ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

仰天!投稿ミス

2010-07-31 | weblog

同じタイトルで同じ内容の記事が二つ投稿されていることに、
ほぼ24時間後に気が付きました!きゃ~恥かしい~!!

その原因なのですが、
本文の文字数が9900字台を過ぎたので(画像含め一万文字までなのです)
もう終わらせよう、と投稿ボタンを押すも投稿されなかった。
で、内容を減らす前に、不安がよぎり、全てをコピーし、
新規投稿画面にペーストするが、そこでも投稿失敗。
写真や記事内容を削っては試し、を何度も繰り返したのです。
やっと投稿出来た時、そこでやめればいいものを、
先に削除した部分をほんの少しだけ追加したりしていたら、
又もや投稿不能に!そのあと何度もこの繰り返し!!
もう頭が変になりそうでした。
一万字以内なのに、gooブログ、おかしいぞ~!

あとで追加していった部分がどれかを慎重に考えながら、削除を
繰り返した結果、やっとこさ投稿にこぎつけたんです。
作業中、「下書き」と「完成」ボタンの両方を、削る度に押して
いたので、そのあたりでも混乱したのだと思います。
でも一度投稿したら、日付は変わらないはずなのに・・・
どうして変わったのかしら
  
最近、パソコンの調子がとても不安定で、すぐ重くなるし固まるのです。
あれから何年経つかしら。そろそろ買い替え時かもしれません。
ついでに私の脳も、もっとソフトでお利口なものに買い換えたい~!

 今夜は市の花火大会が行われますが、今回が最後になるとか・・・?
本当だとしたら、淋しい~~。
以前もブログ投稿したので、今夜はカメラを持たず、皆で夕食をつまみながら
母の家の窓から見物しようと思います。

先週、友人達とランチをしたとき、入間に出来たアウトレットパークの
話に及び、一人が車を出してくれるとのことで、先日行ってきました。
三井アウトレットパーク入間

面白くない画像二枚しか撮らなかったので、upしようか迷いました。
ここはHOYAクリスタルの武蔵野工場跡に出来たそうです。
HOYAはクリスタル事業からすでに撤退したのですね。
保谷市も西東京市になっちゃうし、企業や地名の前身を
どんどん忘れてしまいそうになります。
人間だって然り。こうして歴史は塗り替えられていくんでしょう。

友人の車はナビ付きだったから目的地まで迷わず着きました。ただ、
高速代をケチって、途中で一般道路に降りたので時間が掛かり過ぎました。

先日も流通センターでお買物をしたばかりだったので、
今回は遊びにいくだけ、の筈でしたが、安さに釣られて又、すこしだけ購入。
「持たない暮し」という本を読んでいる最中で、とても同感していたのに、
何だ私!だめじゃぁないか~!

選ばれたものたちは、ほぼ似たり寄ったりの、昔から持っていたような服、
というか、Tシャツとかパンツなどカジュアルウェアです。
流通センターでのお買い上げの品も合わせて、試しに並べてみると、
こんなんです。(二枚だけは別のもので、単にいろどりに加えました。)



娘用のタンクトップも含まれていますが、私が娘にと、選んだ物は
このごろ全然気に入ってもらえません。どこかが違うんですね~。
で、着てくれない場合を考えて、私も着れるものを選んでいます。
だから,尚更着てくれないか。買わなきゃいいのにね。

それと、「サンフランシスコは、暑くないどころか、むしろ寒いので、
日本の暑い夏が恋しい~」と、メールを受け取ったばかり。
こりゃ~、タンクトップなんか送っても無駄かなぁ。

七枚の画像を並べて見たら、あんまりパッとしないので、
ウン十年前に縫った青と赤の服を加えてみたのです。
モノ持ちがいいでしょ?だって、娘が着るっていうんですもの!
彼女の趣味、どうなっているんだか訳わかりませ~ん。
生地だけは日本ブラジル間を往復しましたが、ミシンで縫ったのは、
ブラジル在住時。両方とも貰い物の生地なので、私の趣味とは言えないかも。

アウトレット入間は、楽しいけどやはり若者向けのモノ中心ですからね。
若い感性を吸収するには良いかもしれません。
隣にコストコがあり、入ろうか迷いましたが、帰路の渋滞を考え、止めに。

この日は曇リがちでドライブには打って付けの一日でした。
高速代などは、頭数で割った額を出し合うことで、すっきり。
又、どこかに連れて行ってちょ~だい!

所沢付近の、天高く聳える街路樹が素晴らしかったので、後で調べたら、
国道463号線の浦和-所沢間の19.7kmのうち17kmにわたり、
その数2,417本が植栽されている
、という日本一長いケヤキ並木でした。


続 2010年ブックフェアにて 

2010-07-27 | visit/drive

東京国際ブックフェアの追記をしていたら、本文が多すぎて投稿できませんでした。それで 内容を二つに分けることにしました。年中、「今更!ブログ」で恥かしいけど、開き直っての投稿で~す。

児童書フェアの会場では、奥野かるた店のとなりに佼成出版社ブースがあり、葉 祥明氏のサイン会が行われていました。サイン会といえば、翌日の日曜日に来ていたなら「名も知らぬ遠き島より」を出版された山口智子さんや、谷川俊太郎さんの詩を英訳した「A FRIEND」のアーサー・ビナード氏に会えたかもしれません。私のミーハーぶりには呆れましたかぁ?でもでも、知っている人?に会えるのって楽しいですよね。

