ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

封切りのその日に

2005-10-30 | cinema

映画を見てきました。昨日はパパのバースデーでしたが、
子供たちは仕事に、ハロウィーンパーティーに、と留守でした。
じゃあ2人だけで西船にある“POROROCA”でブラジル料理でも食べて来よう、
と話が決まり、念のため電話をしたところ、「レストランのほうは6月で閉めました。」
がっかりして、「それじゃあ六本木の“アカラジェ”はどう?」と言うと、
本人はあまり乗り気でないのです。
さ~て困った、どうしよう・・・こんな時ばかり頭の中はフル回転。
そうだ、見たい映画が今日から始まる筈だ、と思い出し、
「じゃあ、"ベニスの商人” を見に行かない?アル・パチーノがシャイロック役で出るし、良さそうよ。」
「フ~~ン・・・ま、行ってみてもいいけど・・」
チャンチャーーン!これできまり。(バースデーと映画は余り関係ないですけどね。)
6時台と9時からが、これから行くのに間に合う時間帯でしたが、夕食後のレイトショーに行く事に。
パパと2人で映画に行くのは"レイ”以来。
シェイクスピアの作品は、本で読むというより、舞台や映画などで、知らず知らずに知ってしまった
と言う事のほうが多い気がします。今回の映画は、新聞の映画評を読んで興味を持ちました。
評論、といっても、こっちが見て感激したものでも、散々
な悪評を書く方もいますから、
一概に信用はしませんが、今回のはなんだか信用できそう。

・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・ 

  
やはり、思っていた通り、彼が圧巻。

強欲で無慈悲なユダヤ人の金貸し、シャイロックが、深い悲しみに打ちひしがれた、ひょっとすれば
同情さえされ得る人間として描かれているのです。話す口調、動作、すべてが、この人以外に
適任者なんかいないんじゃあないかと思ってしまう位なんです。
監督も言ってます。
「かれはこの役を演じる為に生まれてきたようなものだ。彼なくして、
私はこの映画をつくろうとは思わなかっただろう。」
プロデューサーも言ってます。
「アルのイタリアでの人気のお陰で、ヴェニスでの至宝と言われるような場所の数々での撮影が、
いとも簡単に許可された。こんなことは、今だかつて一度もなかった。」
それにしても、アントーニオとバッサーニオの関係が、単なる友情なのか、同性愛なのか。。?
又、意外だったのは、若手の男たち女たちの存在が、ちょっと軽すぎたかな・・
ということでした。
幻想的に見えたポーシャでさえ、男装して裁判官の前に現れたときには違和感がありました。
シャイロックが余りにも重厚過ぎたのか、監督がこの映画を、今と言う時代にも通じるよう、
独創的なものに仕上げたことは間違いないでしょうけど。
バックを流れる音楽と歌声は、美しいルネッサンス期のヴェニスの町に同化し、映画最後の
キャスティングリストの終わりの終わりまで続きました。
とにかくこの映画は、ストーリーが解っているだけに、登場人物をじっくり観察できた
と言う意味でも面白かったです。
監督のマイケル・ラドフォードは、これを見終わった後で知ったのですが、私が好きだった
"イル・ポスティーノ”や、“1984年”(これは本をを読んでいましたが難解でした!)
の監督でもありました。
やはり、ご縁があったのでしょうね。(何の?)


ここに、バッサーニオが、ポーシャを手に入れるための箱選びをしている時の呟きを・・・

・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・

「目に見える美しさは、中身を裏切るものだ。いつの世も人は見た目に惑わされる。
裁判もそうだ。どんな不正な訴えでも、巧みな弁舌を使えば悪が隠れてしまう。宗教もだ。
どんな邪説でも、厳かな顔で聖書を引用すると、おぞましさが虚飾の影に隠れる。
美人を見よ。その美しさは化粧の厚さによって手に入るものだ。従ってけばけばしい金よ、
お前に用はない。銀よ、お前もだ。生白い顔をした下賊なやつ。だがお前、みすぼらしい銅は、
希望も抱かせず、まるで脅迫してるよう。素っ気なさに引かれる。
雄弁よりもこれを選ぶ。我に幸運を。」

