50を越えて半ばに入ろうとする頃に初めて老眼鏡を作った。 そして今二つめの老眼鏡をかけているのだがこれは「近近」といって焦点深度が普通の老眼鏡に比べて深いから物を読むにしてもいままでの、はっきり読むためには時には頭を前後に動かしてはっきり見えるところを捜さねば、、、ということもなく、ちょっとはなれたものでもはっきり見えるように作られている。
もう一つは中学頃からかけている近視に乱視の入ったものだがかなり悪い。 だからスポーツでは甚だいけない。 野球に柔道ではどうということがなかったのだが、高校のときにラグビーをやって二つほどスクラムをくんだりアタックした折に壊した。 無茶なことだ。 コンタクト・レンズは好まないからどうしようもない。
それに剣道を3年間やったのだがこれもいけない。 汗でずれるわ、それに加えて冬場には熱気で曇ってみえにくい。 剣道では眼は見えなくてはいけない。 心眼にも眼鏡が要る。
今は水泳にジョギング、射撃というようなスポーツをするのだが、水泳ではゴーグルをかければまわりははっきり見えて裸眼でもはなはだきもちがいいのだが見えるものはカバのように肥った中年以上の男女の浮かぶ様だからこれは目の保養にはならない。
今の普通の眼鏡は「遠近」両用、中心部は近視用、そこから6段階か7段階すこしずつ下方の老眼スポットに移動するものだがこれは初めの頃は短期間良かったのだが徐々に使い物にならず今はあまり効力がないものの遠近りょうようである。 だから別の老眼鏡をつくったのが4,5年前だ。 だがこの頃眼鏡のことでいらいらすることが多い。
それは眼鏡自体の問題ではなく老眼鏡と普通の遠近両用眼鏡を別々にもっている、ということに由来する。 こちらでいう2階、日本で言う3階の屋根裏部屋の書斎から下の台所、居間でものを読むことが多い。 日常の様々な手紙なり新聞なりなのだが、自分の書籍などは大抵上の書斎だから、当然、、上と下で老眼鏡が要る。 老眼鏡は紐で両側のつるを縛って使わないときは首からかけるようになっていて一見便利なようなのだがけれども色々なことで外す機会が多い、そして、それを身近なところに置いておく。 例えば、猫をだっこする、クッキーやものを食べる、何かを飲む 等、等、、、。
それであちこち移動するとそこではいつもそこで老眼鏡が必要で、そのときは大抵老眼鏡が見つからない。 そこで一つの部屋から別の部屋、上から下へ、下から上へ、ということになり、そのたびにイライラしたりウンザリ、ということになるのだが、部分的解決法を見つけた。
それは上にいて下に今の老眼鏡を置いてきた場合。 古い老眼鏡を暫定的に使うこと。 ないよりましだ、ということだ。 そこで引き出しの奥からごぞごぞと昔の眼鏡をひっぱりだして使う事となる。 これに今まで気づかなかったのは頭の廻りが鈍ってきた証拠か。 漢字一字の器官が老いるに従って弱る、と聞いた事がある。 目、歯、頭、脳、、、、