溜池山王から新橋まで行き、そこからJRで上野へ。
・・・っていったいいつの話かって?
は~い、前回の続きで~す。もうやめた、と何度も思ったけど、今更のup、ご免なさいの言葉も飽きましたね。書き始めから一週間。上野に行ってからは10日も経過!オロオロの連続・・・
当日は、3月31日の初日前から評判の高かった、奈良興福寺の創建1300年を記念して開催されている阿修羅展と、一般公開中だった東博庭園の両方を見てこようと思いました。それが・・着いた時間が遅すぎ、というか、5時までだと思っていた庭園公開が4時までだったので間に合わず、がっか~りでした。
阿修羅展は思ったほど混んでいませんでしたが、丁寧に見る方が多いので行列になっていました。ガラスケースなどに展示されている第一章の「興福寺創建と中金堂鎮壇具」の小さい出土品の断片などが、今回の75点ほどの展示物の内の47点を占めていたのですが、優れた工芸品だったと言っても断片では何だかよくわからず、人の肩越しにサッと見て、本命である第二章「国宝 阿修羅とその世界」へと進みました。
そこでは国宝・八部衆像の内の7体と、同じく国宝・十大弟子像の内の6体がずらりと勢ぞろい。それらは聖武天皇のお妃だった光明皇后が天平6年(734)に亡き母の一周忌供養のために造ったもの。
八部衆は仏教を守護する「天」で、もとはインドの神。仏教に取り入れられてその守護神となったそうです。どれも表情豊かで、阿修羅像もこの中の一つの神なのですが、同じ第二章の中でも展示室が別でした。
左から:
●迦楼羅(かるら) 鳥頭人身の像で煩悩や不利益なことを食い尽くしてくれる。
●乾闥婆(けんだつば)音楽神で香を食べて生きる半神。天界の神酒ソーマの番人。
●沙羯羅(さから) 水中の龍宮に住み、雨を呼ぶ魔力を持つ。
●緊那羅(きんなら) 毘沙門天の家来または帝釈天宮の音楽神ともいわれる。
●五部浄(ごぶじょう)八部衆の最初にこの神をおくことによって「天部」像を総称。
●鳩槃荼(くばんだ) 死者の魂を吸う悪霊ともいわれる。
●畢婆迦羅(ひばから)音楽神を司る神で、横笛を吹き、諸神を供養する。
ふぅ~、漢字の入力が大変!説明文などはweb上で全て読めますが、阿修羅の仲間たちなので、一応マイブログに書いておこうと、IMEパッドの手書きを使ったのです。
つづいて十大弟子ですが、八部衆が憂いなど一時的な表情を表わすのに対し、こちらは年齢を表わすとのことです。つまり人生の節目のあるべき姿、ということのようです。
9.富楼那(ふるな)の温和は耳順(六十歳)
10.迦旃延(かせんえん)の達観した姿は従心(七十歳)
11.羅睺羅(らごら)の落ち着きは不惑(四十歳)
12.舎利弗(しゃりほつ)の自信は而立(三十歳)
13.目連(もくけんれん)老境に差しかかるが衰えのない表情は知命(五十歳)
14.須菩提(すぼだい)の希望に満ちた表情は志学(十五歳)
ー以上、東京国立博物館ニュースよりー
あのころの時代は五十歳が老境に差しかかる年だったのでしょうか。わかる気もしますが、寿命の延びている現在では少なくともあと2体は欲しいところですよね。
さて、阿修羅立像の登場です。
会場にはこの像だけが展示され、床面と上方から見れるようになっています。
像の周囲は人だかりが出来ていますがぐるりと360度の角度で見れるんです。
3つの顔と6本の細くて長い腕を持った身長153cmの阿修羅像は思っていたより華奢でした。正面の愁いに満ちた表情はジッと見つめていると涙を湛えているように見えます。
もともとはインド神話に出てくる戦いの神でしたが、お釈迦さまの説法を聴いて仏教を信じるようになったということです。
美少年といわれるだけある魅力的な姿に見とれました。何回もの火災から難を逃れ、1300年の年月をよくぞ堪えて私の目の前にその姿を現してくれましたね~。
京都は時々行っていますが、奈良にはおそらく高校の修学旅行で行ったきりだと思います。やたら神社仏閣ばかり見て回る修学旅行でしたが、それほど興味がなかったので、興福寺に行ったかも私の記憶の中にはありませ~ん。
先日、その頃の友人たちと丸の内で待ち合わせてお食事したのですが、(丸ビル35Fでの、一度行きたかった店での食事でしたが、その内容が値段のわりにたいした事なかったのでブログupしませんでした。)皆の記憶はどうだったか確かめたくなりました。一つだけ鮮明に思い出せるのは、京都に着く前の琵琶湖の畔で偶然、石坂浩二さんに出会い、一緒に写真を撮ったことです。そう言えばその時の写真どうしちゃったかしら。まだあるかなぁ。
第三章は「金堂再建と仏像」。
興福寺の金堂は7回も焼失しその都度再建を繰り返しました。今の金堂は1717年の焼失後に仮に建てられたもので、来年完成予定で作業が進められています。その仮の金堂に収められている薬王菩薩立像など10点ほどがここで展示されています。
第四章は、“バーチャルリアリティ映像「よみがえる興福寺金堂」「阿修羅像」”
短い映像ですが、創建時の金堂の再現を目指したスケールの大きさがわかります。次回、阿修羅像と出会う時はこの新しい金堂の中でになるでしょう。
早めに見終わったのでコーヒーでも飲みたかったのですが、カフェがないんですよね、平成館には。で、一階ラウンジにある「鶴屋〇〇」のあんみつをいただきました。蓋を開けてびっくり。寒天のほかは餡とサクランボだけ。寂しそうなあんみつにも不況の影が。っていうか、初めてなのでこのシンプルさはいつもと同じなのかしら。
次は本館に向い、今回で三回目となる黒田清輝作品の特集陳列「黒田清輝のフランス留学」を見てきました。
法律家を目指してフランス留学を果たした19歳の彼は、9年後に画家となって帰国したんですね。なんという才能に恵まれた方なんでしょう。色使いや優しいタッチが大好きです。留学中に親交のあった日本人画家たちや師であるラファエル・コランの絵も何点か展示してありましたし、自筆の書簡なども達筆で美しい。この特集陳列は4月12日まででしたが、すぐ近くに黒田記念館がありますし、記念館のHPでも彼の作品を沢山見ることができます。