ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ゾーヴァ展再び

2009-04-30 | art/exhibit/museum

わが家のゴールデンウィークはカレンダー通りです。
なので今年は5月2日から6日の5日間が連休となります。今のところ旅行の計画を実行に移しているのは、すでにベトナム方面へと旅立った娘のみ。息子は4日以降が休暇となるので、今年は家族バラバラでの連休の過し方になりそうです。子の年を考えれば当然ですけどね。

29日の「昭和の日」は、地元の友人が招待券を持っているとのことで、「ミヒャエル・ゾーヴァ展」に誘ってくれました。3年前に同じ会場で開催されたときに見に行き、ブログ記事も書きましたが、今回も楽しくて仕方がありませんでした。
彼の描くユーモア溢れる絵は子供でも大人でもだれでも楽しめるんですよね。

前回と同じ絵もありましたが、「エスターハージー王子の冒険」や「ちいさなちいさな王様」など、人気の絵本原画から最新作までの約130点が展観。
原画は小さな絵が多く、皆がジッと覗き込むように鑑賞するので、行列ができていました。小さな絵の中の、更に小さなうさぎさんや王様やブタの絵を大きな人間が一生懸命覗きこんで見ている様を見るのは、なかなか面白~い!
 

 

 

彼の作品の魅力は、「ドラマ性というか、とくにユーモア、それも背後に狂気を隠しているような笑いというものは、風刺画を描く僕にとって、重要なテーマだ。」と語るゾーヴァ自身の言葉の中に隠されています。

と、パンフレットに書かれていましたが、嘘をつくと口からガマガエルが飛び出る女の子とか、重そうなオッパイをぶら下げた牛がスケートリンクですべっている絵とか、次々と展開される発想が面白おかしくて、ゾーヴァという人に興味を持ってしまいます。昨日は初日で、午前と午後の二度サイン会が行われていたようです。私たちはその間に行って見ていたので彼に会えずとても残念でしたが映像が二本流れていた中でのゾーヴァは見てきました。どことなくかわいくて、構わないところもあるけど心が繊細・・なイメージを受けました。
会場を出たところの、何とまぁ、キャラクターグッズの多いこと!そのくらいキャラが可愛いのです。

            

  


満開のハナミズキ

2009-04-23 | flower/green

わがマンション前のハナミズキがほぼ満開になりました。
コブシの花が終わってしばらくすると蕾がふくらみぼちぼち
咲きだすのですが、この数年、花の変形が多くみられるようになり
心配していたのです。でもこんなに綺麗に咲いてくれました。
車での外出時にケータイカメラで撮ったのでピントが甘いですね・・

昨日の夕刊に「季の移ろいに心ゆらぐ」というタイトルで
書かれていた志村ふくみさんの文章が浮かんできました。

この季節になると毎年思うことだが、
今年はそれがはっきり浮き彫りに
されたように心に響いた。
年をとったせいか、ほんのちょっとした
季の移り変わりに心がゆらぐのである

・・・・・

季節は誠心誠意働いている。
何という自然の深い叡智だろう。
人間なんてその足もとにも及ばない。
それどころか自然を切り刻んで
自分達のたのしみに奉仕させている。
どんな答がかえってこよう。
悲鳴をあげている声を聞かなくては
いけないと思う。今、山野に出てこの恵みを
存分に受けてのち、私達はその分に応じて
慎ましく生を享受することはいいことだと思う。

このかけがえのない節気を大切にしたい。
四月のはじめからは「清明」と呼ばれ、
空気が清らかに明るさを増し、
万物が生々と成長する時期である。

・・・・・

文章の一部分から、適当に取り出しましたが、
このような文章を多く読みたいと思う年になったと
いえばいいのでしょうか。

季節のうつりかわりにおろおろして、植物達のけなげさに
心を奪われ、庭の片隅で感動している・・・
八十路をすぎた志村さんの感性はとてもすてき~。

感じた事を、人の文章を引用せずにあのように
書けないものかなぁ、と、尽々思いました。

ハナミズキのあとに続け、と、色んな植物が
自分の出番の準備をしている気配は・・・春ならでは、ですね。


橋からの眺め

2009-04-22 | news

先週末、日本橋での用事を済ませ、天皇・皇后ご成婚50周年記念写真展を見に三越へ向かって歩いていた時、橋の上で高速道路の支柱に書かれた年号が目に入った。
おや、なんだろう?

