ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

連休最終日 『植物祭』を読む

2015-05-06 21:17:48 | 日記

 きょうは目がさめると喉が痛くて、気管がむずがゆいので、何度もうがいをしたけれどあまり効果がありません。

 

 大好きな植物のチェックもできず、朝ごはんを食べて薬を飲んでまた自分の部屋へあがって、寝ていました。

 

 あーあ。 連休最終日なのになぁ。 きょうは二階の部屋を片付けようと思っていたのに。

 

 こういうときは、ひらきなおって、「きょうは読書日」と決めて、前川佐美雄の『植物祭』を読んでいました。 かなりグロテスクだったり、理不尽なことをしていたりの歌があるのですが、(まあ、歌のとおりの行動を実際にやっているかどうかはわからないし) どうにかして自分を救済するというか、「普通」の状態にもっていきたくて、という心情に共感できて、いろんなことを試して苦しいんだな、と思えてきます。

 

 ・荒土(あらつち)に冬ふかくこもりゐる蛇を掘りいだしてはみつめたくあり

 

 冬眠している蛇を掘り出してみつめたいって、変なことを考えるなぁと思うけれど、生きづらさを「形」として確認してみたいという衝動があったのかなぁと思ったり。

 

   ・まくらべの白薔薇のはなに香水のしづく垂(た)らしおきて晝やすみする

 

  これはアロマセラピーですね。 大正時代にすでに自分でこういうことをやっている。 「どういうひと?」という興味が湧くわけです。 私も昼寝は好きだし、たまーに、いただいたアロマオイルの香りを枕の近くに漂わせて眠ることはあるけれど、昼寝のときにわざわざやらないなぁ。

 

  ・青くさの野にともだちを坐らしおきはなれて見ればよき景色なり

 

  ちょっと、あんたも座りなさいよ。 なにともだち置き去りにしてるのよ、とつっこみたくなります。 この歌の一首前の歌は

 

  ・あを草のやまを眺めてをりければ山に目玉をあけてみたくおもふ

 

  というへんてこな歌。 山に「穴」をあけてみたい、と思うというならまぁわからないこともないけど、「目玉」ですよ。 「どういうひと?」 この歌の4首あとに

 

  ・あを草の山に扉(とびら)をうちあけてくるしみの身をかくれたくあり

 

  という似た歌があります。 「目玉」より「扉」のほうが少しは理解できます。 山の扉をぱかっとあけてそこに隠れたい。 「くるしみの身をかくしたくあり」ではなくて「かくれたくあり」なんですね。目的語がきそうなところに、自分の願望があふれて「かくれたくあり」になる。 こういう無理やりなところが前川佐美雄のおもしろいところだと思うのです。

 

 今月は佐美雄月間ということで、ときどき、『植物祭』のおもしろいところを書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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