ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

高幡不動のあじさいまつり(2)

2010-06-27 | visit/drive

 豊泉寮のたたみの上でひと休みしたら、
汗も引っ込み元気が出てきました。
骨董市をじっくり見ていたら、絶対それ
だけで日が暮れそうなので、広い境内を
もう少し歩き、裏山へ行くことに。

下の彫り物は確か、山門で見かけたもの
だと思いますが・・・二本の指の滑稽な
仕草には何か意味があるのかしら。

大観音像の後ろには赤いアスチルベが、とても楽しそうに咲いていました。
この子たち、私が視線を逸らしたすきに踊りだすんじゃないか、
と思っちゃいましたが、可愛い花だ~。

上は、中村岳蓮筆の「鳴り龍天井」が見れる大日堂の横からの眺めです。
そろそろお寺の裏山を散策しようと、この先を抜けたあたりから登り始めました。      

いたるところに咲いている何種類もの山紫陽花。
こんにちは!と顔を突き出して挨拶してくれます。

お大師さまの姿も次々と・・・・

はいっ、この山では、山内八十八ヶ所を仮想巡拝できるんです!
って、あとで知ったのですが、
そのときは何もわからず、巡拝するつもりなど毛頭ありませんでした。
広くて途中で道がわからなくなりそうになり、すれ違った人に道を
訊ねたり、途中でみかけた案内図をデジカメに収めたりしましたが、
そうだ、お札の番号を辿ればいいんだ、と気が付いたと同時に
自分は逆から登ってきたのだ、と気付いたのです。



画像は歩いた順にはなっていませんが、散策路が上へ上へ、と続き、
いったいこの道はどこまで続くんだろう、と不安がよぎりました。
蒸し暑かったし、第一これほど登らされるとは思わなかったんですもの。



それでも歩くほどに自然に癒され、次第に爽快な気分になってきました。
こんなクイズ付きのお大師さまの所もあるんですよ。
 






こんなに美しい山あじさいが沢山見られるとは想像以上でした
ボカァ仕合せだな~、うれしいな~!

 

ほぼ登りきった(と思った)あたりからちょっと下方をみると、
広場のような場所があり、親子の遊ぶ姿が見えました。

鬱蒼と茂ったあじさいで埋まりそうなお大師さまも居りました。
暗かったので明るく画像処理したものです。

ふぅ~~、ずい分と歩いたわい。やっと五重塔まで降りて来ました。
コンビニで買った水を持参していたので助かったです。

そしてここで目に入ってきたのが空手の練習風景。
下の写真に映っている方とちょっとお話をしましたが、27日の日曜日
ここで試合?があるので又、是非見にいらしてください、と言われました!
                   

雨天の場合は五重塔の下でやるとのことです。  

骨董市は4時までだったので、殆どのところはすでに店をたたみ終えた所でした。
それでも、まだこれから片付け始める数軒もあり、ちょっと覗いてみましたが、
あるブースではこんな風にお洒落にアジサイの花を飾っていたのです。

き    れ    い!

更に、境内で見つけた花たちを下に集めてみました。
あじさいは種類が多くて覚えられませんし、覚える気もありませ~ん。
右上のオレンジの花はなんでしょうかね?

 

最後は、入口近くに立っている新撰組の土方歳三に
こんにちは!さようなら!
市内の生まれなので、毎年、命日に近い五月第二日曜日に
新撰組まつりが開催されるそうですよ。

 

魅力がいっぱいのあじさい寺、「高幡不動尊」。
いつか又、ござれ市に寄りがてら、今度は境内の建物を見学したいと思います。
もちろんお賽銭を投げて、ちゃんと御参りはして来ましたけど。

仁王門(重文)をくぐって、これですぐ駅に向かったわけではなく、
お寺まえのおまんじゅう屋さんで、出来たて熱々の
高幡まんじゅうを頬張り、お茶をいただき、お土産分も購入。

更には駅に程近いところで、いい感じのスィーツショップも発見。



藤生シェフのお店でした。
中に入ったが最後、又々甘いものを買っていたbiancaでした。

 


やったね、日本!

