ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

自作パソコン?

2007-01-27 | パソコン

                

先週はパソコンの構成部品やその役割などに付いてのお話しがありましたが、今週の
パソコン教室では自作パソコン組立講座がありました。3クラス合同での授業なので、
先生は3人。生徒さんは見慣れない方のが多く、いつもとちょっと違う雰囲気。
今週は用意された部品を組み立てて、実際にパソコンを起動させるまでの内容。
使い慣れない、使ったことのない言葉を山ほど浴びながらも、テーブルの上には

   Gigabyte のマザーボード、
   IntelのCPU,その他、
   メモリ、
   ハードディスク、
   フロッピードライブ、
   CD/DVDドライブ、
   ◆PCケース         などなどが並べてありました。

今日持参するように言われたものは『プラスのドライバー』一本のみ。
ちゃんと用意していたのに自宅のテーブル上に置き忘れて来てしまいました。

ドライバーを見ながら、つい、

   ♪包丁(ドライバー) い~っぽん~~♪ さらしに巻~い~~て~~♪ 

と、テレーサさんブログに書いてあった歌を口ずさみそう!

この歌、誰が歌ってたっけ~とパパに聞いたら、なんと知っていましたよ。
藤島たけおさんの「月の法善寺横町」
ですって。

自宅では、脳天から発するように甲高く歌っちゃえたけど、お教室では誰にも聞こえない
ように、心で歌いながらの組み立て作業でしたね。
こんな私がパソコンを組み立てる、だと?!笑える~!

    

 
☆☆ 初めまして、マザーボー ドです ☆☆


    マザーボードにインテルのコア2デュオをセットしました。パソコンの中央処理装置
    (CPU)は、人間でいう頭脳ですから、お値段も部品の中では最も高価。
    インテルの中では、セレロン→ペンティアム→コア2デュオと、頭の中味によって
    価格も一万から四万円台となるそうです。
    コア2デュオを使っての組み立ては部品に触れるだけでも緊張感が走ります。
    細いピンをちょっと曲げてしまってもパソコンは動きません。
    そろそろ、ちゃんと遠近両用のメガネを作らねば、こんな細かい作業は出来っこない。
    いや、二度とやらない=やれない=出来ないでしょう。コア2デュオの頭脳と
    取り替えた~い!
               
  

  CPU上にペーストを塗って、ファンを配置し、クリップで固定

                                                                          

    それからメモリモジュールをスロットに真っ直ぐに挿入します。
    メモリは記憶装置ではなくて、例えるなら「作業机」であるとの説明に
    ヘェ~知らなかった!
    というより、ほとんどが「知らなかった」事ばかりなんですけどね。

    HDD・FDD・CD-DVDとセットしていき、マザーボードを苦心してPCケースに
    取り付けます。それから配線 → 接続 → テスト となるのですが、全員が
    交代で少しずつ組み立てに参加していきます。この時何故だかお料理教室を
    思い浮かべてしまいました。

     包丁い~っぽん~♪握れば勝ち~~よ~♪ 
                                 のお料理教室。

    いえいえ、パソコン教室では、全員がドライバーを持っていましたから、そんな事
    ないでっす。思い出しただけ。作業台が調理台に見えただけでした。

  

            

    こう、写真を並べながら、こんなことやったんだぁ!と懐かしげになっています。
    もはや解説できないんですもの。

    最後にコードをそれぞれの場所に接続して出来上がったのです。・・・でしたっけ。
    
  

             

    スイッチを入れたら画面が出てきましたよ~。よっしゃ~大成功!

         

省きに省いてしまいましたが、組み立て講座をアップするなんて、こうなるからやめよう、
恥をかくだけなんだから、と思っていましたが、こんな事もやったんだぁ、の思い出の一つに
なるかな、と思い直した次第です。お陰さまで、おぼろげながらも、お勉強になりました。
いよいよ来週は、Vista登場でしょうか。XPのことも良くわかっていないのに、頭が混乱
しそうです。ってより、良くわかってなきゃ混乱はしないかな?

