ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

土曜日の集い

2008-06-29 | family



昨日は母のバースデー。
横浜から義妹も来て、7人ほどで簡単にお祝いしました。
3家族で相談して用意した今年のプレゼントは、ショルダーバッグ。
足がふらつくことが多くなってきているので、バッグをたすき掛けにすると
両手が使えて安心よ、と言っているのに、そんなの見っともないとか、
まだいいから、とか、どうも新しいことへの第一歩を受けつけないのです。
ズボン(パンツって言うんですかぁ?)を履くようになったのも、
嫌がる母を私の姉が強く説得したからだったのですが、
一緒に買いに行き、ズボンでの外出に慣れるまで、時間がかかりました。
慣れてからは、それまで毎日履いていたスカートを全く履かなくなり、
スカート姿の母のほうが断然好きだった私はちょっと淋しく思っています。

ショルダーをたすきに掛けて歩いてくれるかなぁ。銀行や買物時、
腕に掛けたバックからお財布の出し入れをしている母を見ていると
ヒヤヒヤものだったんですもの。



母の家でゆっくりした後は、横浜へ帰る義妹を駅まで送る前に、
女性だけで近所をドライブし、新しく出来た公園などを案内しました。
弁天ふれあいの森公園では、緑の芝生と色とりどりの花の咲いている
公園の中を4人で散歩。突然、バタバタバタっと音がしたかと思ったら、
鴨のような鳥が目の前をヨチヨチと歩いているんです。カルガモかな?



首を縮めたり伸ばしたりの仕草や表情が可愛くて、にじり寄って
写真を撮ったりしましたが、側には来ないけど逃げないんです。
どこから飛んできたのかしら?
鳴き声も可愛くて、真似しながらもっと、もっと、もっと、と近寄って行くと
飛び立ってどこかへ行ってしまいました。





旧焼却場跡に作られた弁天ふれあいの森公園は
去年の7月に全面オープンしたばかりの新しい公園です。
公園名は公募により決定し、基本設計の段階から住民参加
による公園作りを行ったそうで、公園ボランティアさんが花壇の
手入れをされているとのこと。だからなのか、プロ任せでない、
どことなく優しい花選びをしているように感じます。
広い芝生広場では、子供たちがのびのびと遊んでいました。

ぶらぶらとハスの浮かんでいる池の方へ向かって歩いていたら、
○○マンネングサの茂みにカモさんを発見。ヘ~イ、カモン!

 


さっきのと同じカルガモかしら?首の長さが短いようだけど・・・?
伸ばすと長くなるんだ!と思いますが、こんどは2羽一緒です。
近寄っても逃げず、とても人慣れしているみたい。
犬のお散歩の人、望遠カメラで花を撮影している人など、
皆さんもカモさんと一緒の、公園の常連さんのようです。

わざわざ遠方から訪れるような公園ではなく、
住民の、住民による、住民のための公園。
年数が経つにつれ、あちこちの公園が鬱蒼とした緑に覆われ
市民の憩いの場となっていくのでしょうか。嬉しい限りですね。
公園でなくたって、私の住む集合住宅の広大な庭も、
25年のあいだに緑が大きく育ち、いつもの場所にいつもの草花が
生い茂るようになりました。下の写真の紫陽花だってその一つです。

 

 


生きたい!

2008-06-26 | weblog

夕食時、まだ一人っきりだったのでラジオをかけたら、『生きたい!私のケータイ闘病記』という番組が再放送として始まっていた。なんだ、8時のニュースじゃないんだ・・・と思いながらも、その朗読を聞き続けているうちに45分が過ぎた。これが池田真一さんという香川県の方がケータイに発信していたご自身の病気との闘いの記録だったのだ。高校一年の時に発病したが、その時点で病名は知らされていなかったそうだ。抗がん剤で何とか持ち堪えたが、大学進学後に白血病が再発。幸い、骨髄移植の提供者が現れ、経過は良好だった。彼はO型だったが、提供者はA型。移植後の池田さんはその日からA型となった。その時感じた、血液型が変わったことへの不思議さや、骨髄提供者に対する、ひと言では表すことができないほどの感謝の気持ちなども、「劇団一人」のナレーションと、ところどころ本人の声で語られた。彼の初めての恋愛のはなしには、二人の余りもの純粋さに心を打たれたし、結婚後、真一さんを支え続けた由佳さんの大きな愛情にウルウルしてしまった。こんなに真っ直ぐな気持ちで人を愛することの出来る若ものの健在ぶりって、すっごく嬉しい。余りにも人間が揉まれすぎ、練れすぎちゃって、割り切った考えの多い今という時代。純とか真剣とか、一筋・・・などなど、「まじめ」なイメージがともすれば鼻で笑われ小馬鹿にさえ捉えられ易い。だけど、本当は、それって誰もが求めてやまないものなんじゃないか、と思った。人との丁寧な関わりはもしかしたら今こそ求められているのではないか。

