ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

新しいパスポート

2012-03-29 | weblog

新しいパスポートは大~~きらい。
顔の占める割合が多くなった写真を貼らなきゃならないなんて、あ~やだやだ。
まるで指名手配の写真のようで、犯罪者かどうかを見分けるためみたいで
善良な国民にはいい迷惑だ!地元の写真店で一度撮ったけど、気に入らず、
中央旅券事務所の近くで再度撮り直した。が、それも最悪!三度目の正直で・・と
思ったが、ばかばかしくなり、やめた。顔だけ馬鹿でかい写真ってどう見ても異様だ。
以前のように胸元あたりまでが入ってはダメな理由を詳しく知りたいし、異議申し立ても
出来るようにしてほしいよ。10年用を申請しちゃって大失敗だ~。
早く10年経たないかなぁ。。。。←嘘。ゆっくり10年が経ってほしいです。
しっかし~、こんなパスポートを持って海外旅行なんて行きたくなくなった。
・・・といってもそんな予定はないんですけど。前回のが数か月以内で切れるため、
何かあったら飛んで行けるために(どこに?)取っておこうと考えただけでした。

 

気を取り直し、千葉そごうのレストランフロアーへ。去年、その店の銀座店に、
ランチなら安いからと、友人が連れて行ってくれて、寿司屋らしからぬ、
モダンで明るい雰囲気がわりと気に入っていたのです。それが千葉にもあったんですね。

我が家は千葉より有楽町の旅券事務所に行くほうが圧倒的に近いのですが、この辺りも
もっと融通が利くようになればいいな、と思います。

 

銀座店では真っ黄色のお皿がとても印象的でした。

 

 


三月二十三日金曜日雨天

2012-03-23 | weblog

 


                       小田原・高長寺

 やっと春が来た~♪ と喜んだのも束の間、またダウンジャケットが必要な今日という一日。
温暖化のまるで正反対の現象は、やはり異常だし、冷え症にはかなりこたえる。
義母が逝ってから7×7日が過ぎた。厳密に言えば8×7日も過ぎてしまったので、お香典返しが間に合わない、とあわてふためいてしまった。
いままでは人ごとだったのが今回は夫と自分の上に降りかかり、世の常識を(たとえそれがどんなに不合理だと感じても)改めて学ばざるを得ないはめになった。お寺さん抜きのきわめてシンプルなお葬式、というと聞こえはいいが、親しい友人も兄弟姉妹も一人を除き誰もが鬼籍入りしているから、非常識と言われようが体裁のために葬式をする必要はない。近くに住む身内のみでお別れをし、さまざまな手続きを終え、墓地を私たちの住む地元に求めた。義母は生前、青梅市にある霊園に自分のための墓所を購入したが、まっ先に義兄がそこに埋葬されることになった。それで墓地など早々と持つべきではないなぁ、と実感した。夫はこれで彼の昔の家族の唯一の生き残りとなった。義父はブラジルに、義兄は青梅に、そして義母はこの街に眠ることになるとは・・・。残されたものが決めるとなると、私たちの死後のことはもうケセラセラで、おまかせとなるのでしょう。

 きょうは返礼の品をカタログで選んだり、挨拶文を考えたりパソコンで作成したりの一日となる。お葬式は近辺の身内だけで、とはいっても、義母の生まれ故郷である新潟県S市には、私の会ったこともない義従兄妹が何人も住んでいるのでお知らせしないわけには行かなかった。義母の兄弟姉妹の数はたしか11人ほどもいる上、会ってもいないのだから何度聞いても何年たってもなかなか覚えられるものではない。これは私たちが海外で知り合って、そこで長い間生活をしていたのだから仕方がないことだ。だけど、お話大好きな義母は生前、それはそれは沢山の、家族のエピソードを、うんざりするほど繰り返し話してくれたので、書き留めていたならば、とても興味深いひとつの家族史が出来ていただろうな、と、後に思った。その時は次から次へと出てくる名前を聞きながら、一体誰の話をしているのかさっぱりわからなくなり、いくら聞き上手?といえども相槌をうっているだけでも疲れ果てるほどだったから。義母の長兄がフィリピンだかインドネシアだかで戦争の責任をとって割腹自殺をした話は忘れられなかったが、どこの国だったのか、教えてくれる人はもう一人もこの世にいない。現地の人々にとても慕われていたとのことで、死後には銅像が建てられたそうな。知りたいと思った時には親はいず。あるいは認知症になっていたりするから自分の迂闊さが残念でならない。

新しいパソコンを、それも初めてのノート型を、やっと購入してからまだひと月も経っていない。簡単なことでも戸惑ってしまい、にっちもさっちもいかなくなってはデータをUSBメモリにコピーして古いパソコンに移す。が、互換性の問題でなにもかもがすんなりとは行かず、時間ばかりが過ぎていった。
昨日、銀座ITOYAまで行って用紙と封筒を購入したものの、封筒に印字する「ご挨拶」のたった三文字が一日がかりの大仕事となってしまった。こんなことならはじめからデパートで頼んでおくべきだった、と後悔したが、そうすると配送が更に二週間は遅れるようなので仕方がない。久しぶりのエクセルで名簿を作り、そしてワードで挨拶状・・・必要に迫られてしか、なかなかお勉強ってものは出来ないもんだ。
でも、ワイヤレスでの印刷方法を覚え、「なんかプロ見たい♪」な仕上がりを見たら、さっきまでうんざりしていたことなど忘れてニンマリしている私。いやいや、こんな程度で喜んではいられないんですけどね~、本当は。例のメモ帳はどこ?いつも使っているアレはどこなの?と、ボタンを押しまくりしているうちにミスタッチで画面がおかしくなったりするので、新しいうちにバックアップをとること、と、どなたかのブログで教えていただいたことを実行しなくては、と焦ってしまう。