                    

あぁ、慣れない事をすると頭疲れますわ。この辺でお茶とお菓子でも如何ですかぁ?
ということで、先日いただいたばかりのお菓子のご紹介です。

   
    
胡麻最中(風と月)、栗まんじゅうとスイートポテト(万葉ノ郷)、蒸し大納言一本、
その上、お懐紙とお抹茶一缶付きの心のこもったギフトは、私の大好きな叔母からでした。
花奴―万葉庵のお菓子は、《いただき物のお菓子が美味しかった》とのことで、私や姉、
そして母の為にわざわざ取り寄せて下さったものでした。
叔母は自分で車を運転して母の所に来て下さったのですが、私は仕事日だったので、
お会いできなくて とても残念でした。

                 さてと、茶筌 買わなくちゃ。

 


ミュシャ展

2007-01-23 | art/exhibit/museum




1860年7月24日チェコ共和国モラヴィアのイヴァンチッツェに生まれた画家



約10年前に千葉県立美術館に見に行った時の印象が素晴らしかったので、島屋では、
きっと、それより小規模だろうとは思っていたが、招待券を持っていたので仕事帰りに行ってきた。

午後6時から8時の時間帯は、家族の食事時間を考えながらでないと、いくら仕事帰り
と言っても、なかなか自由に使うわけにはいかないのだけど、この日は、
まず、娘が外食だとわかっていたし、パパからは夕刻に、友達と会うから食事いらないメール
が入った。残るは息子だが、なんの連絡もない。見終わって真っ直ぐ帰宅すれば
おそらく大丈夫だろうな、と、♪~は~るばる 来たぜ にーほんばし~♪
でもなく、あっという間の日本橋だった。
屋上駐車場に止めて8階に降りるとすぐに、こんな催しが・・・!

雑誌 ミセス が選ぶ かくれた味 うまい味
web上より拝借

もうちょいで、ここに来た目的が入れ替わったほど、魅力的な催し!
この週、島屋の新聞チラシが、たしか入っていなかったので知らなかったぁ。
一回りして、2ヶ所ほどで試食なんかしちゃって、今回はここ見て帰ろうかぁ・・とまで考えた。
元祖田丸屋の「水沢うどん」も出店していたし、
何回か足を運んだことのある、帯広の六花亭カフェもあったし~。

 別に私は島屋の宣伝をしているつもりはないけど、よりによって、ミュシャだけを
見に来た日に、こんなのを同時にやっているだなんて、時間が間に合わないっす。

気を取りなおして、ミュシャ展へ

                 第一章 ミュシャと女性 & 自然
                 第二章 ベルエポック
                 第三章 
装飾デザイン
                 第四章 祖国モラヴィア
                              の四つの章に分かれての展示。

10年前の展覧会の印象が良すぎたので、ここでは入った途端、リトグラフと書かれた
絵がまるでグラビア印刷のように見えてガッカリした。が、進んで行くにつれ、やはり
ミュシャの世界に引き込まれて行ってしまった。

 
ミュシャ自画像 チェコ語では「ミュシャ」でなく、「ムハ」と言う。



彼はプラハの美術アカデミーを、技量不足!ということで入学出来なかったという。
地元で、地方裁判所の書記として数年働いたあと、ウィーンに行き、
舞台装置を作る工房で働くが、20才の頃に母親や異母姉を亡くす。
劇場が焼失し、年少のミュシャは工房を解雇された。
ウィーンを去り、ミクロフ地方に移って生計をたてるため肖像画を描いていたところ、
そこの大地主クーエン伯爵と出会い、伯爵の弟が最初のパトロンとなる。
25才のころ、伯爵の援助でミュンヘン美術学校に入学するも、最初の2年は
飛ばしてもいい程の腕前だったという。
1888年、パリに出てアカデミー・ジュリアンに入る。
この頃、「ファウスト」を題材とする絵が完成。
アカデミージュリアンからアカデミーコラロッシに移ったころ、
伯爵からの援助が打ち切られる。

生活のために、ミュシャが装飾デザイナーとして出版社のための仕事を
始めたのは、この頃からであり、挿画やポスターを制作しては大好評となり、
アール・ヌーボーとミュシャとは同意語とされていたという。

ということで、彼の描く絵はポスターに、カタログに、カレンダーに、本の表紙に、
はたまた紙幣にまで使用され、全世界に広まった。
ヴィクトリアン・サルドゥの戯曲「ジスモンダ」に主演するサラ・ベルナールのために
最初のポスターを制作し、以後6年間の契約を結ぶまでとなる。


チェコスロヴァキアの10コルナ紙幣


  

      
        「スラブ叙事詩」 展            四つの星ー「明けの明星」          「ジスモンダ」


装飾資料集(リトグラフ)書籍

装飾資料集を見ながら、気に入ったデザインをお客さんが選び、
タイトルと文面をつければ立派なコマーシャルアートとなります。
パリ万博公式晩餐会のメニューにおける彼のアートも実に洒落ている!