       

そうか・・・

1964年は東京オリンピックの年

2009年は現在。IOC評価委員会視察中

2016年は第31回オリンピックの年

そして1603年は日本橋架橋の年

               


 1911年は現在の日本橋架橋の年でした。

 

 

 


19日にIOC評価委員会は東京での現地調査を終えたばかりだけど、2016年五輪招致をかけてのアピールだったのね。
それも1964年の東京オリンピック時に出来た、「美しい日本橋」の景観を台無しにした高速道路の支柱にアピールとは・・・

シカゴ
リオ・デ・ジャネイロ
マドリード
トウキョウ

この4都市の評価レポートは9月に公表され、10月2日にコペンハーゲンで行われる国際オリンピック委員会の総会で決定される。

「トウキョウの開催計画に感銘を受けた」と、ナワル・エル・ムータワキルさん。
「視察中にサッカーボールでリフティングを披露し、植樹の式典では子どもたちと目線画同じになるようにしゃがみこみ、笑顔で話しかけた」と新聞記事。す・て・き!

視察団は五輪招致に反対の市民団体とも会い、「五輪よりも医療福祉にお金をつかってほしい」等との訴えも聞いたという。
決定にはわくわくするけど、私としてはどこでもいいや、っていうのが本心だ。

コンクリートの高速支柱がモダンに変身した橋からの眺めは・・
なんだか いいじゃ~ん!

 


潤んだ瞳の阿修羅

2009-04-15 | art/exhibit/museum

溜池山王から新橋まで行き、そこからJRで上野へ。

・・・っていったいいつの話かって?
は~い、前回の続きで~す。もうやめた、と何度も思ったけど、今更のup、ご免なさいの言葉も飽きましたね。書き始めから一週間。上野に行ってからは10日も経過!オロオロの連続・・・

当日は、3月31日の初日前から評判の高かった、奈良興福寺の創建1300年を記念して開催されている阿修羅展と、一般公開中だった東博庭園の両方を見てこようと思いました。それが・・着いた時間が遅すぎ、というか、5時までだと思っていた庭園公開が4時までだったので間に合わず、がっか~りでした。

       

阿修羅展は思ったほど混んでいませんでしたが、丁寧に見る方が多いので行列になっていました。ガラスケースなどに展示されている第一章の「興福寺創建と中金堂鎮壇具」の小さい出土品の断片などが、今回の75点ほどの展示物の内の47点を占めていたのですが、優れた工芸品だったと言っても断片では何だかよくわからず、人の肩越しにサッと見て、本命である第二章「国宝 阿修羅とその世界」へと進みました。

そこでは国宝・八部衆像の内の7体と、同じく国宝・十大弟子像の内の6体がずらりと勢ぞろい。それらは聖武天皇のお妃だった光明皇后が天平6年(734)に亡き母の一周忌供養のために造ったもの。 
八部衆は仏教を守護する「天」で、もとはインドの神。仏教に取り入れられてその守護神となったそうです。どれも表情豊かで、阿修羅像もこの中の一つの神なのですが、同じ第二章の中でも展示室が別でした。

 
 左から:

●迦楼羅(かるら)   鳥頭人身の像で煩悩や不利益なことを食い尽くしてくれる。
●乾
闥婆(けんだつば)音楽神で香を食べて生きる半神。天界の神酒ソーマの番人。
●沙羯羅(さから)  水中の龍宮に住み、雨を呼ぶ魔力を持つ。
●緊那羅(きんなら) 毘沙門天の家来または帝釈天宮の音楽神ともいわれる。
●五部浄(ごぶじょう)八
部衆の最初にこの神をおくことによって「天部」像を総称。
●鳩槃荼(くばんだ) 死者の魂を吸う悪霊ともいわれる。
畢婆迦羅(ひばから)音楽神を司る神で、横笛を吹き、諸神を供養する。

ふぅ~、漢字の入力が大変!説明文などはweb上で全て読めますが、阿修羅の仲間たちなので、一応マイブログに書いておこうと、IMEパッドの手書きを使ったのです。


つづいて十大弟子ですが、八部衆が憂いなど一時的な表情を表わすのに対し、こちらは年齢を表わすとのことです。つまり人生の節目のあるべき姿、ということのようです。
    
  9.富楼那(ふるな)の温和は耳順(六十歳)
 10.迦旃延(かせんえん)の達観した姿は従心(七十歳)
 11.羅睺羅(らごら)の落ち着きは不惑(四十歳)
 12.舎利弗(しゃりほつ)の自信は而立(三十歳)
 13.目連(もくけんれん)老境に差しかかるが衰えのない表情は知命(五十歳)
 14.須菩提(すぼだい)の希望に満ちた表情は志学(十五歳)
                 ー以上、東京国立博物館ニュースよりー

あのころの時代は五十歳が老境に差しかかる年だったのでしょうか。わかる気もしますが、寿命の延びている現在では少なくともあと2体は欲しいところですよね。

さて、阿修羅立像の登場です。
会場にはこの像だけが展示され、床面と上方から見れるようになっています。
像の周囲は人だかりが出来ていますがぐるりと360度の角度で見れるんです。
3つの顔と6本の細くて長い腕を持った身長153cmの阿修羅像は思っていたより華奢でした。正面の愁いに満ちた表情はジッと見つめていると涙を湛えているように見えます。
もともとはインド神話に出てくる戦いの神でしたが、お釈迦さまの説法を聴いて仏教を信じるようになったということです。

美少年といわれるだけある魅力的な姿に見とれました。何回もの火災から難を逃れ、1300年の年月をよくぞ堪えて私の目の前にその姿を現してくれましたね~。

京都は時々行っていますが、奈良にはおそらく高校の修学旅行で行ったきりだと思います。やたら神社仏閣ばかり見て回る修学旅行でしたが、それほど興味がなかったので、興福寺に行ったかも私の記憶の中にはありませ~ん。

先日、その頃の友人たちと丸の内で待ち合わせてお食事したのですが、(丸ビル35Fでの、一度行きたかった店での食事でしたが、その内容が値段のわりにたいした事なかったのでブログupしませんでした。)皆の記憶はどうだったか確かめたくなりました。一つだけ鮮明に思い出せるのは、京都に着く前の琵琶湖の畔で偶然、石坂浩二さんに出会い、一緒に写真を撮ったことです。そう言えばその時の写真どうしちゃったかしら。まだあるかなぁ。

第三章は「金堂再建と仏像」。
興福寺の金堂は7回も焼失しその都度再建を繰り返しました。今の金堂は1717年の焼失後に仮に建てられたもので、来年完成予定で作業が進められています。その仮の金堂に収められている薬王菩薩立像など10点ほどがここで展示されています。

第四章は、“バーチャルリアリティ映像「よみがえる興福寺金堂」「阿修羅像」”
短い映像ですが、創建時の金堂の再現を目指したスケールの大きさがわかります。次回、阿修羅像と出会う時はこの新しい金堂の中でになるでしょう。

早めに見終わったのでコーヒーでも飲みたかったのですが、カフェがないんですよね、平成館には。で、一階ラウンジにある「鶴屋〇〇」のあんみつをいただきました。蓋を開けてびっくり。寒天のほかは餡とサクランボだけ。寂しそうなあんみつにも不況の影が。っていうか、初めてなのでこのシンプルさはいつもと同じなのかしら。

