ルーブル美術館をあとにして、チュイルリー公園をオランジュリー美術館に向かって歩いた。旅行最終日もすでに午後三時を回っていたので、視線だけはあちこちキョロ付かせながらも次第に急ぎ足になる。歩きながら撮った写真はどれもピンボケ。 オランジュリー美術館の前では、立ち止まらずに入館したので建物の画像はない。外が薄暗くなり慌てていたし、3回目の正直で、やっと中に入る事が出来たものだから外観を眺める間もなく入ってしまった。12時半にならなきゃ開館しない美術館だと、つい一日の最後の方に組むようになり、前の予定がずれこめば美術館は閉まってしまうから、旅行者は上手に時間を組まなければならない。この建物は19世紀に造られた温室(オランジュリー)を美術館にしたとのこと。 ずっと見たくて堪らなかったモネの「睡蓮の間」。ゆるいカーブの壁面が睡蓮の連作で埋まっている。それが二間ある。想像していたより室内は明るく、真ん中の椅子に座って思う存分モネの世界に浸ることができる。こんなにゆったりと見れる贅沢さはまさに感動もの! 広角レンズでないときれいな楕円に撮れないけど、なんと幅の長い作品だこと! オランジェリー美術館については、モネの「睡蓮の間」がある美術館、というだけしか知らず、ほか何も調べていなかった。それが、建築家ジャン・ヴァルテルと画商ポール・ギョームのコレクションが寄贈されたことで、パリが芸術の都として最も華やいでいた時期の有名な画家たちの作品が地階でタップリと鑑賞できるとは、思ってもいなかったので嬉しくなってしまった。モネ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソ、スーティンなどなど・・・馴染みのある画家揃いで本当に充実した内容だったし、美術鑑賞するのに程よい作品の数なので適度な時間でじっくり見れ、本当に本当によかった。
ルーブルの後、すぐオランジェリーに来たものだから、デジカメで写すことにウンザリ気味だったけど、撮りたくなる絵がなんと多い美術館だったこと!行列もなく好きなだけ絵を見ていられるだけでも有難い。「立ち止まらずに前に進んでください」なんて言われないものね。 チェイルリー公園内の、書籍や雑貨を売っているショップも、つい中に入って見たくなるようなディスプレーだ。 日本語のわかる店員さんもちゃんといた。あちこちでショコラティエを見かけたけど、お土産用に購入したのは、スーパーを除くとここだけだ。このすぐ近くに娘の目指した店があった。さて、ここは一体何のショップでしょう?(ヒント;この日に行った美術館名) この店になぜだか入りたくない私は、ウィンドウ越しに中を覗きながら、外で待つことにしたが、娘がなかなか出て来ない。夕暮れ時の道端で、日本人おばさんの立ちん棒なんて見っともない、と思ったけど、だれも振り向きゃしない。当然!(笑) そのときのタクシーの運ちゃんが最悪で、いくら渋滞とはいえメチャクチャ遠回りされ、ホテルに着いたときにはすでに予約タクシーを15分も待たせてしまっていた!これまで、タクシー運転手には恵まれていたのに、一人でもこんなヤツに出会うとガッカリだ。結局は歩いたほうが断然早かったと思う。 ドゴール空港では、私たち二人のトランクが重量オーバーで、手荷物のほうに入れ替えるのに(特に娘のほう)何回も何回も入れ直さなくてはならなかったし、TAX FREEの用紙をどこに出すかでが空港のあちこち走り回り(教えてくれた人が不親切だった)、最後に空港内のショップをゆっくり見て回ってカフェでもしようと思っていたのに、結局、搭乗ギリギリまで手間取ってしまった。 パリに来てから常に感心したのは、街中やメトロ内で人と体が触れ合うと即座に「Pardon(失礼)」と言うこと。又、カフェでは給仕に対して、列車では切符点検係りの人などに、だれもが自然に「Merci(メルシー)」と言うことだ。見ていてほんと気持ちがいい。
こうしてプラハ三泊・パリ五泊の二人旅は、ふと気が付けばすでに遠く過ぎ去った思い出となってしまいました。途中、気が抜けてブログup出来なくなりましたが、その後、恥ずかしさの余り、投稿日時を偽り続け、丸一年以上かけて最終回にこぎつくことが出来ました。あ~やっと終わった!まるで宿題をしょい続けていたようで、やっと解放感を味わうことができました~。最後なのにこの回が最も手抜き、というか、記憶が曖昧になりすぎていることを実感。おみやげなどの画像も撮り忘れたし、書き足りないこと、忘れていることも沢山ある気がしますが、気が付いたら付け加えようかしら。たぶんやらないかなぁ?