2010-06-26 | news

 

昨日は仮眠せず、そのまま午前3時半からの日本×デンマーク戦を観戦。
途中、カーテン越しに外を見ると、斜め横にある別棟マンションの幾つもの窓から灯りがもれていたので、
みんな起きていて応援しているんだ、と実感しました。これがブラジルだったら・・・W杯で自国がゴールを決めようものなら即、四方八方から打ち上げられる花火の音で、寝ていても一点入ったんだ、とわかるんですけどね。わが家の居間からは、ベランダ越しに聞こえる早起き鳥たちのさえずりが、それは賑やかでしたけど。

それにしても素晴らしい3ゴールだったな~!あんなにきれいにフリーキックが決まるとは、寝ないで観戦した甲斐がありました。それに比べ、夜のブラジルxポルトガルの試合は0:0。激しいわりにミスが多かったのは、勝っても負けてもトーナメント戦進出が決まっているからですか。トーナメント戦は一戦が勝負です。ベスト4が目標という日本代表。あと一戦で終わってしまうか、目標まで行けるのか、或いは本田の口から出た「優勝」に、ひょっとして手が届くのか、楽しみですねぇ。

         ガンバレ日本!!行け行け日本!!

あぁ、眠い。朝方、少ししか寝ていないのに外出してしまったので、あじさいまつりの続きは先送りです。もう、どうでもよくなっちゃったけど。(笑)

 

   ブルーカラーの紫陽花が、日本勝利を喜んでざわめいているようだ!

 


高幡不動のあじさいまつり(1)

2010-06-22 | visit/drive

気が付いたらその日は6月の第三日曜日。 前から行きたい、と思っていた「ござれ市」開催の日でした。そして「高幡不動の紫陽花」のことは、お気に入りブログやHPの方の情報で知っていました。骨董市と紫陽花の両方が見れる一年に一回のチャンス到来!

 第27回 高幡不動尊 あじさいまつり
期間:平成22年6月1日(火)~7月7日(水)

高幡不動の一つ手前が「百草園」。ここも行きたい場所でしたし、近くには深大寺(神代植物公園)もあります。時間があればはしごをしたかったけど、お昼から出てきたので高幡不動だけで一日が終わりました。

仁王門を入って右手にの宝輪閣では、様々な種類の紫陽花が、青色ガラスの一輪挿しに挿され、テーブルいっぱいに飾られていました。
新宿で京王線に乗る前、電車の中での暇つぶしに、と手にした「京王沿線 三古刹めぐり」というパンフレットをパラパラと見ていたのでその中に掲載されていた、このお寺の貫主様と同じ顔の人がすぐそばにいたので大変びっくりしました。売店の一角に、貫主執筆の本が並び、本の内容について、どなたかとお話されていたのです。

叱られる幸せ

叱って失敗した我が子育てでしたが、父曰く「お前は叱るでなく怒っている」と。
その辺がとても難しいんですよね。叱っているつもりでも怒っている、と思われる。
ただ、子供が大人になった今、その辺の親の気持ちを解ってきているようで、ダメなものはダメ~!と、例えダメもとでも言い続けて、ま、よかったかなと思っています。(私が子供の時分は、親がダメといえばそれはダメなんであって、どうしても無視したければバレないように上手くやっていた気がします。が、私が築いた家庭では、ダメな理由を説明しても、それはなぜ?が続き、納得させる技量が足りなかった、、、と、至らぬ母の述懐でした。)

    

 

「ござれ市」は100以上の業者が出店しているとのことでしたが、これをじっくり見ていたら紫陽花はどうなるの、って感じで、いつもながらの出だしの遅さが悔やまれました。下の画像は、とある絵描きさんのブース。彼女がござれ市に毎月作品を展示即売している、ということをweb上で知り、市に行ったら是非とも生の絵を拝見したい、と思っていました。
         



しかし・・若い人が数人集っていて会話が途切れず、声を掛けるチャンスを逸しました。手前のターバン姿の超美人さんが彼女かしら・・・?
次回は是非声を掛けようっと。
作品はファイルで沢山見られましたし、Tシャツや小物もチャーミングでした。

