ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

パリ二人旅 11(最終回)

2008-12-31 | パリ二人旅

ルーブル美術館をあとにして、チュイルリー公園をオランジュリー美術館に向かって歩いた。旅行最終日もすでに午後三時を回っていたので、視線だけはあちこちキョロ付かせながらも次第に急ぎ足になる。歩きながら撮った写真はどれもピンボケ。

チュイルリー公園はヴェルサイユを造園した庭師ル・ノートルにより設計された完全なフランス式庭園だ。広い散歩道を中央に置き、左右対称に造られている。東のカルーゼルの凱旋門から西へコンコルド広場のオベリスク、シャンゼリゼ、エトワールの凱旋門と、すべて都市計画に沿ったとおりでしょうが、一直線に長く伸びている。公園内にはカフェもあり、寒々しい木立の中で唯一温かみのある光景だ。

    
    

オランジュリー美術館の前では、立ち止まらずに入館したので建物の画像はない。外が薄暗くなり慌てていたし、3回目の正直で、やっと中に入る事が出来たものだから外観を眺める間もなく入ってしまった。12時半にならなきゃ開館しない美術館だと、つい一日の最後の方に組むようになり、前の予定がずれこめば美術館は閉まってしまうから、旅行者は上手に時間を組まなければならない。この建物は19世紀に造られた温室(オランジュリー)を美術館にしたとのこと。

ずっと見たくて堪らなかったモネの「睡蓮の間」。ゆるいカーブの壁面が睡蓮の連作で埋まっている。それが二間ある。想像していたより室内は明るく、真ん中の椅子に座って思う存分モネの世界に浸ることができる。こんなにゆったりと見れる贅沢さはまさに感動もの!
第一次大戦でのフランスの勝利を記念する作品を国家に寄贈するため、8点からなるこれらの睡蓮の連作を描き始めた。それがモネ82才のときだったとは恐れ入ってしまう。
    
          
       
      

          

        

        

        

        


広角レンズでないときれいな楕円に撮れないけど、なんと幅の長い作品だこと!

「絵の中にいるように撮って!」と言われて何枚か撮ったけど、ジヴェルニーの家の庭にいる様に撮れているかしら?
 
絵のタッチはとても大雑把なのに、離れて見るとどうしてこうも美しいのだろう。



オランジェリー美術館については、モネの「睡蓮の間」がある美術館、というだけしか知らず、ほか何も調べていなかった。それが、建築家ジャン・ヴァルテルと画商ポール・ギョームのコレクションが寄贈されたことで、パリが芸術の都として最も華やいでいた時期の有名な画家たちの作品が地階でタップリと鑑賞できるとは、思ってもいなかったので嬉しくなってしまった。モネ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソ、スーティンなどなど・・・馴染みのある画家揃いで本当に充実した内容だったし、美術鑑賞するのに程よい作品の数なので適度な時間でじっくり見れ、本当に本当によかった。


★ルノワール・「二人の少女」

 
★ルノワール・「ガブリエルとジャン」


★マティス・「赤いキュロットのオダリスク」


★ピカソ・「?」


★ピカソ・「?」


★ピカソ・「白い帽子の女」


★セザンヌ・「リンゴとビスケット」


★マリー・ローランサン・「マドモワゼル・シャネルの肖像」


★ユトリロ 「モン・スニ通り」(白の時代の典型的な絵)


★?

ルーブルの後、すぐオランジェリーに来たものだから、デジカメで写すことにウンザリ気味だったけど、撮りたくなる絵がなんと多い美術館だったこと!行列もなく好きなだけ絵を見ていられるだけでも有難い。「立ち止まらずに前に進んでください」なんて言われないものね。

チェイルリー公園内の、書籍や雑貨を売っているショップも、つい中に入って見たくなるようなディスプレーだ。
公園を抜け、リヴォリ通りを横切り、娘の寄りたいというブティックを探すのにフォーブル・サントノーレ通りに戻る。雲の巣のようにあちこちに伸びた道と、同じ道でも途中から名前が変ってしまうのには閉口してしまうパリだが、ここは違う。チェイルリー公園、リヴォリ通り、サントノーレ通りと、三本が並行しているので、このあたりだけは絶対迷わない!
途中、ショコラティエ「ジャン・ポール・エヴァン」の前を通ったので中に入った。高級そうなのに人の出入りが絶えないとは、どういうことなんだろう。時間が許せばお茶したかったな~。

日本語のわかる店員さんもちゃんといた。あちこちでショコラティエを見かけたけど、お土産用に購入したのは、スーパーを除くとここだけだ。このすぐ近くに娘の目指した店があった。さて、ここは一体何のショップでしょう?(ヒント;この日に行った美術館名)

この店になぜだか入りたくない私は、ウィンドウ越しに中を覗きながら、外で待つことにしたが、娘がなかなか出て来ない。夕暮れ時の道端で、日本人おばさんの立ちん棒なんて見っともない、と思ったけど、だれも振り向きゃしない。当然!(笑)
店からやっと出てきたときの第一声は、「たかかったぁ~!でも買っちゃた!」・・・いったい何を買ったのかな?

このあとにもう一ヶ所、そこも友人のお勧めだったポンピドゥーセンター(パリ国立近代美術館)へとメトロを使って行くことにした。エアポート行きのタクシーがホテルに来る時間を考えると、建物を見ただけでUターンとなりそうだったけどそれでも決行。

メトロ内はラッシュの時間帯のようで、結構混み合って余りいい雰囲気ではない。半分警戒しながら身構えて乗っていたので下車したときはホッとした。初めて利用した駅なので地上に出ると自分達がどのあたりにいて、目的の場所がどっち方面かわからなくてウロウロしてしまった。そんな中で青いイルミネーションが綺麗な建物をパチリ。後で調べたらそこはなんとパリ市庁だった。
やっとのことで到着したポンピドーセンターでは入口で手荷物チェックをさせられた。二階にあったセルフカフェでコーヒーを飲み、馬鹿みたいだけどトンボ帰りでホテルへ向かう。

      

そのときのタクシーの運ちゃんが最悪で、いくら渋滞とはいえメチャクチャ遠回りされ、ホテルに着いたときにはすでに予約タクシーを15分も待たせてしまっていた!これまで、タクシー運転手には恵まれていたのに、一人でもこんなヤツに出会うとガッカリだ。結局は歩いたほうが断然早かったと思う。

ドゴール空港では、私たち二人のトランクが重量オーバーで、手荷物のほうに入れ替えるのに(特に娘のほう)何回も何回も入れ直さなくてはならなかったし、TAX FREEの用紙をどこに出すかでが空港のあちこち走り回り(教えてくれた人が不親切だった)、最後に空港内のショップをゆっくり見て回ってカフェでもしようと思っていたのに、結局、搭乗ギリギリまで手間取ってしまった。

パリに来てから常に感心したのは、街中やメトロ内で人と体が触れ合うと即座に「Pardon(失礼)」と言うこと。又、カフェでは給仕に対して、列車では切符点検係りの人などに、だれもが自然に「Merci(メルシー)」と言うことだ。見ていてほんと気持ちがいい。

 

こうしてプラハ三泊・パリ五泊の二人旅は、ふと気が付けばすでに遠く過ぎ去った思い出となってしまいました。途中、気が抜けてブログup出来なくなりましたが、その後、恥ずかしさの余り、投稿日時を偽り続け、丸一年以上かけて最終回にこぎつくことが出来ました。あ~やっと終わった!まるで宿題をしょい続けていたようで、やっと解放感を味わうことができました~。最後なのにこの回が最も手抜き、というか、記憶が曖昧になりすぎていることを実感。おみやげなどの画像も撮り忘れたし、書き足りないこと、忘れていることも沢山ある気がしますが、気が付いたら付け加えようかしら。たぶんやらないかなぁ?


最後にひと言付け加えたいと思いますが、この旅はなんと、娘から私へのプレゼントだったのでした!誕生日とか名目があってではなく、突然「私が出すからね。」だったのです。そのかわり滞在中の費用はママが出してね、とのことで、内心ビクビクでしたけど、一流レストランにも行かないし、ブランド物なども見るだけで充分な私たちにとって、滞在中の費用はたかが知れていました。もっとご馳走してあげればよかった!お洒落なコートでも買って上げたかった、と今更ながら反省です。いや、今だから言えるのかもしれませんね。

            

 

            娘よ、素敵な旅をありがとう! 