次は本館に向い、今回で三回目となる黒田清輝作品の特集陳列「黒田清輝のフランス留学」を見てきました。


法律家を目指してフランス留学を果たした19歳の彼は、9年後に画家となって帰国したんですね。なんという才能に恵まれた方なんでしょう。色使いや優しいタッチが大好きです。留学中に親交のあった日本人画家たちや師であるラファエル・コランの絵も何点か展示してありましたし、自筆の書簡なども達筆で美しい。この特集陳列は4月12日まででしたが、すぐ近くに黒田記念館がありますし、記念館のHPでも彼の作品を沢山見ることができます。

 


屋上庭園

2009-04-11 | flower/green

 この週末は、春爛漫という言葉がぴったりの好天気でしたね。溜池のコマツビル屋上が庭園に
なっていることは 以前から知っていたのですが、毎週金曜日、午後の2時間だけ一般に開放して
いるので、仕事をしている身には無理で、ずっと行けませんでした。昨年から無職になったのに、
その存在をすっかり忘れていたら、先月の新聞誌上に「特別公開 桜の園」と題した記事があり、
ヒルズ屋上や国立博物館などと並んでここが紹介されていたのです。

今年は桜の満開の時期が遅かったのでうっかり忘れそうでしたが、10日と11日の
特別公開日の始まる前日に思い出し、行ってきました。
一階で受付を済ませ、屋上へ。出た所は狭いのですが、進んでいくと
本当に、見事な枝垂れ桜が満開ではありませんか!



ビル建設時に"空中庭園”として設けられたそうで、200種類もの植物が360㎡の
庭園内に植えられています。ビルを補強することで普通の土壌を使用。

 
  

  

屋上庭園は3つのガーデンに分かれています。
1966年に開設された桜庭園、2001年にデッキガーデン、そして2003年にはクエアガーデン
と、近年になってより充実した内容になったようです。
桜庭園には忘れな草など、ブルー系の小花が桜の木の下などにびっしり。

   

デッキガーデンは英国風スタイルで、広々としたウッドデッキが使用されています。
このビルで働いている人々の憩いの場所となっているんですね。羨ましい限りです。
ここが溜池山王の交差点の角地だとは、庭園を見ているだけだったら想像できないでしょう。

  

  

 

花の数がとっても多く、名札の付いているものも多かったのですが、メモ書きのどれが
どれだかわからなくなりました~ 写真撮るのにうんざり~の筈なのに撮っている私。
ん~もぅ~!折角撮ってきちゃったのでもうちょっとupさせて(自己満足)下さいね。

*・・*・・*・・*・・*・・* キャ~カワイイ!!の花々 *・・*・・*・・*・・*・・*

 
 

これらのお花は、これから更に整備される余地大のスクエアガーデンで見つけました。
ガクのある新拓という名のチューリップとか、ウブケだらけのお花とか。

見ているだけでかわいくってたまらない~♪

 スクエアガーデンから国会議事堂がすぐそこにあるように見えました。高いビルが次々と建設されていますが、この庭園の邪魔をしないでほしいな。
このビルでは生ゴミ処理機を設置してあり、社員食堂の生ゴミのリサイクルをしているとのことです。生ゴミの再生品を有機肥料として使用しているんですって。
さすがKOMATSU!