娘よ、素敵な旅をありがとう!
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とうとうパリ最終日の朝を迎えました。 MUSEE DU LOUVRE
ピラミッドの下のナポレオンホールが美術館の総合案内所になっていて、そこから館内に入るようになっています。館内の見学順序などは決めずに適当に歩き回ったので、沢山の見どころを見逃しましたが、どれもが「見どころ」と思える所は、さすがルーブルだけあります。
これは水死体?一生懸命調べたら見つかりました。ポール・ドラローシュの「若き殉教者の娘」。どこかで見た事がある、と思ったのですが、この絵は「オフェーリア」を連想させますね。異様・・なのに、ストーリー性を感じる幻想的な雰囲気に、つい目を奪われてしまいました。
モナリザと対面している、下の大きな絵の前にはロープがない!
モナリザの他にもダ・ヴィンチの傑作が。 レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」(左上)は最晩年の作品。少年ヨハネが闇の中から光を浴びて微笑み、右手は天を指して救世主の到来を告げるポーズをとっている絵です。右は「バッカス」。この指の意味は? 右も晩年の作品「聖母子と聖アンナ」。
・・・・サモトラケのニケ・・・・ この巨大な空間と天井の高さ!ダリュの階段の踊り場にある「サモトラケのニケ」のロケーションは最高でした。 これまた有名な、ダヴィッドの「皇帝ナポレオン一世の聖別式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」の巨大な絵です。1804年12月2日ノートルダム大聖堂にて行われたナポレオン自身の戴冠式の様子を不滅のものにするために依頼したとのこと。完成までに3年も費やしたといいます。今から205年前になるんですね・・・
左は、P.P.プリュードンの 「歴史のなかの女たち~名画に秘められたその生涯」という本の中に、彼女もその一人として書かれていました。
「Femme Preparant des Legumes」和訳は?
ルーブル美術館は、散歩するように見たい場所。建物を含め、全てが芸術品なんですものね。館内のエレベーターにも乗って見ましたが、これは新しかったです。中の押しボタンはこんなでした。今回は急ぎ足でしたが、それでも最高級の作品の数々のオンパレードに、充分堪能することが出来ました。本当に素晴らしかったです! 再度の遅いランチは、ず~っと憧れていたル・カフェ・マルリーで!
03Nov'09! |
・・・・・〈パリ二人旅 8〉の続き・・・・・
そこで絶対飲むべき、と薦められていたホットショコラを注文。はい、飲物だけの注文です。ケーキもありましたが、どういうわけか旅行中、余り多くを食べたくないのです。憧れのサロン・ド・テ「ラデュレ」にも入りたかったけど、スィーツは見ているだけで充分・・だなんて、普段だったら考えられませんよね。
歩いてホテルへ帰る途中、ギャラリーラファイエットのデパ地下に寄り、夕食用の食材(寿司ロールとサラダ、フルーツ、飲物など)を調達。お惣菜売場の店員さんはとても陽気で、片言日本語で話しかけてくるんですよ。こういうお愛想って、イタリアならわかるけど、昔のパリには全くと言ってよいほど無かったことです。(・・って、一度しか行っていないけど。)昔のパリっ子は、こっちが何かを英語で聞いても、フランス語でしか返ってこなかったんですから。だから憧れの都パリ、といっても鼻っ柱が強いという印象をずっと持ち続けていました。今回の旅行を通して、そのイメージはすっかり変わりました。 ホテルに戻り、部屋で食事をし、シャワーを浴び、次は夜のお出かけの支度です。パリ最後の夜は奮発して、オペラ・ガルニエでオペラを、と思ったけど、ちょうどその日はバレエだったのです。ヌレエフ振り付け、とのことで興味ありましたが、パリにしかないシャンソニエにも是非行って聴きたかった。歩いていける所に「コメディー・フランセーズ」もあるし、モーリス・ドニの天井画のあるシャンゼリーゼ劇場もいい。なのに時間は今宵だけ。 夜遅くから始まるショーは終わる時刻だって午前様。女性二人で夜中にモンマルトルはちょっとね・・。たまたま娘が日本で知り合ったフランス人男性の友達と会う約束をしていたので、じゃ、シャンソンに誘ってボディーガードになってもらおう、ということにしたのです。彼も快諾してくれました。 私たちはタクシーで、フランス人のF君は自分のバイクで、現地で待ち合わせをしました。そのとき捉まえたタクシーの運転手が娘ほどの若い青年で、英語堪能な上、親切。学生さんがバイトとしてドライバーをしているのかしら、と思ったほど見た目もフィーリングも好青年でした。