 

 



ラーメン日和

2005-10-28 | 飲・食・店

                                                    

 週のうち2~3回は、お昼頃から仕事で銀行へ行き、用事を済ませたあとで、
ちょっと遅いお昼となる。
今日は、昨日と打って変わり気持ちのよい秋晴れの日。
いつも行くその銀行の近くにおいしいラーメン屋があるのだが、銀行の、有人の時の駐車場に
車を止めるとなると、いくらついでに・・と思っても気が引ける。
だけど今日は本当にラーメンが食べたくなった。
駐車場の係りのおじさんに、
「すみませんが、ちょっとの方に用事があるので・・すぐ戻りますけど~」
と言ってみたら、「いいですよ~。」 ワ~イ ラッキ~

南米から仕事で日本を訪れる日本人の知合いの中には、帰国してまず食べたいのがラーメンだ、
と言い切る人もいる。たかがラーメン、されどラーメンなのだ。
激戦地もあちこちにあるし、その店がテレビチャンピオンになろうものなら、味はともかく
長蛇の列となる。
わが町でも、そういう店ということで、行列に並んだことがあるが、「ここのはおいしいのだ!」 と
自分に言い聞かせてズルズルと食べている気がしないでもない。

今日のお食事処は、喜多方ラーメンの「」。
会津喜多方で有名な「坂内食堂」の姉妹店で、店構えは15人入るかどうか位の小さいお店。
最初に入ったときは何を注文しようか周りを見回してしまったが、来る客来る客が皆、
「ラーメン! 」と言ってるので、それから私も「ラーメン」と決めた。
メニューを見ると、それが一番お安くて、550円也。サービスライスも付くのでとてもお得だ。
(勿論私はサービスライスはお断り!)ここのラーメンは、手もみ麺とスープと焼き豚が
三位一体となってなかなかの味わいだ。
ふだん、汁は残すのだが、おいしいラーメンのときは決まって汁が美味しくて、三分の一ほどを
頂いてしまう。

ラーメンでちょっと物足りない・・ではなく、大満足の、そんなお店であった。

帰り道、同じ明治通り沿いに、いつでも長蛇の列のお寿司やがある。
「海幸」と言う名前のその店に一度入ってみたいナァと思ってから数年経ってしまった。
行列はいやだけど、仕事がない日に行ってこよ~っとン。



丸の内散策

2005-10-25 | weblog


 

 一体なにを考えているのか・・・
他人が大切に作り上げてきた会社なり球団なりを、いとも簡単に買収?・・・
お金があれば何をやってもいいものか。
それを許すような日本の社会は余りにも情けない・・。
私は・・物を作る・・作り上げる・・そういう人が好きだ。

 サンデープロジェクトだかスクランブルだかの番組で誰かがそんな内容を喋っている。
そうだ!そうだ!・・と心でうなずきながらも、「丸の内までちょっと行って来ま~す!」

 丸の内仲通りでガーデニングショー2005が開催されているのを知り、
最終日の23日に、三越での「再興院展・90回の歩み展」を見に行くついでに、出かける事に。
この通りは私がお散歩するのに好きな場所の一つ。オフィス街がお洒落でシックな街に
変身してからどのくらい経っただろうか。
我が家から乗り換えなしで半時間で行けるのと、建物の中では大手の企業戦士が、
秒単位で仕事をこなしている・・そんな現実を少しも感じずにゆったりとした雰囲気を味わえる、
大人がお散歩するには最適な場所。(そんな演出だっておそらく企業戦士のなせる業?)


 日曜日ともなると、さらにこの辺りは時間が止まったように静か。
このショーを教えてくださったカメリア日記」 (10月20日)に素敵なガーデニングの写真が沢山あるので、私は気になる建物と彫刻をー今回はちゃんと娘のデジカメを借りてー撮って来た。
(カメリアさん、ありがとう!)