 

 


パリ二人旅 10

2008-12-31 | パリ二人旅

とうとうパリ最終日の朝を迎えました。
夜の便で日本へ発つので、ほぼ一日を有効に使えるのですが、昨夜が午前さまだったのでゆっくり起床。同じホテルでの5回目の朝食もゆっくりと済ませました。

すぐにでも外出して、見残しているルーブルなどに飛んで行きたい気分でしたが、午前中は娘がデパートで買いものをしているあいだ、荷物の整理をし終えてボーっとしていました。

 
ホテルに荷物を預けて向かったのは勿論ルーブル美術館。足を運ぶのはこれで3回目ですが、ちゃんと見るのは初めてとなります。ミュージアムパス4日間を購入し、あれもこれもと予定していたのに・・・そうそう行けないもんですね。

    MUSEE DU LOUVRE



チュイルリー公園を歩いていたら、犬の散歩をしている素敵なマドモワゼルに遭遇。お洒落な人って景観にマッチする何気ないファッションを心得ていますね。絶対に着ているものと外観と背景がバラバラではないんです。

   

後ろを見ればエッフェル塔。前にはルーブルのピラミッドが。よくもこんなへんちくりんなものを作ったなぁ、と思いますが、1980年代の大ルーブル改造計画のときに
登場したものなんですね。これを取り除いたら、ベルサイユ宮殿のように、フランス革命前の歴代国王の宮殿としてしか見えないでしょう。だいたい私がはじめてルーブルを訪れたウン十年前のルーブルは、ただただ静かなイメージでした。観光客でごった返しているような時代ではなかったってことでしょう。

    
   

ピラミッドの下のナポレオンホールが美術館の総合案内所になっていて、そこから館内に入るようになっています。館内の見学順序などは決めずに適当に歩き回ったので、沢山の見どころを見逃しましたが、どれもが「見どころ」と思える所は、さすがルーブルだけあります。
    
  
     
A.カノーヴァによる「エロスの接吻で目覚めるプシュケ」


ミケランジェロの「囚われの身/瀕死の奴隷」


     
   
     
     
   
ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」
以前、息子がこの絵のプリントしてあるTシャツを着ていたっけ(悪趣味?)


これは水死体?一生懸命調べたら見つかりました。ポール・ドラローシュの「若き殉教者の娘」。どこかで見た事がある、と思ったのですが、この絵は「オフェーリア」を連想させますね。異様・・なのに、ストーリー性を感じる幻想的な雰囲気に、つい目を奪われてしまいました。


     

さぁて・・モナリザの登場です。(webよりの写真)
私が撮ったのは残念ながらピンボケ!別に絵画を写真に収める必要はないと思うんですけど、つい撮ってしまうのはもはや癖。この場所だけはロープが張リ巡らされているんですが写真はOKだったのです。
 
   
 
・・・
 けど、モナリザを見つめている人を見るほうが面白い。
昔、ここでモナリザを見たときはロープなどなく、人もちらほらでした。
何だか贅沢な時代でしたね~今考えてみると!

 

モナリザと対面している、下の大きな絵の前にはロープがない!
こちらは、ヴェロネーゼの「カナの婚礼」。横幅が9.94mもあります。

  

モナリザの他にもダ・ヴィンチの傑作が。
    

レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」(左上)は最晩年の作品。少年ヨハネが闇の中から光を浴びて微笑み、右手は天を指して救世主の到来を告げるポーズをとっている絵です。右は「バッカス」。この指の意味は?
以前読んだ本によると、ルネッサンス時代の名だたるアーティストにはホモが多かったとのことですが、それ故か、ダ・ヴィンチの描く男性像は表情がとても意味深で官能的にさえ思えます。

右も晩年の作品「聖母子と聖アンナ」。
この絵は「モナリザ」や「洗礼者ヨハネ」と共に、ダ・ヴィンチが最後まで手元に置いた絵だそうです。
聖アンナの膝に座っているのがマリアで、子羊と戯れているキリストを抱きとめようとしているのですが、これは、犠牲(受難)の象徴である子羊にキリストが触るのをやめさせようとしているのだ、という説もあるそうです。



ダ・ヴィンチの絵は、しかし、どれも不思議な魅力が漂っているように思います。立ち止まって凝視せずにいられないインパクト、というか、ストーリー性を感じてしまうのです。



 

 

 
ボッティチェリの「若い婦人に贈物をするビーナスと三美神」

        

                      ・・・・サモトラケのニケ・・・・
絶対に見忘れない様に、と友人から念を押された一点でしたが、
広~いスペースにこれ一点だけなので、いやがおうにも目に入ってきます。
ギリシャのサモトラケ島で発見された勝利の女神ニケは高さが328cmもあります。

学生風のグループが写生をしていたので覗きこみましたが・・・
ウ~ン・・ イマイチでした。

          

この巨大な空間と天井の高さ!ダリュの階段の踊り場にある「サモトラケのニケ」のロケーションは最高でした。

     

これまた有名な、ダヴィッドの「皇帝ナポレオン一世の聖別式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」の巨大な絵です。1804年12月2日ノートルダム大聖堂にて行われたナポレオン自身の戴冠式の様子を不滅のものにするために依頼したとのこと。完成までに3年も費やしたといいます。今から205年前になるんですね・・・

 

 左は、P.P.プリュードンの
「ジョゼフィーヌの肖像」

「歴史のなかの女たち~名画に秘められたその生涯」という本の中に、彼女もその一人として書かれていました。
それによるとこの絵は戴冠式の次の年に描かれたとのこと。そして、ロマン派の画家ウジェーヌ・ドラクロワが、先輩の描いたこの絵を見て次のように語った、と、その章の文頭にありました。
「ブリュードンは、ポーズと、表情と、装飾品における精妙な高揚感をこの完璧な似姿に結びつけるのに成功した。彼女はマルメーゾンの森の葉蔭に坐っている。憂愁に満ちた表情は、不幸な運命を予感させる・・・」と。
これほど美しいジョゼフィーヌですが、後継者が出来ないことで離婚という結果になるとは・・。本を読むと、更に詳しい事が知りたくなります。

 

    
    
    アングルの代表作「グランド オダリスク」は34才のときの作品。


時間に追われながら、急ぎ足でフェルメールの「レースを編む女」を探していた私たちですが、一度前を通ったはずなのに見落としていたのです。信じられなかったけど本当に。小さな絵なんですよね。係りの人に尋ねて引き返して見てきました。家に飾るのにちょうど良い大きさだわ。な~んてね。

          

        


下の二点はピーテル・デ・ホーホー(Pieter de Hooch)の絵です。オランダ全盛時代の風俗画家の一人として数えられ、フェルメールとはほぼ同時代。フェルメールの作品に影響を与えたことで知られているそうです。な~るほど。


 
「トランプ遊びをする人々」

         「Femme Preparant des Legumes」和訳は?


私が気に入った作品の一つはPieter van den Bosのこの下の絵。ピーター ファン デン ボスと読むのでしょうか?1600年代のオランダの画家です。


 

ルーブル美術館は、散歩するように見たい場所。建物を含め、全てが芸術品なんですものね。館内のエレベーターにも乗って見ましたが、これは新しかったです。中の押しボタンはこんなでした。今回は急ぎ足でしたが、それでも最高級の作品の数々のオンパレードに、充分堪能することが出来ました。本当に素晴らしかったです!


再度の遅いランチは、ず~っと憧れていたル・カフェ・マルリーで!
テレビで紹介されたり、ファッション雑誌の撮影場所だったりする度に指をくわえて見ていたんですが、ついにお客さんになりました。
陽気なボーイさんは口笛を吹きながらやって来るし、まるで映画の主人公になった気分でした。サンドイッチも何もかも美味しく、嬉しくてホンのちょっとだけチップを弾んだら、入口まですっ飛んで来ました。昔、パリのフランス人に抱いていた印象というと、《プライドが高く他人に無関心》的なイメージだったのですから、先入観はどっと崩れました~。

    

03Nov'09!