帰りに迎えに来て欲しい、と思っちゃいました。 着いたところは、ピカソやユトリロも皆無名のころ頻繁に通ったというシャンソニエ、「オ・ラパン・アジル」。建物を見ただけでもうドキドキ。ユトリロもこの建物を沢山描いているし、その場所でまだシャンソンを聴かせている、っていうことが嘘のよう。夜暗かったので周りの景色がよく見えなかったのですが、こんな所に、というような場所。 前もって電話で予約を入れておいたのですが、薄暗い店内に入ったところからして、雰囲気ありすぎ。アテンドしてくれた男性だって、びっくりするほどの個性を発しているし、席に通すときも、中央が沢山空いているのに何故ここなの、と思う場所でした。といっても店内は狭い。 ぼちぼち人がやってきては皆、壁寄りに詰めて座るよう案内され、フリードリンクが配られる。梅酒のような甘酸っぱいドリンクだったけど、グラスが小さかった。 話すように歌い、歌うように話すシャンソン。歌詞が可笑しくて皆がドッと笑ったりしているときは、F君も笑いを堪えながら内容を娘に小声で伝え、それを娘が私の耳元に日本語で伝えてくれたので、チンプンカンプンで孤立せずに済みました。男女間のきわどい内容の歌詩が多く、お腹がよじれるほどの忍び笑いをしていたF君でしたが、こんなシャンソニエがあるなんて知ってよかった。自分の親を是非連れて来たい、と話していました。 途中で韓国人だか中国人の団体さんがドッと入ってきたのにはびっくり。だから私たちなど、最初からの客を奥に押し込み、反対側のスペースをあけてたんだ、と納得しました。10人以上の団体ですが、その一人は、繰り返しフレーズのときにマイクを向けられても、返せたので拍手ものでした。 出入り口付近で若い女性シンガーとお喋りして写真を撮らせてもらい、店の外に出たところで、さっきまで歌っていた中年の男性が出てきたので、又、一緒に写真に納まってもらいました。 オ・ラパン・アジルのHPの《AMBIANCE》という項目で歌い手の方々の写真や歴史などを見ることができます。アテンドしてくれた男性がFrederic Thomas。上の男性がGerard Caillieux?(眼鏡掛けていないので違うかも?)中心になって歌っていた男性がIves Mathiewさん。女性はKrystel Barrereさん(かな?)。 帰りは大きな通りまで降りて行き、タクシーを捉まえるまで、F君がいてくれたので本当に心強かったです。彼はそのあとバイクで、私たちのホテルよりずっと遠い自宅まで帰りましたが、別れぎわに「こんなちっぽけなお土産しかあげられないけど」と言いながら、二つの小さな包みを手渡されました。中にはフェルトで出来たクリスマスツリー飾りが一つずつ。彼らしい素朴なプレゼントに心温まる思いでした。 あるとき、モンマルトルで活動していた一人の無名画家が看板にウサギ(Lapin=らぱん)の絵を描いたのだとか。それが話題を呼び人気も出て、その画家のサイン:A.Gill(=ア・ジル)とagile(=あじる ※敏捷な)という単語の響きにちなんでAu Lapin Agile(=跳ねウサギ)と呼ばれるようになったようです。(web上より) ★Au Lapin Agile:22、rue des Saules 18e Paris
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★CAFE DE CLUNY
20 Boulevard St Michel, 75006 Paris レシートには15:44と時刻が印字されていたので、ざっくりと頭に描いていた予定が又、かなりずれ込む予感が。昨夜行けなかった分、この日にオルセー美術館とオランジュリー美術館を入れていたのですもの。
でもこの近辺は、美術館巡りをキャンセルしてでも、絶対歩きたい魅力的な地区だし・・
で、歩きに歩きました。興味あるお店の前ではウィンドウに見入り、写真を撮ったりし、お菓子屋ではドアを開け、中を覗き・・美味しそうだけど、お腹いっぱいだし・・・と、写真にだけ収めました。店舗名などメモっている暇もないくらい、行ったり来たり出たり入ったりと・・・。 ★下の写真のガラスに「Meilleur Ouvrier de France」と書かれていますが、これは「フランス国家最優秀職人賞 (MOF)」の意味だそうです。このショコラティエの名は“Patrick Roger”。
