暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

空港にて

2007年10月11日 17時22分16秒 | 日常
2007年10月10日

朝の4時に起きてそそくさと濃いミルクティーで目を覚まし、1週間ほどイタリア、ナポリを中心に歩き回る小グループに参加して旅に出る家人を送るため家を出たのが4時半を廻ったところ。 この時間に道路を走る車などなく信号機は全て黄色の点滅でどこにも止まることなく地方道、高速をたどってスキポール空港に20分弱で着いた。 驚くべき早さだ。 もっとも2車線から6車線ぐらいまであるオランダでももっとも混雑する高速道路であるのだがさすがにこの時間帯にはせいぜい早出の土建関係のバンや空港に急ぐタクシー、貨物トレーラーぐらいで、上を船が通る運河の底に掘られたアクアダクトと呼ばれる短いトンネルを抜けると6車線右端、ゆっくり車線でも130kmで飛ばしている。 

この国道は混雑していないそこそこの状態で向かうときでは2車線区では追越が出来なくていらいらすることがあるし、たとえよく流れていても車間距離が短く感じられるような状態がしばしばなのだが今日はその半分の時間で来たわけだ。 そして、さすが空港に近づくと強い明かりに照らされて24時間殆ど眠らない空港は人通り、車通りが頻繁で、自分の車をタクシーや家族友人を送りに来た一般車が出発ゲート前の車停めに出入りしているところに穴を見つけそこに停め、家人を降ろし18kgほどのスーツケースをカートに載せてそのままチェックインのために押して行かせ自分は車に戻り、又ぐるぐるとスパゲッティーよろしく絡まった通路を表示を頼りに駐車場に向かう。何回来ても方向感覚がおかしくなりボードの文字だけが頼りだ。

一般用のパーキングにしても隙間が沢山あり楽に出入り口のエレベーターに近いところに停め人通りのない動く歩道を何百メートルも歩いて駅の出入り口がある中央コンコースに出れば5時前だというのにそこは人の出入りが多い。 沢山ある店舗も軽食や飲み物を供する店しかあいておらず眺めるものもないので家人が搭乗手続きをしているはずの航空会社が集まった大きな空間に向かうが航空会社とそのセクションの番号を聞いてあったから行けるもののそれがなければ人が行きかうところではとても探せるところではない。

昔、大阪の万国博覧会があったときに友達何人かと出かけたことがある。 高校生のときだったろうか。 のんびりとしたもので行くことは約束したもののそのあとはどうするだとか何を見るかとかは決めずに行ったものだからすでに人の海だった入場ゲートを入ってうろうろしている間に人の波に飲まれてしまい皆、散り散りバラバラななり、そうなると兎に角、一人では仕方がないので誰か一人でも探そうとしてうろうろしていると時間も経ち、埒が明かず、それかといって人が何時間も待つ行列の後ろについてどこかのパビリオンにはいるのかということもせず、結局一人でそのあたりをぶらぶらしただけ一人で家に疲れを土産に帰った、という記憶がある。 何人かで人ごみの中に入るときには前もって逸れたときの事を考えておかねばならぬ、ということを身に沁みて学んだのは万博のおかげだ。

中央コンコースには発着の掲示があちこちにあるから時間を無駄にすることもなくナポリ行きフライト6時45分、チェックカウンター3,4番を目指したら家人は既にチェックインを済まして私を待っていた。 その間10分もかかっていない。 すでに家でネットのサイトでチェックインして座席も決めてあり5時15分までに荷物を運び込むだけのことだったらしい。 従来の方法でチェックインする人たちは列を作って待っているからこの方法ではかなり時間の節約になる。 そういえばもう17,8年前だったろうかまだハーグに住んでいたときなのだが日本に帰省する時に空港ではなくハーグの中央駅でチェックインしたことがあった。 カウンターに出かけ搭乗手続きを済ませ自分でチェック住みの荷物を電車に乗せて1時間弱で空港に着きそのまま荷物を搬入して待つこともなく生還手続きしたことを覚えている。 今は手間を省くためにいろいろな工夫があるようだ。