パリ二人旅 9

2008-12-30 | パリ二人旅

        ・・・・・〈パリ二人旅 8〉の続き・・・・・

サンジェルマン・デ・プレ教会近くのお目当てのカフェはもうすぐそこ!
さぁて、どっちに入ろう?「レ・ドゥー・マゴ」か「カフェ・ドゥ・フロール」か。

 
 

両カフェ共、多くの作家や哲学者、芸術家たちに愛されたという共通点を持つパリ左岸の代表的なカフェですが、サルトルの書斎にもなったというフロールの方を選び、堂々と観光客然として、寒空の下、空席の目立つテラス席に陣取りました。いくら観光化されていようと、初めてなので入るっきゃないでしょう。私としては店内のテーブルのが暖かくてよかったのですが・・。

  

そこで絶対飲むべき、と薦められていたホットショコラを注文。はい、飲物だけの注文です。ケーキもありましたが、どういうわけか旅行中、余り多くを食べたくないのです。憧れのサロン・ド・テ「ラデュレ」にも入りたかったけど、スィーツは見ているだけで充分・・だなんて、普段だったら考えられませんよね。


ちょっと長い旅行時はべ〇ピに悩まされるので、その時点で、どれほどの食物がお腹に溜まったままかを考えると、もう無理だ!と・・。
ホットショコラの味は最高!心身ともに温まりました。寒い時期、外の席はガラガラでしたが、自分が今どこにいるかを考えただけで心はポッカポカ。時間に終われず、ゆっくりと過したくなるような場所だらけですもの。 




★Cafe de Flor:
172 Boulevard Saint-Germain 75006 Paris (web画像
 

 

        
もっとカフェのイスをあたためていたかったけど、こなしたい予定があと一つ。近くにオルセー美術館がありますが、18時閉館なので間に合いません。オランジュリー美術館なら19時閉館なので急遽タクシーをつかまえ、コンコルド広場まで
向うことにしました。                              が、道路は大渋滞!で、広場に着いたときは18時半になりところ。駆け出して美術館へ向かったのに、数分前に閉まったばかりでした!もう、がっかり。

歩いてホテルへ帰る途中、ギャラリーラファイエットのデパ地下に寄り、夕食用の食材(寿司ロールとサラダ、フルーツ、飲物など)を調達。お惣菜売場の店員さんはとても陽気で、片言日本語で話しかけてくるんですよ。こういうお愛想って、イタリアならわかるけど、昔のパリには全くと言ってよいほど無かったことです。(・・って、一度しか行っていないけど。)昔のパリっ子は、こっちが何かを英語で聞いても、フランス語でしか返ってこなかったんですから。だから憧れの都パリ、といっても鼻っ柱が強いという印象をずっと持ち続けていました。今回の旅行を通して、そのイメージはすっかり変わりました。

ホテルに戻り、部屋で食事をし、シャワーを浴び、次は夜のお出かけの支度です。パリ最後の夜は奮発して、オペラ・ガルニエでオペラを、と思ったけど、ちょうどその日はバレエだったのです。ヌレエフ振り付け、とのことで興味ありましたが、パリにしかないシャンソニエにも是非行って聴きたかった。歩いていける所に「コメディー・フランセーズ」もあるし、モーリス・ドニの天井画のあるシャンゼリーゼ劇場もいい。なのに時間は今宵だけ。
娘は「ムーラン・ルージュ」や「リド」などのナイトショーを見たがっていたけど、昔、父などと行ったとき、(私にとっては)たいして面白く感じなかったことを話し、「あなたはきっと又来れると思うけど、ママは最後かもよ。だから、シャンソンにしよう!」と頼んだのです。

 夜遅くから始まるショーは終わる時刻だって午前様。女性二人で夜中にモンマルトルはちょっとね・・。たまたま娘が日本で知り合ったフランス人男性の友達と会う約束をしていたので、じゃ、シャンソンに誘ってボディーガードになってもらおう、ということにしたのです。彼も快諾してくれました。

私たちはタクシーで、フランス人のF君は自分のバイクで、現地で待ち合わせをしました。そのとき捉まえたタクシーの運転手が娘ほどの若い青年で、英語堪能な上、親切。学生さんがバイトとしてドライバーをしているのかしら、と思ったほど見た目もフィーリングも好青年でした。帰りに迎えに来て欲しい、と思っちゃいました。

着いたところは、ピカソやユトリロも皆無名のころ頻繁に通ったというシャンソニエ、「オ・ラパン・アジル」。建物を見ただけでもうドキドキ。ユトリロもこの建物を沢山描いているし、その場所でまだシャンソンを聴かせている、っていうことが嘘のよう。夜暗かったので周りの景色がよく見えなかったのですが、こんな所に、というような場所。

前もって電話で予約を入れておいたのですが、薄暗い店内に入ったところからして、雰囲気ありすぎ。アテンドしてくれた男性だって、びっくりするほどの個性を発しているし、席に通すときも、中央が沢山空いているのに何故ここなの、と思う場所でした。といっても店内は狭い。 ぼちぼち人がやってきては皆、壁寄りに詰めて座るよう案内され、フリードリンクが配られる。梅酒のような甘酸っぱいドリンクだったけど、グラスが小さかった。
 
私たちよりいくらか遅れてF君がやってきました。わが町の近くに住んでいたことがあり、その頃、友達の友達として知り合ったとの事ですが、気さくで飾りっ気まるで無しの人柄に安心しました。

そのうち、さっき受付にいた人など7~8人が入ってきて真ん中のテーブルに座り、歌い始めるではないですか。まるで芝居の一シーンを見ているようです。共に歌ったり、代わる代わる歌ったり、休憩時間まで続きました。

                
フランスでは、シャンソンっていうともう懐メロの分野で、若い人には余り馴染みがないのかもしれません。F君だって(彼はそれほど若くはないけど)、タクシーの若い運ちゃんだって、ここの店名を言っても知らなかったし、お客も中年以上が殆ど。でも歌手の一人は若い女性だったから、愛好者の間で細く長く続いているんだな~と思います。

話すように歌い、歌うように話すシャンソン。歌詞が可笑しくて皆がドッと笑ったりしているときは、F君も笑いを堪えながら内容を娘に小声で伝え、それを娘が私の耳元に日本語で伝えてくれたので、チンプンカンプンで孤立せずに済みました。男女間のきわどい内容の歌詩が多く、お腹がよじれるほどの忍び笑いをしていたF君でしたが、こんなシャンソニエがあるなんて知ってよかった。自分の親を是非連れて来たい、と話していました。

途中で韓国人だか中国人の団体さんがドッと入ってきたのにはびっくり。だから私たちなど、最初からの客を奥に押し込み、反対側のスペースをあけてたんだ、と納得しました。10人以上の団体ですが、その一人は、繰り返しフレーズのときにマイクを向けられても、返せたので拍手ものでした。

団体さんは時間限定のツアーで来ていたと見え、ある時刻に一斉にいなくなりました。私たちは飲物のお替りもぜずに、(というか、オーダーを取りに来ない)シャンソンに聴き惚れっぱなし。オーシャンゼリーゼなど、知っている歌もあったけど、知らない歌のが圧倒的に多かったです。
夜中の一時過ぎになったころ席を立ち、
支払いをしようとしたら、F君が「自分の分はもう払ったから」というので、恐縮してしまいました。最初に、今日は奢りよ、って言うべきでした。彼、見るからに「裕福」とは縁遠いようなお構いなしの身なりなのですが、人として実に気持ちいい青年なんです!

 出入り口付近で若い女性シンガーとお喋りして写真を撮らせてもらい、店の外に出たところで、さっきまで歌っていた中年の男性が出てきたので、又、一緒に写真に納まってもらいました。
とても面白く味のある人です。この夜は彼のオウンショータイムも設けられていて、なんとビートルズメロディーをイスを蹴飛ばす真似をしながらハードにこなしていました。
ほんの少しのあいだでしたが、この周りはブドウ畑だったことなど、そしてまだその畑が残っていることなどを話してくれました。

オ・ラパン・アジルのHPの《AMBIANCE》という項目で歌い手の方々の写真や歴史などを見ることができます。アテンドしてくれた男性がFrederic Thomas。上の男性がGerard Caillieux?(眼鏡掛けていないので違うかも?)中心になって歌っていた男性がIves Mathiewさん。女性はKrystel Barrereさん(かな?)。
日本に帰国後、それらの写真を見つけ、懐かしく思い出しています。

帰りは大きな通りまで降りて行き、タクシーを捉まえるまで、F君がいてくれたので本当に心強かったです。彼はそのあとバイクで、私たちのホテルよりずっと遠い自宅まで帰りましたが、別れぎわに「こんなちっぽけなお土産しかあげられないけど」と言いながら、二つの小さな包みを手渡されました。中にはフェルトで出来たクリスマスツリー飾りが一つずつ。彼らしい素朴なプレゼントに心温まる思いでした。
                         
☆Au Lapin Agileの意味☆

あるとき、モンマルトルで活動していた一人の
無名画家が看板にウサギ(Lapin=らぱん)の絵を描いたのだとか。それが話題を呼び人気も出て、その画家のサイン:A.Gill(=ア・ジル)とagile(=あじる ※敏捷な)という単語の響きにちなんでAu Lapin Agile(=跳ねウサギ)と呼ばれるようになったようです。(web上より)


Au Lapin Agile:22、rue des Saules
18e Paris

 

 

パリ二人旅 8

2008-12-30 | パリ二人旅



ノートルダム寺院からセーヌ川を対岸に渡り、ちょっと行った所にレンガ造りのこの建物がありました。空腹の娘はどんどん先を歩くので、通りの名が貼ってあるこの写真を撮り、あとで調べればいいか、と思っていましたが、手持ちの地図に、建物の名前はありませんでした。建物の手前がRue de la Parcheminerieという通り。直進している道はサンジャック通りだと思うんですが。

この先で面白そうな本屋さんを見つけ、二人で頷き中に入ることに。ウィンドウディスプレーがこんな感じでは素通りが難しい。アニメ本が多いのは学生街のためでしょうか。出てきたときは3時過ぎ。なのに昼食はまだでした。娘も私同様、興味あるところでは空腹を忘れるようです。私は絵はがきとグリーティングカードを購入。★Librairie L'ecume des Pages : 174 Boulevard Saint Germain
  