どのブースの近くでも、様々な種類の紫陽花がきれいに咲いて・・・。

三万余坪の境内は四季とりどりの花木に恵まれ、句碑、文学碑も多く、ござれ市がなくても、境内散策だけでも見どころいっぱいで楽しめます。  
敷地の一番奥にある知足庵、風信庵、そして豊泉寮。普段は一般公開されていないそうですが、あじさい祭りの時期には豊泉寮にて薄茶をいただけると知りここで一服、お薄と羊羹をいただきました。おまつりと骨董市の賑わいの感じられない静かなひとときも、又格別ですね。

 

このあと、山あじさいが咲き乱れる境内裏山を、ちょっとしたハイキング気分で散策しました。もう少し続きますので、又のちほど、よろしければお付き合い下さいね。


紫陽花の時期に

2010-06-19 | visit/drive

雨天と思ったら晴れたので、是非とも今日は、どこか紫陽花などの咲いている場所にでも行ってみよう、と思っていました。たまたま夫が、成田の友人のところに行くけど一緒に行くか、と、朝、突然言うので一瞬迷いましたが、断りました。だって付いて行ったら絶対に夜まで、いえ、きっとサッカーの試合が終わるまであっちにいることになるでしょう。私たち家族にとって何十年来の友人たちですが、人と会うには、昨日かけたばかりのパーマが、強くかかり過ぎた上、ブローせずムースを付けただけだったので、そのボリュームが気になって仕方がなかったのです。(誰も気付かないかしら。)

  

夫を送り出してから、東京か市川か、と迷いましたが、市川のハーブガーデンに行くことにしました。気楽に行ける距離で、駐車場があり、緑が多く、カフェも併設、という場所なら、今度母を連れていけますし、そのような場所を幾つか開拓しておけば、何かと便利です。
夜、ゆっくりテレビ観戦できるよう、(夫がもし食べないで帰ってきた時にも便利だし、母にも届けられるので)夕ご飯用のカレーライスを作ったり、別の用事もしていたら遅くなり、慌てて出かけました。主婦って土日に関係なく、いい加減にしたってやることがきりなくあるんですよね。国府台のずっと手前から矢切に繋がる道が渋滞だったので、誰かを誘おうとしたけどやめてよかったです。

対向車が来たらすれ違えないような狭い横道の先を更に右折したところに、目指すガーデンはありました。
途中、対向車が前から進んで来たので、私はバックをせざるを得なく、怖かった~!こういうときにジャンケンをして、どっちがバックするかを決めたら良い、と思ったけど、後ろからも車が来て焦りました。
ここは「大川原ハーブガーデン」といい、情報誌のお勧めスポットで知ったばかり。

私は一体何時に家を出てきたのでしょう。ガーデンに着いて、写真などを撮っていたらに5時のチャイムがどこかから聞こえてくるではないですか!ハーブガーデンは5時までだったのです。アチャ~!

                    

綱が掛けられてないところだけをざっと見て回っていたら、
手足を蚊に刺され、見る見る赤く腫れてきました。
蚊にとっては、まだ美味しいってことなんだ、私。      

この道の先もハーブガーデンの敷地だとのことですが・・・

 

写真もほどほどにしてカフェの中に。ケーキが美味しそうで迷っちゃう。

ケーキセットのカフェがポット付きで出てきたのでお替りできました。
カフェは7時までオープンしているとは言え、5時すぎだったのに、外のテーブル席の椅子を重ね始めたり、中の席の前にcloseの札が掛かっていたり、と、今日は早めに切り上げたいのかしら、と感じました。私のほか、もう一組のお客が入って来たら、ちゃんと通してくれましたけれど、サッカーがあるから、早く帰りたいんですね、きっと!
このハーブガーデンの前は梅園。この梅で作ったというジャムをお土産に購入しました。

 

さて、帰宅後、カレーライスを母に届け、急いで食事を終わらせ、テレビの前にデンと陣取って日本対オランダ戦を観戦しました。

オランダには歯が立たないかと思っていたけど、どうにか喰らい付いて0:1と、失点を一点だけで抑えましたね。

     

立て続けにコーナーを取ったのに得点に結びつかなくて残念でしたが、強豪相手に善戦したと思います。ただ、司会者が何人も同時に喋っているように感じるほど、コメンテーターが多くて喋りすぎだと思いました。セルジオ越後さんは声質も、日本のプレーを見る目も冷静でしたが。松木さんは解説のし過ぎかも。今、目の前でやっているプレーを正しく分析するならいいけど、よけいな話題をシャベリ過ぎ。そのあいだにゴールいれられちゃうよ、と思ったほどです。
ブラジルでは、ボールが誰から誰へ渡っていったか、ということを延々と喋り続けるので、例え台所にいて、テレビの画面が見れなくても、聞いているだけで様子が解りやすかった気がします。

残すは25日のデンマーク戦のみ。
是非とも頑張って、決勝トーナメントに残って欲しいです!