パリ万博公式晩餐会のメニュー下絵 (鉛筆・墨・白のハイライト/紙)

しかし、彼にとって、これらの仕事はあくまでも生活の為のもの。
逆境あってこそ脚光をあびるようになったミュシャの一側面だったのだ。

ミュシャのパリにおける活動は、1903年ごろから版画制作の割合が減少し、
同時に、注文による制作をなくし自由な芸術活動の割合が増えていった。
私が気に入ったのは、木炭とパステルで描かれた
「生地イヴァンチッツェの思い出」という小さな絵。
会場内に置いてあった図録での解説にはこんなことが書かれていた。

《「生地イヴァンチッツェの思い出」は、他人の利益の為にかりたてられて制作する毎日に
対するアルフォンス・ミュシャの抵抗をよく表しているだけでなく、青春時代や夢、
故郷など、生まれる端から指の間をすり抜けていってしまうあらゆるものを表現したいという、
彼の欲望の表れでもあった。》と、息子のイジー・ミュシャは書いている。
両手を組み、夢想にふける少女の背景に、イヴァンチッツェの教会の塔から飛び立った
ツバメの群れが、少女のかたわらへと降りてきている。

図録は、以前のがあるから購入しなかったが、この絵の絵ハガキがなかったので
後日図書館で探してみようと思う。あとで少し追記予定!

アール・ヌーヴォー風のカット

ー 追記 ー

1月23日午後11時。ただ今、2回も追記を消滅させて、あせっています。
仕事から帰ってきて、自分のブログの一部の字体がー2ポイントだった事を知り、がっくり。
web上にUPさせる資格がないですかぁ。
帰宅前に図書館に寄りましたが、私のお気に入りの絵は見つかりませんでした。
ダリの時もそうでしたが、いつか、見つけた暁には、スキャナでコピーして
そぉ~っとUPしときます。
以下、ミュシャの晩年の記述を本から移し取りました。
彼の生活の場が、アール・ヌーボーそのものだった、と、本で知り、更に憧れてしまいました。

ミュシャが晩年に向かうに従い、民族意識が高まり、1911年より:

0点の記念碑的な壁画よりなる《スラヴ叙事詩》で、スラヴ民族の起源、
自らが今日までに達成した志、未来において到達するであろう目標を描こうともくろんだ。
・・・・・・・・
つまり、現実と寓意、物語とその象徴的な意味、今ここに存在する人間と将来の彼らの
神と祖先。歴史画と象徴主義の結合はそれ自体が《スラヴ叙事詩》の最も顕著な
特質だ。しかし、そればかりではない。1890年代の装飾美術に積極的に
関わる事によって豊かになった芸術家が、歴史画に復帰した時に見せる
発展も示しているのである。

ミュシャが望んだのは、スラヴ民族の歴史的に重要なエピソードを描くことにより、
未来の世代に、清廉と勇敢と理想主義と信念を教えることであった。
人間としても、芸術家としても同じ精神を持っていたので、、彼の生涯と作品は、
世界中で反応を引き起こし、国境を越えてひろがってゆく。
(ノースカロライナ美術館 アンナ・ドヴォルジャーク)




1939年、ドイツがチェコスロヴァキアに侵攻した際,ミュシャはゲシュタポに最初に
逮捕された人々の中にいた。尋問された後帰宅を許されるが,この苦しい体験は
ミュシャの健康を損なう。7月14日,プラハにて死去,ヴィシェフラッド墓地に埋葬。

 

 

 


ケリーちゃんに会いに

2007-01-18 | weblog

                   