最後は肺線維症という難病を背負い、そんな自分の人生に最愛の人を巻き込んでしまったことへの苦しみが伝わってくる。それだからこそ諦めず、もっともっと生き続けるため、病と闘い続けた池田真一さん。放送の中で、彼が治療の甲斐なく5月30日になくなった事を知った。享年31才。

私がラジオでさっき聞いたばかりのお話は、「
生きたい!僕の履歴書」というタイトルで3月下旬に出版されたとのこと。一般の闘病記とはちがう、一種の爽やかさを感じるこの本を、是非手に取って読んで見たくなった。
        ・一日一日を大切に生きること
        ・決して希望は捨てないこと
        ・支える人に笑顔で接すること
        ・又いつか、普通の生活にもどれるといいな

今朝は起きながらぼんやりと生きていることの意味を、考えるというほどでもないが頭の中であれこれ思っていた。こうして朝起きて、食べて、用事を済ませ、新聞を読み、ラジオで英語を勉強して、それで私は一体どうしたい、と言うんだろう、とか、筋トレに通って健康を維持しようとしているのは何のためなのか、本を読んだからってどうなるんだろう、etc...。自分のしていることの全てに意味を見出せない時間だった。やばい~!これって鬱?
・・・・とは思わない。何故って、だれだってこの程度のことは時々ふと考えることってあると思っているし、起き上がって行動すればイキイキとしてくるのが常だから。
その夜に、「ただ普通に、でいいからもっと生きたい!」と願いながら静かに安らかに眠りについた若者を知るとは・・・
年間自殺者数が3万人以上いるという今の日本。命の大切さを感じずにいられない。


番組中、二人の好きなコブクロの曲が流れ、最後に由佳さんからのメッセージがあった。

  ・・・・・ リスナーの皆さま、どうぞ一日一日を大切に生きてください。・・・・・

 


特集号買っちゃった

2008-06-25 | music

               
近所に買物に出かけたついでに本屋で立ち読みしていたら、欲しくなって買ってしまった「BRUTUS」。この雑誌は男性雑誌の中にあるし、活字が小さいので若向けなんだろうけど、武蔵のこの眼力に負けた。6月6日のマイブログに書いたように、上野の森美術館で「最後のマンガ展」を見てきたけど、BRUTUSのこの特集号には井上雄彦氏の他の作品(例の新聞広告のイラストなど)のことも載っていたのでついつい・・・手が出てしまった。
バガボンド
・・・ポルトガル語ではVAGABUNDO(ヴァガブンド)といい、放浪者とかならず者などのことだが、もっと深い意味もあるかもしれない。VAGABUNDOと聞くと思い出すのはこの曲。これは若い頃のジョアン・ジルベルトとカエターノ・ヴェローゾが歌っているが、ガル・コスタのも大好きだ。
若者に混じって見た素敵な展覧会。その最後の作品の前は砂浜だった。ここを武蔵と共に歩きながら、聞こえてくる曲が「コラソン・ヴァガブンド」でもおかしくない。







 Coraçao vagabundo

MEU CORAÇÃO NÃO SE CANSA
DE TER ESPERANÇA
DE UM DIA SER TUDO O QUE QUER
MEU CORAÇÃO DE CRIANÇA
NÃO É SÓ A LEMBRANÇA
DE UM VULTO FELIZ DE MULHER
QUE PASSOU POR MEUS SONHOS
SEM DIZER ADEUS
E FEZ DOS OLHOS MEUS
UM CHORAR MAIS SEM FIM
MEU CORAÇÃO VAGABUNDO
QUER GUARDAR O MUNDO
EM MIM
MEU CORAÇÃO VAGABUNDO
QUER GUARDAR O MUNDO
EM MIM

    (Composição: Caetano Veloso)


