ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

奇跡

2015-05-25 23:16:52 | 日記

 きのう、すべて消したと思っていたデータ。 きょうのお昼くらいに息子からメールがきて、「残っていました」 というお知らせがありました。

 

 えええええ、なんで??

 

 別のパソコンに保存されていたのが発見されたのでした。 をを。 奇跡だ・・・

 

 きのうはあれからヤケというかムキになって、童話を1本仕上げて出しました。 種はまき続けないとと、かなり必死で書きました。 書いたら忘れることにしています。

そうしたらまたすうすうしてきて、書こうと思えるから。

 

 きのうまでの8日間のうち、短歌関係の外出は6日。 めまぐるしい週でした。

 

 きのうは割付、再校作業で、永田家に着くと、永田さんが草刈機で草を刈っているところでした。

 「先生もそういうことされるんですね」と言ったら、「ぼうぼうすぎるやろ、仕方ない」と言ってびゅーんびゅーんと刈り続けていました。

 

 帰るころにはすっかり庭もきれいになって、丈のまだ短いコスモスと、背の高くなったタチアオイと、ヒメジオンが咲いていました。 咲いているのを刈るのはかわいそうで、ヒメジオンは刈らなかったそうです。

 

 Kさんが「情けは無用ですよ」と言ったのですが、結局残されていました。

 

 きょうも夕方(といっても19時すぎですが)の空にピンク色の雲がすうっと浮かんでいてとてもきれいだなぁと思いながら帰ってきました。

 

 

 

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クラッシュ

2015-05-24 22:56:43 | 日記

 いままで書いてきたものが入っているUSBに、新しい写真を入れようとしたところ、そのUSBのいままでのデータがすべて消えていることがさきほど判明しました。

 

 前の前のパソコンに入っていたものとかもあったはずなのに。

 

 2時間くらい、どよーんと落ち込んでいたのですが、あと私の残りの人生が40年として、40年たてばたぶん消えてしまうものなんだから、まぁ、いいか、と思えてきました。

 

 過去はいらないのだ、と自分に(泣きながら)言い聞かせているところです。 そうだそうだ、新しいものを書けばいいのだ。 新しいものを書くためにすべて消えたんだと思えばいい。

 

 そうこうしているうちに、塔関係の督促メールが2通。 今からやります。

 失ったデータが個人的なものでよかった、と、心から思います。 

 

 葉書を書いていると、優しいメールが来ました。 どんよりした心に一本の光。 ありがとう。 

 

 会社でもそうだけれど、すっと助けてもらったり、許してもらえたりすると、素直に嬉しいなぁと思うこのごろ。 

 周りの人のフォローのおかげでなんとかやっています。

 

 失ってしまったものはもうもとにはもどらないけれど、たぶんそれはもうなくても大丈夫なものなのかもしれない。(と、思うことにする)

 

 元気をだして、ひとつひとつ目の前のやらなくちゃいけないことをやっていきます。

 

 

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前川佐美雄賞と『塔事典』

2015-05-23 19:36:47 | 日記

 今年の前川佐美雄賞は本田一弘さんの歌集『磐梯』に決まったそうです。 短歌往来6月号で発表されています。

 

 その前川佐美雄賞の候補として『塔事典』があがっていたことに驚き、しかもいいところまでいっていたことを知ってとても嬉しくて、三枝之さんと加藤治郎さんが押してくださっていたようで、お二人の選考コメントを何度も読み直しました。 三枝さんは先日の勉強会でも話題になっていた『前川佐美雄』(五柳書院)を書いておられて、「短歌史」という視点から『塔事典』を取り上げてくださったことに喜びがじわっと込みあげてきました。

 

 三枝さんは受賞作と同じくらいの行数を使って書いてくださっていて、結社の遺産の継承、『塔事典』の編集方針についてまでとても細やかに述べておられます。

 

 「『塔事典』は歌集でも評論でもないから、賞の対象になりにくい。唯一の可能性は無差別級の前川佐美雄賞だが、選考委員全員がその意義を評価しながらやはり歌集を、そして『磐梯』となった。特別賞を考えてもよかったかもしれない。」

 

 加藤さんもコメントの最初に『塔事典』についてふれてくださり、

 

 「これほど結社の力を発揮した業績はない。毎月の雑誌発行に加えて、この事典を刊行とは驚異だ。」

 

 このあとに事典の項目についても具体的にあげてくださっています。

 

 お二人とも、「結社誌」を毎月出すということ、それに加えてかかった労力を想像し評価する、やはり結社の実務や運営の中心におられる人たちならではだなと思いました。

 

 約3年をかけて誕生した『塔事典』にはたくさんの会員の時間と頭脳と知識と記憶と思いがこもっています。 会員同士の信頼が根底になければ決して完成しなかったことでしょう。 いいものを創ればきっと皆の喜びになる、これからのひとにも役立つものになる、と信じて、最後までやった結果、塔以外の方にも多く読まれ、評価の対象になったことが本当に嬉しいです。

 

 塔の五月号に、こんな歌を見つけました。

 

 ・二月号の「塔事典訂正一覧」より十項目の正書き移す  村上和子  

  (*「正書き移す」の「正」は四角で囲ってあります)   

 ・『塔事典』一字一字とあらたまり刊行ののちも熟成すすむ  同      

 

     

 誤植があると普段の「塔」でもそうですが、とてもがっかりしてしまうのですが、こんなふうに正しく書き直してくれる人がいること、そして「あらたまり」「熟成」という言葉の温かさにちょっと涙ぐんでしまいました。

 

 会員が多くなるとどうしてもいろんな場面でものごとを否定的にとらえてしまいがちになります。 でも、やはり信頼を心の中心に置いてこれからもやっていこうと思った出来事でした。

