暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

さて、、、と、、市場で

2007年10月21日 12時00分09秒 | 日常
Sat. 20 Oct  ’07

またまた巡る週末の土曜日、昼過ぎに起きてそのまま肉屋に出かけ七面鳥のシュニッツェルを自分と子供二人の三枚分買って見回すと肉屋に新しい女の子がいる。 この肉屋はもうここで3代以上百何十年か店を開いている個人経営の店なのだが、私がここにかれこれこの15年ほど毎週土曜日に来ているのだが、来はじめの頃は気のよさそうな小柄な爺さんが主人でこの人の子供が30前ぐらいだったろうかこまめに動くがっしりとした男で、それとこれもてきぱきと動くものの落ち着いた若奥さんがいて通いのオバサン、若い衆、アルバイトの女の子が二人ぐらいと将来肉屋になるような16,7の小僧が若主人と一緒に後ろで様々な肉を切り捌いていた。 

その小僧もいい若い者になりどこかに店を持ち、替わりにまた若いのがそういう食肉の職業高校から来るというサイクルになっていた。 それまでに爺さんは隠居してそのときには顧客に店の歴史の写真集や当時からの精肉道具を店の一角に展示し、息子に店を譲るお披露目のサービス期間ということもあったのだが、それまでに若い女の子達も何年か働いて二十歳を幾つか越すと結婚するのか離れたり、また、結婚してもそのまましばらくいて子供が出来るとそれを機会に家庭に入る、という具合だった。

その娘たちともみなてきぱきと仕事をこなす中で買い物のやり取りぐらいで話すことも特に無いから、町の中でたまたまそんな娘が着飾って男友達と思しき若者と腕をくんで歩いているところに行き合わせると日頃とは、といってもこっちの日頃は土曜日の肉屋の中だけのことなのだが、表情が和らぎ笑顔がこぼれたりしてまた日頃とは違った表情を見ることとなる。 そういうことがこの青空市場ではよくある。

キオスクで新聞を買い、CD屋で新旧のCDを物色しても今日はこれというものが無く、そこの主人と店の景気について話をした。 この前、店を改装してちょっとは広くなったのだが、この何年かインターネットに喰われてレコードというかCD、DVDの売り上げが伸びないのだという。 このままではこの店もあと5年もたたないのではないかというようなうらびれたことを言う。 こういう商売は若い人が来なければとても成り立たず、我々のような暇な人間がのそのそ古LPを求めてたむろしても店の足しにならず、そういう古レコードにしてもネットオークションにもっていかれ、結局ネットやそういうものについていけない連中がぶらぶら来る店なのだから、現にこの店で買うより安いものがネットで手に入り、自分も最近は時々書籍やLP,DVDをそのようにして買っているのだから少しはこの店の足をひっぱっているという後ろめたさが頭を掠めるのだ。

ま、なるようになるさ、という主人の声を後に威勢のいい魚屋の前を買い物袋を下げた沢山の人を掻き分けて野菜、果物屋のならぶ、ライン川が街中では運河になったところにある、古くは近郊近在の穀物を取引した橋の向こう側にでる。

目ぼしい野菜、果物を買い物袋にまた自転車でうちに戻ると午後5時30分で気温は14度だった。 来週には夜間は氷点に近づくらしい。

Paul van Kemenade

2007年10月21日 11時55分51秒 | ジャズ
Paul van Kemenade Quinted with South African Friends

Sun. 20 Oct. '07 at Burcht in Leiden, Tne Netherlands

Paul van Kemenade (as)
Pieter Bast (ds)
Wiro Mahieu (b)
Rein Godefroy (p, fender)

Feya Faku (tp, fh)
Sydney Mnisi (ts)
Ferhan Otay (g)

1st Set
1) Soul'Afrique
2) South African Connection
3) Pom Hera
4) Pleased to meet you again

2nd Set
5) Just Flirting
6) Tembisa, people
7) Major Download
8) ja ja ja, Mr. Mingus
9) Song For My Father

Encore


このアルト奏者は二十歳でプロとなり30年間ジャズのフロントラインを様々な音楽のジャンル、人々を巻き込んで疾走しつづける当人今年50歳の記念公演ツアーである。 ツアーといってもその間にこの何日か前、アムステルダムの港に面するミュージックホールでシンフォニー・オーケストラをバックに自筆の作品を数々の友人達とともに大ホールに響かせ、自分が育った街で教え、ジャズフェスティバルを組織し、ヨーロッパ、アフリカ、アジア各地に飛ぶという八面六臂の活躍なのだが、根っからのジャズ屋なのであり、この日、地元のジャズ同好会が主催する地下会議場に集った平均年齢45歳を越える100人ほどの聴衆に淡々と軽い冗談を交えてこれまでの行き越しを話す中、ころがる石には苔むさず、の謂いが実感できる飾り気のなさである。

主催者の誕生日プレゼント、片手では持ちきれぬ数キロのチーズを小脇に抱え南アフリカから招いたゲストたちとのこの20年ほどの交流を話す後ろでゲスト達が笑顔でPvKのオランダ語に反応する。 ゲスト達の国、南アフリカはオランダ語「アパルトハイト」がこの間まで幅を利かせていたところでその国の公用語であったアフリカーンスはオランダ語から派生した言葉である。 それで思い出すのは、日本のジャズの大御所でアルトを吹く文化功労者も30年ほど前からカメラを手にアフリカをテーマにしていたこともあり、10年以上前に国際交流基金を通じてアムステルダムでコンサートが開かれた時に招かれ、当日券を入り口で買って入った一般客とまざる立ち見のホールでアフリカからのドラムバンドをバックに久しぶりに聴くと30年前のと変わりなくアルトを吹くのだがフレーズのバリエーションは弱く少なく、途中退場者も多くでて寂しい思いをしたのだがこれはPvKのアフリカンアプローチとは異種のものであり、アパルトハイトを経験してきた強さと一方、草原での夢物語の根付かぬエキゾチズムの違いだと今はその違いを実感する。


この日のレパートリーは既に昨年何枚目かのCDに結実したPaul van Kemenade Quintet ;Mexi Cosy; KEM06 で聴かれる。

彼のホームページではサンプルがいくつもありその音楽の概要に触れることができる。 ミンガスバンドに多く負っていると自ら語るように実際の聴き所は曲が始まって2分以降なのだが、それはそれとして、かれのCD群の中で趣を異にして大オーケストラをバックに気持ちよく吹くアルバム「Freeze!」もこの人のキャリアの中では欠かせない。 

Paul van Kemenade Home Page
http://www.paulvankemenade.com/index.htm


ほぼ2年ほど前にこのバンドについて記したものが下のサイトに。

2006-1-20
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/23190865.html
 
2005-11-29
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/17863675.html