児童書フェアの中には、小スペースですがブラジルの出版社ブースもあったので、懐かしく見回してしまいました。私がブラジルで子育てした期間は上の子が約8才、下が5才8ヶ月まででしたが、その間に読み聞かせた絵本は皆、日本から送られてきた、または友人から譲り受けた日本の絵本でしたね。だって現地校に通っていたから、家庭内で日本語を使わせるのは親の役目、というか、ねばならぬ、のです。そうしていても、日常会話にドンドン現地語が入ってきますからね。(えっ、親が現地語が下手だからですって?へへ・・)

西一ホールの入口を入ると、外国のパビリオンが幾つか並んでいました。今年のブックフェアのテーマ国はサウジアラビアとのこと。そのブースたるや、広い会場内でも目を見張るほどの巨大なスペースを陣取っていて、周辺はアラビア人だらけ。民族衣装を撮りたい、と、この方にカメラを向けました。

資源のない東南アジアの小さな島国 日本の対極にあたる、リッチな石油王国、というイメージしか持ち合わせていませんでしたが、サウジアラビア駐日大使のこのインタビューを読むと、急に親しみがわいてくるんですよね。その中で、これから出版したい本について次のようなことを言っていたのが印象的でした。

    今度、私は日本とアラブのことわざの比較をするという本を出したい
    と思っています。面白いでしょ?ことわざを勉強すると、日本の文化
    も分かってくるし、考え方が分かりますよね。アラブにもいいことわざ
    がたくさんあります。 
    「人は亡くなると土に返り消えてしまうが、本は永遠に生き続ける」
    いい言葉でしょう?

洋書バーゲンコーナーや造本装幀コンクールのコーナーもありますが、すべてざっと見でした。やはり、ゲストなどがトークしているブースが面白い。
農山漁村文化協会(農文協)って所でも面白そうな本を沢山出版しているんですね。
 

ここで「男前ぼうろとシンデレラビスコッティ」の按田優子さんがお話しているところに出くわしました。ラッキーなことに間もなく試食用のぼうろが配られたのです!そこでちゃっかり手をのばし、お口に入れたbiancaでした。按田(あんだ)さんはタカコ・ナカムラに師事し工房長として商品開発に務め、現在は代々木上原の人気マクロビオティックカフェ・デリ「Kanbutsu Café」のマネージャーとして活躍中とのこと。

こちらは京都の禅文化研究所のブースです。お坊さんのお話があり、椅子に座りながらのミニ座禅も行われていました。ブログ禅の中で、東京に「Zen Cafe」があることを知り、興味が湧いてきました。ここで本を一冊ご購入です。

版元ドットコムでは、「本が好き!」スペシャルイベントとして、人気書評ブログわたしが知ら ないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のDainさんと、スゴ本オフ会メンバーが“本好き”と“本”との出会いについてのトークショー開催中でした。
って、あとで調べてわかったわけですが、本に関わる色々なコミュニティーやブログがあるってことがよくわかりました。検索しながらいちいち立ち止まって読んでいたりしたら、自分のブログ更新がどんどん遅れました。

集英社ブースは屋根?のカーブがきれいでしたね。姜氏の本はここでご購入。

同題の姜氏の著書とは当然別物ですが、みすず書房でも「悩む力」を発見。斉藤道雄氏のノンフィクションで副題が「べてるの家の人々」。

未來社のブースでは、姜氏が影響を受けたという丸山眞男やマックス・ヴェーバーの本が置かれていました。哲学、思想などの専門書が多い未來社。木に人が二人ぶら下がっている「來」という字を使うところが憎い~。  

借りぐらしのアリエッティのポスターが目立つ「書物復権8社の会」。
リクエストによって書物の復権が可能になるんですね。

    出会いそこねたモノとしての本、出会いは難しくなる一方、
    (たとえば復刊でも)会うことができると、かつて読んだ人の時間と、
    今の自分の時間が呼応するかのように、思いを巡らしうる。
    自分の体も時間も有限なのに、本が、その限界を揺さぶってくれる。

リンク先に書かれた上の文章から、サウジアラビアのことわざを思い出しました。
    「人は亡くなると土に返り消えてしまうが、本は永遠に生き続ける」

雑誌で作られたタワーがひと際目立つのは、文芸春秋社のブースです。

Numberというスポーツグラフィック誌が刊行されてから、今年で30周年を迎えたとのこと。買ったことはないけど、ワールドカップなど、興味あるスポーツの祭典があるときは(特に、お熱な選手のいるときにゃ、)本屋で若者やオジサンに混じって立ち読みをしたりしますが、迫力ある写真が満載の雑誌ですね。
別の雑誌の500円コーナーもありました。
  
     

松下幸之助氏の写真と共に迎えてくれたのは言わずと知れたPHP研究所。探していた文庫本を見つけて購入。家のPCではPHPのHPで「一番じゃなきゃダメですか」をちょっと立ち読みしたりして。

だいたい回ったかな、というところでUターン。
イランパビリオンに座っていた女性たちの美しさについカメラを向けました。


読書グッズゾーンで見つけた栞コーナーには、ロシアの民族衣装を着せたこんなブックマークもありました。壁一面が栞だらけのロシアの「Nevsky Znak」、このサイトで更に沢山の栞を見ることが出来ますよ。

