ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ハンマースホイとフェルメール展

2008-11-26 | art/exhibit/museum

招待券が手に入ったので、国立西洋美術館へ行って来ました。
ヴィルヘルム・ハンマースホイ~~静かなる詩情~~
初めて聞く名前ですが、1864年生まれのデンマークを代表する作家の一人だとのこと。上の絵「背を向けた若い女性のいる室内」の、何ともいえない不思議な魅力のある絵を新聞上で見ていたし、・・・その静謐な詩の世界に触れる絶好の機会・・・など、美術評論家も書いているからきっと良い美術展かもしれないと思ったのです。
予想はバッチリ当りぃ~!



入口から地階に下りた突き当りのガラス面に画家夫妻のポートレートがありました。
彼の絵を象徴するかのようなセピアな雰囲気・・・とてもいいですねぇ。そして、絵の大半は自宅の室内でモデルは妻イーダ。それも殆どが後ろ向きなのです。空っぽに近い室内と、静かに佇むイーダの背中。そのような作品をずっと見続けていたら、次第に重苦しく感じてきました。最後に同時代のデンマーク美術として、イーダの兄、ピーダ・イルステズの作品のある部屋に入った時はホッとしたほど。なぜかと言うとあの独特な、白と茶と灰色の世界が幾分、生活感を取り戻し、色づいてきたのですもの。ハンマースホイの影響が多々見られますが、あの静寂さは薄れ、もっと家庭的な作品となっています。最後にカール・ホルスーウという画家の作品を見終わる頃には、又、無性にハンマースホイの世界に浸りたくなっている自分を発見!あまりにも似たり寄ったりの、音も香りも温もりもなんにも感じない絵に、人を呼び寄せる何か魔力のようなものが潜んでいるようです。
作品の合間に、以下の言葉が紹介されていましたが頷けましたね。

繊細で崇高な芸術だ
そこにはあらゆる感性がある
                    ハンス・ローゼンハーゲン(1900年)

ハンマースホイは広大な灰色の空を持つ大胆な風景画に、
また、古の美しい建造物の大きな塊に
自分の魂とメランコリーを最後に吹き込んだ
                イミール・ハノーワ(1907年)

ハンマースホイは詩人である
消え去った存在が、空っぽの室内に残す余韻を
私たちに感じさせるのだ
                T.マーティン・ウッド(1909)

さて、この日は金曜日でしたから、外は5時すぎて暗くても、美術館は8時まで開館しています。すこし先には会期が来月半ばまでの「フェルメール展」を開催中の東京都美術館があるのです。私、思い切って見に行って来ましたよ!夕方からでも混んでいてフェルメールの7枚の絵の前はラッシュアワーの電車の中状態でした。「金曜限定ペア得ナイト券2500円なるものがあるからなんでしょうか。発券所前でだれかと
臨時ペアになればよかったな!



明日から10日ほど旅行に行ってきます。時間がないので帰ってから
追記するかもしれませんが、すでに長すぎですね。
行きに、上野駅公園口を降りて横断歩道を渡ったあたりで音楽が聴こえて
きました。MARKAMASIS~マルカマシス~というペルー出身の二人グループ
でした。つい聞惚れてしまい、webで探したら見つかりました。これです。


二つのピカソ展

2008-11-17 | art/exhibit/museum


だいぶ前のことですが・・・
二つのピカソ展に行ってきました。一緒に行ったのはパリのピカソ美術館へも
足を運んだことのある友人ですが、彼女が私を誘わなかったら果して見に行ったでしょうか。二十世紀美術の巨匠の一人と言われているけど、ピカソのこの絵が好き!と言える作品にはまだ出合っていないんです。
サントリー美術館での「巨匠ピカソ 魂のポートレート」を最初に見ました。友人
カザジェマスが悲恋の末に自殺したことにショックを受け、悲哀に満ち、呆然と
した表情の「青の時代」の傑作といわれる、20才の時に描かれた自画像など、
主に「自画像」をテーマに60点余りの絵が展示されていました。
「自伝を書くように私は絵を描く。私の絵は日記の頁なのだ。」
の言葉のように、彼の絵のスタイルも彼に愛された女性達も、時代と共に移ろい
でいくのがわかり、彼が情熱家だったのか、男性としてモテたのか、有名だった
からなのか、お金があったからか、・・など色々想像しながらも次々と女性を替え
ていくピカソに呆れました。いやぁ、すごいオヤジだ~というか、生命力に溢れて
いたんですかね。一方の女性たちは彼にすべてを吸い取られて抜け殻同然にな
ったところで去っていったのでしょうか?