気が付いたら4時すぎで、まわりにはもはや訪問客がいなかったので慌ててエレベーターで一階へ降りました。

金曜日の午後2時から4時が定期開放日。
出かけたついでに季節を変えて又訪れたいと思いました。友達とおやつを持ってきてお喋りしてもよさそうですね。

このあとは、当日夜8時まで開館している上野の山まで阿修羅像を見に行ったbiancaでした。

 

 

 


明日館の桜

2009-04-05 | visit/drive

                  

有楽町線に乗って行った先は自由学園明日館(みょうにちかん)
羽仁吉一・もと子夫妻により、大正10年に創立された自由学園誕生の校舎です。

一度行かなきゃ、と思いながら何年も過ぎていました。
桜も見ごろで、日によっては夜桜見学日もあったようですが、私にとって明日館は何といってもかの有名な建築家フランク・ロイド・ライトの設計した建物なので、是非見たかったのです。
帝国ホテル設計のために来日していたライトに校舎の設計を依頼し、彼らの教育理念に共鳴したライトはそれに
快諾。
こうして出来上がった建物は、1997年には国の重要文化財となりました。

池袋は滅多に行かないのでよく知りません。地図をコピーした紙を見ながらも、ビルが多くてわかりにくかったです。沖縄出身の学生時代の後輩が、あの当時池袋に下宿していたっけ・・と、ふと思い出しました。一度泊めてもらったことがあるのですが、それがどっち方向だったか全く出せません。オリーブ(あだ名)どうしているかなぁ。

細い道に入って行くと、想像していたより小ぶりな建物があらわれました。 

 

建物はいたってシンプルですが、中は思った以上に素敵でした。入口を入ると一輪挿しの清楚なお花に自然と目が行きます。右側には会議室(写真右下)。

  

桜の花びらの映像が天井に映し出された大教室。

   

   
  
外から見て正面に位置するホールのガラス窓などには、この校舎の特徴である幾何学模様をとり入れています。
それはプレーリーハウス(草原様式)と呼ばれる一連のライト作品の意匠を象徴しているそうです。

毎朝の礼拝をする場所として使用されていたこのホールの壁面にある大きな壁画は、創立10周年の記念として「出エジプト記」の一節を生徒が描いたものだそうです。

5~6段の階段を昇ったところが食堂で、更に数段昇った所にある小部屋から上の写真を撮りました。私は喫茶付き見学券を購入していたので食堂で一休み。食堂だけでなく、ホールも喫茶に利用できるだなんて嬉しいではありませんか。

「建物は使ってこそ価値がある」との考えから、使いながら保存する「動態保存」のモデルとして運営されているのです。施設の貸し出しや講座なども行なっており、この日は俳句の会のメンバーが集まっていました。

   
 
食堂の照明がよかったですね。作品から設計する楽しさが感じられます。
そして気楽に座った小さなイス。これが温かみがあっていいかたちなんです。
生徒たちが座ったというこれらのイスのキュートさったら!味わいがあるでしょう?ショップで買えるとわかり嬉しくなりましたが、一脚5~6万円也。
孫が出来たら(って、誰も結婚さえしていないけどさ!)それぞれに買い与えようかしら、と思っちゃいました。

     

     

ゆっくり見すぎたせいか、最後に講堂に行ったときは時間切れで中を見れませんでした。17時までかと思っていたら16時閉館でした。この講堂は、生徒数の増加でホールが手狭になったため、遠藤新氏により設計されたとのことです。

帰りは隣りにあるギャラリーや婦人の友社を覗いたり、レトロな床やさんだか美容院に興味津々で写真をとったりしていたら、不審者と思ってか、中からでてきた二代目の方と言葉を交わしたり、偶然出くわしたメトロポリタンプラザビル内の「全国伝統的工芸品センター」でついつい時間を費やしてしまったりと、帰宅したのは夕食時。誰も帰宅していなかったので胸を撫で下ろしたbiancaでした。

            



 


 


幸せって・・?