 我が家から海に向かって15分ほど歩いた所に引っ越されたYさんのお宅に伺いました。
「犬を飼ったので見に来て!」と言われてからだいぶ経ってしまいましたが、やっと双方の
都合が合いました。新築マンションは今や大多数がオートロックですよね。
まず一階で彼女のお宅の部屋番号を呼び出して入口を開けてもらい、
エレベーターを十何階かで降りて、チンコーン♪とブザーを鳴らし、ドアが開いた所で
このワンちゃんが、「biancaちゃ~ん、会いたかったよ~!」とばかりに飛び出し、
私めがけてジャンプし捲ること30分!ウッヒャ~、ストッキング履いてこなくてよかったぁ。
まだ遊びたい盛りで、初対面の誰もがジャンプ攻めの洗礼を受けるそうです。
トイプードルのケリーちゃんといいます。初めまして!ワンワン!

2キロあるかないか程の軽量ワンちゃんは、「取り扱い注意」の札が必要じゃないかなぁ。
ソファから下に降りる事が出来ないんですよ。強く抱き締めたら骨折しちゃいそう。
クタクタになるまで相手して、・・って、どっちが相手したのかちょっとわからないんですけど・・・
双方くたびれ果てた頃、やっとランチタイムとなりました。
アトレで適当に見立てた「た○さく」のお弁当と、Yさんお手製ホタテ貝柱がたっぷり入った
ハーブのサラダ。シンプルですが、お弁当だとお料理の上手い下手に関係なく、気兼ねなく
集まれる、っていうのがいいですね。

        
            

ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートは、飾ってあるものだけでも20枚。
彼女のウチって、どうしてこうも余分な物を置いていないのかしら。
新聞はどこ?メモ帳はどこ?ペン類はどこにあるの?
玄関だって、靴が一足も出ていなかったのですよ。これは、あとで、
ケリーちゃんがおもちゃにしていたずらするので置けないのだ、ってことで納得しましたが、
それにしても綺麗さっぱり、どこを開けても見せられるお家なんです。

浴室がベランダに面していて、お風呂に入りながらディズニーランドの花火がバッチリ見える
というので、こんど、お風呂、入りに行かせてね。
子供の小学校時代からのお付き合いですから、すでに17年になりますか。
付かず離れず、で、気楽な友達関係を続けています。
当時、引っ越す予定のなかったYさんでしたが、私がモデルルームを見に行き、とても気に入った建築予定マンションのことを話したことから、後日、彼女も見に行って、すっかり買い換える気になってしまったのです。
リフォームか買い換えるか、と言っていましたが、まさか本当に引越してしまうとは・・・
なんだか責任重大のようで、ヒヤヒヤしたものです。
どうか神様、あとで、手抜き建築だの欠陥構造だの、ということがありませんように

それにしても、彼女のウチから帰宅すると、住まい方の雲泥の差にガクッときます。
溢れるほどのものたち。整理が間に合わない、というより、読むのが追いつかない新聞の山。増え続けるパパのCDの山。置いてあると便利なものの山。捨てられないパンフレットに雑誌に手紙の山。
玄関は、と言えば、このウチ一体何人家族なのかと思うほどの靴。特に冬場には、
しまう場所に困るロングブーツが数足。(でも、私は一足しか出していましぇ~ん!)
本来は家の中の仕事が大好きな私なのに、自分以外の人間のものが増え続け、
私一人ではどうにもならなく、間に合わなくなっているのが現状。もう発狂しそうだわ。

画像はすべて、友人宅のものです。ブログUPについては快諾してくれました。
もしかしたら、浴室も、個室も、全然OKだったかも、ですよ。
どの部屋も、いつでも見せられる家。そんな家に私も住みた~い。

本年度は我がマンションの大規模修繕工事が行われますから、是非とも今年中に
本腰を入れて、家の中の整理整頓、を徹底的にやろう!と心に決めました。
って、この台詞を言うのは何回目でしょうかぁ!