これからナポリ近辺を何日も一緒に歩く仲間に挨拶出来ればいいかとあたりを見渡しても別段約束をしてあったわけでもなく座席番号が分かっているだけだという。 たがいに住む場所も全国ばらばらでメールのやり取りはしたもののまだ顔をあわせたことがないらしい。 なんとも出たとこ勝負のゲームのようなグループだ。 することもなくそのまま二人で税関検査入り口に出かけ家人はそのまま入っていくのだがパスポートの検査は簡単なものの今時テロ対策というのか体中の物をとり出してプラスチックのトレーにすべて入れ透視する機械を通し自分は金属検知器のゲートを通るのだがこれが面倒だ。 ここが一番時間のかかるところらしい。 上着からなにからごそごそやっているのがよく見える。 あちこちのゲートではアラームがなり再検査というのもある。 ここで正月に日本から戻ったときにフランクフルト空港、トランジット検査でのことを思い出すから私にはこの検査が苦手だ。 

そのときには日本から問題なく手荷物にして持ち込んだ木製の破魔矢が武器だといわれて税関員、航空会社部長と三つ巴の議論となり、結局、航空会社が日本での手続きの不備を認めて正式に矢を梱包し、やっと乗り継ぎの便に間にあったという事があったのだが、そのときにはドイツ税関警備員の間でもこれは武器かどうか意見が分かれ互いに白熱する場面も見受けられ、家人はその前に大きな荷物に入れ忘れていた昔私がプレゼントしたスイスのアーミーナイフを関西空港の検査でひっかかり見せしめのためか透明の四角い箱に自ら入れさせられていたからそんな木の矢などそこで破棄処分にすればいいといいつつ時間を気にしながらいらいら聞いていたものの先に移動した子供が気になりそのまま乗り継ぎの機に向かい、私は地元の縁起物の矢でもあるしここで折れては矢の意味がないと妙に意地になり、それまでに同じこの検査ゲートを何回も移動していてそのたびにピーピー警報がなり、それまでには杓子定規に1度か2度はそのわずらわしいプロセスを済ませていたから、係員達もああ、またこの顔かかとこちらは時間を気にして汗みずくなのに嘲笑気味だった。 時間があればいくらでもこういうことには付き合いたいのだが時間との戦いはスリルのあるものでやっと自分の座席に滑り込んだときには勝った、と思ったものの家族全員からは何の労いもなく、またうるさい男がごちゃごちゃ言ってわれわれをやきもきさせる、という風な顔つきで機内食のメニューを眺めていた。

家人をゲートの向こうに見送ってからは本屋や色々ある店を眺めるか、屋上のバーやレストランで何かを口にしてから帰ろうとそこに行っても勿論、朝の5時半では全てしまっておりガランとした空間のあちこちの隅に人が寝ているのに行き当たりギョッとする。 なるほど公共の場であるのでそこそこの服装をしていれば見咎められることもなくプラスチックのバッグを枕にそのままフロアに横たわっているのだから多分浮浪者だろう。 しかし、旅行者で時間待ちのために静かなところでちょっと横になる、いう今時の若者であるのかもしれない。 現にそのような男女が軽く抱き合い眠っているところにも行き会った。 あと2時間もすれば人通りが繁くなり警備員に起こされることとなるのだろうがこういった光景はどこでも見られるのだろうが最近は駅では見られることが少なくなった。 現に時々利用する深夜のアムステルダム中央駅の警備は厳しいものだ。

帰宅して眠るためにジンを飲みながら日本のラジオをネットで聴いていて写真を撮らなかったことを思い出したのだが、それも家人に貸したから手元になかったことでもあり、これから10日ほどどうしようと思っていると、フランクフルト事件のすぐ前に機内で買ったライカカメラのミニチュア、ミノックスがそのままになっているのに気が付いてそれを試してみるべくごちゃごちゃした机の上におもちゃのレンズを向けたのだがちゃんと写るのか自信がない。 これでなんとか写れば家人が帰るまで暇がつぶせる。