2009-04-04 | weblog

2日の朝、図書館より返却催促の電話がありました。
まだ手元に置いておきたかった一冊でしたが、次に待っている人がいるとのことで、一たん駅前イル・マーレの図書サービスコーナーに本を返却し、一路池袋へ。

《本の内容》チェ・ゲバラの娘で小児科医のアレイダ・ゲバラ。
2008年5月の来日講演記録と参加者との質疑、およびトークを収録。
また、アレイダの通訳をつとめた編著・訳者による、招聘に至る経緯、滞日中の日誌と解説なども掲載。(webより)

同書中、チェ・ゲバラの娘、アレイダさんと辻信一氏との対談の中で辻氏の語る、エクワドルで聞いたという小咄がとても印象的でしたので、その部分を下に転記させていただきます。辻さんは文化人類学者であり環境運動家、大学教授などのほか、「100万人のキャンドルナイト」の呼びかけ人でもあります。

きれいな湖で漁師が釣りをしていた。
釣りが終わって舟を浮かべたまま昼寝をしていた。
そこにアメリカ人の観光客がやってきて、その美しい風景に感動する。
向こうには山がそびえ、湖には小舟が浮かんでいる。そしてその漁師は居眠りをしている。まるで絵に描いたみたいだ、なかなかこんな風景はあるもんじゃない、と彼は思った。でも、おせっかいなこのアメリカ人は漁師に話しかけたんですね。

 「素晴らしいところですね。もう魚はとらないんですか?」
 「ああ、今日の分はとった」
 「でもまだ日が落ちてないし、もっととれば?」
 「もっととってどうするんだ?」
 「もっととればそれだけお金がもうかるじゃないですか」
 「お金をもうけてどうするんだ?」
 「お金を貯めて、舟にモーターをつければ、もっともっと魚がとれる」
 「もっととるとどうなるんだい?」
 「お金がもっともうかるから、舟を増やして、網を増やして、もっと
  もっともっとたくさん魚がとれるじゃないですか」
 「そんなにたくさんとってどうするんだね?」
 「そうしたらお金持ちになって、もうあくせく働く必要もなく、あとは
  ゆっくりと舟でも浮かべて居眠りできるじゃないですか」
 
「それは私がやってたことさ、あんたに邪魔されるまではね」

いかにも中南米的な話。でも、これは単なるジョークではなく、実際におこってきたことと重なっている。
だいたいここ5,60年間の間、ぼくたちが生きてきたのは、このアメリカ人に代表される「もっと、もっと」を追い求める物語だったわけですから。
ぼくたちはお金が増えることを成長と見なし、人間の進歩というのはそういう方向に向けて突っ走ることだと決めつけてきた。
そういう物語の中で生きてきたんです。いまだにそうですよね。
ニュースで、GDP(国内総生産)が何パーセント上がった下がったで一喜一憂したりして。

・・・幸せってなんだっけ・・・

でもよく考えてみると不思議ですよね。その結果、いろいろ都合の悪いことが起こったわけで、環境破壊もそのひとつです。
自然の富をぼくたちはお金に換えてきた。そして人間の生存を支えてくれる環境すら犠牲にし、地域やコミュニティさえ犠牲にして、換えられるものはすべてお金に換えてきた。
残されたのは時間だけなんですが、今では時間さえ惜しげなくどんどんお金のためにつぎこんでいる。
                          ・・・・・・

  (辻氏のHPのSLOWコラムのページで沢山のエッセイを読むことができます。)

エクアドルの小咄を読んでいると、現地の空気が伝わって来て心が和みます。
ゆっくり過したい。けど、その前に生活費を稼がなくては。収入は高いほどいいから、高い教育を受けなくては。高い教育を受けるにはそこに受かる為に高いハードルを越える力が必要となる。それを越えるには・・・
あぁ馬鹿らしい。疲れる。(終わって失敗して!?今があるから言えるけど成功していたら守りにはいるのかなぁ。)

アレイダさんに関しては、本を読んでいるだけで彼女の力強さと優しさが伝わってきます。父チェ・ゲバラの資質を受け継いでいるかのように感じました。私は共産主義でもなんでもないですが、言っていることとその行動がしっかりかみ合っているアレイダさんに憧れました。
直前まで読んでいた本は返却しちゃったけど、有楽町線の中のbiancaはきっと今までよりもっと?優しい表情だった気がします。