 

イタリア文化会館が受け持つイタリアパビリオン。真っ赤なカーペットに白と緑のアクセントが目を引きます。カラフルな絵本の数々に、つい手が伸びてしまいます。

最後は、デジタル パブリッシング フェア方面へ。 アナログ人間には最もわけのわからぬセクションですが、少なくともパソコン、ブログ、ケータイ、デジカメを利用しているんだから、もっとわかって然るべき部門にしていかなくてはね。っていうか、いままで学習したことを維持するだけで精一杯、が本音で、これ以上は、何かを捨てなきゃ入っていかないかも~。

Google はさすが、覗いて見たくなるようにすっきりしたブースです。各ブースを作るのは専門のデザイン会社でしょうが、内容よりも視覚に左右されるのが、こういったフェアとか見本市。遠くからでもその洗練さが目立つと、集客力も伸びるんでしょうね~。

次はセルシス・ボイジャーブースです。
ボイジャーの代表取締役 萩野 正昭氏が壇上でお話しているところでした。

後日、You tube上で講演映像、見つけましたが、ボイジャーHPトップで幾つもの講演映像が見れるようになっています。 電子出版かぁ。要は“眼”なんだよね。電子出版物を本として見るには年とりすぎちゃったかも。ツイッターもしかり。ブログだけはどうにかしがみ付いて、我が脳トレの一環としなくちゃな。 

お向かいのTOPPANさんです。興味は内容よりもこんな場面。 

台北コンピューター協会のブースでは、閉館間近の気配が。
受付嬢が写真を撮り合っていました。

もう半月も前のことの投稿、ったく呆れてしまいますね。
忘れそうな情景をほんの少しずつ思い出しながら、書くというより、ほぼ画像紹介となりました。やはりすぐに書かないとまずいな、という思いを抱きながら終わらせた、というのが正直なところです。
今年のブックフェアは、今まで行った中でも活気があったように思いましたが、入場者の数が過去最高だった、と聞き、頷けました。

書籍の電子化や「ブックオフ」のような古本屋が全国規模に広まっても、本屋さんが街から姿を消すことのないように願いたいです。それには購買者がいないとまずいんですよね。私、ブックオフで買うから、あなた書店で買ってよ、と言うのは虫が良すぎるかぁ。

 

追記:
今朝の朝刊に、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(もしドラ)という本に対する記事が載っていました。野球部の女子マネがその本を先輩OBに勧められて読み、実践してみたら、野球部の雰囲気が変わってきた、ということが書かれていましたが、本のちからってすごいですね。こんな親しみの持てる話題から、読書離れの若者が 本に対して興味を持つようになれば何よりですね。


緑のプレゼント

2010-07-24 | プレゼント・お土産

ブログ投稿に向けての気合がちっとも入らない間、参議院選挙もワールドカップも終り(何を今更~!)、夫がブラジルに旅立ち、いぇ~い、バンザ~イ、久し振りに一日丸ごと自由な時間をエンジョイするぞ~!と思ったのに、この猛暑にぐったりトロけています。私、滅多にエアコンを使わないんですよね。だいたいエアコンから出る熱が猛暑に追い討ちをかけている、と思うと使う気になれない。今まで夫はそれに異議を申し立てないし、我慢できなければショッパーズやMONA、アトレの中を徘徊すりゃいい~と思いながら、シャツの袖を肩の上まで捲り、団扇でパタパタと扇ぎながら冷えたウーロン茶を一日一リットルは飲んで暑さを凌いでいるbiancaです。

まずは、

・〇・〇・〇・暑中お見舞い申し上げます・〇・〇・〇・

     

それはちょうど七夕の日でした。
nettonさん(=Nさん)が育てたフィッカス・ウンベラータの子供を
わが家で養子として頂きました。
いただきに伺うはずのところ、「お母様もご一緒にどうぞ」と言っていただき、母も喜んでいたのですが、当日、約束の時間に母を迎えに行ったところ、家に誰もいないではないですか。Nさんとのお約束の時間は迫るし、どうしよう、と、困っていたのですが、白い陶器入りの大きな鉢をNさんが抱えて運んで下さったのです!子供だからもっと小ぶりかと思っていました。
じきに戻ってきた母は何のことはない、そばのスーパーに行っていた、と悪気もなく言うので 朝、もう一度確認の電話をかけるべきだった、と後悔。しかし~、よくよく考えてみると、私が一番気が利かなかったってことでした。nettonさんのところに車で貰いに行って、彼女を乗せて母のところに戻ればよかったんだ!