そして、思ったとおり、夜中すぎに帰宅した夫でした。一緒に行かなくてよかった。


Goooool!!

2010-06-18 | brasil
今日はアルゼンチンが二勝しましたね~。テレビを見ながら、そしてラジオ英会話を聞きながら(聞くだけ、は今だに続けていますが・・)、知らぬ間に居眠りしていました!マラドーナがゲバラみたいな容貌だ、とパパが言うので、とんでもない、全然似ていないよ!と一喝。若き天才マラドーナは、プレーしている時は素晴らしかったけど、色々ありすぎてイメージダウンです。今回のW杯で、日本もブラジルもそれぞれ一勝をあげ、まずは胸を撫で下ろしました。これからが本番ですからね。
以前にも書いたことがある気がしますが、私がW杯を最初に見てすっかりはまってしまったのは1974年。ブラジルで。リベリーノが最後に大活躍したときだったのです。その4年前を知っていたら、ペレーの活躍を存分に見れたのですけど。地元サンパウロ市の試合から、サンパウロ州、さらにはブラジル国のチャンピオンシップを争うトーナメント戦に、家事も疎かに熱中したものでした。そのころ好きで応援していたチームはコリンチアンスとサンパウロFC。今はすっかり熱も醒め、試合に出ている選手の名前が全然わからない。好きな選手がいて、それで初めて応援に熱中するのが私の観戦方法なんですが、今回の日本代表の中では、中沢、しゅんすけとGKの〇〇位(皆、70年代生まれ)しかわからないので、とりあえず、巷で言われているヒーローに注目していました。が、やってくれましたね、金髪のにいちゃん!二戦目が楽しみになりました。

ワールドカップについては、そんなわけでちっとも詳しくなかったのですが、一勝したら血が騒ぎ出しました。You Tubeでブラジルサッカー関連の画像や懐かしい音楽,更にもう一曲、と探し捲り、一人で楽しんでいるのもナンなので、ブラジルにおける1982年のベストプレーヤー達のすがたを、よかったら共に楽しんで下さい。ちなみに、ブラジルではサッカーをfootboll~フッチボル~(←ボルをボウと発音)と言っています。
Goooooool ! Brasil !!の歌も懐かしすぎです。




山本丘人展

2010-06-17 | art/exhibit/museum

梅雨入りしたにしては、あれっ、と思うような真夏日が続き、家の中に居ては勿体ない気分が後押しし、先日見損なった、生誕110周年記念「山本丘人展」を見に行って来ました。会場はガランと空いていて、私もほぼ初めてじっくりと見る画家だったので、《そういうことなのか》と頷けました。でも、思っていたより彼の人となりが興味深く、才能如何によっては画家ではなく、詩人の道を選んだんだ、と思うと、絵を上手い下手かで見るより、そこで何を感じ、何を表わしたかったか、と考えながら見れて、結構面白かったです。

 
     「婦人坐像」(青梅)1922年           「満月夜」1963年

私のお気に入りは「婦人坐像」の下絵の方でした。なぜかというと、私の祖母によく似ていたんですもの!父が7才位の時に亡くなったので、写真でしか知りませんし、あの頃の女性はこのような髪型が多かったのだと思います。

 山本丘人(1900-1986)

幻想的な幽玄の世界、美しく華やかな叙情の世界、荒く厳しい峻厳の世界、
いろいろな世界を日本画の世界に乗せて描いてくれた山本丘人(きゅうじん,
本名正義)は明治33年(1900)1月8日、東京市麻生で生まれました。(戸籍で
は4.15下谷) 父は東京音楽学校の事務官です。