このお彼岸に、父のお墓をお参りしたあと、義母の墓所の位置を改めて確認。最後の墓石が建っている所の隣だったので、現時点ではどん尻だ。義母も、まさかここに自分が入るだなんて思っても見なかっただろうな。四十九日に納骨する、というのが一般的だけど我が家はすべてに後れを取っている。石の種類と形、家名の大きさや字体、家紋をいれるかどうか、漢字かアルファベットにするか、などなど、あれこれ考えを巡らせていたらどんどん遅くなった。遅いというこに対して異議を申し出る人が我が家には皆無なので、ときどきこれでいいのだろうか、と考えてしまう。きついひと言を言ってくれる人、おせっかいな人は煩わしいけど貴重かもしれない、と、そのような目上の人を次々と失う年齢になってやっと身に沁みて寂しさが募る。
もしかしてこのお墓の墓守になってくれるかもしれないウチの長男は、夜勤明にもかかわらず今日、気仙沼に出かけた。寝不足の一日ボランティアで役立つのだろうか、電車の中で寝る、と言っていたけど。
 

 祖死父死子死孫死

 美濃清泰寺の仙崖義梵和尚は、めでたい言葉を書いてくれと頼まれたところ
筆をとり「祖死父死子死孫死」と書いた。
頼んだ人が、死という字ばかりであんまりだ、と言うと、和尚は微笑みながら、
「生まれた順番どおりに順序正しく死んでいけば家中に若死はいない。」と答える

 

じいさんが死んで、次に父さんが死に、最後は子が死ぬ。順番だからこそ、めでたしめでたしである、というこの話を、学生時代に友人から聞いて、なーるほど、と思った。そのように「死」は私たちの生活の一部なんだと、これもしみじみと感じるこの頃である。
ちなみにこの和尚さん、死の間際に「死にとうない」と言ったそうな。

 


忘れない

2012-03-11 | news

東日本大震災から今日でちょうど一年が経った。
午後、窓の外から市のアナウンスが聞こえたので耳をそばだてた。
聞き取りにくかったが、もう少しで「その時刻」となる。黙祷の時刻を知らせていたのだろう。
テレビでの被災地生中継番組をつけたまま、画面の中の人々と共に黙祷した。
今日初めて知った震災当日のあるエピソードに、あの日が昨日のようによみがえった。
一年のあいだ、すこしずつ情報が整理されてはきたが、首都圏直下型の予想等を聞くにつけ明日は我が身の恐怖から逃れられないでいる。ただただ運命に従う以外はない被災者の姿は明日の我が身であるかもしれない、と心から感じること、あの日、抱いた気持ちをずっとずっと忘れずにいること。、防ぎようがない天災の前で人は知恵を出し合い手を携えて助け合うしかないだろう。

今日の天声人語、以下の部分が脳裏に深く刻まれた。

▼被災地ばかりでなく日本全体にとって、「3.11以前」はもはや戻れぬ対岸になってしまった。振り向けば橋は消えて、隔てる川の流れは深い。だれもが心細い肩を寄せ合いながら「絆」という焚火に心の手をかざしてきた一年だったように思う。

同時に、1月17日の朝日新聞で読んだ記事を思い出した。
17年前、阪神大震災を体験した13才の少女は、結婚して陸前高田市に移り住み、昨年3月に、逃げ込んだ市民会館で津波に飲みこまれ29才の若さで
逝った。それも妊娠3ヶ月だった。
彼女、朋さんが一昨年2月に陸前高田市で開催された福祉の講演会で、突然の指名にもかかわらず落ち着いた声で朗読した詩が「最後だとわかっていたなら」だった。

2001年の同時多発テロの時、追悼集会でも朗読され、世界中で有名になったこの詩は米国人女性、ノーマ・コーネット・マレックがわが子を亡くした時に書いたとのことだが、ノーマももはやこの世にはいない

 

「最後だとわかっていたなら

(作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦)

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

 


“If I Knew It Would Be the Last Time”

If I knew it would be the last time
That I’d see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly
And pray the Lord, your soul to keep.

If I knew it would be the last time
That I see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss
And call you back for one more.

If I knew it would be the last time
I’d hear your voice lifted up in praise,
I would video tape each action and word,
So I could play them back for one more.

For surely there’s always tomorrow
To make up for an oversight,
And we always get a second chance
To make everything right.

There will always be another day
To say our “I love you’s”,
And certainly there’s another chance
To say our “Anything I can do’s?”

But just in case I might be wrong,
And today is all I get,
I’d like to say how much I love you
And I hope we never forget,

Tomorrow is not promised to anyone,
Young or old alike,
And today may be the last chance
You get to hold your loved one tight.

So if you’re waiting for tomorrow,
Why not do it today?
For if tomorrow never comes,
You’ll surely regret one day,

That you didn’t take that extra time
For a smile, a hug, or a kiss
And you were too busy to grant someone,
What turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today,
And whisper in their ear,
That you love them very much and
You’ll always hold them dear.