このウンベラーダ君ジュニア は、「取り木」と言う方法で生まれた子供で、彼女のこのブログ記事に紹介されています。大きくなるのが楽しみですが、大きくなりすぎて困ったというnettonさんです。万が一、大きく育てられた暁には、取り木の方法を再度ご指導頂きたいと、まだ二週間ちょいしか経っていないのに、今後の成長が楽しみです。

nettonさん、本当に有難うございました。

 

・・・・・・・その他の土産編・・・・・・・・


以下は、画像フォルダに入れっぱなしになっていたものも含め、直近のいただきものの数々です。撮り忘れの数もまた多いのも事実で~す。

  

    
去年も遊びにきましたが、Sちゃんは今年、ワーキングビザを取って再度来日。
お姉さんの結婚式の為、一度帰国しましたが、戻ってきたときにこんな大きな缶入りのお菓子を貰いました。500人もの招待客への引き出物だとか!500人?と、その数を疑ってしまいましたが、あちらは豪勢に祝うんですってネ~。缶の裏にお菓子の説明が日本語で書かれていました。へぇ~日本のお菓子って人気なんですかね。
参列者全員に配ったというサンキューカードを見て、再度ビックリ!いくら写真だけ、と言ったって、いったい何回衣装を変えていることか。表裏別の写真となったこのカード三枚もいただきましたが、あちらでは普通のこと、とか!
息子に、じゃなくてわが家には、台湾人の嫁は無理か~(笑)

      ただ今、前回ブログの追記に失敗し、落ち込み中
      再挑戦なるか?

 


2010年ブックフェアにて 

2010-07-15 | visit/drive

先土曜日にブックフェアに行った時のことをなかなか書けず、今ごろになってしまいました。一昨年は五木寛之氏の講演会に参加しましたが、今年は姜尚中氏の話が聞きたくてnet上で申し込みました。
強い日差しの照りつける昼過ぎ。最寄駅から東京ビッグサイトまで、日傘をさしながら大勢の人の流れと共に、講演会のある会議棟までテクテク歩く。
すでに前半分が埋まっていましたが、真ん中より少し前の一番端っこに空席を見つけ一安心。会場内には1400ほどの席が設けられているのですが、申込者多数の為、今回も場外で視聴できるスペースを設けたようです。姜さんはTVに雑誌に、と引っ張りだこだから、その人気のほどが窺われますが、タレント化する姿には賛否両論あるようですね。お話の中で、それは成り行きとしてそうなった、ということを仰っていましたし、書き手と読み手の対話は、電波を介してでは、カメラワークが気になったりすることもあり、伝わりにくい、ということも話されました。

内容を大雑把に、覚えている範囲でご紹介したいのに、5日も過ぎると(過ぎなくても!)少しメモったとは言え、メモとメモの間をかなり忘れているし、メモった字が読めない!(笑)前回同様、
私の頭では絶対に上手い具合にまとめるなんて、出来っこないけど、ぽつぽつと綴ってみることにします。

読書推進セミナーの一環としての、姜尚中氏の講演会タイトルは
        
・・・・・・読書の力ー「自己内対話」が開く世界・・・・・・

姜氏の生まれ育ったのは熊本の駅裏で、糞や豚の臭いにまみれた、まるでゴーリキの「どん底」のようなところだったという。昔の実家跡は、50年でこうも変わるのか、と思うほど、昔の面影は何もなく、現在はコンクリートのかたまりのような街並みに。県の発展の為とはいえ現実にあったものが無残に無くなったとき、人々は虚構の中に生きるのか、と思ったそうで、それが母親(オモニ)のことを書くキッカケの一つとなる。
自分があってこそ他者があり、物を書くという行為を通して、自分自身を、新しい自分の姿を発見する。つまり、自分のために書いている(いた)のだ、ということを、後々に感じたという。丸山眞男氏の「自己内対話」の内容にも触れながら、同感の気持ちを表す。

読書に目覚めたのは自分のことがわからなくなってから。小学校から高校までの間、いわゆる野球少年として活発だった彼は16-7才で挫折を体験。吃音にもなってしまう。自己をずっと見つめていくと不安になり、「生きる」上での自分の根拠をなんとか探そうとしても上手くいかなかった。後に河合隼雄氏と話した時、それが、大人になる、ということだ、と言われたそうだ。大人への橋をスッと渡ってしまう人もいるけど、渡れない子は深い谷間ー死ーを見てしまう。彼もその一人だった。
野球をやめると元々の引っ込み思案の性格から内向的になり、何かにすがりたい、との思いから読書するようになった。大人への過渡期の年頃では、橋を渡り損ねて事件を起こす、ということがとても多い、と、97年に起きた酒鬼薔薇事件などを例に挙げる。
読書とは、自分と対話できること。自分と対話を出来ない人が他人と対話できるわけがない。その辺が自分に欠けていたことだ、と気がついた。

人間が自分の中に城を築いたときに、他者とのコミュニケーションが断絶する、とどこかで聞いたが、自己内対話が出来ず、又、他者との関係を築けないと、自分の城を築いてその中に籠城てしまう。これは様々な少年事件を見ているとよくわかる。
外からの情報や知識は「自己内対話」というフィルターにかけられ、それを通して自分の中で咀嚼され、対話が出来るようになる。これが今最も大切なことだと思う。

自己内対話を知り、自分は救われた。ドイツのヨーゼフ・ゲッベルスが自殺後油をかけられたことなど、古本を通して読んだ戦争の歴史を知りギョッとしたのが20才前後。世界の中で、こんなに人が死んでいるんだと言うことを知る。そのころは様々なジャンルの本をランダムに読んだが、人に勧められなかったことがよかった。このような本が良い、と言う必要はない。色々な本を読むことで、様々な世界を知ることができる。年と共に小ざかしくなり、リアリストになっていくから、若いころを忘れがちになるが、そのころ読んだ本をもう一度読み直し、あのとき感じたことは一体何だったのかを知ることも必要だ。思春期という時期では、親がとても遠い存在であったことを思い出す。