広瀬東畝・篠田柏邦に日本画の手ほどきを受け、東京美術学校(現東京芸術
大学)で学び、美術学校では松岡映丘の指導を受けました。28歳で帝展に
初入選、30歳の時に丘人の号を定めます。むろん「丘」の字は師の名前か
ら一字拝借したもの。

戦時中の1943年東山魁夷らと国土会結成、翌年東京美術学校助教授、1946
年日展審査員(-1947)、1947年女子美術専門学校(現女子美術大学)教授。
しかし、1951年には両校の教職を辞し、創作活動に専念しています。

日展に関しては審査員にはなったものの、その審査基準に疑念を抱きこれ
が1948年に上村松篁らと創造美術を結成するきっかけとなります。この団
体は1951年に新制作派協会に吸収されますが、1974年になってから再び
創画会として独立しています。

丘人は初期の頃は少女絵を好み、柔らかい優しいタッチでロマンティック
な作品を描いています。しかし終戦の少し前頃から奥多摩の自然を盛んに
描くようになり、1950年代に入ってからは一転して厳しい山岳の絵ばかり
描くようになりました。

特に1957年頃北軽井沢に山荘を構えると、そこから見える浅間山をはじめ
多くの信州の山々など峻厳な山岳絵を描き続けました。そして、そういう
絵を描く画家と、みんなが思い始めた1965年頃、突然有情回帰が起きます。

山や林の絵の中に人物が描かれるようになり、やがてそれは夢幻の境地と
なって幻想的なまでの美しさに昇華されていきます。

1984年12月に病に倒れるまで意欲的な創作活動を続けましたが、療養中の
1986年2月10日、急性心不全で死去。享年86歳。(webより)

この日は他に数ヶ所、寄りたいところがあったのに、暑さでダウン。
その一ヶ所が偶然、丘人の(戸籍上
)出生地、上野桜木だったのです。月末に友人と上野で会う約束があるんですが、人と一緒だとあちこち個人的な寄り道が出来ないんですよね・・・。一つ位ならお願い出来るでしょうけど。

ひと休みみしようとデパートの屋上に出たら、いつものベーグルカフェがビアホールになっていました。一人でビールを頼む勇気はありませんでしたので、コーヒーと出来あいのサンドイッチを注文。コーヒーも紙コップなので、それなりのお値段です。屋上はデパオクっていうのでしょうかね?
ちょうど正面に人が居なかったので写真を撮っちゃいましたが、左右後ろには人々が、いい気分でビールを飲んでいました。ここは気軽さの点では穴場だと思いました。



細川護煕展

2010-06-12 | art/exhibit/museum

   
西葛西のI眼科に行った帰りは、用事で日本橋のデパートへ。
眩しい日差しの下、橋のたもとのところで何人かの中高年グループが写生に励んでいました。地域のお祭りも始まったようです。どことなく聞こえてくるピーヒャラの音色と提灯などで、あたりは和の雰囲気が流れているように感じられました。ちなみにこのお祭りは橋の手前(東京駅側)のもので、日枝神社の氏子地域による
山王祭です。日枝神社といえば赤坂と思っていましたが、広範囲の地域を巻き込んでのお祭りなんですね。提灯に書かれた企業名はさすが都心。日本橋を渡った先は神田明神の氏子地域なので、お祭りの時期が異なります。

用事を済ませたあと、細川護煕展を覗いて来ました。
政界を60歳で引退してからは、(元々は母方の祖父、近衛文麿が保養のために建てたという)湯河原の不東庵で、晴耕雨読の生活を行っている細川家のお殿様。この展覧会を通して、細川氏の生き方にとても感銘を受けました。

先月エルメスでの「市井の山居」展でも、細川氏の様々な分野の作品を目にしましたが、パリ展開催を記念しての今回の展覧会で、更に多くの陶芸、書、漆などの作品 約120点を拝見し、「殿様の趣味」の域を越えたそれら作品群に見入ってしまいました。陶芸も志野、唐津、信楽、高麗など、現地から良質の土を取り寄せるなどして、より良いモノ作りを追求、実践されていますし、花器、茶椀や水差などの茶道具のほか、陶仏や狛犬なども、(たとえお手本の作品をもとにしたとしても)よく出来た、味わいのあるものでした。焼物に花を添えていたのは草月流などの生け花。「書」においては古典や漢詩、和歌などの中からご自身の好きなものを書き写しているそうですが、読んでいてとても気持ちのいい字体だなぁと思いました。さりげなく上手いんです。そして書の内容も、氏の思いが表われている様でよかったです。