100年の長さ

2008-06-24 | brasil

前回書いたように、日本から初めての移住船「笠戸丸」がブラジルに向けて出航してから今年で100年目。あの船に乗っていた最後の生存者だった、中川トミさんも、2006年10月に100才でなくなった。

100年ひと昔というけれど、私がブラジルの地を初めて踏んだのだって今から30年以上前のこと。過ぎて見ると一生というのは思っている以上に短いものだと気がつく。しかし、気がついた時には、人生、すでにやり直しがきかないのだ。気を取り直して今までの生き方の微調整をするしかない。そのまんまで心豊かに余生を過せる人は幸せな人。

海外移住資料館では、今月29日まで記念写真展を開催中。ちょっとした出来事や出合い、そして偶然性の延長上に存在している我々。
どうか良き出会いを!

 


幸福と不幸の量

2008-06-23 | news
 

2008年世界報道写真展において
大賞を獲得した、イギリスの写真家
ティム・ヘザリントン氏の作品
アフガニスタンの戦場でひと休みする米軍兵士

「この地球上で、幸福の量と不幸の量は、いったいどちらが多いのだろう。」という書き出しで始まる今朝の新聞の天声人語
世界報道写真展で見る限り、世界は不幸で満ち溢れているとしか考えられない、と言う。勿論、報道写真だから、事件性のないありふれた写真などはないだろう。平和な世の中は写真にするのが難しいものだもの。、戦争の現場をしらない人間が圧倒的に多くなっている現在、何が不幸で何が幸福なのか、それが把握されにくくなっている。幸福感とは何かを失った時に初めてわかるものなんだろうか。幸福を知らずして幸福にはなり得ないし、不幸を体験したからこそ幸福とはなにかがわかってくる。そんな風に人間社会は堂々巡りしているだけの気もしないではない。

 


 


100年目の「赤毛のアン」

2008-06-22 | art/exhibit/museum

今年はL.M.モンゴメリの「赤毛のアン」が出版されてからちょうど100年目。

同じ年の4月28日には第一回ブラジル移民を乗せた笠戸丸が神戸港を出航しているので、今年は日・伯各地で様々な行事が行われていますし、テレビでも多くの特集番組が放映され、皇太子殿下も目下訪伯中です。

今月、双方の100年目を記念した切手が発売になったと聞いていましたら、昨日、夫が友人から一種類のシートを頂いてきたんです。こんなこんな

先日、「赤毛のアン展」のチケットがあったので日本橋まで行ってきました。
三越新館のエスカレーターを7階へと上っていきながら、すでにその展覧会の混みようがわかりました。5階にある大食堂「ランドマーク」で軽くお昼をしようと思っていたのに、そこが行列で大変混み合っていたのですもの。最も広い大食堂が混んでいるってことは、その他すべてが混んでいるってことなので、まずは会場に入ることにしました。入口を入ったところからすでに、多くの人が壁面のパネルを熱心に読んでいるので先に進みません。だいたいが5,60代の方のようです。村岡花子さんの翻訳本でアンに夢中になった方々なんですよね。 そう言う私も少女時代、姉と競ってアンシリーズを読んだものです。小説「赤毛のアン」を愛読した方々は各々の頭の中に色んなアンの姿を描いていたと思います。

ナダのプリンス・エドワード島に生まれ育ったL.M.モンゴメリーが34才の時にやっと、ある出版社に原稿が採用され、一冊の本となった名作「赤毛のアン」とそのシリーズ。作者の生い立ちと重なっている部分がこんなにもあったのだ、と、今回の展示資料で良く分りました。孤児でこそなかったけど、幼少時代に母親を亡くし、厳格な祖父母に育てられたアン、じゃなくてルーシー・M.モンゴメリー。最後まで家を飛び出すでもなく、その境遇を受入ながら学び、教師になり、未亡人となった祖母を支え続けました。マクドナルド牧師と婚約してからちょうど5年後~祖母が亡くなったすぐ後に結婚を果たしたのです。ルーシー36才の時でした。
書き手の体験が様々な場面に投影された作品だからこそ、少女小説を越えて世界中でベストセラーになり、100年経った今でも愛され続けているんだと思います。