★デリカテッセンを兼ねたケーキ屋さん。思わず中に入りました。美味しそうなホールケーキがぎっしり・・。お客さんも次々で繁盛しているようでした。マカロンツリーの下にGeの字が見えますが、ジェラール・ミュロだったのかしら?私としたことが・・・確認し忘れました! ★この辺に市場があるはずなんだけど、と娘。探したけど見当たらない。そんなとき見つけた地元のマーケット。魚売場の赤魚(?)の口にレモンが突っ込まれているではありませんか!娘が言っていたのはマルシェ・サンジェルマンのようでしたが、夕方など、市は終わっていますよね。 ★壁面がカラフルな何かで埋まっています。近寄って見ると、それは全部キャンドルでした。キャンドルだけで商売ができるなんて、さすがパリ。 店内のお客さんを見ていたら、ドアを開けて中に入る勇気が出ませんでした。が、娘はヘッチャラ。
どこへもずんずん入って、高かったぁ~とか言いながら出てきます。
サン・シュルピス通りとその周辺は、入りたくなるような魅力的なショップが目白押し。旅行者にとっては常に時間との戦いです。 娘を待っている間、ふと反対側に目をやると、なんとそこには、お洒落な街に負けず劣らずのディスプレーで着飾った、お馴染み「無印良品」があるではないですか。なかなかやりますね、「MUJI]。 ウン十年前にこの街に来たときも、サンジェルマン界隈が一番のお気に入りでしたが、当時の印象はもっと学生街、って感じでした。学生運動も盛んでしたからね。
ただ、お洒落なのに気取らず親しみが持てる雰囲気はあの当時のままの気がします。 ★MUJI(サン・シュルピス店)
27, Rue Saint-Sulpice, Paris
この店をちょっと見てくるからね、とこれまたシックなブティックのドアを開ける娘。デジカメ片手にその瞬間を撮っている母。
デジカメが体の一部になっているように、動作だけは素早いのですが、それなりのピントの甘さだから、大きくアップ出来ません。 外から店内を見ていたら、帽子を被って鏡に写して見ています。帽子と釣りあうようなドレスなど、持っていないはずですが、あれこれ試しているだけで満足だったでしょう。 ドラクロアのフレスコ画などが見れるので中に入りたかったけど、教会見学はもう沢山、と、さっさと歩いて行く子。仕方なくあとを付いていく母。
盛りだくさんの今日の予定はなかなか消化できない予感がしてきました。 教会の外はすっかり夕暮れ時。日中が少ない冬場の旅行は本当に何回も書いているようですが、時間に追われるんです。
本文が長すぎて投稿不可になりそうなので、この日の続きは次のブログ記事に回しますね。 |
パリに到着した日を含めると、この日が6日目。なのに予定したようには事が進まずまだ行っていない場所だらけ。まずシテ島を目指し、それから対岸のサンジェルマン方面へ歩いて行くことにしました。なのに、あっちゃらこっちゃらと寄り道多し、で、シテ島までの道程の遠いこと。
エティエンヌ・マルセル通りで、青山にも出店しているアン・フォンテーヌという、白いブラウスシャツが特徴のブティックを見つけ、娘がちょっと見たいと、ドアを開けてしまいました。パリのブティックってドアが閉まっている所が多いので、すいていると入りづらい。その時は私たち以外一人のお客もいなかったので、店員さんと話すしかない雰囲気。しかし女店員さんがとても感じよかったし、色々話しているうちに、デザイナーのAnne Fontaineがブラジル出身だということがわかり、私たちも以前住んでいたことがある、という話から、彼女の姉がサンパウロにいるので自分も時々遊びに行く、などなど話が弾みました。その上、ポルトガル語を話せるというので一層親しみが持てたのです。だからだか何だか、娘はここでブラウスを購入。これからあちこち回るというのに・・。そこからさらに歩いて行くと、カタツムリが入口の上に鎮座しているエスカルゴ専門店や食料品店などのある賑わった通りになり、サントゥシュタッシュ寺院に続いていました。 この付近がレ・アール地区だとあとで知ったのですが、ホテルで地図を見ただけで当てずっぽうに歩いていたので、ちょっと行ったところにポンピドーセンターがあったことも後になって知りました。娘について歩いていくbiancaの姿って想像できますか?老いては子に従うの図です。信じられないけどそれは「幸せの構図」とも言います。私も大人になったもんだ~。 回り道をしながら、やっとパリで最古の橋、ポンヌフまでたどり着きました。曇り空の映るセーヌ川と対岸の景色は絵になるほど美しく、シャンソンがどこからか聴こえてきそうな空気が流れているのは確実でしょう。 パリ最古の、ステンドグラスで有名な教会です。 門をくぐるのに行列が出来ていたので、そこに並べばいいのか係り員に聞きにいくと、あと5分ほどでお昼の休憩時間に入るというので焦りました。休憩時間を設定している所って、あるんですね。びっくりです。 列に並んでいると、図々しくもとなりの柵をくぐって数人が割り込んできました。