ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

三度目の正直

2009-07-30 | family

このあいだ(といってもだいぶ経ってしまいました!)ケータイからブログ投稿したときに、電話の調子が悪くてインターネットに繋がらないので、NTTひかりに修理を依頼したことを書きましたが、その後どうなったかというと;

結局その件で3回も修理に来てもらう羽目になったのです。

一度目は電話線の差込口のモジュラージャックの交換。一たん直ったかと思ったのですけどね~・・

二度目は差込口から壁の中を伝わって玄関横のメーターボックスまで繋がっている電話線の交換。

三度目はモデム本体の交換。

これで全て手を尽くした、と言われた通り、三度目でやっと元通りに回復しました。

結果としてモデムが問題だったのですが、コードもモジュラージャックも劣化していたので交換できてちょうどよかったです。っていうか、家全体が劣化しているってことなんですよね。この私も!

壁の中の配線をどう取り替えるのか興味津々でしたが「商売道具」って、ちゃ~んとあるんですね。 このオレンジ色のコードを室内の回線口から指し込み、玄関脇のメーターボックスの中まで渡して交換したようです。もう大丈夫でしょうね。

 

 


松園ふたたび

2009-07-27 | art/exhibit/museum

        う~っ、まぶしぃ~!

       

九段下で下車し、日差しの強い靖国通りを日傘をさしながら
向かった先は、千代田区三番町の山種美術館。7月26日は
移転前の最後の展覧会「没後60年記念 上村松園/美人画の粋」の最終日でした。
うっかり忘れそうなところを、ブロ友のカメちゃんかぐちゃん
ブログ記事で思い出しました。takさんブログでも、山種美術館所蔵の
上村松園の絵が18点全て出揃う又とない機会、と絶賛していたので、
最後の〆めを見届けよう、と。
春に島屋で開催された時も行っているので、今年二度目の上村松園展でした。


                  

 

手狭な館内に、松園の作品を中心に美人画ばかりが約60点もずらり展開。
松園の描き方は一糸乱れぬ描き方というか、細部にわたり実に丁寧ですし、
晩年までそのスタイルを貫いています。
帰りの電車の中で、500円で購入した「山種美術館の 上村松園」という冊子を
読んで、初めて彼女の「絵についての思い」を知る事ができました。



単にきれいな女性を写実的に描くのではなく、真・善・美の極致に達した
本格的な美人画を描きたいと思ったこと。自分の理想と能力の差に愕然とし、
絶望感から幾度も死を決したこと。少し名を知られてからは、
一体地位や名誉がなんになるのかと、厭世の念にとらわれ、思い悩んだこと。
それを情熱と強い意志で乗り越えたからこそ、絵三昧の境地に到達できたこと。
そして、母の手一つで育てられたというハンディのなかで、
自分の好きな道を歩ませてくれた母親への感謝の気持ちが
彼女の心をより逞しく、安らぎのあるものにさせたのかな、と感じました。


伊東深水の作品も5点あり、それぞれなかなかいいものでした。

10月1日からの、移転先でのオープニングに予定されている展覧会は
新美術館開館記念特別展 速水御舟~日本画への挑戦~

広尾に行く楽しみが一つ増えましたね。

帰りは別の道から、と思っていたのに、余りにも暑いので
来た道を戻ることに。パンツにTシャツ一枚でも汗かいているっていうのに、
日本画の中の美人さんは着物に帯姿で涼しそうなんですよね。

美術館の並びにあるイタリア文化会館をひょいと覗くと
入口前に国旗の色を使ったイスが、何とも軽やかにお客さんを待っている風。

行きに、普段日曜定休日の器屋「花田」が偶然オープンしていたので
ちょいと覗き、帰りにしっかり見てきました。二階のギャラリースペースで
九谷青窯出身の三人展が開催中なので、会期中無休だったのです。
なんとラッキーなこと!


左上から:
     岡田直人さんの白磁
     岡本 修さんの色絵
     吉岡将弐さんの染付

 

三人とも普段使いに手頃な大きさの作品を揃えてあり、中でも染付けの小皿で気に入ったのを見つけてしまいました。が、衝動買いは控えるようにしているので我慢しました。が、そうだ、三番町の山種美術館最後の日の記念に何か一つ、と考え直し、小さな染付けの蓋物を選びました。手頃なお値段だからか、在庫がなく注文となってしまいました。10月ごろ出来上がるようですが、そのときはどこに寄り道しようか、なんて、もう考えているbiancaです。



ギャラリー内にあった小さなイスがなんとなくカワイイのでデジカメに収めました。
店内撮影OKだし、お店の方も親切で優しかったですよ。

 