        




  

 


スーパー版画家

2007-01-12 | art/exhibit/museum


エッシャーホイシャッシャ♪ と、つい口ずさみたくなるような
スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」に行って来ました。
オランダの版画家、M.C.エッシャー(1898~1972)は、芸術家ではなく、全身全霊をかけた
版画家でありたいと願っていました。版画の中でも、木版とリトグラフを使用し、
刷師に任せず、木版と銅版に関しては全ての工程を自ら手掛けたのです。

同じ展覧会のパンフレット、私が持っているだけでも4枚あります。
昨年から楽しみにしていたのですが、又、最終日に近い、
スーパーコミコミデーになってしまいました。

文化村に入ると、「チケット購入40分待ち」の立て札にガクッ!
念のため、地階に降りて確かめましたが、そこでも同様でした。
「中に入る待ち時間ではなくて、チケットを買うだけで40分待ちなのですか?と
念を押して聞いてみましたが、そうだ、とのこと。
でも、若い方がそっと教えてくれました。
「パンフレットにも書いてありますが、ローソンなどのコンビニでも買えますよ。」
で、すぐに外に飛び出し、裏道でローソンを見つけたら、もう先客がいました。
知らない方は会場窓口で何十分も並んでいるけど、
こうして、ちゃんとわかっている方もいるんですね。私もその一人!
ルンルン気分で戻り、会場に入ってガックリ。中では人間が多すぎて壁となり、
一体見れるんだろうか、心配になったほどです。
若い方がこんなに多く来ている展覧会って初めて。大多数が音声ガイドを手に持って
見ているので、渋滞の原因の一つとなっていますし、細かすぎて、近寄らないと細部まで
見えないので、それが更に混む原因を作っています。

 
私は彼の本を2冊持っていたので、知っている絵が多かったのですが、
生で見るエッシャーは、すごい!楽しい!
何と言う想像力と構成力でしょう!



彼はスペインのアルハンブラ宮殿を訪れた時、内部のモザイクに強い衝撃を受け、
作風が変化していきます。そこで見た、モザイクの模様の仕組みを紐解き始めるのです。
その法則の解明に繋がるのが《エッシャーノート》。

日本で初めての公開となる《エッシャーノート》では、エッシャーが紐解いた一つの法則、
正則分割の仕組みをめぐるエッシャーの思考の痕跡を知ることが出来ます。

      この展覧会は、
              第一章 身近なものと自画像
              第二章 旅の風景
              第三章 平面と立体の正則分割
              第四章 特異な視点、だまし絵
                                  から成り立っていました。

            詳しくはエッシャー展のHPで、是非ご覧になってください。
           今日のブログはショートのはずだったのに・・・ご免なさい!

 コートを着て見ていたので、背中を汗がドバッと流れ落ちます。
こんななら、ロッカーに預ければ良かった、と後悔。
娘が昨日、仕事の帰りに行った時は、私から聞いていたので
「ロッカーにコートを入れてから会場に入ってよかった!」と言っていました。
どうだった?と聞くと、「もう、すっごくすっごく良かった!」と、感嘆の声。
彼女は下のミニカレンダーを購入してきました。
私は、というと、出口を出た所で、だまし絵フィギュアコレクションの入っている
300円の「ガチャガチャ」があったので、
是非とも「でんぐりでんぐり」が欲しかったので一つ買ったのですが、残念、
小さな子供だましみたいな「球面鏡のある静物」が入っていました。↓

 

1968年あたりに発行された「少年マガジン」~定価60円の時代ですよ~には、
《ふしぎ特捜隊》という連載読物の中で、沢山のエッシャーの作品が紹介されていた
というのに、ミック・ジャガーがレコードジャケットに使わせて欲しいと頼んだ所、
断られたんですって
!あらあら・・・ですわねぇ。なんでだろう?

図式化されたJ.S.バッハの平均律のミニ演奏コーナーがおもしろく、
図式化した音階では、角度が音程を表すとのこと。最も長い水平線がド、
時計回りにド♯、レ、と続き、180度で1オクターブ上のドとなるそうです。
その繊細さには溜息のみでした。

もっと書きたい事があった気がしますが、思い出せば、後日、勝手に追記しますね。
あ~ぁ、又長くなってしまい スイマセ~ン!