 《黒茶碗》2008年
細川氏が目指しているのは桃山の陶工、初代・長次郎の楽茶碗だそうです。会場で流している映像でも、漆黒の深さを追求し、工夫を重ねている姿がありました。

美的センス、冨と名声に恵まれ、それを最大限に生かし切っているイメージの細川氏でしたが、展覧会を観覧後、
 無慾一切足(欲無ければ一切足り)
 有求萬事窮(求むる有れば万事窮す)の
良寛の生き方や、兼好、長明、西行、大雅、道元など、気高く生きた先達に思いを馳せ、そのような人たちを見習いたいと思っている、一人の修行僧のような姿に変わっていきました。
出口のところに展覧会にちなんだ物品が売られていましたが、何冊もの著作をパラパラ捲っていたら一冊読んで見たくなり、「跡無き工夫~削ぎ落とした生き方~」と言う本を購入。帯の裏側の「終章」から抜粋されたこのような文章に引かれたから。

 

 

 

 私は、政治家時代が「主」の人生で、リタイアしてからを「余り」の人生と考えたことはないのです。(ここで中略ですが、略さずに記述します)
「今日という日をどう充実させて緊密に生きるか」ということを、今も毎日真剣にかんがえつづけています。いえ、残り少なくなった時間だからこそ、その時間をできるだけ自分にとって大事なことに費やしたいと考え、そのためには何をなすべきで、何をなさざるべきかに思いをめぐらしています。

もう一つ、書物の中に島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の詩句が紹介されていました。それには「昨日またかくてありけり  今日もまたかくてありなむ ・・・」から始まっていましたが、「小諸なる古城のほとり・・・」で始まる詩句の、そのあとに続く内容をしみじみと読んだのは初めてだということに気が付き、あちらこちらに素晴らしいものが転がっているというのに、なんとなく見過ごしているほうが多いんだな、と気付きました。 細川護煕

 

 

 

 【不東庵創作の軌跡~細川護煕展~スケジュール】

  日本橋三越 2010年6月 2日(水)~14日(月) 新館7階ギャラリー
  仙台三越  2010年8月12日(木)~17日(火) 7階催物会場
  福岡三越  2010年9月 7日(火)~12日(日) 9階三越ギャラリー
  札幌三越  2010年9月21日(火)~27日(月) 10階特別会場

本当は近くのデパートで開催中の、もう一つの美術展にも寄る予定でしたが、手荷物が次第と重く感じてきたし、目も疲れたので次回に回しました。なのに遅いお昼は5階のスウィングで。スポーツ用品売り場の奥の、昔ながらのどうってことないつくりがかえって落ち着きます。昔は前がガラス張りで、ハワイアンやダンスなど、友の会サークルの練習風景が見れたんですけど、今はただの壁。リニューアルされてもおかしくない古さなのに・・・そのままにしてほしい気もします。

  

日本橋は、祭りだ、祭りだ~!
そして世界は、
 サッカーワールドカップ2010  
南アフリカ大会開催だ~!

ガンバレ、日本!!
ガンバレ、ブラジル!!

 