                                     
本屋さんを出て少し行った
サンミッシェル通りの角で、カフェレストランを見つけ、やっとランチタイムです。店内はこんな時間なのに混んでいて、窓側には座れませんでしたが、なんだか地元の人の気分を味わえるようなカフェでした。

★CAFE DE CLUNY
20 Boulevard St Michel,
75006 Paris

 

 
レシートには15:44と時刻が印字されていたので、ざっくりと頭に描いていた予定が又、かなりずれ込む予感が。昨夜行けなかった分、この日にオルセー美術館とオランジュリー美術館を入れていたのですもの。
でもこの近辺は、美術館巡りをキャンセルしてでも、絶対歩きたい魅力的な地区だし・・


 

   

で、歩きに歩きました。興味あるお店の前ではウィンドウに見入り、写真を撮ったりし、お菓子屋ではドアを開け、中を覗き・・美味しそうだけど、お腹いっぱいだし・・・と、写真にだけ収めました。店舗名などメモっている暇もないくらい、行ったり来たり出たり入ったりと・・・。
 
★下の写真のガラスに「Meilleur Ouvrier de France」と書かれていますが、これは「フランス国家最優秀職人賞 (MOF)」の意味だそうです。このショコラティエの名は“Patrick Roger”。

   

★デリカテッセンを兼ねたケーキ屋さん。思わず中に入りました。美味しそうなホールケーキがぎっしり・・。お客さんも次々で繁盛しているようでした。マカロンツリーの下にGeの字が見えますが、ジェラール・ミュロだったのかしら?私としたことが・・・確認し忘れました!

    
 
     

★この辺に市場があるはずなんだけど、と娘。探したけど見当たらない。そんなとき見つけた地元のマーケット。魚売場の赤魚(?)の口にレモンが突っ込まれているではありませんか!娘が言っていたのはマルシェ・サンジェルマンのようでしたが、夕方など、市は終わっていますよね。

★壁面がカラフルな何かで埋まっています。近寄って見ると、それは全部キャンドルでした。キャンドルだけで商売ができるなんて、さすがパリ。
 
 
    
 
 
★帽子大好きな娘が食い入るように見ていた帽子屋さん。net上で店名を調べていたら、このHPを見つけました。その名は「マリーメルシエ」。

ぼんやり歩いていても目に飛び込んできちゃう色とりどりの楽しそうな帽子のディスプレーですが、中はかなりエレガントで高級そうです。
 
店内のお客さんを見ていたら、ドアを開けて中に入る勇気が出ませんでした。が、娘はヘッチャラ。
どこへもずんずん入って、高かったぁ~とか言いながら出てきます。
 

サン・シュルピス通りとその周辺は、入りたくなるような魅力的なショップが目白押し。旅行者にとっては常に時間との戦いです。 
     
娘を待っている間、ふと反対側に目をやると、なんとそこには、お洒落な街に負けず劣らずのディスプレーで着飾った、お馴染み「無印良品」があるではないですか。なかなかやりますね、「MUJI]。
 
ウン十年前にこの街に来たときも、サンジェルマン界隈が一番のお気に入りでしたが、当時の印象はもっと学生街、って感じでした。学生運動も盛んでしたからね。
ただ、お洒落なのに気取らず親しみが持てる雰囲気はあの当時のままの気がします。

 
 
 
★MUJI(サン・シュルピス店)
27, Rue Saint-Sulpice, Paris
 
 
 
 
 
この店をちょっと見てくるからね、とこれまたシックなブティックのドアを開ける娘。デジカメ片手にその瞬間を撮っている母。
デジカメが体の一部になっているように、動作だけは素早いのですが、それなりのピントの甘さだから、大きくアップ出来ません。
外から店内を見ていたら、帽子を被って鏡に写して見ています。帽子と釣りあうようなドレスなど、持っていないはずですが、あれこれ試しているだけで満足だったでしょう。            

       

偶然、映画「ダ・ヴィンチ・コード」に登場して有名になったサン・シュルピス教会の脇に出ました。教会前の広場ではマルシェ・ド・ノエル(クリスマスマーケット)が開催中でした。

      

ドラクロアのフレスコ画などが見れるので中に入りたかったけど、教会見学はもう沢山、と、さっさと歩いて行く子。仕方なくあとを付いていく母。
ボナパルト通りと書かれたプレートに心が踊り、その名にパリを再認識したことでした。

      

盛りだくさんの今日の予定はなかなか消化できない予感がしてきました。
空高くそびえるサンジェルマン・デ・プレ教会は、中に是非入りたい、と主張し、入りましたが、下のようなイスが並べられ、質素ながらも温かみを感じる教会でした。
高そえ
教会の歴史は古く、542年に修道院として建てられたのが始まり。戦争により破壊され何度も建て替えられた。現在の教会は11世紀のロマネスク様式と、その後の修復によりゴシック様式も混合する。高くそびえる鐘楼は、ロマネスク様式としてはパリ最古のもの。(webより)

 
 

教会の外はすっかり夕暮れ時。日中が少ない冬場の旅行は本当に何回も書いているようですが、時間に追われるんです。

   

本文が長すぎて投稿不可になりそうなので、この日の続きは次のブログ記事に回しますね。

 

パリ二人旅 7

2008-12-29 | パリ二人旅

パリに到着した日を含めると、この日が6日目。なのに予定したようには事が進まずまだ行っていない場所だらけ。まずシテ島を目指し、それから対岸のサンジェルマン方面へ歩いて行くことにしました。なのに、あっちゃらこっちゃらと寄り道多し、で、シテ島までの道程の遠いこと。

  

エティエンヌ・マルセル通りで、青山にも出店しているアン・フォンテーヌという、白いブラウスシャツが特徴のブティックを見つけ、娘がちょっと見たいと、ドアを開けてしまいました。パリのブティックってドアが閉まっている所が多いので、すいていると入りづらい。その時は私たち以外一人のお客もいなかったので、店員さんと話すしかない雰囲気。しかし女店員さんがとても感じよかったし、色々話しているうちに、デザイナーのAnne Fontaineがブラジル出身だということがわかり、私たちも以前住んでいたことがある、という話から、彼女の姉がサンパウロにいるので自分も時々遊びに行く、などなど話が弾みました。その上、ポルトガル語を話せるというので一層親しみが持てたのです。だからだか何だか、娘はここでブラウスを購入。これからあちこち回るというのに・・。そこからさらに歩いて行くと、カタツムリが入口の上に鎮座しているエスカルゴ専門店や食料品店などのある賑わった通りになり、サントゥシュタッシュ寺院に続いていました。

 

この付近がレ・アール地区だとあとで知ったのですが、ホテルで地図を見ただけで当てずっぽうに歩いていたので、ちょっと行ったところにポンピドーセンターがあったことも後になって知りました。娘について歩いていくbiancaの姿って想像できますか?老いては子に従うの図です。信じられないけどそれは「幸せの構図」とも言います。私も大人になったもんだ~。

回り道をしながら、やっとパリで最古の橋、ポンヌフまでたどり着きました。曇り空の映るセーヌ川と対岸の景色は絵になるほど美しく、シャンソンがどこからか聴こえてきそうな空気が流れているのは確実でしょう。       

   

★ Pont Neuf・・・それは新しい(NEUF)橋(PONT)という意味。どんなに古い橋でも、出来た当時は一番新しいものだったんだ。
エッフェル塔からサン・ルイ島にかけてのセーヌ河岸一帯が世界遺産に指定されている、ということが頷ける眺めの中で、にわかパリジェンヌ気取りの私たち。
 
                                  
                                   (↓ポンヌフの柱のレリーフ) 
ポンヌフから右手に見える大きな建物はコンシェルジュリー(王室管理府)。そこはもうシテ島の中なのです。最高裁判所を挟んで隣に私たちの目指すサント・シャペルがあります。
パリ最古の、ステンドグラスで有名な教会です。
門をくぐるのに行列が出来ていたので、そこに並べばいいのか係り員に聞きにいくと、あと5分ほどでお昼の休憩時間に入るというので焦りました。休憩時間を設定している所って、あるんですね。びっくりです。
列に並んでいると、図々しくもとなりの柵をくぐって数人が割り込んできました。私たちのすぐ前に並んでいたフランス人が文句を言っていましたが、割り込んだ方は屁理屈を並べながら居座り戻ろうともしません!で、次に割り込んできた女性達を、こんどは娘が体で阻止。「ママ、この人たちずるいんだから早く押しのけて前に来て!絶対に入れる必要ないからね!」と息巻く。それもそうだ、と思いましたが、娘の強行な出方に内心ニヤリ。今入らなくては休憩時間のあとにしか入れないので必死なのはわかりますが、だれだって条件は同じ。言葉ではなくてモラルの問題ですよね。
            