タイトルに惹かれ手に取ったボードレールの「悪の華」。その中に「旅へのいざない」という詩があり、自己嫌悪の中でもそのような詩や文学を読みながら学んでいけた。トルストイや夏目漱石など、十代の後半に夢中になって読んだことがらは、いつまでも自分の底辺に残っている。

読み書きの出来なかった母が、60才になって初めて自分の名前を書いたときの気持ちにも及び、それがどんなものだったか、それは自分が初めて読み書き出来るようになったときがどうだったか、を想像してみる。他者と出会い、他者と向き合うことなしには何も判らない。
「他者とどう向き合うか」、自分を知らなきゃ他者が見えて来ない。これが丸山氏の言いたかったことではないか。

文字を知っているということは覚えてメモし、そして忘れる。が、文字を知らない母はなんと全部を覚えていた。自己内対話できるのは忘れるすべを知っているから。忘れることが出来ずに溜め込んだ知識、情報、体験などによって人は溺れ窒息死してしまうか、躁鬱的になってしまう。忘却をちゃんとやらないと新しいモノと出会えない。これは文字を知らない人を通じて教えられた。

今後、あと二つ小説を書いて見たい。一つは吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のような本で「新・君たちはどう生きるか」のような本にしたい。もう一つはメルヘン。内容は深刻なものだが、登場人物は二人という設定で、対話を通して書く。対話は、人間の人間たる所以である。世界の古典はすべて話し言葉だった。
あと5年間は大学にて模索し、そのあと本を出版し、最後に又、このような講演会に呼んでもらえると有難い。そして仕事からはお役ご免し、静かに姿を消し晴耕雨読の生活でもしているかもしれない。


以上のような内容でしたが、大切な沢山の言葉が抜け落ちていると思います。読み返すと余りにも下手くそな書き方なので投稿したくなくなりましたが、自身の記録として残すことにします。それにしても姜さんの口調はとても滑らかで謙虚でわかりやすかった。多くの人が、終わったあともじっと坐ったままだったので、きっと私と同様に、もっともっと聞き続けていたかったのだと思います。

★姜さんのHP

その後はブックフェアの会場内に入り、夕方まで楽しみました。購入本はというと、姜さんのを一冊。別の二ヶ所で二冊ほど。
気が向いたときに追記と追画をするかもしれません。

先日オープンしたばかりの高洲公民館でも、インテリア関係の本も混ぜて5冊も借りてしまいました!新しい図書館での新品の本は気持ちいいのですが、家に読みかけも数冊あるので時間がいくらあっても足りません。だいたい日中は出かけることがとても多いですからね。


【追記】 遅くなりました!当日の会場内での画像を追加します。

児童書フェアの会場内では、「アプライ」のブースで、ダニエル・カールさんのサイン会が開催中でした。

 

あ~~ぁ、このあとの部分が全部、私のミスで消えてしまいましたぁ!
もうショック~。また別の日にやり直しで~す。


二人のKanさん

2010-07-10 | news
 


新浦安駅前広場にて。左側の白っぽい部分が舞台正面。
よく見える場所は人の山で近づけない。

 東京ビッグサイトで開催中の東京国際ブックフェアに行った帰り、
下車駅に降り立ったところ、人の数がはんぱでなく騒々しい。
何かと思ったら、明日の選挙のための最後のお願い演説に、
管直人首相がやって来るためとわかった。
そう言えばポストにチラシが入っていたっけ、と思い出した。


カメラ班

このあいだ、連舫議員が応援演説に来た時は、たまたま買物帰り
とぶつかり、立ち止まって野次馬の一人になっていたけど、
順番が最後だったので待ちくたびれてしまった。
今日も、本命の前に、何人もが前座を受け持って、というか、
そっちに立候補者が含まれていたんだけど、連舫さんの時同様、
スター目当ての市民にとっては、
本命が現れるまでの数十分がとても長く感じられる。

ビッグサイトを歩き回り、くたびれ気味の私は待てずに帰宅。
玄関に足を入れたとほぼ同時で、夫がベランダの外に出る所だった。
異常なまでに轟音を立てて、我がマンションの上空を飛び交う
数台のヘリコプターが一体なんだか気になったという。
「管さんが駅前広場で応援演説をするからよ。すぐに行けば
ちょうど出番のころかも。」と嗾けるミーハーな私。

ブックフェアの読書推進セミナーで、(場外を含めると)数千人もの
聴衆の一人となって、かん(姜)氏の講演を聴いて来た
そのすぐあとに、別のかん(管)氏が主役の現場に遭遇するとは!
かんは私だけど!かんケイないか。 カ~ン! 


