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プラハ城を後にして、トリムに乗ったはいいけど、カレル橋に一番近い駅で降りたかったのに、あっという間にトリムは橋を渡ってしまった。
ガイドブックでカレル橋の彫像の解説を読んだのは、日本に帰国してから。 それもこのブログを書く段階になってからだ。牢に閉じ込められている彫刻がいったい何を意味するのか探した所、「犬を連れたトルコ人が牢の中のキリスト教徒の番をし、その上に聖岩イワンと三位一体会創設者の二人が立っている。」とあった。檻ばかりが薄気味悪く、特に目に焼きついたけど、あの上には立派な彫像がこのように立っているのである。 聖ヤン・ネポムツキーは宮廷の司祭だったが、あるとき王妃の懺悔を聞いた。
歩いて見つけた,酒屋さんでは棚にぎっしり並べられたアブサンにびっくり。こんなに一般的に売られているということがわかった。以前、夫の友人から頂いたミニチュアセットと全く同じものも見つけた。
食後にクリスマスマーケットを見にいくので、レストランには早めに入ったが、出る頃はお客がどんどん入ってきた。地元の人達がほとんどだ。ワンフロアーを、たった一人のお兄さんが切り盛りしているので忙しそうだがきりっと感じがいい。英語も、こちらの人ってわりと皆、達者な気がする。最後にお勘定を頼んだらこんな紙を持ってきたのでボラれているのでは、と一瞬思ったが、二人分全部で2500円ほどだから安かった! ★今回でプラハの旅を終わらせる筈でしたが、写真の取り込みに疲れたぁ~。 |
去年の晩秋、鎌倉でバスに乗っていた時、外国人の女性二人連れに、降りる駅のことで英語で尋ねられたことがあるのです。 歩いていると、「プラハ城」というのがどこからどこまでか、わからなくなります。途中でおもちゃ博物館やら何とか宮殿やら教会やら黄金小路、修道院などがぎっしりと建っているんですもの。あとでガイドブックを見たら、すべてをひっくるめてプラハ城というようです。 さぁ、いよいよ聖ヴィート大聖堂がその後ろ姿を現しました。私たちは逆から歩いて来たということですか。ここ、ヴィート広場には大きなクリスマスツリーが地味目な飾りをつけて立っていました。と、突然新郎新婦が歩いてくるではありませんか!付き添いも数人いたかいないか程でしたが、周りの人々と一緒に私たちも拍手などしてしまいました。お二人さん、おめでとう!どうかお幸せに!
長蛇の列の割には早く中に入れました。聖堂内は自由に見学できますから、自然渋滞だったのでしょう。中に入るや色鮮やかなステンドグラスに目を奪われました。下のステンドグラスの中にはミュシャの「聖キリルと聖メトディウス」という作品もありましたがどれだか判りますか? 第二の中庭では17世紀末に建てられたバロック式噴水があり、その後ろの建物は大統領府として現在も使用されているそうで、大統領が国内で職務を果しているときは、新王宮の南翼上方に大統領旗が見られるとか。あ、旗が見えますね。
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あちこちを覗きながら町を歩いていると時間がどんどん過ぎて行く。
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エアフランスでパリまで行き、チェコエアラインに乗り換えプラハに向かった。パリで乗り換えの為、いったん空港内に降りたが、さすがぁ~芸術の都パリ!下の方を見下ろすと素敵なラウンジがあり、トイレに入ればついカメラに収めたくなるようなモダンなデザイン。中にだれもいなかったのでつい楽しくて演歌を口ずさんだりして娘の顰蹙を買う。しか~し、このトイレは後日のパリ滞在中のうち、特別きれいだったことがわかった。便座すらないきたないトイレに驚きっぱなしだったから。 乗り換えで、このラウンジのある辺りからどれだけ歩いただろう。延々と、端から端までは歩いた気がしたが、ドゴール国際空港って巨大だ。帰国の時に早めに空港に入り、中を探検したいと、その時思ったのだが・・・・・。 プラハまでの飛行機はガタガタしていたが、エアフランスより弱冠座席が広い。お茶とお菓子付きの軽食をいただきながらの2時間はすぐに過ぎた。ルズィニエ国際空港到着後、空港でとりあえず一万円を現地通貨に両替し、1,747コルナ受け取った。1コルナ約6円、と、頭に叩きこむ。 次の朝。6時前に一度目が覚め、起き上って窓の外を眺めたが、橋沿いのライトが真っ暗な夜明け前に妙に眩しかった。8時過ぎにやっと明るくなり、ゆっくりと朝食をとる。朝からこんなに食べちゃっていいのかなぁ。オムレツのコーナーでは、旗を渡される。しばらくすると焼きたて熱々のオムレツがテーブル席に運ばれるようになっている。パンもフルーツもなにもかもが美味しい!レストランスタッフの若い男の子が、どこか懐かしさを感じさせるほど初々しさがあり、なかなかいい感じ。ヘッセの小説に出てきそうな・・・・。 しっかりと朝食をとった後、身支度をしてやっと初めて知るプラハの町に繰り出した。プラハではツアーを組まずフリーにしていたので気ままな町の散策のみだ。ホテルから一歩足を踏み出した、もうその場所から、目に飛び込んでくるものすべてが素晴らしい景観だ。
プラハは美しいだけではない。長い歴史を刻んできたそのほとんどの時代において、周辺国からの侵略や影響を多大に受けながらも民族的誇りを失わず、自らの言葉と文化を守り続けてきた人々の気高い精神が町のすみずみにまで染み込んでいる。ここには、連綿と受け継がれてきた本当のヨーロッパが息づいている。かつてヨーロッパの中心として栄華を誇ったプラハには、往時の華やかさを保ちながら、厳しい歴史をも包み込む強さと優しさがある。そんな町のたたずまいに、旅人は心底魅了されてしまうのである。
こんな風に書いていたら、いったい賀状書きやお掃除は大丈夫かしら・・、と思ってしまいましたが、やっと一回目upにこぎ着けました。帰国後、時差ぼけの上、不眠症でした。プラハでは、ベッドに入って3分もしないうちに寝ていたのに。朝起きるまで一晩中寝付けないって、何なのだろう?で、今日は朝からお昼前まで寝ていたら、電話が鳴ったので急いで出たが、ご近所さんからで、「もしや、お休みだったのですか?」 やばい。起きたての声でばれちゃった。 |