 

 

 


お正月あれこれ

2007-01-10 | weblog

今年も早や10日目。
本年度のマイブログの方針を決める余裕もなく、日々は容赦なく過ぎて行きます。
方針だなんて、私に一番似合わない言葉かもしれませんが、何かを決めて、実行する
という、潔(イサギヨ)い過し方を一度でもしてみたいなぁ。
決めたとたんにそれがストレスになるのがオチでしょうけど、マラソンランナーのような一途さを
一度でも体験してみたいです。

箱根駅伝〈往路〉の日に横浜の私の実家で、新年会がありましたが、その中に新顔が
一人、混ざっていました。彼こそが、母の、「もう○○才を越えてしまった初孫」の彼氏。
まだ婚約しているわけではないけど、一族への初顔合わせとなってしまいました。
はい、これま~で~よ、になるか、来年もお目見えするか、どうか。楽しみ~ワクワク~

                

 

横浜での母と言ったら、、、初めてお嫁さんと迎える「おしょうがツー」って感じ。
台所に2人の専業主婦は無用?お互いがいい人すぎて、気を使い過ぎくたびれたと思い
ますが、それはそれで、いい経験でしょう。こっちにいれば、お正月準備、と、頭で考えただけで
パニック状態になる自分にショックを受け、落ち込むだけだったかも。
現に、年賀状のことで自宅に戻るなり、ノイローゼー気味になったのです。
昨年の賀状を見ながら、ほぼ書き終えて出し終えていたのに、その年賀状を見返してたら
平成16年のが混ざっていたり、別の年のだったりしたそうで、
  「同じ人に二枚出してしまったかもしれない」
  「出し忘れている人がいるかもしれない・・でも、それがだれか、全くわからない」
  「お隣さんに出したかも覚えていない」

横浜では、いつも動きっ放しでゆっくりした事のない母が、優しくて気の利くお嫁さんに、
「お母さん、座っていてください」と言われ、「そ~ぉ・・?」といいながらも落ち着かない。
お嫁さんも、母を座らせるには一緒にお茶をするしかない。で、夜中に煮物の下準備などを
し出すのです。それを知って母もいろいろと考えたでしょうね。
J子さん、お疲れ~っす。
夫婦間は知らないけど~、嫁、姑、小姑間は、上手く行っていま~す。よね!

横浜の帰りに毎度お馴染み、深川のお不動様で初詣。正式な名称は
成田山東京別院深川不動堂といい、あの成田山の別院で、建物の中まで賑わうほどの
人気のあるお不動様です。お賽銭箱の中味を見てみた~い!

 

  
       
 /////// 人
り///////
 
すっ
かり暗くなっていましたが、参拝客は、商店街まではみだして行列となっていました。
この時期、駐車スペースが問題でしたが、「ご祈祷ですか?」と、道路脇にいた駐車場係り
に聞かれ、その意味をよく理解していない息子は「はい!」と応えたが為に、パーキング場へ
誘導されました。中に入っていった所で、又、別の係りの方に用件をきかれ、今度は
「参拝です」と、私が正直に言うと、
「今の時期は、お車のご祈祷の方の駐車のみとさせて頂いているんですよ。」
「すみませ~~ん、でも、もうここまで来ちゃったぁ。今回だけは、ね、お願いします

4日に母達を連れて来た時もこの調子でしたが、その時は姉が、母の年齢が高齢である
ことをアピールし
、万事オーライ!でもさぁ、ネットでこんな事書いちゃぁ・・・まずいかなぁ。
私達姉妹って、なんですかぁ、もはやスーパーオバタ○ア○ですかぁ~?Oh,no!
ここの4階に中島千波氏の絵が天井画として使われているそうなので、拝見してきました。
大きな絵ですが、大作り。でも、ブルー、グリーン、ピンク系の色が何とも言えません。



中島千波画伯作 天井画「大日如来蓮池図

               

お正月には仏教徒?
と化するbiancaは、不動尊だよりの巻頭コラム に魅せられました。
正月早々、お説教かぇ・・と思わずに、気が向いたら読んで見てね。


「信頼せねば人は実らず」

 『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば人は動かじ』
 山本五十六の有名な言葉ですが、実はこの言葉の続きについてはあまり知られていません。