 

               

 

 

 

 

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月と六百円

2015-05-21 22:10:11 | 日記

 きのうは大森静佳さんと鈴木晴香さんが始められた歌集の読書会「月と六百円」の会に参加しました。

 

 18時半~20時までという時間は、ちょうど会社を定時にでれば間に合う時間なので、いい感じです。 第一回は前川佐美雄『植物祭』。 あらかじめ参加者は歌集を読んで5首を選んでくるということで、私が選んだのは次の歌。

 

 ・山上(さんじよう)の沼にめくらの魚らゐて夜夜(よよ)みづにうつる星を戀ひにき

 ・四角なる室のすみずみの暗がりを恐るるやまひまるき室をつくれ

 ・このからだうすなる水となり山の湖(うみ)より流れたくぞおもふ

 ・野の草がみな目玉もちて見るゆゑにとても獨(ひとり)で此處にをられぬ

 ・わが寝てる二階のま下は井戸なれば落ちはせぬかと夜夜(よよ)におそれる

 

 たくさんの歌のなかの5首に「夜夜」が2首も入ったのは偶然ですが、なにか佐美雄は夜になると恐れが湧いてくるようで、「夜夜」の歌には本気で怖がっている心情がリアルに感じられます。そしてあるところまでいったら、ふっと美しいものにかわったり、暴力的になったり、理不尽になったりしています。

 

 きょうの夕方バスに乗っていたら、後ろから子供の声が聞こえてきました。 小さい男の子が、

 

 「7時になったら夜が集まって来るね。 あ、つばめだ。 そこにもいる」 とお母さんに話しかけています。

 

 だんだん暗くなってくる夜のことを、自分が感じたままに「夜が集まって来る」といったのは、すごいなぁと思いました。 つばめは本当に飛んでいたのですが、まるでもうすぐくる夜の前触れというか、夜のひとかけらのように黒い影が飛び交っていました。 

 

 佐美雄の歌はそういう子供が本能的に感じ取るなにかをもったまま大人になった人間の歌のような気がします。 

 

 月と六百円の会には18名が参加し、はじめに大森さんと阿波野巧也さんがレポートしてくれて、そのあとみんなが選んできた5首を発表するという形式でした。 時間が足りなくて、それぞれが選んだ歌を紹介するだけでかなりの時間がたってしまって、最後には河野美砂子さんがまとめてくださって、佐美雄の歌を「テキスト」として読むのもいいけれど、その時代の社会や空気などを知ったうえで鑑賞する大切だということで、歌の後ろにあるものに触れて語られました。

 

 もう少し掘り下げてこの歌集について語り合いたかったと思ったのですが、次回は相良宏ということになりました。

 

 私は久しぶりに『植物祭』を真剣に通読して、怖いものがあることに目をそらさずにあえて積極的に怖さを作品にしていく、という方向もあるなと思ったのでした。 まぁ、作品にするには凝視しないとできないからかなり難しいことだけれど。

 

 相良宏はまとめて読んだことがないので、これもきっかけと思って読んでみたいと思っています。

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遠くて広いところ

2015-05-18 20:33:51 | 日記

 土曜日と日曜日はたくさん電車に乗って、生まれて初めての東北へ行きました。

 

 2日間で12時間くらい新幹線に乗っていました。 いやぁ、遠いですね、やっぱり。 東京からまだまだ乗るんですから。

 

 子供のころ、画用紙に描いた山がそこにあって、山の間に描いた雲がもくもくと見えました。 水張り田が広がっていたり、果樹園が見えたり、とても豊かな土地だなぁと思って、こういうところで育ったらのびのびした人になっていただろうなぁと思いました。

 

 豊かな土地、穏やかな風景のなかに、倒れた木や切り倒された切り株や壊れた家があって、ああ、みんな怖い思いをしたんだな、と思うと胸がいっぱいになりました。

 

 在来線の駅に新幹線がとまる。 在来線の線路を新幹線が走っていくのですが、新幹線だって別に特別なわけじゃなくて、ただ走っている電車の中の一本で、ほかの電車より少し速いだけ、というナチュラルさが、東北そのものだなと思いました。

 

 初めて会ったひとたちの、温かい歓迎をうけ、歌会をして、おいしいものを食べ、飲み、しゃべり、温泉に浸かって。 

 

 今回の収穫は物語のモチーフをカメラに納められたらいいなぁと思っていたところ、偶然がかさなって、動画が取れたことでした。 ちょっと感動的でした。 

 

 翌日の午前中は歌あそび。 12人で3人ずつのチームになったり4人ずつのチームになったりして、みんなで順番に初句から結句までつなげていって1首にしたり、上の句と下の句を交互につなげていって歌仙っぽいことをしました。 笑いが絶えなくて、すごく面白かったです。 こんなふうに楽しく歌ができていくってすてきだなぁ。と何度も思いました。 

 

 午後は斎藤茂吉記念全国大会に参加しました。 第二十六回斎藤茂吉短歌文学賞は小島ゆかりさんの『泥と青葉』(青磁社)で、記念講演は昨年の受賞者の栗木京子さん「斎藤茂吉と関西」でした。 おふたりとも会場を引き込んでいく話しぶりはさすがでした。 特に栗木さんの講演は中村憲吉、佐原窿應、高安やす子・国世との交流が歌とともにその時代背景やそのときの茂吉の暮らしぶりなど多方面から語られることによって、より深く理解ができたと思います。 90分という長い時間があっという間でした。


 今回は1泊2日というばたばたの旅程でしたが、つぎはもう少しゆっくり1週間くらい滞在するつもりです。



コメント (2)
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