 ★ Ste-Chapelle・・・

 1248年に完成したサントシャペルはルイ9世がコンスタンティノープルの皇帝から買い求めたキリストの聖遺物などを収める為に作らせたという、ゴチック様式の素晴らしい礼拝堂です。
私たちは運良く、休憩前に中に 入ることが出来たのですが、いったいあの行列はなんだったの、と思うほど、チャペルの中はゆったりしていました。
最高裁判所と同じ敷地内なのでセキュリティチェックが厳しいのでしょうか。


     

     

チャペル内は上下二層に分かれているので、最初に下の階を見て、なぜここが娘の知人の一番のお勧め場所なのか判りませんでしたが、狭い階段を上の階へと上がって礼拝堂に入るや即納得。感嘆ものです。天井と床以外が全てテンドグラスで覆われていると言っても過言でないほどの見事さ!1134景もの場面が描かれているそうですが、いちいち見ていたらエライコッチャな話です。

     

 
 

スーベニアショップではバラ窓(二つ上の画像)柄のステンドグラスのミニチュアペンダントヘッドが販売されていたのですが、悩んだ末、やめました。パリでは、欲しいと思う物はなんでも高いので、物欲が起きないんですよね~。いいことです。
入口とはべつの出口を出ると裁判所の前だったのか、一連のデモ隊と、それをやんわり取り巻くPOLICEの姿が。
横断幕に何と書かれていたのか、もっとブロガーとして突っ込めばよかったな。



  
★ Cathedralel Notre-Dame de Paris・・・

次に向かったのは勿論ここ、ノートルダム大聖堂。
1163年にパリ司教モーリス ・ド・シュリーによって起工され、1225年に完成したこの大聖堂は、「我らが貴婦人=聖母マリア」に捧げられたものですが、建築、彫刻、ステンドグラスのどれもがゴシック様式の建造物として美術史上重要な位置を占めているといいます。1804年にはナポレオンの戴冠式も行われました。
                   
     

大聖堂前にはこの時期ならではのクリスマスツリーが飾られ、国内外からの学生グループや観光客で溢れていました。

        

     

     
             ↑ ジャンヌ・ダルク像      
                     
     
     ↑ 幻想的なキャンドルライトと、三つあるバラ窓のうちの一つ、北のバラ窓(でしょうか?)
              

     

見どころの多い大聖堂でしたが、塔に上らなかったのが残念でした。387段もある狭いらせん階段を上がっていくのですが、いつでも長い行列が出来るほど人気があるのは、眺めが良いだけでなく、ガルグイユと呼ばれる奇妙な怪物とも出合えるからかもしれません。あぁガルグイユに会いたかったなぁ。

     

      これからサンジェルマンデプレに向かって歩きます・・・


パリ二人旅 6

2008-12-28 | パリ二人旅

ホテルの外に出ると、さっきまでの雨が嘘のように晴れ上がっていました。
オペラ座の横を歩いていくと「ギャラリー・ラファイエット」に出ますが、オペラ座の周囲も写真に撮りたくなるような彫刻がひしめいているので、ついデジカメを取り出してはキョロキョロしてしまいます。今回悔やまれる事は、オペラ座の中を見学しなかったことです。ホテルに近いのでついでの時にのぞこう、と思っていたのに・・・あぁ残念!


  
  

この警官?は何をしているのでしょう。パトロール?その向こう側にクリスマスの飾りが施された大きなデパートが見えて来ました。ここのウィンドウディスプレイが見ものだとの話しを聞いていたのでドキドキワクワクでした。が、屋上から人の姿が見えたので、屋上へ出れるんだ、と思い、まずそこへいくことにしました。それが建物の中に入るや大きなクリスマスツリーが吹き抜け部分にデーンと聳え立っていたので圧倒されてしまいました。

  

  

スゴ~~イ!こんな豪華な飾りつけは初めて!G.ラファイエット本館のステンドグラスは必見、とガイド本に書かれていただけあり、見事です。ヴェルサイユ宮殿を見てきた後でも驚くほど大胆な装飾美を感じてしまいました。
エスカレーターで各フロアーにつくや一応一回りし、上へと向かいました。
屋上へは出れるだけで、日本のデパートのように整備されていませんが、周りの景色が一望できます。すぐ前のオペラ座が手に取るように眺められ、逆光の彼方にエッフェル塔が見えました。

          
       

       屋上で出会った白い帽子の女性にすっかり見とれてしまった私。
    どうにか写真に収めたくて、景色を撮るように彼女をその中に入
    れたのが上の一枚です。同伴の女性もとっても素敵だったですが、
    離れたところで屋上からの眺めを楽しんでいたのです。
    正面から撮りたかったけど、勇気が出ませんでした!イタリア系
    でしょうか。コート、帽子、バッグにブーツと、洗練されたお洒落
    に目が釘付けになるのも無理ないでしょう?
    

          

   エッフェル塔がまるで夕日に染まっているようですが、三枚とも
   同じ時に写したもの。逆光を上手く撮る方法を学ばなくちゃ。

   その昔、エッフェル塔の前で父が撮ってくれた写真を見つけました。
   カッコよく足長く撮れているお気に入りでしたが、久々に見る写真の
   保存状態が悪いのにびっくり。それだけ昔だってこと?PCに取り込み
   しなくては、どんどん劣化しそうです。 とは言っても今の私と同時
   進行で劣化するなら、そのままでいいかぁ。  

ギャラリーラファイエットは本館とインテリア館、そして紳士・食品館の3館に分かれているので全部見て回ろうとすると時間がかかりそうです。兎に角、一階まで降りてから外に出ました。お洒落にディスプレーされたウィンドウがいったい幾つあったでしょう。その数にも圧倒されました。写真では本当の雰囲気が味わえないかもしれませんが、もう“ファンタスティック”そのもの。

  
 

  

            

 

 

 

 

  

子供用ディスプレーの数々はどれも動物達に動きがあり、とても可愛くて子供でなくても見とれてしまいます。ムービーで撮りたいほどでしたが、バッテリーが気になるのでやめました。どのウィンドウの前も子供連れで大賑わいでした。
デパートの前にはこんな出店もありました。売り子さんもカッコいい~!

 

こんなふうに、買物をしないでも楽しめるデパート見学でしたが、隣接したところに「プランタン」があるので少しだけ立ち寄りました。こちらはGラファイエットのピンク色に対してブルー系でまとまったディスプレーの数々です。

 

お昼用の食物の調達を忘れているのに気付き、お寿司や飲物等を購入してホテルへ向かいました。(本当はこのあと別の道を通って戻ろうとして迷子になりかかったのです!)デパチカやMONO'P で買えるお寿司はシーチキンやサーモンなどが主ですが、コンビニでも手軽に寿司パックを買えるとは・・驚きでした。

娘はだいぶ快方に向かっているようでしたが、もうあと少しという感じで、買ってきたものを少しつまんだだけで、残りは私が平らげました。夜も更けてきたころ彼女はやっと空腹を感じてきたようなので、体調回復の兆しを喜び外出することに。午後9時すぎの近所の和食や中華レストランはどこも地元の若者たちで行列だったので、本当にびっくりしました。店の外も中もフランス人の若者ばかりなんですよ。閉店が10時。間もなく閉まるというのに、声高にお喋りしながら順番待ちを全く苦にせず、それどころかむしろ楽しんでいる風です。フランス語ってこんなにうるさいんだ、と、このとき初めて思いました。私たちが並んだのは「国虎屋」という うどん屋さん。だいぶ待たされましたが、あと数食でうどんの在庫が切れる、という頃、運良く狭い店内の地下に通され、やっとのことで熱々のおうどんにありつけたのです。このうどんの美味しかったこと!日本のものとなんら変わりないおいしい手打ちうどんなんです。店で働いている人は全員日本人のように見受けられました。オーダーを取りに来た男の子も日本人留学生だと言っていましたが、日仏両国語を自由に使い分けてテキパキと仕事をこなしていました。感じいい男の子でしたよ~。ホテルにカメラを置いて来たので画像なしです。 

 


パリ二人旅 5

2008-12-28 | パリ二人旅

夜が明け、一晩中気分悪くて眠れなかった子が、「やっぱり無理だ。ママ一人で行ってくれる?」と言うので、心配だけどそうすることにしました。
ヴェルサイユ宮殿の半日バスツアーは、日本人対象のツアーではないので不安でしたが仕方ありません。朝食も一人。娘には、ルームサービスでスープでも持ってきてもらうように頼みました。ちょっと可哀想でしたがトイレに駆け込む気配もなくなり、時間がたてば回復すると思ったので一人寂しく雨の中、傘をさしながら集合場所まで出かけました。
バスツアーのカウンターでは、日本語対応OKで一安心。過半数が外国人のなかに日本人は7~8人。添乗員には、スペイン語、英語、そして日本語対応のツアーガイドさんが各一名ずつ付いていたので全く何の問題もありませんでした。日本語対応ガイドは現地のフランス人女性でした。外人なまりはありますが、日本人と同レベルの会話力がありユーモアも交えて案内してくれました。凱旋門やエッフェル塔のすぐそばを走るバスの2階席からの眺めは最高でしたよ~!                        

