暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

鶏屋の入り口

2007年10月26日 00時29分58秒 | 日常
毎週スーパーで買い物をするショッピングセンターの外れに鶏屋がある。 今ではそれを「だった」、といわねばならない。 今日、そこを通るときにきれいな色のアルミニューム状のフィルムがガラスのドアの内側に貼られているのを見た。

牡蠣の殻の内側、セロファンの光沢、70年代のファッションレーンコートで使われているような輝きかただ。 ひょっとしてそういう色模様の紙を張ってあるのかと少し近寄ってみると光沢が場所によって変わるのでそれは普通のアルミ・フィルムだと分かる。

ここには少なくともこの15年以上鶏屋があって鶏、七面鳥、兎に雉、鶉、フォアグラ、加工品などを置いて、店の前にはオーブンを出して鶏を丸ごとグリルしながらいい匂いを周囲に巻き広げ通る人々の空腹をかきたてるようなところだ。 土曜の青空マーケットではさまざまな匂いが混じる場なのだが70年代の新興住宅地の中にあるショッピングセンターでは匂いが流れてくるのはせいぜいパン屋かこの鶏屋ぐらいなものだろう。

私の記憶ではこの12,3年は同じ経営者で、いつ行っても面白くなさそうな顔で鶏肉を切り分けて言わせるままに秤に肉を載せて対応するだけの男で忙しいこともないから一人だけでぼそぼそと店番をしていた。 あるときに店の改装をそろそろしなければならない、と言っていたのだが、そのあとすぐにヨーロッパにトリインフルエンザが猛威を振るい国中の鶏屋から肉が消えたことがあった。 それが一度だけではなかった。 殆ど何もない店に入っていくと、七面鳥だけがあってフランスの七面鳥は大丈夫だからこれだけだ、といわれ、また、あるときにはその七面鳥だけがが駆除されて入ってこない、というようなこともあった。

結局、ちょっと早いのだが、これを期に引退して定年生活に入ることにして店を閉めたのだが、そこには続けて若い鶏屋が来る、といっていた通り、それから半年ほどして2年ほど前に2mをはるかに超す30代なかごろの男がここに前とほぼ同じような店構えで鶏肉屋を開いたのだが、どうも客が定着しない。 店の内容も少々投げやりなところが見えなくも無くいつも手持ち無沙汰で、私が数軒先の魚屋でビールを飲みながら魚の揚げ物で昼食を立ち食いしているとその店に入ってきて魚屋夫婦と立ち話をしていることがしばしばあった。

そのあとしばらく閉店と張り紙が出て、このアルミのフィルムだ。 開店のときからの投資額も回収していないのにもかかわらずもうこのまま続けていっても見通しがたたないと見切りをつけてしまったのだ。 

この店の筋向いには八百屋がある。 そこは新鮮で質の高い野菜、果物をおいているのだが私が買い物をするときには時間に追われて大抵の野菜はごっそりスーパーで買ってしまうから、客の数も少なく、運命は鶏肉屋と大差はないのだが、しかし、ここでは50代なかばの主人夫婦とその若い息子が当分の間は店を切り盛りするだろう。質のいいこの店にはいつも客は見えて私も量はすくないものの、スーパーに無いような果物や野菜を買う。 

スーパー間の競争が熾烈で国境を越えた資本の買収、経営統合がしきりにニュースで聞かれ、その陰で家族経営の商店が消えていく。 この影響で鶏肉屋が消えたとは言わないが、それでもこの10年ほどで住宅街にある小さな八百屋、パン屋がうちの廻りからいくつか消えた。 その殆どが定年を期に、後継者がないことが理由だったように記憶しているが、たとえ後継者があってもなかなかつづけるのは楽ではないようだ。