  話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たず、

  やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず。

 明るく冗談好きで部下や同僚からの信頼が厚かったと言われる所以が偲ばれます。
戦後六十年、人と人との関わりはITの発達によって様変わりしました。特に社会の
基本単位となる家庭では親子の関係に大きな影響を与えています。その親子関係を
指摘する話をひとつ紹介します。
  「時代とともに児童の描く絵に変化が見られる。一昔前は親の顔を真正面から描いた
ものが多かったが、最近は横顔や親と子が別方向を向いていたり、背中合わせの絵が
増えている。又、単色で地味な色使いが多い。」こうした変化の一因として、家庭内の
 歪みがあげられます。つまり、夫婦間に起因することが多く、子供への影響に不安を
抱きながらも、深刻になるまで問題から逃避する傾向が見受けられると言います。
社会全般にも言えることですが、このような状況がお互いの信頼を妨げていると言えます。
したがって、兆候を感じたら勇気を持って向かい合うことが大切です。
 時代と共に社会のあり方は変わります。しかし、家族間の信頼を失ってしまっては
家庭とは呼べません。信頼とは何か、感謝とは何か、今一度先人たちの知恵に学んで
みましょう。

私にとって、とても心に染み入るコラムで、ドッキ~リでした。

帰りには、《ご利益通り》にある「サロン ド ぺリニィヨンで、ケーキセットを頂きました。
私の注文したケーキは、これ→ 



午後一番で売り切れてしまったシュークリームが、ここでは人気者。美味しいんですよ~!

☆明日は,13日が最終日となる、「スーパーエッシャー展」をアップする予定ですが、
  何をどう書いていいやら・・・できるだけショートショートを目指したいですね。
  コメントも、全然気にしないで下さい。ネ!

 

 

 


一年の計は・・・

2007-01-06 | visit/drive


今年もすでに6日目になってしまいましたね。元旦の過し方を書くには遅すぎか!
元旦には新宿へ、二日は横浜、三日は義母のホーム、四日には2度目の初詣に
門前仲町のお不動様へ、と、4日連続の外出。でも夜は外食でなく、家飯ばかり。
やれやれ・・・で、昨日からは仕事が始まってしまいました。でもちょっと流し見してね。






「一年の計は元旦にあり

な~んて毎年、家族に向かって偉そうに言うのですが、今年はゆっくり寝正月。
お雑煮とお汁粉だけは用意し、あとは切って並べるだけの簡単お節で新年を迎えました。
粒餡のお汁粉は我が家では欠かせないものなのですが、よく聞くと、他のお宅では
やらないようです。母から譲り受けた習慣がすっかり我が家に浸透してしまいました。


今回、母が横浜の「自宅」で 私の弟家族と共にお正月を過す為、大晦日に弟が迎え
に来ました。こんな事、母がこの町に引っ越して来て以来のこと。20年振りになりますか?
はじめはお年始の来客のことが頭にあり、弟の申し出を断っていたのですが、行ける時に
行っておかなくては 、今後、いつどうなるか分らない、と思い直したようです。

2日に15人全員が横浜に集い、顔見せをする事になったので、とりあえず元旦はフリー。
ならば、と、去年の12月26日のマイブログでご紹介いたしました、
井上冬彦写真展「いのちの輝き」-アフリカの大自然と動物たちに癒されてー
を見に、新宿まで行ってきました。

元旦の新宿駅は想像通りの賑わいを見せ、南口を出てすぐの「ルミネ1」は早くもオープン。
各店舗のSALEの垂れ幕に魅了され、写真展より、ショップに吸い込まれそうでした~。
西新宿方面に向かうにつれ、人通りが少なくなり、昔のお正月って、そう言えばこんな風に
静かだったよなぁ、と、ふと懐かしさが湧いてきました。深閑とした高層ビル街のコンクリートの
歩道を、我らが靴音のみを聞きながら目的の京王プラザホテルに到着。


どうにかギャラリートークに間に合い、医者兼写真家である井上先生自ら語る、
東アフリカの旅の様子や動物たちの生態の説明等を聞きながら、ほかの来場者と共に
写真を見て回る事が出来ました。

            

井上先生にとって、サバンナの大地に足を踏み入れることは子供の頃からの夢。
そこで体感した感動を皆にも伝えたい、と言う強い思いから、それまで
大して経験のない
写真との取り組みが始まったそうです。とはいえ、感動を伝えられるような、ピントの合った
いい写真を撮ることは、容易い事ではかったようで、挫折を繰り返しながらも、何回目かの
東アフリカ行きから、少しづつ手ごたえを感じてきたようです。
以下、写真展において、お話しを聞いたり、読んだりしたものの中からちょっとメモったものを
連ねてみました。