講演会が始まる直前の会場内

明日が最終日の第17回東京国際ブックフェア

そして明日は参議院議員選挙投票日。

管さんを話題にしたからって私の支持政党が特定された
ってわけではありませ~ん。念のため。
マイブログはいつもビアンカ(白)で行きまっせ。

☆姜さんの講演については後日、少し書くつもりでいます。☆

 

【追記】
母のところで取っている新聞に、7月10日夜の新浦安駅前のこの画像がトップページに掲載されていました!わが市では民主と道さん、票を取りましたが、全体としては与党は苦境に追い込まれた総選挙の結果でした。 この国では又、大臣が、首相が、一年すら支持されずに変わり続けて行くんでしょうか。イタリアの放言失言王、ベルルスコーニ首相が現役を続けられる国との差ってなんだ・・・と、考えてしまいます。


三人娘、上野に行く

2010-07-08 | art/exhibit/museum

チケットが三枚 手に入ったから、との嬉しい電話があり、幼なじみ三人と「カポディモンテ美術館展」を見に出掛けてきました。雨に降られてもおかしくない梅雨の時期なので、待ち合わせは美術館の中。私が最後に行った美術展と同じ、国立西洋美術館が会場でした。

カポディモンテとは「山の上」の意味だそうで、ナポリを見下ろす丘の上に建つ、イタリア有数の美術館の一つとのこと。1738年にブルボン家のカルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)によって建造が開始された宮殿が、そのまま美術館になったそうです。

展示される作品は主に、ファルネーゼ家が収集したルネッサンス及びバロック美術の作品と、ブルボン家が収集したナポリ・バロック美術の作品です。

               ナポリ・宮廷と美
   カポディモンテ美術館展
             ルネッサンスからバロックまで

         

上の画像が、パルミジャニーノの「貴婦人の肖像(アンテア)」(1535-37年制作)。
パンフレットにも使用された、今回の目玉となる絵画です。チーズを連想するような名前なので、初めて聞いてもすぐ覚えられそうですが、本名はフランチェスコ・マッツォーラといいます。

     
  ★ヴェチェッリオの「マグダラのマリア」 ★エル・グレコ「燃え木でロウソクを灯す少年」

 
              ★グイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」

上の絵の女性アタランテは、ギリシャ伝説に登場する俊足で狩りが得意な娘。
求婚者たちに、自分と競争することを強い、求婚者たちが負けると殺した。
ヒッポメネスはヴィーナスから黄金の林檎を3つもらい、アタランテに挑む。
走りながら林檎を一つずつ落とし、アタランテの気を散らそうとする。
アタランテは誘惑に負けて、その林檎を拾いながら走る。
そうしてヒッポメネスはアタランテに勝ち、求婚を成功させる。(web上より)

絵画には、ヒッポメネスの投げたリンゴをアタランテが拾う場面が描かれていますが、いくら伝説とは言え、そんなひどい物語ってあるんでしょうかね。

なぜそういう絵があるのか、理解に苦しむような血なまぐさい絵画もありました。二人の女が寝ている男の首を落す絵だなんて、だれがどう言う意図で画家に注文したのでしょう。もっと美術史を学ばないと判らないことだらけですが、見て楽しめれば、私はそれだけでいいかも、です。
全80点の絵画でしたが、思ったより早く出口に来てしまいました。会場内では3人バラバラで見ていたので、出口のところで待っていましたが、一人が全く現れません。で、ケータイを掛けたら、すでに常設展会場の中の人となっていました。

この4月に、ジョルジュ・ブラックの絵が一枚、常設展示に加わったとのことで、探しましたが、33×24cmほどの小さな絵だったので見過ごしてしまいそうでした。左がそれで、タイトルは《静物》。
家に飾るのにちょうどいい大きさだ、なんて思いましたね。
常設展の、19世紀の印象派の絵画は何度見ても飽きずにいいな、と思います。
又、新館2階の版画素描展示室にて「オノレ・ドーミエ版画展」も同時に開催中でした。19世紀フランスを代表する風刺画家ドーミエ。カリカチュール誌に掲載された40点のリトグラフ作品を見てきました。上にリンクを張った美術館HPでも、それらの作品が見られますので、よかったらどうぞ。

お昼のランチは上野広小路に出て、ビルの7~8階にある「厳選洋食・さくらい」へ。

日本の洋食が好きな友人のお勧めです。が、まさかハンバーグステーキをいただくとは思ってもいませんでした。
ここではこのデミグラスソース味を注文しなくてはね、と言うんです。確かに濃厚。
そしてパンかご飯か、ではなく、黙ってご飯が運ばれる所が洋食屋さんらしい。

友人の一人は、結婚後海外に移り住み、三人の子を育てている娘さんのところから帰ってきたばかり。彼女、同居の母親と一緒に行ってきたのですが、向こうで忙しく過したので帰国後熱を出してしまったとか。なのに母親のほうは次の日に、もうスポーツクラブへ行ったそうで、ビックリ仰天です。私の母親より少し上ですし、スポーツクラブに毎日通っているだなんて、考えられません。又、娘同士が同い年なのに、一方は三児の親、こっちは未だに独身を謳歌しているんですからね。別の友人は、産休をとっていた娘が働き始めるので孫の世話を買って出ているといいます。当分会えなくなる、と言っていましたが、保育園が決まったそうで、お迎えだけになったようです。娘たちも同様ですが、三人三様、性格も趣味もまるで違う昔の三人娘だからこそ、昔のままの気ままさで会えるのかもしれません。そして帰りはいつものようにうさぎ屋に寄り、ドラ焼きをお土産にしました。

これで終りにしたいところですが、先月、最終日の6月27日に「伊藤若冲・アナザーワールド」を見てきた、ということを付け加えたいと思います。これはカメリアさんとかぐやひめさんブログでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。私も教えていただき、是非行って見たかったのですが、うっかり忘れそうになりました。

 