  
   ★重要文化財 明治生命館 
    1934年建築。ネオルネッサンス様式の最高傑作として高く評価されている。   
    歌舞伎座、ニコライ堂の修復、日本銀行小樽支店などで有名な岡田信一郎氏の設計。
                         
    近くの第一生命館ともども、GHQの会議場として使用されていたようだ。 
    新しいビルの方にはオペーク丸の内や、ティファニー、有名ブティック、北欧インテリアの
    イルムス、そしてレストランなどが入っている。

                                       
                    ★ 記念館の中の天井(中にティールームもあります)

  
 ★これらの現代彫刻は箱根の彫刻の森美術館からのもの 
                
 
 ☆ ロイヤルコペンハーゲン                  ウエッジウッド

 
 
 ★
丸の内八重洲ビル
  大変な事に!古河ビルと三菱商事ビルと此処が、まとまってひとつのビルとなる
  ビッグプロジェクトが出来上がっているのだ。やだ!やだ!やだ!
  2006年に着工。2009年完成予定。ああお前もか!なんだか悲しくなっちゃうよ。
  でも 地震大国日本はヨーロッパとはちがうんだよね。(でも、いや~だ!)


 
 仲通りの両側に展開されているミニガーデンを見ながら日比谷方面へ向かっていくと、
晴海通りとの角地がすっぽり空洞になり、工事現場と化していた。
何が出来るのだろうか・・・近寄って建築計画のお知らせを読むと、
日比谷パークビルの建替え工事。
2007年には、そこに、「ザ ペニンシュラ 東京」がそびえているのだ。

 明治生命ビルまで引き返し、その中のNINA'Sで軽食を頂き、今度は三越で日本画を鑑賞。
奥村土牛。それと知らずにいいなあと思って作家名を見ると彼の作品だったりするので、
自分の好みが何と無しに解ってくるような・・・。山種美術館はいいものを所蔵している。
好きな画家、横山 操はここにはなかった。
平山郁夫の長いタイトルの絵もよかった。これは武蔵野音楽大学蔵。
福井爽人の「星のオアシス」もよかった。若手でもいいのがあり、嬉しくなる
(三越の院展は今月30日(日)まで開催)


 外に出るともう薄暗く、充実した1日があっという間に過去に吸い込まれていく。
中央通りを東京駅に向かって歩いて行くと、ライトアップされた島屋の建物に
目を奪われてしまった。これはケータイでパチリ。

そして、うちへのお土産は、三重県物産展で買ったおミカン一袋でありました!へへ・・・

                     

 