   癒し
   常日頃、病気を治すには、診断、治療以外に癒しが必要だと思っていた。
   それは、気持ちが癒された時に治療力が高まるのがわかっていたから。
   写真展を展観するに従い、「癒された」と言う感想の言葉がとても多いことに気付いた。
   この一連の写真展で、〈人を癒す行為が、自らをも癒している〉ことを知った。

            
   サバンナ
  ・ここでは、五感が研ぎ澄まされ、生きるには知識よりも感性が大切なことを感じる。

  ・大自然の中では生も死も大きな流れの一つ。どんなに掛替えのない命でも
   死ななければならない。

  ・野生動物を見ていると、母の無償の愛をよく感じる。

  ・シマウマの群れは仲間の絆を大切にし、危機には皆で力を合わせて守る。

  ・ゾウは草木を沢山食べるが、食べ尽くす事はしない。
   ゾウも仲間の絆が深く、仲が良い。ゾウの側にいると、ゆったりとした穏やかな時間の
   流れを感じる至福のひとときだ。 

  ・東アフリカには多くの鷲、鷹、梟といった猛禽類がいる。食物連鎖の頂点にいる
   彼らが多いということは、豊かな自然の証。

  ・全てが調和し、合理的で無駄がない。どの動物達も、「聖なるバランス」のもとで
   精一杯生きているだけ。いつもバランスを乱すのは人間だ。

  ・百数十万頭のヌーと、数千頭のライオン。食ったり食われたりしながらも、お互いを
   滅ぼさず、共生関係を保っている。ヌーがタンザニアに帰ってしまった後は、獲物が
   極端に少なくなり、飢えとの闘いがはじまる。

  ・自然界は無常。変化しながらバランスと調和を保ち続けている。

  ・よく弱肉強食と言うが、そうではない。多様性が保たれたサバンナと言う空間では、
   どちらが強くどちらが弱い、といいきる事は不可能だ。すべてが無駄にならずに利用
   される、それが自然界。全ての命が繋がっているのを感じる。

            

お話し中、「バランスと調和」と言う言葉を多く耳にしました。それを壊すのはいつも人間か。
写真撮影に関してのお話しの中では、〈条件の悪い時にこそ、チャンスが多い〉
〈チャンスはどこに転がっているかわからない〉と言う言葉が凡人には嬉しかったです。
十数分のビデオを見終わった頃、先生が帰っていかれ、あっ、まだお話ししていない!
ツーショットも写していない!と、焦ったものの後の祭りでした。

                 
                             ↑チーターの赤ちゃん
            
           ↑忘れられないライオンの赤ちゃんの写真。

   
   口をあけて泣いているライオンの赤ちゃんの写真。この一枚の写真はとりわけ
   私の母性本能を刺激しましたね。抱きしめてあげたい!
   母親とはぐれて泣きながら親を探して表に出てきたそうです。危険なので一旦
   保護し、翌日親が戻った所で放してあげたら、さっとくわえていってしまったとの事。
   こうやって、小さな子供達は他の動物の餌食になりやすく、また、せっかく餌に
   ありつけた、と思っても他の動物に横取りされたりするのです。
   狩りに失敗し続けて移動する日没のなかのチーターの写真がありました。
   そこに「美しい生命の輝きが内包する切なさ」を感じた、と、書いてありました。
   ハイエナだって、自然の掟のなかで生きている美しい動物。
   思い込みだけでその動物の印象を決め付けて欲しくない、とも、ハイエナ親子の
   写真の前で、お話しされました。
   特に感じ入ったのは、動物の親の愛とは、子が自立することを思うのみである点です。
   突き放してもチャンと一人で歩けるか、付いて来れるか、だけを見守ります。
   過保護にしていたのでは、子供は一瞬のうちに他の生き物の餌食となってしまいます。
   人間の親もこの点を見習ったほうがいいでしょう、とのお話しに、すでに手遅れの
   人間の母親である私はうなだれて頷いていたことでした。

サバンナの大自然の写真に癒された今年の元旦。こんな過し方も結構よかったなぁ~