石畳の上を、17世紀という過ぎ去った年月に想いを馳せながら歩きました。
雨降りでなければ人でごった返しているはずの広~いエントランスを見ただけでも歴史の重みを感じました。

  以下の写真は順番どおりではなく、レイアウトしやすい順です。

  
       ↑礼拝堂

ガイドさんのお話を、宮殿の広い空間のどこにいても聞き漏らさないように、バスの中でそれぞれイヤホンを渡されていました。外人なまりの流暢な日本語が途切れなく聞こえてきます。リアルタイムの音声ガイドです。

この宮殿でサミット会議が行われた時の日本の総理はU首相だったそうで、首相のことを、小指を立てながら「これで首相の座を失った人」と説明。そういう事はフランスではありえないことで、フランスではゲイの首相もいたし、○○首相だってゲイだし、そんなことはだれも隠さない。みなが個人的な事と政治とを分けて考える、という様な話がイヤホンを通して次々と流れてきます。もちろん彼女はすぐ近くにいるのですが、ボンヤリしていると声は聞こえても姿が見えず、慌てて探しまくった時もありました。探すといってもこのなかは広すぎる!迷子になったらどうしよう、と真剣に思いました。
歴史的年号や人名、地名などもガイドとはいえ、スラスラとよく知っているので驚きの連続でした。面白いお話も・・・時間の経過でどんどん忘れてしまっています。ガイドさんって毎回同じジョークを言っているのでしょうか。

帰国後、ヴェルサイユサミットを調べて見たら、鈴木首相の名前が書かれていたのですが、ガイドさんの勘違いか、あるいは別の会議とか晩餐会の時の話だったのか、首相になる前に共に参列したのか?U首相のときはアルシュサミットでした。

  

窓の外は雨、雨、雨。止む気配なし。庭園には出れそうもありません。でも冬場なので花壇にお花は皆無だから・・ま、いいか。それに室内は雨と関係なくフランスの黄金時代の頂点を、ゴージャスな装飾を通して体感できるんですもの。

ヴェルサイユ宮殿でまず目に付いたのが下のようなわけのわからぬ(いや、わかりすぎる!)物体というかアートというか、・・・一体全体何なの、この場違いなものは?と、呆れるようなものたち。それがアメリカ人アーティスト、
ジェフ・クーンズの作品だと,手渡されていたパンフレットでわかりました。
それによると、宮殿の中と外に計17の作品が展示されているようです。(赤くマークした部分が、画像をブログupしたものです)
有名なアーティストの作品だと言われなきゃ素通りしてしまいそうですし、目に入ったとしても、それがアートだとは気付かなかったでしょう。おそらく。  

         

 
       ↑ “Michael Jackson and Bubbles”              ↑ “Lobster”

9月10日から12月14日まで、ヴェルサイユ宮殿でクーンズの展覧会が行われていて、まだその最中だったのですね。
ここに着くまで全く知りませんでした~。

どれも色、形、
共にキャラクターグッズのように目立ち、ディズニーランドでなら納得できるけど、世界遺産の建造物の中で、これって許されるのか、と思うと不思議でした。

“Rabbit"


別の見方をすれば、フランス人のとんでもない懐の深さ、あるいは思考の柔軟性とでも言うんでしょうか・・?そんなものを感じます。現代社会だから、アンバランスもバランスのうちにはいっちゃうんですかね。とにかく宮殿とクーンズ作品は何の繋がりもありません、ってことですよね。何だかんだ言っている割には写真なんか沢山とっちゃって・・ すっかり目に焼き付いちゃった!

←“Bear & Policeman” 
 

 
宮殿の中でいきなりこれらを見せつけられた時は、内心ゲッ、という気分でしたが、ブログ上に置いて写真として見ると余り気になりません。逆を言えば、今、現在の視点でルイ13世から16世の栄華の時代を垣間見ているような気分になります。
世界遺産の中で行う展覧会場としての使用料ってどの位するんでしょうね。クーンズの作品がヴェルサイユ宮殿のように後世に残ればあっぱれですけど・・。

←“Ushering in Banality”


←  “Hanging Heart”

見学コースの最後の階段の所には天井からピンク色のハートのオブジェがぶら下っていました。ふぅ~~ん、ハートねぇ、と何の感情も持たずに見ながら通り過ぎ、階下へ降りて行ったのですが、後日、東京で友人と会った時にこれらの写真をデジカメから直接見せると、彼女の目が輝いてきたではないですか。
秋だかにNYへ行った時、同じくクーンズの作品をメトロポリタン美術館で見た、というのです。同じハートのを!そして持参した写真を見せてくれました。マイブログ用にその写真貰ってもいい?とお願いしたのに、プリントしたあと、全部デジカメから削除しちゃったので上げられないというんです。パソコンをしない人って、PCに保存したりしないんですかね。プリントしたらあとは捨てるだなんて・・ちょっと羨ましくさえなります。それで彼女がMETで見てきた
美術展のパンフレットと共に写真をテーブルに置き、私のデジカメで撮らせてもらったのがこれです。

   

19億円をかけた修復工事が2007年に完了した「鏡の回廊」は、1919年にヴェルサイユ条約の調印が行われた場所。どの部屋も贅(税?)を尽くした豪華さで溜息が出てきてしまいます。

          

ここは美術館?と思ってしまうほど天井という天井ぎっしりに描かれた絵画。
王や王妃の豪華な居室や肖像画の数々。作家シャトー・ブリアンを、「ヴェルサイユ宮殿を見ぬものは栄華というものを本当には知らない」と言わしめただけのことは十分にありました。国のトップがこんなにやりたい放題の贅沢しちゃって、、、フランス革命が勃発するのも当然ですね。


  

  

本当なら庭園散策の時間も少しだけ設けられていたのですが、雨で中止。マリー・アントワネットの離宮を見るには一日コースでなくては無理でした。又、見どころの一つである宮殿内のオペラ劇場は修復工事中で閉鎖されていました。ギフトショップを見たりしたあとバスに戻ったら、私が最後の乗客でして、ちょっと冷や汗ものでした!


              

 パリ市街に着いた頃、雨は止み、急いでホテルへもどりましたが、娘は朝同様、寝ていました。注文したスープもそのままで殆ど手付かずでしたが、山は通り越したようです。それじゃぁ食料の調達にちょっと出かけてくるからね、と、ギャラリーラファイエットやプランタンのあるオスマン大通りへ向かいました。

長くなりすぎたので、この日を2回に分ける事にしま~す。


パリ二人旅 4

2008-12-27 | パリ二人旅

朝、部屋のカーテンを引いた
ら、又、雨がちな曇り空だったのでがっかりする。パリのこの時期は常に傘を持って歩いた方が無難、とのことなので、傘はちゃんと持参して来たが、バックの中では結構なお荷物だ。

今日はまず、近くの観光案内所でミュージアムパスを手に入れることから始めよう、と、ゆっくり朝食をしたあと外に出る。

ホテルを出て右手(ルーブル方面)にちょっと行ったところにパン屋さんがある。

 ~~その名前は“PAUL”~~


オペラ付近ではここを含め、“PAUL”を2店舗発見。いずれの店舗も毎回通る度に混んでいるので人気の程が覗える。
東京でもあちこちに出来ているPaulだけど、毎日のパンにしては(わが家にとって)高級すぎだ。
美味しいんだけどね~・・・↓


オペラ座と反対方向に歩いて行き、MONOPRIXという大きなスーパーを見つけた。それが、娘が知人から教えてもらい、探そうとしていたスーパーだったので大喜び。スーパーと言っても、表通りに面している所はファッションと化粧品で占められ、奥に行くと地下と二階のある事がわかる。入ったら最後、時間が・・・。

もちろんスーパーだから、最初は物珍しく見るんだけど、これといって欲しいものは見当たらない。雑貨もファッションもイマイチだ。食品だけは生鮮ものから菓子類、飲物などずらりと揃っているので、こういう所でお弁当でも買っていれば旅行も安上がりというもの。私たちも水だけは買って持ち歩き、水分補給をマメにしたけど、MONOPRIXはびっくりするほど安かった。

 

 
      MONOPRIX Pyramides
  
      
      
     
     