文化祭にて

2005-10-22 | weblog

この土日はT公民館の文化祭


一番左端にあるのが紫式部の鉢植えです。

姉が園芸ボランティアに属していて、例年のように、鉢植え、寄せ植えを沢山作って

展示即売するというので、母を誘って遊びに行って来た。
この時期の寄せ植えは、ゴールドクレストなどを中心にクリスマスの時期までは持ちそうな花が中心になる。私の目を奪ったのは、大き目の鉢の紫式部と、白い花が沢山咲いている芳香なローズマリー。我が家のベランダが、放ったらかしの草花ばかりではあるが、満杯状態なので、どうしようか迷ったが、・・ああ可哀想に・・別の人に買われたほうが幸せだったかナァ・・などと考えながらもやはり買ってしまった。(だって数百円なんですよ!)一方、母も、見るだけ!見るだけ!と言っていたのに、クリスマスバージョンの寄せ植えを買っていた。その隣では、新鮮野菜の即売会。こういうのってイイよねェ~!
鉄筋コンクリートが我が家ならなおさら、土の匂いは心を癒してくれるのだ。
ここでは他に、木彫の作品をちょっと拝見。以前、先生のお宅で習っていた事があり、彫刻刀もちゃ~んと持っているんだ!が、錆び付いているかも・・箱をたまには開けてみなくちゃ。
丁度コーラスが始まるというので、2階に上がる。明日のコーラスには知人が出る予定だが、明日は明日の予定があるので残念。嬉しかった事に、コーラスの後、伴奏をなさっているピアノの冨川さんのピアノソロがあり、2曲聞く事が出来た。一曲目は、ショパンの「幻想即興曲嬰ハ短調」(これはショパンの死後、世に出たものと言う)と、「小犬のワルツ」。小犬とは子供ではなく、小型犬と言う事で、ショパンの愛人宅に行くといつもちょろちょろとまとわり付いたりしていたそうで、そんな光景を元に作曲されたとの説明をして下さった。演奏はもう最高。このごろは、年のせいか(?)、いい物を見たり聞いたり読んだりする度に心が震える。
ショパンの愛人・・そう、あの“男装の麗人”といわれた、作家のジョルジュ・サンドだ。恋多き女性と言われた。その昔に彼女の「愛の妖精」を読んだが、そのころ私は、作家のことなど何も理解していなかった。彼女はあらゆる闘いに参加した自分に正直な強い女性。27歳の頃、19歳だったジュール・サンドという学生と一緒になり、2人で作品を作っていたと言う。その彼の名前を少しだけ変えて自分のペンネームにしてしまった。ジョルジュは英語でジョージ。男性の名前だ。ショパンよりも、そしてもう一人の愛人であった、ショパンと同年の詩人のミュッセよりも6才年上である。ちなみに、ショパンは、1810年2月22日生まれ、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれる。8才で第二のモーツアルトの出現とまで言われた。
その「ピアノの詩人」は、病の為
39歳で生涯を終えている。

このころ、作曲家がぞくぞくと・・・
1810年 2月22日  ショパン誕生(亡義父と同じ誕生日)
1810年 6月 8日  シューマン
1811年10月22日  リスト
1813年 5月22日  ワグナー
1813年10月 9日  ヴェルディー
1818年 6月17日  グノー
1827年 3月26日  (ベートーベン亡くなる)
1828年11月19日  (シューベルト亡くなる)
1829年 3月 6日  リヒナー

1832年 3月22日  (ゲーテ亡くなる)
1833年 5月 7日  ブラームス
1840年 5月 7日  チャイコフスキー
1841年 9月
8日  ドボルザーク)
1843年 6月15日   グリーグ          などなど
(ネットで調べました!

クラシックには、全然詳しくなく、豪州にいる従弟が、いいクラシックの曲があったら、ネットを通して送って・・などと言われても見当が付かない。送り方もいまいちわからない。だが、この、幻想即興曲を聴いて、《戦場のピアニスト》を思い出してしまった。
あの映画の主人公、シュピルマンもポーランド人。
映画を見て、感動して本まで買ったが、映画に流れていたのがショパンのノクターン嬰ハ短調だったのだ。

家に帰り、買った鉢植えを抱えてベランダに運んだ所、なんと、今夏は全く咲かなかった赤いハイビスカスが一輪、咲いていたではないか。
「私もママのブログにのせてぇ~~!」とあたかもおねだりしているようだった。

 
  今年始めて開花した赤ビスカス・・・うれしい~~!

 

 


忘れた頃のおくりもの

2005-10-20 | weblog

           
                  ★The Japan Timesが箱の中のクッションとして使われていました。気取ってる~! 
                                                                            
 去年の12月にウェディングを挙げた甥から、手作りのアルバムと、おいしそうなクッキーが、
選び抜かれた素敵な便箋での書面と一緒に、今日、届きました。ウェディングは元麻布の一軒家、グランリズィエと言う小じんまりしたレストランで、ごくごく親しい身内だけの地味婚でしたが、それは温かい祝福に満ちたものでした。何から何まで2人で決めて、アルバムまで時間をかけて少しずつ作成していたのです。この8月にやっと新婚旅行に倉敷まで行ってきたというくらい、マイペースで着々と2人の生活を築いています。
 