私たちのすぐ前に並んでいたフランス人が文句を言っていましたが、割り込んだ方は屁理屈を並べながら居座り戻ろうともしません!で、次に割り込んできた女性達を、こんどは娘が体で阻止。「ママ、この人たちずるいんだから早く押しのけて前に来て!絶対に入れる必要ないからね!」と息巻く。それもそうだ、と思いましたが、娘の強行な出方に内心ニヤリ。今入らなくては休憩時間のあとにしか入れないので必死なのはわかりますが、だれだって条件は同じ。言葉ではなくてモラルの問題ですよね。 ★ Ste-Chapelle・・・ 1248年に完成したサントシャペルはルイ9世がコンスタンティノープルの皇帝から買い求めたキリストの聖遺物などを収める為に作らせたという、ゴチック様式の素晴らしい礼拝堂です。 大聖堂前にはこの時期ならではのクリスマスツリーが飾られ、国内外からの学生グループや観光客で溢れていました。
見どころの多い大聖堂でしたが、塔に上らなかったのが残念でした。387段もある狭いらせん階段を上がっていくのですが、いつでも長い行列が出来るほど人気があるのは、眺めが良いだけでなく、ガルグイユと呼ばれる奇妙な怪物とも出合えるからかもしれません。あぁガルグイユに会いたかったなぁ。
これからサンジェルマンデプレに向かって歩きます・・・ |
ホテルの外に出ると、さっきまでの雨が嘘のように晴れ上がっていました。 この警官?は何をしているのでしょう。パトロール?その向こう側にクリスマスの飾りが施された大きなデパートが見えて来ました。ここのウィンドウディスプレイが見ものだとの話しを聞いていたのでドキドキワクワクでした。が、屋上から人の姿が見えたので、屋上へ出れるんだ、と思い、まずそこへいくことにしました。それが建物の中に入るや大きなクリスマスツリーが吹き抜け部分にデーンと聳え立っていたので圧倒されてしまいました。
ギャラリーラファイエットは本館とインテリア館、そして紳士・食品館の3館に分かれているので全部見て回ろうとすると時間がかかりそうです。兎に角、一階まで降りてから外に出ました。お洒落にディスプレーされたウィンドウがいったい幾つあったでしょう。その数にも圧倒されました。写真では本当の雰囲気が味わえないかもしれませんが、もう“ファンタスティック”そのもの。
子供用ディスプレーの数々はどれも動物達に動きがあり、とても可愛くて子供でなくても見とれてしまいます。ムービーで撮りたいほどでしたが、バッテリーが気になるのでやめました。どのウィンドウの前も子供連れで大賑わいでした。
こんなふうに、買物をしないでも楽しめるデパート見学でしたが、隣接したところに「プランタン」があるので少しだけ立ち寄りました。こちらはGラファイエットのピンク色に対してブルー系でまとまったディスプレーの数々です。 お昼用の食物の調達を忘れているのに気付き、お寿司や飲物等を購入してホテルへ向かいました。(本当はこのあと別の道を通って戻ろうとして迷子になりかかったのです!)デパチカやMONO'P で買えるお寿司はシーチキンやサーモンなどが主ですが、コンビニでも手軽に寿司パックを買えるとは・・驚きでした。
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夜が明け、一晩中気分悪くて眠れなかった子が、「やっぱり無理だ。ママ一人で行ってくれる?」と言うので、心配だけどそうすることにしました。 石畳の上を、17世紀という過ぎ去った年月に想いを馳せながら歩きました。 ガイドさんのお話を、宮殿の広い空間のどこにいても聞き漏らさないように、バスの中でそれぞれイヤホンを渡されていました。外人なまりの流暢な日本語が途切れなく聞こえてきます。リアルタイムの音声ガイドです。 窓の外は雨、雨、雨。止む気配なし。庭園には出れそうもありません。でも冬場なので花壇にお花は皆無だから・・ま、いいか。それに室内は雨と関係なくフランスの黄金時代の頂点を、ゴージャスな装飾を通して体感できるんですもの。 ヴェルサイユ宮殿でまず目に付いたのが下のようなわけのわからぬ(いや、わかりすぎる!)物体というかアートというか、・・・一体全体何なの、この場違いなものは?と、呆れるようなものたち。それがアメリカ人アーティスト、 ここは美術館?と思ってしまうほど天井という天井ぎっしりに描かれた絵画。 パリ市街に着いた頃、雨は止み、急いでホテルへもどりましたが、娘は朝同様、寝ていました。注文したスープもそのままで殆ど手付かずでしたが、山は通り越したようです。それじゃぁ食料の調達にちょっと出かけてくるからね、と、ギャラリーラファイエットやプランタンのあるオスマン大通りへ向かいました。 長くなりすぎたので、この日を2回に分ける事にしま~す。 |
朝、部屋のカーテンを引いた ホテルを出て右手(ルーブル方面)にちょっと行ったところにパン屋さんがある。