右下の本は初版本。海外では記念の年に復刻版が出版されたようです。

世界中の赤毛のアンの本の表紙の展示や、お気に入りの絵や写真などを切り取りスクラップ(webで見っけ!)していた見本とか、日本初公開の直筆原稿と、これも初公開となったモンゴメリ家伝来の調度品(アンのお気に入りの陶製の犬のモデル)である“ゴクとマゴク”のうちの「マゴク」など、本物の展示品が興味をそそりました。同時に、村岡花子さんがこの本を翻訳するようになった経緯などがよくわかり、展覧会の最後の頃にはすっかり《村岡花子ワールド》に入れ替わった感がしてしまいました。
赤毛のアン記念館・村岡花子文庫があること、お嬢さんとお孫さん
がしっかりと守っていることなども同時にわかり、嬉しくなりました。
原題の「アン・オブ・グリーン ゲイブルス」を邦題でどうするか、のエピソードもこのHPの中に書かれています。
ただ、外国小説に関する展覧会はどうしてもパネル中心になり、それを読まなくては前に進めないし、レプリカの多い展示品は迫力に欠けるし、それが自分の想像していたものと違うとがっかりします。マンガ化・映画化の印象より、もっとセピア色の時代をもろに感じたかったな、というのが正直な感想です。

7階を新館から本館へ行くと山形物産展
の会場に行き当ります。物産展の中にあっ
た蕎麦処「庄司屋」が3人待ち程度だった
のでそこで遅い昼食をとることにしました。
冷とろろ蕎麦が美味しかったし、お隣さんが
注文したずんだ餅も食べたかったな!
そば打ちの実演は見ていて飽きないくらい
面白かったです。家には秘伝豆と夕食用
としてずんだコロッケを購入しました。


    帰宅するとドアポストに郵便物お預かりのお知らせがはいっていたのです。クール便と
    なっていた為すぐに再配達をお願いしたところ、夜遅く配達されたものは・・・
                     じゃ~ん!
    山形物産展で目にしたばかりの山形産サクランボ。自分では買えない(買わない)
    お値段です。甘酸っぱくて美味しかったぁ。時をほぼ同じくして、北海道からは旬の
    グリーンアスパラガスが届きました。母や姉に分けて新鮮なうちにお腹にいれましたと。
                  ご馳走さまでしたぁ!!

 
 
 

地元のお祭り

2008-06-20 | weblog

 向こう側は清瀧神社、手前側は豊受神社のお神輿。その境界を流れているのが境川。
 

6月14・15日に、四年に一度の三社祭が行われました。ちょうど一週間前の今日が大祭前夜の「宵宮」。神輿に神様の魂を入れる入魂祭の儀式が堀江の清瀧神社、猫実の豊受神社、当代島の稲荷神社の三社で行われていたのです。スープの冷め切った・・・どころではない、大幅遅れのブログupとなってしまいましたが、色々と技を試そうとして失敗し続け、結局諦めたということです。
  
 
 
わが浦安市は、埋め立てが始まる前の元からある元町(東西線「浦安」駅周辺)と、海面埋め立てにより新しく変貌した市の臨海部が中心となっている中町(京葉線「新浦安」駅周辺)、そして第二期埋め立てにより出来上がった最も海側の新しい町、新町(この区域に住む人々を世間は“マリナーゼ”と言っているらしい。)の三地域で成り立っています。湾岸道路が旧と新市街地を隔て、全く別の顔が一つの市を成り立たせているんです。最寄駅が「新浦安」の私たちには、そんなわけで、元町で行われているお祭りの熱気が全く伝わって来ません。わが団地のお祭りには、元町の方々が長年の「お祭りノウハウ」を伝授下さり、担ぎ手としても毎年参加・応援下さっています。だけど、元町中心の三社祭には、興味を持ってそこまで行かなくては中町、新町の人は、見ること知ることが出来ないんです。 
           
土曜日の夕刻に、バスで浦安駅まで行き、清瀧神社周辺で最後の神輿が戻るまでを見守りました。新橋付近に行くと、境川を隔ててこっち側は豊受神社、あっち側は清瀧神社の神輿が通る所でした。どっちの神社のか・・は、あとでわかったことですが、双方を一度に見れるロケーションにちょっと興奮気味。最初は手前が稲荷神社かとばかり思っていました。豊受神社の縄張り?ってとっても広いんですねぇ。清瀧神社の周辺は人で埋め尽くされ、神輿が近づくに従い、良く見える場所に立とうものなら、ラッシュアワーの電車並みの状態になりました。