目が二つあるから・・・

2010-06-11 | weblog

今日は約半年振りに視野検査を受けました。
正常眼圧でも、若くても、緑内障になる人が多いようですが、実は私もその一人。若いとは言えないんですけど、「年配」といわれるにはまだ抵抗したくなるお年頃です。
ある日突然、見えにくく感じ、対向車のライトがまぶしかったりと、今まで体験しなかった目の症状が出たので眼科を受診したのが、今から6年以上前。そのとき白内障だということがわかり、生活に支障がでるようになったら手術しましょう、と言われました。同時に、緑内障も少し出てきているようなので、定期的に検査をするように、とも言われました。その後、白内障は片目だけ手術を済ませましたが、最初から違和感をずっと感じ続けていました。それは緑内障もあるからだったかもしれませんでした。今回の検査で緑内障が「少し進んでいる」と言われました。検査中、光りの見える回数が少なければ、視野が欠けてきている、とわかるので、悪くなっているかな~と感じていましたが、結果はまさにその通りでした。
「先生、寿命までに失明しないでしょうか?」とお聞きしましたが、笑って「それは大丈夫だよ」との返答。それって本当なんですかね。
 このところ、パソコンの画面や新聞や本を見たり読んだりしているとすぐにぼやけてくるので、そのことも先生にお聞きすると、「それは老化だよ」ですって!母があちこち具合が悪いことを、全部年のせいにされていたけど、こんなに早く、目の老化がやってくるなんて、もうガッカリ。出来るだけPCを見る回数を減らそう、とか、ブログをやめるか、投稿スタイルを変えようなど何度となく考えてはそのままにしています。コーラスグループにも入りたいのに、譜面を凝視していると、目がすぐ疲れるし、好きな縫い物も同様なので、針を持つことも少なくなりました。又、耳の遠い母に似れば・・・耳だって大きな声を出して貰わないと聞こえなくなるのかなぁ、と不安が増します。先々のことを心配するのは 実に無駄なこと、と思いますけど、好きな音楽や絵画鑑賞に、即影響があるので困ります。でもでも、今、このときを大切に過していればいいんだ、と思うことにしようっと。心の老化は自分の気持ち次第ですものね!

それと、目が二つあるからこそ、今も運転ができることに気付きました。早急に医学が進歩し、気軽に目の交換が出来るようになるとは思えないので、これからも騙し騙し大切に二つのオメメちゃんと付き合って行きたいと思います。みなさまもどうか目をお大事にしてください。
(画像はwebより拝借)

 


近所での即売会

2010-06-09 | weblog

ネパールの女性たちに洋裁技術を教え、収入を得る
作業所「BINTI」を開設して12年目になる方が、
今年もご近所で即売会を開催しています。
作業所を開設するきっかけは、
登山でネパールを訪れた20年前だったとのこと。

今回も姉から声が掛かり、二人で会場となっている
お住まいまで行って来ました。



インドやチベットの布など、主にカラフルな柄物で
作られたブラウスやワンピースなどが、所狭しと
居室2室に吊るされてあり、鏡に映しながら
あれこれ試着。首周りが大きく開いている
デザインが多いのはお国柄なのでしょうか。
それでもお値段の安さに引かれて、無難な無地と
二色使いのオーバーブラウス二着を購入。
お腹もオシリもすっぽり隠れるので、
“そんなのばかり着ていたら、ウェストがなくなっちゃうよ~”
との声が・・・どこからか聞こえてきました!
は~い、“わかっちゃいるけど、やめられない!”んです。

  以下は、即売会で受け取ったミニカタログに書かれていた文と写真の一部です。





    
 
   即売会の日時・場所はこちらです

 

アジアの布、と言えば
以前、ブログでご紹介したことのある「GAYA]。
昨年5月、移転リニューアルオープンしました。
店内は明るくてとても見やすいレイアウトで、お洒落な
インドの布やウェアがいっぱい。そこで昨年購入した
お気に入りウェアは、そろそろ出番の季節となります。
ホームページ開設後、ショップオーナーやAkoちゃんなどが
ブログ上でインドのこと、買い付けてきた商品などを
巧みな文章で紹介しています。

旅行中に出遭った国や町に思いを寄せ、
色々な方法で接触しながらご自分達の生活の一部
として頑張っている地元の方々の姿は眩しい限りです。



このあいだ・・・のこと(再度・丸の内編)

2010-06-07 | 飲・食・店

学生時代の友人から久しぶりの電話があり、名古屋から東京へ出て来るとのことで、いつものように三人で会うことになりました。待ち合わせ場所が偶然、このあいだと同じ、丸の内北口。この日は誰も昼食場所の提案を持ち併せなかったので、北口を出てすぐのオアゾへ向かい、レストランのあるフロアーをぐるぐる回りながら決めました。本当は私、前もっていくつかの候補をネットで調べていたのですけど・・・ガ~ン、メモを家に置き忘れました!そのうちの一つはオアゾの中にあるチャイニーズ系でしたが、三人で決めた店は和食処。1665年の創業以来続いている蔵元「盛田」の直営店とのことでした。
(帰宅後、お店をwebで調べたら、本店が名古屋市でした!)