 


hanabi'09

2009-07-25 | family

一年にたった一度、人と車が我が街を海側へと大移動する
花火大会の夜が 今年もやってきました。
雨と強風が心配でしたが、無事決行でホッとしました。

例年同様、母のマンションまでテクテク歩きましたが、
風が強い上、歩道は人とチャリであふれ、
歩くにも気を付けないと、チャリと接触しそうなほど。
というか、
手持ちのバックなどは何回もチャリにぶつけられましたよ。

いつものようにビールを飲みながら、みんなで
お寿司ややきそば、フライドチキン、モロコシ
枝豆、カボチャの煮物などをつまんでの花火見物でしたが、
例年と違う点は、お隣からの歓声がベランダ越しに聞こえなかったこと。
すこし淋しいぃ・・

写真を少しだけ撮りましたが全てピントが甘く、
シャッターチャンスはズレ捲り。花火って難しい~。







すぐ前のK電気の駐車場で見学している人達も結構いました。
このそばにマンションのモデルルームが建っていたのですが、
昨日あたりで全部撤去されたし、打ち上げ会場が昨年より左側に
移ったのか、テーブルで食事をしながらでもなんとか
見れたので、後半も外に出ずに家の中で見学しました。

消音にしたテレビ画面では、隅田川花火大会の生中継が放送され、
座りながらにして両方が見れました。が、やはり地響きをたてながら

炸裂している目の前の花火のがいいな。

また一年後をたのしみに・・・!

 


溜まる画像

2009-07-24 | プレゼント・お土産
画像フォルダに、未投稿のままの画像が増えてきました。新しい画像を追加する度に奥へと入り込み、忘れ去られそう。削除するつもりでしたが勿体ないのでupします。

まずは仕事を辞めた息子が上海と台湾へ行ったときに戴いたお土産です。折りたたみ自転車を買い、ペラペラのビニールのカバーで被っただけの状態で、荷物として飛行機で運んだのです。
きっと荷物の積み下ろし時に壊れて、あちらに着いたときには役立たずなんじゃない?と呆れながら言ったのですが、先日運良く壊れずに自宅に戻ってきました。

上海では現地の中国人の友達に、魯迅なども暮した多倫路文化名人街や、夜景の綺麗な外灘(わいたん)、浦東(ぷーとん)を案内してもらい、 高さ468mもあるアジアで一番高いテレビ塔「東方明珠塔」にも登ったと言っていました。

台湾では島を自転車で回り、日本人の宿泊客は初めてだ、と言われたところにも泊まったとか。ホテルの人たちとも仲良くなり、乗り物に乗れば、隣りに座ったおじいさんが、あんた日本人か、と話しかけてきて、自分は日本軍にいたことがある、とか、日本のお陰で台湾は発展したんだ、など言っていた、とのこと。殆どの人が日本語が上手で英語も出来る人が多かったそうです。

通りがかりの人に道を尋ねたところ、20分もかかるところまで一緒について来てくれ、その上すぐそこに美味しい山羊の肉を食べさせる店があるから、と、お弁当を買ってきてくれ、お金を渡しても受け取らず、じゃぁ又、と言って帰って行った、という話を聞きびっくりしました。その人は日本語が出来なかったと言っていましたが、じゃ、なんで山羊の肉ってわかったの?というと、山羊の鳴き声を真似したから、と言いながら、鳴いてみせたので大笑い。今回も様々な人との旅の出会いに感謝感激です。
そして今週から新しい職場での仕事が始まり、まずは一安心。

 

友達三人と、初めて訪れたソウルで買物に狂ったのは娘。だってお店が夜中までやっているし、安いんだも~ん、がその理由。垢スリも体験し、ごしごし痛いほど擦られ、余り気持ち良い物ではなかったようです。
 
 

お土産の蟹の姿漬けキムチにびっくりしました。じゃりじゃりとした歯ごたえで、とにかく辛~~い!
そのあと用事で出かけたサンフランシスコからのお土産はスィーツ。イタリア街の手作り風クッキーは、ナッツやジンジャー、シナモン味などバラエティーに富んでいたし、市場で買ってきたドライフルーツもとても美味しかったです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

                 
←下北半島の「イカ寿司」。

釜ゆでしたイカの中にキャベツと人参、生姜にゲソを押し込み、さっぱりとしたお酢で仕上げています。ご飯を詰め込むイカ飯とは違い、
お酒のお供にピッタリでした。


 



鶴岡市みやげ
《木村屋》の焼き菓子「マロン」→

白アンと栗をサクサクパイ生地で包んだ
もの。内側が水玉模様のリバーシブル
包装紙でお洒落にラッピングされて
いました。

甥からのお土産、アフリカ産コーヒー豆。
お洒落な布製の小袋入りなのですが、もう4袋もたまりました。何か作りたいけどアイディアが浮かばなくて・・。

 