もちろんスーパーだから、最初は物珍しく見るんだけど、これといって欲しいものは見当たらない。雑貨もファッションもイマイチだ。食品だけは生鮮ものから菓子類、飲物などずらりと揃っているので、こういう所でお弁当でも買っていれば旅行も安上がりというもの。私たちも水だけは買って持ち歩き、水分補給をマメにしたけど、MONOPRIXはびっくりするほど安かった。
娘の用事?が終わらないので一人二階へ、地下へとうろうろする。地階‐生鮮野菜売り場では名前のわからない野菜も多いが、豊富な品揃えを見ていると買わなくても心が躍る。ホテル選びがバッチリだったことを再確認。店内撮影ってOKかしら、と躊躇していると日本人らしき男性がデジカメ撮影をしているではないか!それじゃぁ、と、野菜の棚の部分だけをササッと撮ってみる。何だか判らないものも多くあったが、いちいちメモするのも面倒なこと。へぇ~と目を丸くするだけに留める。 パリ観光案内所はモノプリを右に曲ってすぐの所にあった。 いたってシンプルで、パンフレットとカウンターがあるだけ。 ミュージアムパスは12月3日から6日までの「4 days」を購入。(一人45ユーロ)連続した4日間内なら何回でも使えるパスだけど、歩く所見るもの全てを面白がって寄り道ばかりしている私たちが、それをフルに活用する自信は、正直なかった。パリに来たからには美術館巡りだ、と思う気持ちと、パリに来てまで美術館という空間の中ばかりに居たくはない、という気持ちが揺れ動く。 歩いていける範囲に3ヶ所のパッサージュ(18世紀に登場したガラス屋根のショッピングアーケード)があることを本で知っていたので取り敢えず行く事に。 次は、旧国立図書館のアネックス的存在だというギャルリー・コルベール。Institut Nationalなんたらかんたら・・と書かれた垂れ幕があり、静かで知的な空間だ。旧国立図書館リシュリュウ館がすぐ横にあったのだ、と、これもあとで知った。 次のパッサージュはギャルリーヴィヴィエンヌ(Galerie Vivienne)。パリで最も優雅なパッサージュといわれているそうだ。クリスマス用?の照明もエレガントだし、お洒落なブティックやティールームが並んでいる。
一体何時だろう、と腹時計に聞くと、もうとっくにお昼時間は過ぎているよ、とのこと。でももう少し先に行けば郵便局がある。プラハで書いた絵はがきを出し忘れていたので、一日でも早く着くように中央郵便局まで歩こうと、一人で決めていた。重厚なフランス銀行の建物を右に見ながら歩くとヴィクトワール広場に出た。ルイ14世の騎馬像が丸い広場の真ん中に立っている、という古風な場所。が、そこでケンゾーのブティックを見つけた。その先を右(この写真では、右から歩いて来た)に曲りワンブロック行った所に郵便局はある。 広告をまとめて広告塔に貼るとこんなに美しくなるし、広告塔の形もいいし、街並みに邪魔な色がない。 郵便局では記念切手を買いたかったのに、コレクター用の窓口に、じいさんが一人粘っていて行列が出来ていたので諦め、一般の窓口に行く。年配男性の窓口をのぞいて英語で話しかけたら、隣の若い女性の窓口へ行け、と指をさす。その彼女は英語ペラペラ。フランスの若い人は想像していた以上に英語が達者だと思った。 そこからオランジュリー美術館まで、リヴォリ通り沿いを歩いていたら娘がマックを見つけた。パリでマックは珍しいそうだ。ずんずん歩くと超豪華なホテル、「ル・ムーリス」の前に出た。溜息が出るほど豪華なので、なんてエレガントなホテルなの!と若いボーイさんに叫んだら、頷いてにっこりしてくれた。
この日の夕食はルーブルの中のレストランで済ませ、帰り際、地下で郵便局を見つけて記念切手を購入。局の人が日本語が上手なので色々お話をしたが、日本の大ファンとのこと。毎年のように日本への旅行を楽しみにしている、と言っていたので何かとても嬉しくなった。穏やかで感じのいい方だったので、時間が許せばもっと話していたかったな。 |
モンサンミッシェルからは、行きと全く同じルートでパリへ向かいました。すでに行きに見ている車窓からの風景ですが、何回でも、飽きずに眺めていました。途中で一瞬のうちに小さな村を幾つか通り過ぎるので、本なんか読んでいられません。2009年の年賀状にも、この時通り過ぎた景色を切り取って使用しているんですが、絶対に牧場があるぞー!そしてウシがいるぞー!と、確信していた通りの眺めが現れた時の私の歓喜をご想像下さい。 モンパルナス駅には午後1時過ぎに到着。駅の出入り口付近のフラワーショップが溢れんばかりの花束で私たちを出迎えてくれているようでした。駅の花屋さんで花束をパッと掴んで買って行くのは、男性なのでしょうか?