ここで倒れたら押し潰されるんだろうな、と、一瞬恐怖さえ覚えたのです。随分前に起こった、駅前の歩道橋での惨事が頭をよぎったほどです。混雑の中、偶然知人に会ったり、我が団地の「祭り男」で有名な方が交通整理をしながら神輿を先導する姿に出会ったりと、思いがけないこともありました。この町にきてから20年余。元町のお祭りがこんなに大掛かりで勢いのある素晴らしいものだとは知らず、本当に惜しかった!見るだけでもよし、写真を撮るだけでもよし、そうやって参加する事でこの熱い気配を共有できるんだ、とやっと納得したのであります。お祭りを終えた土曜夜の町はなかなか静まりません。今日の労いと明日に備えてしっかりと充電中なのです。四年に一度の大祭への思いが、町を歩きながらも肌で感じとれました。
   
  
  

日曜日に再び、今度は姉と豊受神社まで出かけ、前夜同様に最後の神輿が神社に戻るまでを見届けました。最高に疲れてヘトヘトなはずの担ぎ手たちが、力を振り絞って神社に戻ってきた時の、あたりの興奮は見ているだけでドキドキものでした。次の三社祭まで、あと4年間も待たなくてはならないんですもの。人人人で、お神輿が見えない中、デジカメを背伸びしながら高く掲げて撮った写真の殆どはピンボケ。
マエダ!マエダ!の掛け声も威勢いいけど、マワセ!マワセ!と言いながら神輿を低く下げたまま回転させる「地擦り」は特別カッコイイ~!天まで届け、とばかりに神輿を高く放り投げる時は周囲から大きな歓声が湧き起こりました。

   
  
  最後のクライマックス時には・・・前へ行けない~! 見えない~~! つぶされるぅ~~!

初めて体感した我が街の三社祭。ネットやブログ情報のお陰で、「ちょっと行って見ようかな」
が、2晩も通ってしまう結果になりました。長い歴史のなかで残ってきたもの。それには思いの
ほか地域を巻き込み団結・熱狂させる力が潜んでいるんですね。
稲荷神社の地域には今回、行けなくてとても残念でした。4年後を楽しみに~♪

とは、
一説に「たてまつる」の意味があると言われ「まつ」には神意が告げられるのを
「待つ」という意味も含まれ、捧げ物をして神に降臨して頂き、降臨した神に心から
感謝を捧げたり神意を伺ったりする人々の願いを聞いて頂く儀式と言えます。
古来、日本人は祭によって神と交わろうとしたのです。そして、降臨した神が乗るのが
神輿で御霊信仰が盛んになった平安中期に神輿が一番多く用いられ、神輿の普及
は神幸祭の一般化によって全国に広まったのが、世の中が平穏になった江戸時代です
(webより)


 

                   


雨の鎌倉

2008-06-15 | visit/drive

  
                                                               長谷寺

雨になるとは前日から分っていたけど、迷った末、「雨天決行!」にしました。
地元の友人たちと鎌倉に出かけるのは今回で3度目。前回行ったのは5年前?それとも?記憶はかなり曖昧です。最初に行った時は北鎌倉の明月院とその周辺。二度目は極楽寺と成就院周辺でしたが、成就院の紫陽花がことのほか印象的だったので又行きたいね、と毎年のように話していたのです。鎌倉に到着するころには雨が上っているかもしれない、との憶測ははずれました。鎌倉駅から江ノ電に乗り換え、まず長谷寺へ。
高徳院の大仏も近いからか、修学旅行で来ている多くの小学生も中高年にまじって、賑わっていました。紫陽花の咲くこの時期は、ロープを巡らせた入口の前に、「○○分待ち」
の立て札があるようですが、当日は「待ち時間なし」。雨さまさまです。
紫色の小ぶりな紫陽花の名は「小町」。なんだかセントポーリアにも似ていますね。他にも初めて聞く名前のものも多かったのですが、傘さしてデジカメも持っているので、花の名前は頭の中にだけとどめることにしました。結果としては、その殆どを忘れたんですけどね。

 
 