 

 


吉祥寺伊勢丹の新館7Fにある、武蔵野市立吉祥寺美術館での「浜口陽三生誕百年記念展」に行ったとき、館内で変わったチェアーを見つけました。
                                       
吉祥寺伊勢丹は来年春閉店とのこと。今年5月には池袋三越が閉店したし、・・・跡地に山田電気ですって。有楽町そごうの跡にビッグカメラ。大型家電店ばかり元気なんでしょうか。なんだか
寂しくなってしまいます。

 
吉祥寺でのお昼は、友人お勧め「梅の花」(東急9F)で。
         


F.サガンの魅力

2009-07-19 | cinema

日曜日は地元の美容院に行ってから、銀座まで映画を見に行った。

サガン ~ 悲しみよ こんにちは ~


同名の小説をひっさげ、18才で鮮烈な文壇デビューを果たしたサガンの、
〈正真正銘の伝記〉とは言えない要素の多い映画。
昔、友達の彼から私に「悲しみよ こんにちは」の文庫本を渡されたことがある。
今でもなぜこの本だったのかが不思議だが、とにかく読んだ。
その軽いタッチに物足りなさを感じたものだが、フランスのエスプリと
甘酸っぱい印象だけが残り、ストーリーの詳細は忘れてしまった。

映画では、華やかな友好関係のあった
女優のカトリーヌ・ドヌーブや
ブリジット・バルドー、デザイナーのカルダンやサンローラン、そして
オナシスとかサルトル、カポーティーなど有名人は殆ど出て来ず、
普段着の自分でいられる友人たちとの生活が映画の中心となっている。



「悲しみよ こんにちは」の主人公セシルのイメージを持った
ちょっとエキセントリックな小娘サガン役を、
シルヴィ・テステューが実に見事に演じ切っている。



インタビューで、自由を定義すると?と聞かれ、
定義したら自由ではなくなる、
と言い放ったり、コカインを注意されたときは、
破滅しようが、それは私の勝手でしょ!と叫ぶ。
彼女が麻薬に走ったのは、瀕死の交通事故での鎮痛剤からきているようだ。
時代の寵児となり、大金を得たことで人生が狂ってしまったサガン。
収入より借金がどんどん膨らみ、今でも一人息子のドニが返済しているらしい。
「お金は大嫌い!」で、
「私がひそかに恐れるのは、愛なく生きることだ」の
言葉に、彼女の華やかな生活の中に見え隠れする孤独感が胸に迫る。
でも、彼女は大胆な反面、内気で恥かしがりやで寂しがりやさんでもある。

女監督のディアーヌ・キュリスは、
サガンの最も美しい作品は彼女の人生、と言う。
又、シルヴィ・テステューは、
サガンは何かを決心する人ではないし、常に人生をあるがままに生きてきた。
サガンに貼るラベルはないのよ。と語る。
そして人生を怖れない彼女の生き方には学ぶ点がとても多い、と。



映画を見ながら、破滅的に見えるサガンの自由奔放な行動が、
時には羨ましく思えたし、自由を貫ける強さには、我儘という言葉よりも
拍手を贈りたいほどだった。だって出来っこないもの。
そして本当の自由を手に入れられる人は
常に孤独と背中合わせなのではないか、とも思った。

 

 

映画館を出た角地に人だかりが
出来て皆が皆、松屋の方角を見て
いるので何だろうと思ったら・・

大きな虹がくっきり見えました。
ケータイで撮ったのでハッキリと
撮れていないけど、実際はもっと
鮮明に見えましたよ。
み~んなケータイを掲げているので
だれもが振りかえっていました。

明日は晴れかな。

 

         

 


七夕によせて

2009-07-07 | weblog

戸外は風が少し強めで、月は見えても星のみあたらない夜空です。
今宵、織姫と彦星は、天の川に架けられた橋を渡って逢引きすることが
できたでしょうか?橋が風で吹き飛ばされないといいのですが。
又、短冊の願い事は空のお星様にちゃんと届いたでしょうか?
用事で銀座に行ったら、和光側の各店舗の前にたくさんの願い事が
書かれた笹飾りがおかれていました。

  
  

急いでいたのですが、短冊を一つ読むとつい次のに目が移り、
あげくはカメラを向けて撮リ出す私。だって面白いんですもの。
宝くじに当たりますように・・が多かったけど、ご時世ですよね。

  

そんな中、はっきりした英語で書かれた短冊を発見。

EXCELLENT BUSINESS
EXCELLENT FRIENDS
EXCELLENT JAPAN

こう書かれた三行のシンプルで分かりやすい英語に、ちょっと感動の私です。
日本語に直すと又、別のイメージになりそうですが。
でもこれを書いた方って、どんな方なのかなぁ・・・と想像してしまいました。

    惚れちゃったのよ~~~ 

     ★

私の願いごとは、ありきたりだけど、やっぱり健康かなぁ。
心&体の健康。

いつもばったりお会いしてはお喋りしていたご近所のかたが、
しばらく会わないな、と思っていたら、植物人間状態で入院中とわかり、
その奥様も入院中だと、嫁いだ娘さんからお聞きしてびっくり仰天。
即、病院に飛んで行きましたが、物言わぬ姿が信じられませんでした。
持病のあるのは知っていましたが、寸前まで車の運転をしていたのに!