娘の用事?が終わらないので一人二階へ、地下へとうろうろする。地階‐生鮮野菜売り場では名前のわからない野菜も多いが、豊富な品揃えを見ていると買わなくても心が躍る。ホテル選びがバッチリだったことを再確認。店内撮影ってOKかしら、と躊躇していると日本人らしき男性がデジカメ撮影をしているではないか!それじゃぁ、と、野菜の棚の部分だけをササッと撮ってみる。何だか判らないものも多くあったが、いちいちメモするのも面倒なこと。へぇ~と目を丸くするだけに留める。
パリ観光案内所はモノプリを右に曲ってすぐの所にあった。
いたってシンプルで、パンフレットとカウンターがあるだけ。


ミュージアムパスは12月3日から6日までの「4 days」を購入。(一人45ユーロ)連続した4日間内なら何回でも使えるパスだけど、歩く所見るもの全てを面白がって寄り道ばかりしている私たちが、それをフルに活用する自信は、正直なかった。パリに来たからには美術館巡りだ、と思う気持ちと、パリに来てまで美術館という空間の中ばかりに居たくはない、という気持ちが揺れ動く。

 歩いていける範囲に3ヶ所のパッサージュ(18世紀に登場したガラス屋根のショッピングアーケード)があることを本で知っていたので取り敢えず行く事に。
ホテルから一番近いパッサージュ・ショワズール(Passage Choiseul)は庶民的で、わざわざパリで見なくても・・の感じだった(なので画像なし)のに、中にある文房具・画材店に入った二人はそこにどっぷり浸かってしまう。

下の建物は「Hotel Tubeuf」の跡地だろうか?フランス語の説明文が判らないし、ガイドブックにも載っていなかったが、同じ道沿いに色々あるわあるわ。
あとで地図を見て、この向かい側を行ってすぐの所がパレ・ロワイヤルだと知った。
      

次は、旧国立図書館のアネックス的存在だというギャルリー・コルベール。Institut Nationalなんたらかんたら・・と書かれた垂れ幕があり、静かで知的な空間だ。旧国立図書館リシュリュウ館がすぐ横にあったのだ、と、これもあとで知った。

           

次のパッサージュはギャルリーヴィヴィエンヌ(Galerie Vivienne)。パリで最も優雅なパッサージュといわれているそうだ。クリスマス用?の照明もエレガントだし、お洒落なブティックやティールームが並んでいる。

  

一体何時だろう、と腹時計に聞くと、もうとっくにお昼時間は過ぎているよ、とのこと。でももう少し先に行けば郵便局がある。プラハで書いた絵はがきを出し忘れていたので、一日でも早く着くように中央郵便局まで歩こうと、一人で決めていた。重厚なフランス銀行の建物を右に見ながら歩くとヴィクトワール広場に出た。ルイ14世の騎馬像が丸い広場の真ん中に立っている、という古風な場所。が、そこでケンゾーのブティックを見つけた。その先を右(この写真では、右から歩いて来た)に曲りワンブロック行った所に郵便局はある。
そこに着く手前にこんなウィンドウに出くわす。ミシン屋さんでなくて、一応、ブティックだ。

       
 

 広告をまとめて広告塔に貼るとこんなに美しくなるし、広告塔の形もいいし、街並みに邪魔な色がない。
こういうセンスって、何の違いから来るんだろう。
個人の利益よりも、まず自分の住んでいる町や市、そして国を心から愛し、芸術の都の名にふさわしくないものを取り締まるシステムが自ずと出来上がっているのかしら?羨ましいことだなぁ。

郵便局では記念切手を買いたかったのに、コレクター用の窓口に、じいさんが一人粘っていて行列が出来ていたので諦め、一般の窓口に行く。年配男性の窓口をのぞいて英語で話しかけたら、隣の若い女性の窓口へ行け、と指をさす。その彼女は英語ペラペラ。フランスの若い人は想像していた以上に英語が達者だと思った。



さてと、あちこち近辺を歩いていただけで夕方の気配になってしまった。
Uターンして、昨晩一人で歩いてだいたい見当つけていた、何軒もあるチャイニーズレストランの内の一つに入り、昨日に引き続き、空きすぎたお腹を満たす。
おいしかったけど店内に入った時の異様なにおいが気になった。

そこからオランジュリー美術館まで、リヴォリ通り沿いを歩いていたら娘がマックを見つけた。パリでマックは珍しいそうだ。ずんずん歩くと超豪華なホテル、「ル・ムーリス」の前に出た。溜息が出るほど豪華なので、なんてエレガントなホテルなの!と若いボーイさんに叫んだら、頷いてにっこりしてくれた。
普段なら、ちょっと中を見たいのですが、と言ってズケズケと中に入っちゃってトイレなどを借りちゃうのだけど、ここではさすが躊躇した。bianca、だらしね~ぞよ!でも~たとえ泊まる機会があったとしても身分不相応な場所は疲れそう。そういうホテルにお似合いの装いなんて持っていないものね。
 寄り道ばかりしながら、オランジュリーに辿りついた時は閉館30分前を過ぎていたのでガ~~ン!入れなかったぁ!大体この美術館、チュイルリー公園の片隅の暗いところに位置しているし、入口が極めて判り難い。
目の前はパリ初日にも通ったコンコルド広場で、大観覧車の向こうはシャンゼリーゼ大通りと続くので更に歩く。

 

 


暗かったのでわからなかったが、プチパレとグランパレが通りの左側に位置し、右奥にはエリゼ宮がある筈だった。
大通りに出るまで、道の両側は夜店がずらりと並び(左の写真まるで日本の夜店のよう。ただ、夜店においてもセンスの違いが・・・。

      
      
      

      長く続く夜店が途切れ、凱旋門まで続くシャンゼリーゼ
      大通りがやっと姿を現した。すっごく広い!
           Oh,Champs Elysees♪
               Oh,Champs Elysees♪

      
             
      
      

クリスマスの飾り付けがお洒落なビルでしょ。この通りは有名すぎて観光化され、国内のおのぼりさんを含め外人客が多い。凱旋門まで歩きたかったけど、娘が疲れ気味のようで、行きたくない、歩きたくない、と言うので、友人お勧めのモンテーニュ通りを一ブロックだけを付き合ってもらった。高級ブティックがずらっと並び、そんな中を近所の奥様が犬のお散歩をしているような所。時間が遅かったので人の往来がまばらだけど、ウィンドウショッピングには堪らない通りだ!写真を撮ることに飽きてきたからか、ピンボケ写真ばっかりだ。
 
      
 疲れた子がいるのでメトロに乗ってルーブルまで行く事にした。ルーブルはその夜は22時まで開いていたので、まずはサッと下見をすることに。

ガラスのピラミッドから下に降り、ナポレオンホールに出たはいいけど、そこからシュリー、リシュリュー、ドノンの3つのセクションに分かれるので、下調べをしてこなかったから訳がわからず、適当に中に入ったら広いわ広いわ、どこをどう歩いているか皆目わからなくなった。今夜は彫刻のあるあたりだけにしよう、と、早々に切り上げたが、中は素晴らしいのひと言だ。20代になったばかりの頃、ここを一度訪れているのだけど、全然覚えていない。


            

      
           
        ポーズをとっているのかい、それとも眠いのかい?

この日の夕食はルーブルの中のレストランで済ませ、帰り際、地下で郵便局を見つけて記念切手を購入。局の人が日本語が上手なので色々お話をしたが、日本の大ファンとのこと。毎年のように日本への旅行を楽しみにしている、と言っていたので何かとても嬉しくなった。穏やかで感じのいい方だったので、時間が許せばもっと話していたかったな。

ルーブルからホテルまで歩いて帰り、あすのベルサイユ行きに備えて早く寝ようと思ったが、どうも娘の調子がおかしい。食あたり?お昼に、変な臭いがしたレストランで食べたものが原因?私は何でもないので、娘だけが食べたものと言えば、チャーハンだ。何回もトイレに駆け込み、お腹が痛いという。だけどそれより胃の方が痛いかも・・という。薬はいろいろと持参したけど胃薬だけ、何故か持ってこなかったようだ。よほど具合が悪かったのか、自ら夜中に電話で薬を依頼し、ボーイさんに持ってきて貰う。朝までに良くなるといいのだけど。


パリ二人旅 3

2008-12-26 | パリ二人旅

モンサンミッシェルからは、行きと全く同じルートでパリへ向かいました。すでに行きに見ている車窓からの風景ですが、何回でも、飽きずに眺めていました。途中で一瞬のうちに小さな村を幾つか通り過ぎるので、本なんか読んでいられません。2009年の年賀状にも、この時通り過ぎた景色を切り取って使用しているんですが、絶対に牧場があるぞー!そしてウシがいるぞー!と、確信していた通りの眺めが現れた時の私の歓喜をご想像下さい。

モンパルナス駅には午後1時過ぎに到着。駅の出入り口付近のフラワーショップが溢れんばかりの花束で私たちを出迎えてくれているようでした。駅の花屋さんで花束をパッと掴んで買って行くのは、男性なのでしょうか?