眺望散策路の周辺には、40種類以上、約2500株の紫陽花の群生を楽しむことができ、さらに眺望も素晴らしいので拝観料300円は頷けました。もし混んでいたら写真を撮る人で前に進まず大変なんでしょうね。
このあとは、江ノ電に乗らずに歩きで成就院へと向かいました。線路沿いの道を歩いていたら、レストランかな、と思うような古民家を見つけたんです。そこに入るには線路を横切るしかないので、渡って確かめました。ワタベ食堂(仮)と書いてあったけど“食堂”はないでしょう。お腹も減ってきたことだし、予定していた浄妙寺にあるレストランまで行くには持たない気がしたので入ろうとしましたが、門の前の黒板メニューを見ると、メインがどれも肉のようなのです。お肉がだめな友人がいるので今回はパスとなりました。
このあと、リサイクルショップを見つけて中に入り、予期せぬ買物をしてしまいました。お店の人に先ほどのレストランのことを聞いたら、以前はフレンチレストランだったそうで、今はフレンチに限らずやっているとのこと。又、この近辺の食事処を訊ねたら、権五郎さん(御霊神社のこと)のほうの横道にお蕎麦屋がある、というので行ったのですが定休日。ついていないなぁ。

 

しばらく行くと、「星の井」と「虚空蔵堂」に出くわし、そこから成就院の紫陽花が見えてきました。
成就院の紫陽花、といっても、お寺の前から下へ続く参道が紫陽花でギッシリなので、境内に入らなくて楽しめます。なぁんて言ったら、成就院さんに怒られそうですか勿論ちゃんとお参りします。はい。上方から見下ろすと、その先端は由比ガ浜の海が広がり、最高の眺めです。紫陽花の種類も多く、私の好きな紫陽花(左上から三番目)が、ここでも沢山見られました。






  

 ・・・・・ 「和尚のおはなし」 ・・・・・

まもなくアジサイの花がいろずきはじめます。
野山に人知れず咲く花・街中に咲く花、どんな花たちでも わたくしたちのこころを和せてくれます。

四十年前、高野山に登り一時期を過ごした時、五月になると、杉木立の間、お堂の側、そこかしこにあるシャクナゲの木にピンクの花がいっせいに開き、千年の古都が急にはなやぎます。

この印象は今でも五月の風を感じると思い出されます。

インドのカシミール地方を旅した時、氷河の間に顔をのぞかせ、短い季節に花を咲かす高山植物にも息をのんだものです。

高野山・京都から鎌倉にもどり、わたくしは説法をする事も大切ですが、お出でになられた方が、清々としたこころでお帰りになれる寺にしたいと考えました。

本山・大覚寺が生け花・嵯峨御流の総司所であり、生け花はこころのお花を開くことが真髄であると学んだ影響があります。

由比ガ浜を望む参道のアジサイは、そんな目的で植えてきました。
毎年、肥料を届けて下さる方、毎朝、参道を掃除して下さる方、遠くからアジサイ時にお参り下さる方、お花のご縁で色々と仏縁がひろがっています。

仏教の教えに布施行があります。境内・参道の花たちは、しゃべることはできませんが、お出での方に楽しんでいただければ、これはお花の布施行なのかなと考えたりします。       
                   山主

(成就院HP より拝借いたしました

 

雨が強く降ったり小降りになったりの一日でしたが、ここ、成就院の参道を歩いている時はしばらく止んでくれました。下りながらbiancaの耳に聴こえてくるのは何故だか、こんな曲
(思い出のある曲のひとつですが、今聴いてもいい曲だなぁ。少しも古く感じないんです。)

  

再び江ノ電に乗り、七里ガ浜の海岸のまん前にあるイタリアンに行くことにしました。駅のパンフレットの中で紹介されていたのです。数十分待ちでしたがせっかく来たので待ちました。が、ここで時間を費やし過ぎでした。お味はともかく、各プレートの運ばれるのが遅い。何かを聞こうものなら、「ちょっとお待ちください」で、このお野菜の名は?の問い一つにも即答できない。スープにスプーンがないので言うと、スミマセンのひと言もない。もう、「尋ねる」ことは、時間のロスになるからやめよう、と話し合いました。帰りにお勘定を別々にできますか?と言うと、又、「お待ちください」。散々待たせた挙句、「出来ません」だったのです。お店の名前もお料理の画像も、残念ですが出すのをやめます。食事場所にはついていない日でした。
鎌倉駅にもどり、バスで浄妙寺に着いた時はすでに4時半。オーダーストップの時間でした。が、入口で出会ったお寺の方が上の方にある「石釜ガーデンテラス」へ連絡してくれたのです。「急がないでゆっくりと登って行ってくださいね。」とのお言葉がとても嬉しかった!