たまたま、申し込んでいた「若い芽のαコンサート」が同日、千葉県文化会館で開催。「若い芽」の一人は、以前バラのコンサートのときにフルートを演奏した沼田絵恋さんで、コンサートのことを知ったのも、そのときに彼女がお知らせしてくださったから。

もう一人も我が街出身の高校三年生生ギタリスト、岡本拓也君。そして岡本くんと同じ高三で、音大三年にも在学中の(そんなことが可能なんですね。)青木尚佳さんはバイオリニストです。

この三人の演奏のバックオーケストラはニューフィルハーモニーオーケストラ千葉。前途有望なミュージシャンの卵たち、なかなかいい味だしていました。ただ、私の席の後ろのおじさんのイビキが・・・とても気になったのですけどね。

コンサートのあと、市美術館まで行くのに徒歩では少し遠い、と言われましたが、健脚な?私にとってはたいしたことなかった、けど暑いのが参りました。途中「珈琲問屋」というお店があり、日曜日で静かな道路沿いなのに、店内は結構人で賑わっているではないですか。お客が多いのは美味しい、安い、という事。そこで出来合いのサンドイッチと珈琲をいただくことにしました。出来合いのサンドイッチのセロファンを取って、ホットサンドにしたのをお皿に入れて出してくれたのには感激。ちょっとしたサービスが人を呼ぶのですね、きっと。歩かなければ出会えなかったお店でした。

     

さて、この後美術館で、生涯描き続けたという若冲の水墨画が中心の展覧会を堪能しました。最終日の、あと二時間弱で閉館となるときでしたから、それなりに人は多かったですが、上野の美術館とは人の数は比べ物になりません。でも内容はとても充実していました。一枚一枚を丁寧に鑑賞出来たし、最後に駆けつけるだけの熱意のある鑑賞者が多かった気もしました。

 


駒沢・深沢 歩け歩け

2010-07-06 | art/exhibit/museum

以前、この建物について書かれた記事を読み、一度行って見たいと思って切抜きを保管しておきました。そんな切り抜きなどの紙類が、狭いマンションの居室に増えていくので、行って見たい近場は一つ一つクリアして、紙類を無くそう、と思いました。それなのに、行った先で更に資料などを貰ってしまうので、一向にモノが減らないのです!
最近、死ぬ準備の勧め、のようなことが書かれていた本を読み、本当にそのとおりだと納得したものです。死ぬ、というとどうも縁起が悪そうですが、いつ死が訪れても後悔しないように生きる、という意味なので、老若関係なく一つの生き方として説得力がありました。
さて、この建物は駒沢大学旧図書館~耕雲館~です。1999年に都の歴史的建造物に認定され、その後開校120周年の記念事業の一環として、2002年に禅文化歴史博物館として保存・活用することになったそうです。「耕雲館」の名は、禅語「耕雲種月(雲を耕し、月に種を植えるように、高い理想を掲げ、着実に努力する意)」から採られたとのこと。
建物を設計したのは、旧新橋演舞場、銀座サッポロライオンビヤホールなどを手掛けた菅原榮蔵(1892-1968)。昭和3(1928)年に図書館として建設、使用されたそうです。
ここでは禅寺にある「鳴らしもの」を実際に手に持って慣らすことが出来ますし、写経コーナー(一ヶ所)も利用できます。
 
あとから一人で入って来たおばさんが、静かに鳴らすように、との注意書きを読んでないのか、次から次へと力まかせに鳴らすので頭が痛くなりました。
 
中央ホール上の照明がとてもレトロですてきですが、その下に金ぴか!の須弥壇と一仏両祖像(釈尊・道元禅師・瑩山禅師)が祀られていたのです。それがちょっと不釣合いな気がしないでもないのですが・・・。

「維新回天帖~幕末維新を駆け抜けた志士と禅僧~」という企画展では、達筆すぎてさっぱり読めない書簡類が展示され、ぐるりと一周しただけでしたが、西郷隆盛が書いたり受け取ったりした書簡もありました。最後に写経をして帰るつもりが、電球か何かがホール床に落下して、その清掃作業が始まったので断念しました。あのおばさんが思い切り音を出したから、そのはずみで落ちたのじゃないかしら?なんてね。

 

さて、そこから駒沢公園通りを次の目的地までウォーキング。公園入口付近の塀という塀が面白い絵で埋まっていました。その近くにオープンカフェスタイルのフレッシュネスバーガーを見つけ、ひと休みすることに。

ここのハンバーガー、だ~い好きです。中味が溢れるほどで食べにくいのですが、デカ口開けて思いっきり喰らいつくと上手くいきます。通り沿いではペットショップがやたら目に付き、犬の散歩をしている人の多いこと。そのためにペット同伴OKスタイルのハンバーガーショップにしているんでしょう。

駒沢公園の近くには知人が住んでいたので何回も来ていましたが、その先を歩くのは恐らく初めて。地図を見ながら新しく出来たギャラリーへ。周りは高級住宅街。人の姿が見えず、看板も目立たず、通り過ぎてしまいそうでした。

而今禾
Jikonka TOKYO
世田谷区深沢7-15-6
open 11:00ー18:00
closed 水・木


玄関前にはこんな方々からの開店祝いの花やアレンジが飾ってありました。
靴を脱いで、スリッパに履き替えて、拝見したものは・・・

2005年に他界された陶芸家の、炎を感じるようなどっしりした作品群でした。時々拝見している藤野在住の方のブログでこの展示会を知ったのですが、耕雲館から少し遠いけど、徒歩で行ける範囲だと思い、立ち寄る気になった次第です。
入り口もこの部屋も、たぶん、たまたまだったのでしょうが 人の姿がなく、作品の紹介文のようなのも見当たらないのでちょっと困惑しました。まるで誰か知らない人の家に侵入しちゃったような気分でしたが、確かにこの古家具の上の展示物が青木氏の作品なんだと自分に言い聞かせました。数は少ないけどすばらしかったです!

