ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

なにかと出会うということ

2015-05-10 20:31:06 | 日記

 二年くらいまえから、夫と息子は鉄道にハマっています。 息子ははじめてのアルバイトのお金でカメラを買って、少しでも隙間の時間があると、珍しい電車や引退の決まった電車を撮りにいくようになりました。

 

 「もし、十年前くらいに興味もつようになってたら、いまはもう走ってない電車がいっぱい撮れたのになぁ」 ときのう夫が言いました。

 

 「私ももっと若いときに短歌に出会ってたら、相聞歌や子供が生まれるときの歌が作れたのになぁって思うけど、ずっとまえにAさん(城陽在住の歌人)にそれを言ったら、短歌と出会わない人生だってあったはずでしょう。 人生のどこかで出会えたってことは、縁があったってこと。 出会えた今を楽しめばいいのよって言われたよ。 出会う前だってずっと眠っていたわけじゃないんだから、そのころに見たものや経験してきたことは自分の中に溜っているはずだから、って」

 

 そう言いながら、長い間思い出すことのなかったAさんの言葉を私の中にみつけて、はっとしました。

 

 きょうは午前中に夏物と冬物の入れ替えをして、お昼ご飯を食べたらしんどくなってきたので、午後は寝ていました。 最近届いたうた新聞やパピエシアンを読みながら、ときどき咳こんで。 のどにスプレーをして咳をおさめるとき、

 

 ・咳き込みてしたたる汗は配給のブイヨンスープの皿に落ちたり  (高安国世『真実』)

 ・苦しき息する我を見て笑ふみどり児見れば我も笑ひぬ   ( 同 )

 

 という歌を思い出し、喘息に苦しんでいた高安さんに比べれば、私の風邪はすぐに治るんだから、と思います。 それから、いつもそばに置いているのが、「塔」600号記念号(2005年1月号)です。 その特集で「編集後記でたどる「塔」の600号」というのがあるのですが、そこに書かれた高安さんはじめ編集委員の言葉に励まされます。

 

 ・死んだ坂田は「塔は薄いのが魅力だ。清潔でいい。」といかにも彼らしい妙なほめ方をしていた。(黒住・1963年12月)

 ・私たちは、主張すべきことをすでに失ったというのか。様々な要因が錯綜する現実のなかにあって、主張の仕方が主体的にむずかしくなっているのである。(清原・64年2・3月)

 ・特別自選欄の名称を”風炎集”とした。出典は高安氏の本欄第一作「夏・楽章」の冒頭の一首である。「炎のごとき風を起こさん」という気持ちをくんで理解していただきたい。(黒住・64年10月)

 ・・・・それでも、たとえ空しいことであっても、自分を投げすててはいけない。人生の与えてくれるすべてを、自分の内部で意味に変える作業を私たちは続けねばならない。(高安・65年9月)

 ・雑誌が届かなくても、去年の読みのこしでも、他人の歌集でもよいから読んで、歌を作る気分を自分から作って、進んで投稿していただきたい。休み出すと、もう歌などなくてもくらせる、という気分になってしまうだろう。そこでながされてしまうか、気を入れかえて、このささやかな努力に身を入れるかのちがい、めいめいで考えていただきたい。(高安・65年9月)

 

 特に4つめの高安さんの言葉は、さまざまな苦しいことを乗り越えた人の言葉だから、重みをもってひびいてきます。 たぶん高安さんも自分をそうやって励ましてこられたのだなぁと思うのです。 最後の5つめの「雑誌が届かなくても」という出だしにくすっと笑います。 当時は編集の事情で合併号になったり、遅れて届いたりしていたのでしょう。 塔がとどかなくても、「読み残し(この言葉もおもしろい)」でも「他人の歌集でも(他人というのもおもしろい)」でも読んで、モチベーションをあげるようにと言うのです。

 

 きっと、会員との距離が近くて、「先生、塔が来ないから歌ができません」などというひとの声がすぐに聞こえてくるのでしょう。 塔が来なくてもなんか読んで歌を作れ、というひらきなおりとも読めるこの文章を読むと、ちょっとおかしくて、それから、私も歌を作ろうと思えてくるのです。

 

 

コメント
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