 もう一つ、私のお誕生日のプレゼントが、AMAZONから同日に届いたのです。
送り主は、むすめ。
誕生日が近づくと、「ママ~なに欲しい~?」と聞かれます。
あの頃・・・私のバースディーはお盆休み中・・・ちょうど読んでみたい、見てみたい本があったので、何気なく言った覚えがありました。でも、「ことしのプレゼントは家族旅行。他に何にもいらないからね。」とも話した気がします。
そして、届いたものは・・うわっぁーー本当に!
その本はこんな経過を辿って来たものです。
   お友達の知人、末盛千枝子さんの「すえもりブックス
     →船越 桂
      →船越 保武
       →透明な場所
        →逃げろ、ガゼル!
         →Breeze in Savanna
          →【Love Letter】....写真集 by Inoue Fuyuhiko
            【「この世」と「あの世」を結ぶことば】 by Iwagami Chikou 

 そうして送られてきた写真集を見ていて、もっと吃驚したことに、
本の構成(レイアウト)の所に私の学生時代の知人の名を見つけたのです。
そういえば・・彼は星野道夫写真集や写真展でもその名前が出ていた・・と、
これも後で小冊子等を購入してから知った事です。
---繋がりってなんて面白いのでしょう。---
自称アナログ派が、nettonさんの影響でネットにはまってさあたいへん、
欲しい情報が視覚を通して何でも入ってくるのですからね。

 そんなわけで、手作りアルバムも、2人で作成した後、ネットを通して注文。
私へのプレゼントもAMAZONさん経由で、宅急便でのお届けと
相成ったのです。

嬉しかった、忘れた頃のプレゼント!   
                       
                         

    
                   

 


サタデーナイトフィーバー!(続き)

2005-10-17 | 飲・食・店

(左から、Taiちゃん、Kimiちゃん、おやじさん)

「いらっしゃいませ」と書かれた黒いエプロン姿のおやじさんが、イヨォ~!ってな感じで
にこやかに私たちを迎えてくれました。
土曜日の、それも小雨の降る神田は何処も閑古鳥。どうして予約が?
よくわかりませんがプロ同士です。それがきっと意味あることなのでしょう。
先ずは友達のご主人のTaiちゃんとご挨拶。ちゃんと顔をつき合わせてお会いするのは十何年ぶりですから照れちゃいます。なんだかお見合いの席のよう!3人とも、先ずはビールを注文しました。
店内にはモーツアルトなどのクラシック音楽が終始静かに流れています。(おやじさんの趣味!)
お通しの第一品目はえびイカ入りのサラダ。(今日のお通しはいつもと違うよ。
なんかすごいな。)・・Taiちゃん,Kimiちゃんが呟いています。
つぎは蛤のワイン煮。
豚肉の紅茶煮。
大切りのガーリックトースト。
鮭などなど。
同時に白ワインのボトルが開けられ、大きな大きなグラスに次々と注がれていきます。
私はワインの銘柄には全く無知・無頓着で、美味しければいい方ですが、そのうんちくに耳を傾ける
のも楽しいものです。覚える気持ちを持たないと100回聞いても覚えませんが、お詳しい方と
一緒ですから、アルコールが入っていなければ(?)、しっかりお勉強が出来た筈。
此処のワインは厳選された美味いものを、原価近くに抑えて出すので評判だとか。
でもなによりも楽しいのがおやじさんとの掛け合いです。知らず知らずの内にこちらの会話に
口を突っ込んでいたり、グラスを片手に一緒に座っていたり、今時珍しい、一癖も二癖もある
面白きべらんめ~おやじなのです。
四谷のJ大にいた頃はマンドリン部だったとか・・!
エエッ。。ほんとうにー?って言おうものなら
「いちゃあ悪かったかよ~!そう見えねぇって言うのかヨ~!このばかやろう!
おまえにそう言われたかね~よ。」なんて具合に返ってきます。
でもね、何を話してもよく知っていて話が弾んでしまう楽しいおやじさんなのです。
口は悪くてもなかなかどうして、人の心を掴むのがうま~~い。
そのキャラクターがお客さんを呼ぶのですね。
この日のほかのお客さんはおかしなカップルと、へんな一人客。
カップルが入ってきた時、女性のほうがKimiちゃんの所に来て、
“おねえさん、おねえさん、よかったわ、あなたのような方がいて・・・ほっとしたわ~~。”
なんて言い出しました。帰るときも、「おねえさん~、またね~」と、一言かけてお帰りに
なるのです。まるで劇の一こまのような光景!
(この人、女装のオカマじゃあないかしら・・・?一人でクスッ・・。)
そんな不思議な芝居小屋を想像してしまうような居酒屋です。
気がついたら赤ワインもじゃんじゃん注がれていて、一体どれだけ飲んだのでしょうか?
11時半を回っていました。