 

何の案内も書かれていない階段を恐る恐る上って行き、やっと人と出会いました。上の2フロアーは焼き物と天然素材ウェアーのショップとなっています。深沢の閑静な住宅街の新築風一軒家をギャラリーにするだなんて贅沢~だけど素敵です。



ここで気に入ったのはメイド イン イスラエルのサボ。もう少しで購入するところでしたが、迷った末、今回は我慢することに。わが家の靴箱を少し整理してからにしましょう。

   
帰り道、深沢の住宅街を桜新町に向かって歩いていたら、中学時代、クラスメートの家に行ったことを思い出しました。ウン十年前のことですから、あたりの様子もすっかり変わり、「サザエさん通り」なんて勿論ありませんでした。彼女の和風な家の、廊下に面した畳の部屋で、向き合って仲直りをしたんだったな~。喧嘩ではなく、思い違いによってギクシャクした関係になっていたのでしたが・・・。
いや~懐かしい!まさにサザエさんの全盛期だったかしら。いや、も少し後かな。(サバ読んでいるんでなくって、記憶が遠のいています・・涙

レンガの箱のような建物が長谷川町子美術館。
世田谷区とこの建物とサザエさんがどうも一致しないんですけど。

一週間以上も前のことになり、ギャラリーでの展示も今日が最終日。興味を持たれた方にはご免なさい。すぐあとに別の企画があるようです。
先月下旬に行った美術館のことも、Wカップ観戦が続いたので未だ投稿できないでいますが、毎度ながらマイペースで行くことにしますね。

  

もっと見続けたかった・・・

2010-07-01 | news


やっと顔と名前が一致したころだった。
だからせめてもう一戦観戦したかった。

最も避けてほしかったPK戦での決着は、
運を天に任すと同じこと。
わかっていても握りこぶしに力が入り、
一人目、二人目、と
クリアする都度
ドキドキ感が封印されるほどの硬直感で
テレビ画面を見つめていた。

あ~ぁ、遂に終わっちゃった~。

バーをたたき、上方に大きく弾んだ自らのシュートに、駒野は天を仰ぎ、頭を抱えた。うつむいてセンターラインの仲間のところへ戻る駒野を抱きかかえるようにして迎え、列の中へ招き入れたのは、大会前にその腕からキャプテンマークを剥奪された中沢だった。

5人目のキッカー、カルドソが決勝のゴールを決めると、歓喜の輪を抜けだし、1人のパラグアイ選手が駒野に駆け寄り、額をすりつけるようにして何かを語りかけた。自身4人目のキッカーとして落ち着いてゴール中央にPKを決めたアエドバルデスだった。おそらくスペイン語だったのだろう。駒野は何を言われているのか分からないはずだが、しきりにうなづいていた。気持ちは通じていたのだろう。

一番長く駒野の肩を抱いていたのは、松井だった。そして駒野以上に泣いていた。何も言わず、しゃくり上げ、ただただ肩を抱き続けていたようにみえた。そして逆の肩を、阿部が抱いた。(記事&写真↓はwebより)

終わっちゃったんだ、という気持ちになっても
負けたんだ、とはどうしても思えなかった。
選手同士、チーム全体の雰囲気が良かっただけ、惜しかった~。
もっともっと、このメンバーの戦う姿を見たかった。
お疲れさまでした!そして沢山の感動を有難う!

帰国後のインタビューを通して、
ほとんどの選手が、今大会で勝敗以上の何か大きな、
今まで味わったことも無かったモノを感じたということを知った。

それは、別番組において長谷部、阿部、長友各選手が言った
「信頼関係」「きずな」「最高の仲間」に象徴されるのだろう。

最初は、〇〇選手、カッコいい~と思いながら見ていたけど、
最後は選手全員がカッコよく見えてしまったとは我ながらビックリ!
未だかつて、そんなことはあり得なかったから。
気になる選手が多くなった、ということは嬉しいことだけど、
年齢をみると、4年後が危ぶまれるのが辛いところだ。

パラグァイ戦後 岡田監督コメント選手コメント


7月3日追記;

投稿が遅れているうちに、ブラジルもオランダ戦で敗退してしまった。
ブブゼラの音を掻き消すほど、強烈なブラジル応援団のサンバの音色が
ずっと私の頭の中で鳴り止まない。けど勝負は勝負だ。
西村主審の堂々とした姿がとても印象的で素晴らしかった。

   日本、ブラジル、両チームとも
もっともっと、彼等のプレーを見続けたかったなぁ。

 こうなったらもうオランダを応援するっきゃない!
   2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会で
ジュール・リメ杯を手にするのは、絶対オランダだ~!

けど、先のことは おら 知らんだ

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