日本の女性誌や花の専門誌には、個性豊かなパリの一流フラワーショップが幾つも紹介されていますが、駅や道端の花屋さんは、花もラッピングも共にカラフル。赤と黄色だなんて、反対色ではありませんか。ここでは、“何とも言えない微妙な色あい”の花は見当たりませんでした。

花束に値札がついていますが読めるでしょうか?10~25ユーロ位の花束が多いようです。日本円にするには、その時の相場・・・120円位かな・・を当てはめて下さい。
寒い時期は何と言ってもチューリップが安らぎます。パリの一般的なお花たちは、ほぼ見慣れたものばかりでした。
    

駅を出て、モンパルナス通りのカフェでお昼をするつもりでしたが、ごちゃごちゃした駅前をあっちかな~こっちかな~と、ウロウロしているうちに、偶然ギャラリーラファイエットのモンパルナス店の前に出てしまいました。
まだ寄るつもりではなかったデパート。
わがホテルから歩いて行けるころにオスマン店があるので、ゆっくり楽しもうと思っていたんですがこんな所で出遭っちゃうだなんて・・・もう知らないよ!
 
あっという間に1~2時間が過ぎました。セール品も多くありましたが、割引してもらうにはデパートの会員カードが必要でした。ここで私が買ったのは、実用的なハンドクリームとつめ切り。パリでつめ切りを買おうと思い、持参しなかったけど、日本の方がお洒落かも。
マフラーや小物等は素敵なデザインと色使いのものがいっぱいありますが、素材を見ると購買欲が萎えます。私もそうなんですが、日本人って天然素材が好きな気がするんですよね~。値段を考慮しなけりゃ、勿論、色々といいものがありますです。ブランドには全然興味ないbianca?ですが、いいな、と思ったモノは日本と同様やはり高い!

なぜだかお腹のすき過ぎることの多い二人旅ですが、この日も又、お昼をとっくに過ぎた中途半端な時間になってしまいました。モンパルナス大通りを、カード屋さんを覗いたりしながら目的地周辺まで行くと、通りを挟んだ両側にある数軒の老舗カフェが目に入ってきました。さて、どこに入ろう・・・。
だって、だって~どこも、20世紀初頭のエコール・ド・パリ時代の作家や詩人,画家たちの溜まり場だったんですも~ん。全部を覗きたかったけど、私たち、小旅行帰りなので、おのぼりさんのように、ボストンバックをずっと持ち歩いていたんです。
雑誌で見るだけだった憧れのカフェが実際に目の前にあるんです!ただ、もっと質素かと思っていたのですが、それらのきらびやかな外見に少し引いてしまったのも事実です。もはや観光化されているのでしょうかね。
     
 
  
冬場なのでオープンカフェとは行かず、お客は殆どが建物の中です。「ル・セレクト」を過ぎ、VAVINの交差点手前にあるカフェは「ラ・ロトンド」1903年開業当時はダンスホールも兼ねていたそうです。この建物の一室で、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが生まれたとのこと。


横断歩道を渡った所には「ル・ドーム」があります。ガイド本によると1898年開業。モディリアニ、藤田嗣治、ピカソなどが常連で、ロバート・キャパも利用していたという由緒あるカフェ。今は魚料理の店としても有名で、高級化しているようです。このカフェの右をちょっと行った所には「ラ・クーポール」があり、アールデコの内装が素晴らしいようなので入りたかったのですが、結局、娘の希望を叶えてあげました。

 
夕刻も迫った時刻だったのでお客はガラス越しの席のみで、中はディナータイム前で準備中なのか、誰もいませんでした。
ステンドグラスがとても鮮やかで、一世紀前の店内を想像しただけでもドキドキしちゃいます。
トイレは地下。昔の写真が壁にいっぱい貼ってありました。
友人が、パリではレストランに入ることないわよ カフェご飯で十分よ・・と言っていたのを思い出しましたが、ここはどうも区別しているようです。
 
 
 クロークムッシュを頼んだら、うぅ・・っ、チーズが臭い!だめだぁ。チーズは好きですが癖のある、匂う(臭う)チーズはダメなんです。その上、緑の添え物が何もな~い。ピクルスでもクレソンでもチョンと添えてくれるだけで、よりおいしく感じるのにね。というか、日本式に慣れているからかもしれませんね。フランス語のメニューから選ぶのって、サンドイッチ一つにしても難しい。
このカフェの、この時刻の客層ですが、ご年配が多かったです。母ぐらいの年齢の方が、ひとりでブラッと店に入って来て、常連の同年代の方を店内で見つけ、お喋りに花を咲かせていたり、新聞に目を通し、ゆっくりしたひとときを過している男性とか、きっとご近所の常連さんなんでしょうね。大人のカフェ文化が浸透しているパリって、年をとっても楽しめる要素が多くあるかもしれません。
 
さ、暗くなってきたのでメトロに乗り、どこかで一度乗り換え、ホテルまで戻りました。夜は娘が幼なじみのコンちゃんと会う約束をしていたのです。会うまで部屋でゆっくり過しましたが、彼女は普段でも仕事が夜遅くまであるようです。翌日はポーランドへの出張が控えていたそうですが、今夜が唯一の予定の入っていない夜だったのです。モーレツキャリアウーマンなんでしょうか・・。
9時過ぎになってしまう、との連絡から、8時には行けそうだ、と再度電話が入り、再会の時間が刻一刻と迫ってきました。NYでは娘がご馳走になったので、今回は私がご馳走するつもりでしたが、彼女のブラジルにいる父親が、是非私たちにご馳走したい、と言っているとのことで、お言葉に甘えましたが、やはり二人だけで会ったほうが積もる話もし易いのでは、と、急遽、私は遠慮する事に。
 
8時になり、ドキドキしながらエレベーターに乗り、ロビー階で降りると、もうそこにはコンちゃんが待っていました。
  
7~8才だった女の子が、その時のイメージをそのまま保ちながらも素敵な女性としてそこに立っていたんです。嘘みたい!何て言っていいやら・・お互い抱き合って挨拶を交わしました。娘とは英語で、私とはポルトガル語です!忘れ掛かったポ語ですが、そのほうが自然に口から出るんです・・・なぁ~んて、笑っちゃうようなレベルですけどね。
こんなにカッコいいコンちゃんですから、さぞや取り巻きが多いのではと思い、ご結婚はまだ?と尋ねると、「う~~ん、じっくりと・・選ばなくちゃぁね!」とウィンク。仕事で忙しそうだけど、どんな仕事をなさっているの?の質問では、この国のボスが私のパトロンなの、というので、えっ、どういうこと?もしかして、えぇ~~っ!サ、サル○○氏の?・・と聞き返すと、そうなの・・と返事が返ってくるではありませんかぁ。もうおったまげました。
 
さて、私は二人を送り出したあと、一人で近くを歩きまわり、入り易そうな小さなラーメン屋を見つけました。ラーメン屋といっても中国人の店でしたけど。サル○○氏のもとで仕事をするコンちゃんを想像しながらパリの空の下、一人侘しくラーメンをすするbiancaでしたが、そんなミスマッチが次第に愉快になって来ました。食後は細道を蛇行し、夜のオペラ界隈を怖いもの知らずでルンルン気分でウォーキング。スタバを見つけてカフェでも、と入ったのですが、若者がぎっしりテーブル席を占領していたのでテイクアウトにしました。で、ここでナンパされかかったので~す。本当だってば! うっそ~! 本当だってぇ!
その相手の子、片言の日本語で話しかけてくるので少しお喋りをしたのですが、一人なの?と聞いて来たので、夫が外で待っているんで・・じゃぁね!と言ってその場を去りました。全くどうってことなかったけど、おばさんに声を掛ける人っているのね。(ちょっと喜んだりして。エヘへ)
   
ホテルに戻ったのは10時をとっくに過ぎていました。娘はその一時間後位に帰ってきましたが、「ママ、すごいこと聞いちゃった!」と興奮気味です。
さっき興奮していたのに更に更に、、で、今度は何だ、と思ったら、な、なんと、サル○○氏がコンちゃんの義理の兄に当るんだって!と言うんです!!
 
(←娘と一緒に食事に行った先でのコンちゃん。)
 

(2009/03/10) 

クリスマスの日

2008-12-25 | weblog


「二人旅」の続きが進まず、もうすぐで出発の日から一ヶ月が過ぎそうで
焦っています。マイペースで少しずつ進めて行くしかありません。
クリスマスの時期に合わせてupしたい写真もあったのですが、もう
しばらくかかりそうです。なにせ年賀状もまだ手付かずなんですから。
今日のこのブログの前に付け加えるかもしれませんのでご了承の程を。

上の画像はノートルダム寺院内の一コーナーで見つけました。
「言葉」は加工した時に付け加えたものです。
皆さま、どうか今年のクリスマスを心安らかにお過ごしください。

メリー クリスマス !!