  カレラ シャルドネ 02 ナパバレー(アメリカ)
  シャトーメネ 97 (ボルドー)
  セラファン ジュブレ-シャンベルタン 2000
  オ-ストラリア シラ- ?
  もう1本? なんと五本   (Kimiちゃんの記憶より)

酔っぱらわない?私の飲む量はたかが知れていますけど、ね。??
さあ終電に間に合うように帰らなくては大変。
おやじさんとかた~い握手でお別れして神田駅から電車に乗り、お二人とは東京駅でお別れ。
翌昼、まだ土曜の夜のフィーバーが冷め切れていないゆ~らゆらの状態の時です、
「テレビに佐渡 裕がでているぞ~。オーイ ニッポンの神戸特集だ」と、パパの声。
神戸を代表する顔として、世界13カ国でのオーディションで選ばれたミュージシャンにより
編成されたオーケストラ、「兵庫県立芸術文化センター附属オーケストラ」の芸術監督として、
また、子供たちに音楽の楽しさを伝える教育者として、その番組に佐渡さんが出演していました。
子供にタクトを振らせている時のその優しそうなお顔。
「二拍子の時はVを、3拍子の時は三角を描くように振るといいんだよ。あとは、自由に身体を
動かせばいいんだ」 と楽しそうに子供たちに接しています。
きのう行った〈があどした〉 に、この人が飲みに来るんだ・・
そう思った時、この「世界の指揮者」にとても親しみが湧いて来てしまいました。

Taiちゃん、Kimiちゃん、楽しい一夜を あ リ が と う 

・・・ウトウトして、池袋まで行っちゃって、終電がなくなってタクシーで帰宅だなんて、
ありゃまぁ~御苦労様でしたね。



(暗かったので明るく調整したら薄ボケた画像に!)


サタデーナイトフィーバー!

2005-10-17 | 飲・食・店

 

 高校時代の友人夫妻と、午後6時半、神田駅南口で待ち合わせ。
兼業主婦である私にとって、夜、都心に「飲みに」行くなんてことは滅多にありません。
夕食を整えてから(と言うより、やる
べき事を指示してから)、東京駅へ。
そこから山手線で一つ目ですが、時間が早かったのと、日頃の運動不足のため、
八重洲口を出て歩く事にしました。左方向へ歩けばいずれ神田駅にぶつかる筈。
わからなくなったら、ガードに添って歩けばいいのです。
夜6時、外はすでに暗く、小雨がパラついていました。こりゃまずい・・と思ったものの、
改札は出てしまったし、よ~しっ、と気合を入れて大股で歩きました。
呉服橋を過ぎると日銀の建物がライトアップされ、夜空にくっきりと美しく浮き立っています。
その横道には、三井本館と三越本店の姿もライトに映え、小雨にぬれる惨めさよりも得した気分で
ランランラ~ン♪
 