  

お寺の中にあるこのレストランのお庭では四季折々のお花が咲いているとのことで、楽しみにしていましたがすでに閉店の支度をしていた時でしたから、コールドドリンクを頂くだけで精一杯。せっかく来ていただいたのに申し訳ない、と、美味しいクグロフを少しサービスして下さったんです。お土産にそれぞれ好みの石釜パンを購入。私が選んだのは上の写真のライ麦パンです。

帰りは小町通りを散策しましたが、以前入ったお店がマンションになっていたり、焼きたてのお煎餅屋さんがなかったり、と古都鎌倉も少しずつ変化しているようです。鎌倉らしさを失わずに、良く変わっていって欲しいですね。

14日午前に発生した「岩手・宮城内陸地震」には本当に吃驚しました。
  この所、事件と自然災害が交互に頻繁に起き過ぎますよね。その全てが
  ひとごとではなく、いつ自分達の上に降りかかるかもしれない、そんな気が
     してとてもやり切れません。
書き出した日のままでupします。新鮮味がなくてごめんなさい。
  頭の中身が・・文が・・冴えず、ただ時間だけが過ぎて行きました・・・。
  
            
         長谷寺の夏つばき
                      


花菖蒲の咲く頃

2008-06-11 | visit/drive
あちこちで花菖蒲が見ごろとのことで、どこがよいか 決まらずに走り出しました。あそこはどう?こっちは? と言いながらも首都高の入り口に来てしまったとき、何気なく「三渓園はどう?」と言ったら「そこだ!そこ、そこ。」と、姉の強い同意の声。三渓園を訪れるのは何十年振りになるでしょう。今は弟家族が住んでいる磯子の「実家」には年に1~2回は行きますが、そこでゆっくり過すので帰りは寄り道をしている時間がありません。本牧までの高速湾岸線が磯子の先まで延長したので尚更です。道路がすいていたのと、標識を見逃さなかったことで、この日はあっという間に三渓園に到着。受付の所で、初めて車椅子を借りることにしました。最初は嫌がった母ですが、やはり不安があったのでしょう。試しに使用することに頷いてくれました。広い園内の途中で歩けなくなればこっちが大変ですからね。
ハナショウブはご覧のように満開で、園内は調和のとれた美しい佇まいです

池に浮かぶ船の上には一羽の鵜(う)と思しき鳥がジッと止っていたかと思ったら大きく羽を広げ、何回も、まるで見世物のように羽ばたいて私たちを楽しませてくれたのです。船から飛び去ろうともしません。アマチュアカメラマン達は三脚を担ぎながら行き来し、ポーズをとる鵜も彼らの格好の被写体になったようです。毎年ここではフォトコンテストが行われているそうで、今年のテーマは「遊びにおいで!三渓園」。

歩いていくと三渓記念館があり、そこでお抹茶を戴きました。希望すればその場でお点前して下さいます。お菓子は園内にある五重塔が描かれた餡入り落雁。売店で3色9つ入りの同じものをお土産に買いました。
館内では、園の創設者である原 三渓の絵画や書を中心に、彼のゆかりの美術工芸品や資料などを3つの展示室で見ることが出来ます。なかなかの作品揃いですが、これらを入園料のみで見れるのです!
いつもならこの辺りまで、となりますが、車椅子があるのでもうこっちのもの。階段のない所ならどこまでも回れますから、母のためどころか私たちのために車椅子はラクチンってことです。しかしです。もし母が本当に車椅子生活になったら・・・と考えると、母にラクばかりさせるのも良くないかな、と思うんです。歩いて貰わないと本当に歩けなくなるかもしれません。う~難しい・・。
休憩後は紀州徳川家ゆかりの別荘建築である臨春閣の方へと歩きました。その景観は京都の桂離宮と対比される、と言われるだけあり、数奇屋風書院造りの建物が池のほとりに建っている様はどこから見ても美しい。
この辺りまでを内苑といい、1958年の公開まで、原家の私庭だったエリアだそうですが、それだけでも広いのに外苑を併せると広大な面積です。原 三渓と三渓園についてはHPに詳しく書かれていますが、三渓は原家の養子だったんですね。早稲田を卒業後、跡見で教授をして教え子である原 善三郎の孫と結婚した、ということです。養子と言っても教養と経済力そして知性を併せ持った魅力的な方のようです。
 

 