日本の女性誌や花の専門誌には、個性豊かなパリの一流フラワーショップが幾つも紹介されていますが、駅や道端の花屋さんは、花もラッピングも共にカラフル。赤と黄色だなんて、反対色ではありませんか。ここでは、“何とも言えない微妙な色あい”の花は見当たりませんでした。 花束に値札がついていますが読めるでしょうか?10~25ユーロ位の花束が多いようです。日本円にするには、その時の相場・・・120円位かな・・を当てはめて下さい。 寒い時期は何と言ってもチューリップが安らぎます。パリの一般的なお花たちは、ほぼ見慣れたものばかりでした。 駅を出て、モンパルナス通りのカフェでお昼をするつもりでしたが、ごちゃごちゃした駅前をあっちかな~こっちかな~と、ウロウロしているうちに、偶然ギャラリーラファイエットのモンパルナス店の前に出てしまいました。
まだ寄るつもりではなかったデパート。 わがホテルから歩いて行けるころにオスマン店があるので、ゆっくり楽しもうと思っていたんですがこんな所で出遭っちゃうだなんて・・・もう知らないよ! あっという間に1~2時間が過ぎました。セール品も多くありましたが、割引してもらうにはデパートの会員カードが必要でした。ここで私が買ったのは、実用的なハンドクリームとつめ切り。パリでつめ切りを買おうと思い、持参しなかったけど、日本の方がお洒落かも。
マフラーや小物等は素敵なデザインと色使いのものがいっぱいありますが、素材を見ると購買欲が萎えます。私もそうなんですが、日本人って天然素材が好きな気がするんですよね~。値段を考慮しなけりゃ、勿論、色々といいものがありますです。ブランドには全然興味ないbianca?ですが、いいな、と思ったモノは日本と同様やはり高い!
なぜだかお腹のすき過ぎることの多い二人旅ですが、この日も又、お昼をとっくに過ぎた中途半端な時間になってしまいました。モンパルナス大通りを、カード屋さんを覗いたりしながら目的地周辺まで行くと、通りを挟んだ両側にある数軒の老舗カフェが目に入ってきました。さて、どこに入ろう・・・。
だって、だって~どこも、20世紀初頭のエコール・ド・パリ時代の作家や詩人,画家たちの溜まり場だったんですも~ん。全部を覗きたかったけど、私たち、小旅行帰りなので、おのぼりさんのように、ボストンバックをずっと持ち歩いていたんです。
雑誌で見るだけだった憧れのカフェが実際に目の前にあるんです!ただ、もっと質素かと思っていたのですが、それらのきらびやかな外見に少し引いてしまったのも事実です。もはや観光化されているのでしょうかね。
冬場なのでオープンカフェとは行かず、お客は殆どが建物の中です。「ル・セレクト」を過ぎ、VAVINの交差点手前にあるカフェは「ラ・ロトンド」1903年開業当時はダンスホールも兼ねていたそうです。この建物の一室で、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが生まれたとのこと。
横断歩道を渡った所には「ル・ドーム」があります。ガイド本によると1898年開業。モディリアニ、藤田嗣治、ピカソなどが常連で、ロバート・キャパも利用していたという由緒あるカフェ。今は魚料理の店としても有名で、高級化しているようです。このカフェの右をちょっと行った所には「ラ・クーポール」があり、アールデコの内装が素晴らしいようなので入りたかったのですが、結局、娘の希望を叶えてあげました。 夕刻も迫った時刻だったのでお客はガラス越しの席のみで、中はディナータイム前で準備中なのか、誰もいませんでした。
ステンドグラスがとても鮮やかで、一世紀前の店内を想像しただけでもドキドキしちゃいます。
トイレは地下。昔の写真が壁にいっぱい貼ってありました。
友人が、パリではレストランに入ることないわよ カフェご飯で十分よ・・と言っていたのを思い出しましたが、ここはどうも区別しているようです。
クロークムッシュを頼んだら、うぅ・・っ、チーズが臭い!だめだぁ。チーズは好きですが癖のある、匂う(臭う)チーズはダメなんです。その上、緑の添え物が何もな~い。ピクルスでもクレソンでもチョンと添えてくれるだけで、よりおいしく感じるのにね。というか、日本式に慣れているからかもしれませんね。フランス語のメニューから選ぶのって、サンドイッチ一つにしても難しい。