ミッドタウン4FのBOTANICAでランチをすることにし、その後で国立新美術館に
行くことにしました。お天気の良い日はここのテラス席が最高なんですが、少し
寒いかな、と思い、室内席にしました。食後、テラスに出るとそこは秋色のミニ
ガーデンが広がり、眺めもなかなかgoodです。    

  
 

国立新美術館での「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展では彫刻等も含めて170近い
作品が、素敵な配置で展示されていました。美術館という限られた箱の中で
ピカソの作品群がイキイキと、あたかも語りかけてくるようで、好きだ嫌いだを超越して、“ピカソを楽しむ”ことができました。
今までそれほど興味を持てなかったので、その名前も知ろうともしませんでしたが、女性たちの存在が彼の「絵日記」を通して時代背景とともに浮かび上がってきました。

★ フェルナンド・オリヴィエ:最初の恋人。7年間伴侶。

★ マルセル・アンベール: 通称エヴァ。同棲するが翌年病死する。

★ オルガ・コクローヴァ:  ロシア名家出身バレリーナ。1917年イタリーで知り合  
                  
い翌年結婚。パウロという名の子が出来る。 
                 次第に気持が離れるが彼女は1955年に亡くなるまで
                 離婚には同意しなかった。
                 そんな時、マリー=テレーズと出会う。                                                   
                 
★ マリー=テレーズ:   ギリシャ彫刻のような横顔の17才。ピカソ46才の時の
                 恋人。マヤという子も出来る。ピカソの死後、自殺。

★ ドラ・マール:       ピカソ55~63才時の愛人。画家・カメラマン。
                 「ゲルニカ」の製作過程を記録した。

★ フランソワーズ・ジロー:画学生22才。46年に共同生活するも、53年に自ら申し                
                 出て、二人の間に出来たクロードとパルマという子供
                 と共に彼のもとを去る。

★ ジャクリーヌ・ロック:   ピカソ70才、 ジャクリーヌ26才の時に知り合う。最後                                          の伴侶。1961年正式に結婚する。ピカソ91才で亡くな  
                 た後、自殺。
  
よくぞこれほどまで精力的に行動できたなぁ、と感心してしまいます。さすが結婚は2回だけでしたけれど、懲りずに女性を求めたんですねぇ。

愛することと芸術的創造とが分かちがたく結びついていた、と書かれていたように、1973年に亡くなるまでの91年間、ピカソの人生とはまさに愛と創造の軌跡だったのですね。青の時代からバラ色の時代へ、そしてキュビズム、新古典主義、を経てシュルリアリズム~ゲルニカの時代へと接近していく絵の流れがなんとなく掴めたし、女性を替えるごとに成長していった様子もわかり、この女ったらしのラテン男め!と思いながらもピカソの作品を大いに楽しめた展覧会でした。新美の今回の展示は一見の価値あり、でしたよ。


       
         オルガ           マリ=テレーズ          ドラ・マール
        
               ピカソとジャクリーヌ・ロック             自画像


 


ひかり回線スタート

2008-11-02 | パソコン

居間にあった、ほぼ誰も使わない古いパソコンを処分し、いつも使っていたパソコンを子の部屋から居間に移動させた。今までパソコンの設定関連は子にまかせっきりだったが、子が新しいノートPCをゲットしたので、子の部屋に入り込んでPCを使わしてもらう事もなくなったし、子に早く部屋を出て行くよう催促されることもなくなった。これを機会にインターネットも電話もひかり回線を導入した。
1日の朝9時前に業者の人が無線ランの設定にやってきたが、PC関係って、無料設定の範囲以外のことはすべて別料金となる(当り前?)ので、何かを尋ねると、それは別料金で設定します・・とか言われ、「けち~!!」と叫びたくなった。知識を売り物にする商売って、こうもけち臭くなるのかね。
私がさもトンチンカンな質問をしていると取られたのか、「今お使いのPCに詳しい方はご不在なのですか?」とも言われた。もぉぅ~失礼しちゃう!子は不在だったし夫は起きて来る気配なし。きっと彼は急いでいたのだ。さっさと終わらせたいのに、話がツーカーとは行かないことに苛立っていたのだ。三連休の第一日目で、家族の行事とか誰かの結婚式とかが控えていたのかもしれない。作業終了後、玄関を出て猛スピードでエレベーターホールへと駆けて行った。

設定後の不都合は、スピーカーからの音がよく聴こえないことなどなど、あとになって出て来た。コードをチェックしても完璧だし(たぶん)、何でだろう。人任せにして来たぶん、当分苦労しそうだ。
ひかり電話にはナンバーディスプレーを申し込んだ。ここ数ヶ月もの間、非通知の迷惑電話やfaxに困り果てていたけど、これで少しは安心できるかな。