  
  歩いているだけで周りの緑と小花たちに癒される場所です。
  次に向かったのは飲食処の「待春軒」。ここで原 三渓が考案したという、
  汁気のない三渓麺を・・昼食後にやって来たというのに・・いただきました。
  あんみつやお団子も注文して皆で分け合ったんですよ。


6月を過ぎたとは言え、まだ紅白のつつじが緑の中で美しく咲いていました。見どころ満載の三渓園。次回へと、見どころをいくつも残してしまいましたが、帰り道、池の船の上では先ほどの鵜が、こんどは一羽増え、つがいとなって私たちを見送ってくれました。その昔・・20代前半の頃、原 三渓の子孫が女将となり営んでいる「隣花苑」という所に何回か行ったことがあります。とてもいい雰囲気(お値段もそれなり)でしたので次回はそこでの昼食を第一の目的に、又訪れたいと思います。


写真をクリックすると苑内で写した紫陽花の花が現れます。他の写真もクリックして見て下さいね。
poppyさん、この技、やっと出来ました。サンキュ~です!


最後のマンガ展

2008-06-06 | art/exhibit/museum

一日中雨の火曜日、上野の森美術館に行ってきた。
そのマンガ展は、私のお気に入りの中の一つ、さなメモで紹介されていたのだが、その前に、彼の
著書「明日の広告」のなかで、『スラムダンク』の作者である井上雄彦氏の、以前の展覧会について書かれていた内容を読み、とても感動していた。これを読んでいなければマンガ展があると言っても果して行っただろうか?

一方の、誘った友人はといえば、行きつけの美容院に行った時、アシスタントの男の子が、先週見に行ってきてとても良かったと言っていたのを聞いたばかりだったので、この展覧会があることを知っていた。そんな偶然がなければ彼女を誘っても興味無いと言われたかもしれない。

上野駅の公園口はいつものように中高年で埋まっていた。上野の森美術館へと歩き始めると、だれも後から付いてこない。途中で若い子がどこからともなくやって来ただけ。混んでいなさそうなのに会場入り口で少し待たされたあと、中へ通された。それが今回の入場の仕方なのかな。会場を中に進むと墨で描かれたドデカイ武蔵の絵に圧倒された。この展覧会は1998年から週刊モーニングに連載されている「バガボンド」の、ずっと先の、もしかしたら最後になるかもしれない部分の武蔵を描いている。単行本としては28巻が先月発行されたばかりだ。後で知ったのだけど、展覧会には「バガボンド」を読んで来てから見てほしい、との作者からのひと言がどこかに書かれていた。それはそうだと思った。だって愛読者なら、それまでのマンガのあらすじがわかっているけど、私たちには描かれている人物を見ても、それが誰だか分からなかったりしたもの。これは佐々木小次郎かなぁ、とか想像しながら見るしかなかった。が、ストーリーがあやふやでも見ていてその迫力が伝わってくるし、マンガと言えども140点の肉筆による白と黒の絵の世界からは井上雄彦氏の力強いメッセージが聞こえてくるようだった。

最後の方で、床の色が二色にわかれていた。母と子の感動的な場面だ。だれも作品側の白いほうへ踏み出そうとしない。近くにいた係りの人に尋ねると、立ち入り禁止のスペースではない、ということが分かった。会場のラストは、白い部分が今度は砂に変わっていた。素晴らしい演出!共に砂浜を歩いている気分に浸れ、胸がいっぱいになってきた。マンガを美術館という広い空間で、その広さを自由自在に操り利用した、前代未聞の展覧会だった。単行本を揃えようかなぁ。

 出口を出た所でこんなのをいくつか見つけた。
最後まで見せてくれる素晴らしい漫画家だ。
最後の・・・・・・なんて、ヤだぁ~!

 



 
  


お昼に天丼はどう、と、すでにそのお店を頭に描いていた友人。その店は以前入った「トンカツの双葉」のすぐ近くにある昭和三年創業の「天ぷらの天寿ゞ」。ご飯の上にたっぷりと乗っている天ぷらはなかなか美味しかった。
食後は「うさぎや」でお土産用にうさぎまんじゅうを買い、賞味期限が当日限りの名物どらやきは一つずつ買って、向かいにあるカフェベローチェでコーヒーと共にいただいた。(持ち込み禁止だったかな?)出来たてホヤホヤのように、ふんわりと温かくておいしかったぁ。