毎週木曜日、楽しみに聴いているNHKラジオ、らじるラボで、錦見映理子さんがきょうは「愛と哀しみの果て」を紹介されていた。
きょうの映画のタイトルを見たとき(Twitterで知った)、わわわと胸いっぱいに広がってくるものがあった。当時20歳すぎで、会社の先輩と見たのが1回目。その年に母の里へ行ったときに、母の妹のこんこちゃん(享子さんだけど子どものころからこう呼んでいた)がどこかに車で迎えに来てくれて、私がこの映画の話を夢中になってしたら、こんこちゃんは「それ、なんていう映画?」っていうので、「愛と哀しみの果て」って私が言うと、
「そんな哀しみの果てみたいな映画みて! 」と、驚いたように笑った。いやいや、別に哀しいだけの映画じゃないんだけどなぁ。タイトルがちょっと違うんだよなぁと思ったことを覚えている。だって、原題は「Out of Africa」なんだから。
それから数年後、また母の里に帰ったときに、ひさしぶりに親戚のまみちゃんと会って、私が強く薦めて、レンタルショップへ行き、ふたりでまみちゃんの家で観たことがあった。しっかり最後まで見たあと、祖母や母たちのいる、母の実家へ行ったら、「何してたの!!こんなに遅くなって!!みんなで待ってるのに」と、母が烈火のごとく怒っていた。
いまから思うと、勝手なことをしたのかもしれないけれど、みんなでごはん食べるとか言ってたかなぁとか、そのときは思って。だけど顔を真っ赤にして怒る母がこわくて沈黙していた。
みかねた祖母が「そぎゃんおこらんでもええがん(訳:そんなに怒らなくてもいいじゃないの)」と母を沈めてくれた。そこにいたくんちゃん(まみちゃんの母)のほうをちらとみたら、私とまみちゃんのことをとてもまぶしそうな目で見ていた。(母はこんなに怒っているのに、くんちゃんのおだやかさはどういうことだろう、と不思議に思った)
それから数年後、こんこちゃんは46歳でくも膜下出血で倒れてそのまま亡くなった。そして、くんちゃんも癌で亡くなった。祖母は88歳のお祝いをするまで元気で過ごしておだやかに亡くなった。母はもう顔を真っ赤にして怒るエネルギーがない。
この映画は男性観とか女性の生き方とか、いろんな意味で影響を受けた映画だけれど、映像や音楽とともに、当時の私を取り巻いていたあれこれが思い出されてきて小さな泡が胸のまんなかあたりでぽつぽつ弾けるのだった。