丁度時間となりました~の頃、神田駅に先に着いていたお二人と合流。今歩いて来た道を
少し引き返し、「があどした」という名のワイン居酒屋に到着。
「予約を入れておくからね」というので、どんな所かなあと、興味津々でしたが、その名の通り、
ガード下の、10数人で一杯になるような小さな居酒屋でした。
友人夫妻は恵比寿でゆめの庵というお料理屋をやっています。
そこを訪れた、指揮者の佐渡 裕さんから教えて頂いた居酒屋ということで、どうりで飲み物を
ぶっ掛けたようなシミの目立つ薄汚れて見える(?)壁に、佐渡さんが訪れた時の写真が
貼ってありました。彼が東京に来ると必ず立ち寄るお店のようです。

~~続きは又あした~~

 


ディズニーグッズ

2005-10-14 | weblog

  

ディズニーキャラクターの描かれたジュースを戴きました。
2瓶飲んでしまった後、「そうだ、折角だから写真に撮っておこう」
と思い、一緒に他のディズニーグッズを、と
探してみたら、ご覧の通り。
うちはだ~れもコレクションしている訳ではないんですよ。
でも意外とあるものですね。
一番大きいミッキーは、ユニマートの前で夏祭りが
行われていた頃、くじで当たったものです!
あの時の鐘の音ったら、今でも聞こえてきます。
MONAで一万円当たった時より嬉しかった。
ドナルドのカップには悲しい思い出が。
これを下さったアメリカ人は、日本での仕事を終えて帰国した後、
交通事故で亡くなってしまったのです。
手前の右の小さいものは、ピノキオの主題歌のオルゴールです。
ハンドルを回すと「星に願いを」が、ポロポロと
零れ落ちるように流れてくるのです。
                                 

・・・さぁ、みんな、夢を持ち続けようよ
  あきらめなければきっと叶うさ
  ねずみのチョロチョロ出る屋根裏部屋に
  寝起きしていたからこそ、生まれたんだぜ
  あの、ワールドフェーマスミッキーマウスが!
  可能性は君の周りにたくさんあるのさ・・・・・ 
    
ウォルト ディズニー がそう言っているように私には
聞こえます。この年になったって、夢も願いもいっぱい!
(結婚前の自分になる夢はだめ~?シ~~ッ!シ~ッ!)  

        
  

子供は大人が思うより、ぬいぐるみに知らん顔。
でも私はなかなか処分できないでいます。

処分に困るものと言えば、飲み終えた後の可愛いビン類、缶類・・・。
包装紙でも箱でも捨てられなくて、悩みの種です。
年に一度、思い切って処分するのですがこの作業の辛い事。
それでも捨てられなかったのが、サッカーの王様ペレの顔の描かれた
コカコーラの缶。
何の記念か、ポルトガル語で、〈特別記念版〉 と書かれています。
いつの日にか、お宝にならないかな~~!
  
            

K先生、poppyさん、やっと出来ましたぁ~!
「4枚併せの写真」 が!
3回目の正直です。うれし~ぃ~

 


 


ハイビスカスの黄ッちゃん

2005-10-11 | flower/green

雨にも負けず 風にも負けず
ここ数日の寒さにもめげず
肥料も施さなかったのに健気に咲き続けてくれたよね
一鉢398 の黄色いハイビスカスさん。
今年は、例年咲いてくれた2人の赤さんが
栄養不足(?)でダウンしたが、黄ッちゃんはがんばって
彼女の分まで咲き続けた。
昨日は最後の2輪が開花した。
ありがとうね、黄ッちゃん。

我が家の猫の額ほどの玄関先には
いつも数鉢のグリーンと花物が、
遠慮がちにみんなの出入りを見守っていてくれる。
今年は 尺取虫が大発生。
その上私の怠惰で、ハイポネックスも与えずに
お水でいのちをつないでいるだけ。

