暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

枯葉

2007年10月03日 19時05分04秒 | 日常
仕事場のある古い建物の前には100年ははるかに超えたと思われる大木がありそれが4階建ての煉瓦造りの上まで大きな枝を伸ばしている。

ヤツデのようなかなり大き目の葉を付け始めるのが4月、5月ごろだとすればその頃から新しい命の息吹を感じ、夏の暑いときにはまわり一面に10m以上の高みからあたり一面に大きな陰を作って強い日光を遮蔽してくれるから近所の人たちもその下でひと時の涼をとり立ち話をする姿を見ることも屡だ。

建物の壁に向かって直角に並べていくつも自転車を立てかけておく金属の柵のようなものがあるのだがそこに至る何メートルかがほぼ枯葉で埋まっており、そこまで行くのにカサカサ音を立てて自転車を手押しで進む。 子供のときのような楽しみがある。 靴も埋まるところを乾いた大きな枯葉を分けて歩く。 しかしこれも雨が降りはが水分を吸い、湿って濡れ落ち葉になるまでの楽しみだ。 このような大木の大量の枯葉はそのまま放っておくわけにはいかないから冬に全て落葉しその大きな骨格が露になるまでには市の清掃局の係員が大きな筒がついた機械で葉をふき飛ばし、それを集めて清掃車に乗せる作業を三回ぐらいは見ることになるはずだ。

そういえばこのような枯葉を踏んで歩いたことを思い出した。 それはオランダ、ドイツ国境付近の山野を家人と二人で歩いたときのことで、雑木林の中の小道が赤味のかかった茶色、黄色のうつくしい枯れ葉被われていて一面にいて、その枯葉の堆積で徑がすこし窪んだ線としてかろうじて分かるだけのところだった。 あれからそろそろ一年になろうとしている。 この前の散策、としてまだ記憶にあったのに季節がぐるりと巡ってきたのだ。

この週末には娘が学校の修学旅行で二週間ほどローマ、フィレンツェ、シエナあたりに出かける。 家人も来週、友達4,5人の小グループで中部イタリアの田舎を歩く旅に出る。 それでは私も彼女達の留守の間にこのような森を散策に出かけようかと思うのだが、考えてみると一人でリュックを背に山野を散策するのは高校生の時以来だ。 子供が歩けるようになって以来大抵、家族4人か家人と二人で、一人で歩くのは未知の経験である。 それほど大げさなものでもないのだが、これも人生の節目に見られる新しい経験とでもいうことになるのだろうか。