たまたま受けた検診で、突然入院即手術となった知人もいるし、
人の運命はいつどうなるか予測がつきません。「運」命なんですものね。

我が家も6月半ばから又4人家族に。一人は次の仕事を見つける前に、
こんなご時世だというのに、又旅行に
出て行ってしまいました。
今頃、持参した自転車がぶっ壊れて、台湾の山奥で狼に
食われているかもしれない・・などなど、想像しては星に願いを、です。
一昨日は、娘が自分の手のひらを見て、「生命線が途切れているんだよね」
って言うんです。そのあと機上の人となったので、もぅ、
頼りがいのある大きな星に抱かれたい気持ちですよ~。

 


夏時間の庭

2009-07-04 | cinema

久しぶりに見た映画は「夏時間の庭」。
その舞台となった緑あふれる田園の一軒家は、印象派の画家たちに愛された
イル ド フランス地方のヴァルモンドワというパリ郊外の町にある。

母親が、画家である大叔父から受け継ぎ大切にしている
アトリエを兼ねた自宅や沢山の美術品などを、自分の目の黒いうちに
それらの行く末を見届けたい、と思っているが、
映画の中では願いかなわず、急死する。

「子供たちに残したい」と願う長男。
外国生活がベースとなり、フランスに戻る気のない長女と次男にとり、
家は懐かしいけど無用の長物。現実の選択は厳しい。

相続税を回避するため、美術品などは美術館へ寄贈され、
愛された邸宅や広大な庭は売却される。
思い出に浸る十分な時間もなく、あっという間に全てが人の手に。
長年仕えた無欲な家政婦が、主人の死後ここを訪れ、
『このように質素なものなら誰も何も言わないだろう』と、
いつも野の花を摘んでは生けていた思い出の花瓶を、
それがどんなに高価なものかも知らず、形見として大切に持ち帰る。
別の花瓶は美術館へ寄贈され、無関心な入場者が素通りする。

美術品は、そのほとんどが居間や寝室など、人の生活のなかに居場所を
求めて生まれたもの。美術館は美術品の墓場だ、と、フランス人監督
オリビエ・アサイヤスは断言しているが、そういう考えかたもあるんだ、と、
思いもしなかった監督の言葉が ちょっと新鮮だった。

「大切なのは目にみえないもの」のメッセージを、アサイヤス監督が
映画の中のだれに託すか、が意外だった。
ただ映画の終わり方が突然すぎる気がして、美味しいものを目の前から
サッと持っていかれたようで物足りなさを感じた。
兄弟、家族、子供たちがそれぞれ違った思いを
心に抱きながら、お互いを思いやったり、議論したりするが、結局は、
かつて慣れ親しんだ思い出の土地、家、そしてあらゆるモノが
離散していく。母親が中心にいて、3人の兄弟がそれぞれの家族を
連れて集う家が無くなる、ということは、そっくりそのまま
私たちにも当てはまること。


モノに価値を見出している期間と、もうどうでもいいと割り切れる時が
人には一生の間に何度訪れるのだろうか。
家族の絆、団欒、そして思い出の品々の行く末を、
美術館行きのなにものをも持たない私だけど、少し考えてしまった。

オルセー美術館へ寄贈が決まるような美術品を持つ家庭とは
どんなものだか、みているだけでも楽しいが、
生きているものは皆死んで行くのに、美術館行きの品々は生き続け
それがどこにあって、どんな経由で美術館に収められたかを語らない。
美術館は果して美術品の墓場だろうか?

母親役のエディット・スコプが素敵だったし、
ジュリエット・ビノシュも自然体でよかったし、
映画に使われたコローやルドンの絵、ブラックモンの花器、
アールヌーボーの家具などは全て本物で、オルセー美術館の
全面協力があってこその贅沢な映画だ

夏時間の庭

 

 

映画の帰り道、出会った空き地は・・
     銀座一丁目にあった「つばめグリル」の跡地?
ポスターに書かれたコピーはこれ

MIZUHO STREET GALLERYのウィンドウディスプレィは
瀧澤 潔さん作“Hanger Wall Ginza”
全部がハンガーで出来ていました。