先週、偶然に・・ニューオリンズにジャズが再び蘇る・・という内容の番組を見た。
ウワオ~~ほんとうに?!
私は余り見ないほうだが、テレビは毎晩スイッチオン。
気がつくとテレビが一人で喋り捲まくっている。
(付けた本人はアルコールに飲まれたのか、そこにはいないことが多い!)
そんな時に勝手に番組は始まっていた。
報道ステーションだっただろうか。
そうだ、「ハルとナツ」最終回を見終えて、しばらく後だったと思う。
ハリケーンカトリーナで水没し、廃墟の如くに化したジャズ発祥の地。
それでもちゃんとジャズホールを守っている人々がいたのだ。
ミシシッピー河口の歴史ある街、ニューオリンズ。
その昔、1度訪れたことのある思い出の街。
自然は容赦なく牙を剥き出し、世界中を飲み込んでいく。
もう勘弁して!ほっといて!もうこれ以上邪魔しないで!
どんなに叫んでも、誰にも止められないその脅威。
美しい大自然には心奪われるが、凶暴な自然の力には命を奪われる。
そして人はただただ無力で溜息をつくしかない。

番組に出演していた一人が、自分の好きな言葉で・・・と言って
紹介したのが後漢書〈王覇伝〉の中のこの言葉:

 疾風知勁草(シップウニ ケイソウヲ シル)
   〔激しい風が吹いて、初めて強い草が見分けられる〕
   〔艱難に遭って、初めて節操の固い事、意志の強い事がわかる〕
と言う意味のようだ。色々な意味を含めての発言だったと思うが、
私の頭の中になぜかこの言葉が残ってしまった。

小寒い日々が続く中、落ちずに頑張って咲き切ってくれた
黄色い花を見ていたら、再びこの言葉が浮かんできた。
ほったらかしにしても忘れた頃に毎年顔を見せてくれる、
我が家の生き残りの植物たち。
我も勁草でありたし。


世界を照らす自由の女神!

2005-10-09 | visit/drive

    

 3連休の初日。息子は仕事、娘は三軒茶屋へ観劇に、パパは友人と小田原まで、そして私はまずはお洗濯などをした後、クリニックへ、と、家族はいつもの如くあっちこっちに散らばって行きます。
きょうのお天気は、、小雨がいつ降り出してもおかしくない曇り空。
家事はたまっているし、読みかけの本が2冊あります。
たまにはゆっくりとお家で過したいのは山々なのですが、近場のドライブに母を誘う事にしました。
行き先は臨海副都心~お台場。
そういえば数年前に、高校時代の友達とお食事したのもお台場だったし、オレゴンから姉の友達の
クリスが見えたときは、ホテル日航でカフェしたっけ・・と思い出しながらまずは車をホテルのパーキングに入れました。そこのロビー階から外に出て、レインボーブリッヂがよく見える、「自由の女神像」のそばまで行きました。
あの時はこの像が建っていたかナァ・・?? と、考えても思い出せません。
                  
この女神像は、なんでも 1998年の「日本におけるフランス年」 を記念してパリから9ヶ月程の期間限定で移築されていたものを、帰国日が迫るに伴いその複製像を希望する声が高まったことで、
結局はフランス政府の協力を得て、パリにある像の型取りが始まり、2000年12月に完全復刻像が
この地に完成した、という事でした。
ニューヨークの「Statue of Liberty」は、1876年のアメリカ建国100周年を記念してフランス政府からのプレゼント。そしてそのお礼にと、パリ在住のアメリカ人の組織が、フランス革命100周年を
記念してフランス政府に寄贈したのが、セーヌ川に浮かぶシーニュ島にある自由の女神だそうです。
・・・・・日本は、欲しがって手に入れちゃったのねぇ。
でもあの場所が、なかなかの風光明媚な所ゆえ、夕闇に映えて見事でした。

ホテルに戻って、こんどはガラス越しに外の景色を眺めながらのコーヒータイム。
異国を訪れているような錯覚にさえなった事でした。
   ★ここのお飲物やケーキセットには場所代も含まれているようですよ~!

  
  
     ケータイを夜モードにしたらこんな色に。
     遠くに見えるのはレインボ-ブリッヂ