    

店内にはテーブル席、それにオープンな座敷がありますが、私たちは掘りごたつ式のテーブルがある畳席に通され、靴を脱いで上がりました。小食な友人に合わせ?おばんざい料理を注文。お酒に魚が売りの店でしたけど、お隣のOLらしき女性たちも同じでしたね。お塩をつけてお豆腐を食べたのは今回が初めて。とくに変わったものはなかったけど、三種類ほどのおいしい漬物の入ったトレーがつくのでご飯がはかどりました。場所を変えずにそこでコーヒーを頼み、最後のお客になってもお喋りはエンドレス。お店に悪いので一たん外に出ようと、靴を履きました。新丸ビルへ移動したあとは、ショップを見るよりお喋り用の椅子探しです。7階に軽井沢のベーカリーレストランがオープンしたとのことで、見に行き、試食したり、買う人もいたり、で、次回こんなところでランチもいいわね、と話しながら落ち着き場所を探しました。すわり心地のいいソファなどは全部先客がいて、動く気配がないんです。皆さん一体、何をしているんだろう、と自分たちを棚に上げて、思ってしまいました。話題は尽きませんでしたが、名古屋のおKちゃんが 翌朝早く笠間の美術館へと出かける予定だったので、夕刻には解散。



帰りは二人とも新宿方面へ、私は一人、ブリックスクェアの中庭でバラを見たり、東京ビルTOKIAの「VIRON」で大好きなバゲット(皮はハードで中はもっちり噛み締めるほどに味わいがあります。)を買ったりしてから京葉線の乗り場へと地下にもぐり、しっかりとイスに腰掛けて帰ってきました。家に着き、玄関先で靴を脱いだ時、何か変!なのです。よく見ると靴の中に貼ってあるメーカーのラベルが、左側ははっきりしているのに右側が薄いではないですか。一足の靴なのに何故かしら~右足のが汗かき易いので薄くなっちゃったのかしら~、と、少しも汗かきじゃないのにおかしいな、と思った瞬間、左右の靴がしっかりと目に入ってきました。な、なんと、左右、別の靴だったのです!!何回見ても別の靴。

          信じられな~~~い!

 なぜ?なぜ?あり得な~い!もぅ、やだやだ~~!恥かしぃ~~!

朝出掛ける時は、家で靴を履く前に片方ずつ手に持ってサッと布で拭いたのに。食事のときは座敷だったから靴を脱いできちんと揃えたのに。帰るときだって靴を履いているのに、どうして気が付かなかったんだろう。
左右の靴のメーカーは同じで色もヒールの高さも同じ。履き心地も全く同じだった上、そんなドジは考えも及びません。履き心地優先で靴を選ぶので、ウォーキングシューズ型の、似たような履物ばかりだってことが、いけないんですかね。ってなわけないです。視野が狭いなら視力のせいかなぁ。ボンヤリのオツムのせいかなぁ。
その後、少し落ち着いてから友人の一人に電話で確かめたら、全然気が付かなかった、との返事。それでも恥ずかしさはすぐには無くなりませんでした。
                       
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左右の靴☆(ご参考までに!) 
      
ガクッと気落ちした二日後、またボケたことをやらかしました。母の家から車で帰宅途中、駅前のスーパーに寄ったのですが、買物袋を二つぶら下げて、歩いて家まで帰ってきてしまったのです!もうすぐで家、というあたりで、なんかおかしい、と感じていたのに、それが何か判らず、家についてからハッと気が付きすぐに引き返し、駐車サービスをもらったわけです。 自転車を置いて歩いて帰ってきたり、駐車場所を地下1階と地下2階とを間違えて、ない、ない、と騒いだことは数回ありましたけどねぇ。大丈夫かな、私。

その後、元パソコン教室のお仲間との久しぶりの飲み会で、このドジ話を披露し、涙が出るほど大笑いしてしまいました。

バゲット片手に、丸の内を颯爽と歩いている時に気が付いたら、私、一体どうしていたでしょうか?  キャ~~恥ずかしいぃ・・・!