 


緑の回廊ツアー

2009-04-01 | visit/drive

千葉県知事の投票日の朝、松戸市のボランティアガイドさんの案内で、千葉大園芸学部の敷地を散策してきました。緑の回廊ツアーのことは2月12日に書きましたが、当日晴れてよかったです。  

桜の花の咲く広場で受付をしてから、戸定邸の裏から地続きになっている園芸学部の敷地内に入りました。地続きとは言っても、勿論があり、鍵を開けて入ります。
以前はこのあたり全部が戸定邸の敷地だったそうですが、明治42年(1909年)にこの敷地の一部を買い取り、県立園芸専門学校(現千葉大学園芸学部)が設立。2番目の赤星校長の時に県立から国立になったのだそうです。戸定邸を併せると総面積は17.2ヘクタールもの広さだとのことです。
園芸学部があるのは全国でこの大学だけだそうですから、園芸を極めようとする人が全国からあつまっているのでしょうかね?(学科としては、他にもあり。)

園芸学部の移転について、以前新聞に書かれていましたが、その後どうなっているのでしょう。反対運動等が起こったようですがガイドさんもそのあとのことは判らないと仰っていました。今年は100周年の記念すべき年なのです。

      
      
こんな中を説明を聞きながら歩くのですが、一部の敷地では(上の写真かも・・?)学生が実験的に植えたいものを植えていると言います。素晴らしい~!
「花に詳しくないので、質問されるとちょっと答えられないかもしれませんが・・」と、いかにも市民ボランティアらしいガイドさんですが、充分でした。

      

校舎が見えてきたとき、木肌剥き出しの大きな「ユリノキ」が天高く聳えていたのが今回のツアーで最も印象的でした。5月ごろには黄色い花が咲くそうですが、その時に是非又来てこの目で確かめて見たいです。別に疑っているわけではないですけどね。

           

現代的なガラス棟は温室ですが関係者以外は入れません。温室の前にはフランス庭園が作られ、イタリア式庭園やイギリス風景式庭園もあるのですが、実験的要素大なのと、この時期まだ寒いせいか、これが庭園?って感じでした。

   

地元の板倉カナエとかいう方の仲人をしたという与謝野晶子は、松戸のこの地を案内されたときに一気に60首もの歌を作ったといいます。それを「瑠璃光」という冊子にまとめられたとのことで、その幾つかをご紹介下さいました。メモをしたいので是非教えてくださいと頼んだのですが全部が書かれたプリント4枚を郵送して下さったんです!有難いことです。

    丘の上 雲母の色の江戸川の 見ゆるあたりの一むらの罌粟(ケシ)

    うすものの 女の友を待ちたえる 松戸の丘のひなげしの花

    時は午 路の上には日かげちり 畑の土にひなげしのちる

    くれなゐの 形の外の目に見えぬ 愛欲の火の昇るひなげし

このあたり一面がきっとヒナゲシ畑だったのでしょう。ひなげしを歌っているのが圧倒的で、一度の訪問で60もの歌ができちゃうだなんて、さすが歌人だ~。

      

約一時間ほどのツアーのあと、又、戸定邸の方へ戻りました。お茶室の近くの満開の枝垂れ桜が見事!その下でオカリナの音色をうっとりと聴き、駐車場のところで例の将軍コーヒーをいただいて来ました。隣りに座っていた地元のおばさんが話しかけてきたので世間ばなしをしていたのですが、何故だか、そこの売店で買ったという茹で卵をいただいちゃいました。歩いて10分ほどのところに住んでいるので、お散歩ついでにここまでよく来るのだと言っていましただけあり、売店の人とは顔馴染みのようでした。

                     
          
         
         
                  散策マップ
         

        もう四月ですが、3月中の話題となってしまいました。