このカフェの、この時刻の客層ですが、ご年配が多かったです。母ぐらいの年齢の方が、ひとりでブラッと店に入って来て、常連の同年代の方を店内で見つけ、お喋りに花を咲かせていたり、新聞に目を通し、ゆっくりしたひとときを過している男性とか、きっとご近所の常連さんなんでしょうね。大人のカフェ文化が浸透しているパリって、年をとっても楽しめる要素が多くあるかもしれません。
さ、暗くなってきたのでメトロに乗り、どこかで一度乗り換え、ホテルまで戻りました。夜は娘が幼なじみのコンちゃんと会う約束をしていたのです。会うまで部屋でゆっくり過しましたが、彼女は普段でも仕事が夜遅くまであるようです。翌日はポーランドへの出張が控えていたそうですが、今夜が唯一の予定の入っていない夜だったのです。モーレツキャリアウーマンなんでしょうか・・。
9時過ぎになってしまう、との連絡から、8時には行けそうだ、と再度電話が入り、再会の時間が刻一刻と迫ってきました。NYでは娘がご馳走になったので、今回は私がご馳走するつもりでしたが、彼女のブラジルにいる父親が、是非私たちにご馳走したい、と言っているとのことで、お言葉に甘えましたが、やはり二人だけで会ったほうが積もる話もし易いのでは、と、急遽、私は遠慮する事に。 8時になり、ドキドキしながらエレベーターに乗り、ロビー階で降りると、もうそこにはコンちゃんが待っていました。
7~8才だった女の子が、その時のイメージをそのまま保ちながらも素敵な女性としてそこに立っていたんです。嘘みたい!何て言っていいやら・・お互い抱き合って挨拶を交わしました。娘とは英語で、私とはポルトガル語です!忘れ掛かったポ語ですが、そのほうが自然に口から出るんです・・・なぁ~んて、笑っちゃうようなレベルですけどね。
こんなにカッコいいコンちゃんですから、さぞや取り巻きが多いのではと思い、ご結婚はまだ?と尋ねると、「う~~ん、じっくりと・・選ばなくちゃぁね!」とウィンク。仕事で忙しそうだけど、どんな仕事をなさっているの?の質問では、この国のボスが私のパトロンなの、というので、えっ、どういうこと?もしかして、えぇ~~っ!サ、サル○○氏の?・・と聞き返すと、そうなの・・と返事が返ってくるではありませんかぁ。もうおったまげました。 さて、私は二人を送り出したあと、一人で近くを歩きまわり、入り易そうな小さなラーメン屋を見つけました。ラーメン屋といっても中国人の店でしたけど。サル○○氏のもとで仕事をするコンちゃんを想像しながらパリの空の下、一人侘しくラーメンをすするbiancaでしたが、そんなミスマッチが次第に愉快になって来ました。食後は細道を蛇行し、夜のオペラ界隈を怖いもの知らずでルンルン気分でウォーキング。スタバを見つけてカフェでも、と入ったのですが、若者がぎっしりテーブル席を占領していたのでテイクアウトにしました。で、ここでナンパされかかったので~す。本当だってば! うっそ~! 本当だってぇ!
その相手の子、片言の日本語で話しかけてくるので少しお喋りをしたのですが、一人なの?と聞いて来たので、夫が外で待っているんで・・じゃぁね!と言ってその場を去りました。全くどうってことなかったけど、おばさんに声を掛ける人っているのね。(ちょっと喜んだりして。エヘへ) ホテルに戻ったのは10時をとっくに過ぎていました。娘はその一時間後位に帰ってきましたが、「ママ、すごいこと聞いちゃった!」と興奮気味です。 さっき興奮していたのに更に更に、、で、今度は何だ、と思ったら、な、なんと、サル○○氏がコンちゃんの義理の兄に当るんだって!と言うんです!! (←娘と一緒に食事に行った先でのコンちゃん。)
(2009/03/10) |
「二人旅」の続きが進まず、もうすぐで出発の日から一ヶ月が過ぎそうで
焦っています。マイペースで少しずつ進めて行くしかありません。
クリスマスの時期に合わせてupしたい写真もあったのですが、もう
しばらくかかりそうです。なにせ年賀状もまだ手付かずなんですから。
今日のこのブログの前に付け加えるかもしれませんのでご了承の程を。
上の画像はノートルダム寺院内の一コーナーで見つけました。
「言葉」は加工した時に付け加えたものです。
皆さま、どうか今年のクリスマスを心安らかにお過ごしください。
メリー クリスマス !!