人格、ことばの礫にはそれが充分ありえたろうが当人が幼少のころからフィクションを紡ぎたいと望んでいた男のもとめた人格かどうかは私には疑問である。