ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

法も話題も移ろいで・・

2007-07-28 | weblog

   

今週のパソコン教室では、先週に引き続いて「万年ケジュール表」を作成した。
「たった一つのセルのデータ」、例えば「平成19年8月1日」と打ち込んだセルを基に

    ★Excelのセルの書式設定→
                   表示形式→
                         ★分類(日付)→
                                 ユーザー定義 を選ぶと

好みの表示形式で何年分でもスケジュール表を作成することが出来てしまうのだ。
WEEKDAY関数条件付き書式を使い、更に土曜日を青にして日曜日を赤にする。
その月以外のいらない日付はMONTH関数条件式書式を使って白い字にする。
要領を呑み込めば(はいっ、呑み込めば、の話)あっという間に一年間の表が
出来上がる。すご~い!こういう事を考え付く人って 何てすごいんだろう! と、
ただただ感嘆符のみ!


最後に一年間の祝日を好きなフォントの色にするのだが、そこで
あれれぇ・・?って
ことが。9月17日って何の日?10月8日は?1月14日は??と、どう見てもピンと
こない日付が祝日であることに首を傾げた。
六年前の祝日法改正で、土日月を三連休にするため、祝日となる日が年によって違
ってしまったのだ。「ハッピーマンデー制度」の始まりである。
連休はうれしいけれど、ちょっと問題があるんじゃないか、と思う。平日に休みを入れている
パートの人とかだと、連休に繋がる人、絶対に繋がらない人と、出来てしまう可能性があるし、
休みを繋げるために年ごとに日の変わる記念日って、どうしても愛着が湧きにくい。
又、意味がよくわからない記念日の名前に戸惑ったりもする。

4月29日の「天皇誕生日」が「みどりの日」に変わり、さらに「昭和の日」となった。
その「みどりの日」が 知らぬ間に5月4日に変わっていた。
11年前から国民の祝日に加わった「海の日」。
当初は7月20日だったが、今はその制度により、7月の第三月曜日になった。

成人の日は1月15日だし、敬老の日は9月15日だったということは、疑問に思った
人がそのルーツを検索しない限り、忘れ去られて行くんだろうな。
 
法っていうのはなんとも勝手だなぁ、と思うことも多々ある。

今月に入り、国民健康保険税納税通知書が送られてきた。これは私が働いて、自分で
支払っている(自分の口座引落しにしている)のに、その通知は夫宛てに送られてくる。
更に、3月いっぱいで退職した息子が役所に出向き、国保に入る手続きをしていたので、
その分も納税額に追加されていた。
私の口座から断りもなく2名分の国保税が引き落とされることに唖然としてしまった。
息子は、といえば、もちろん本人に納税通知書が来るもんだと思っていた。
役所に電話をして、それぞれ本人宛にしてもらえないか、と頼んだが、国が決めている
ことなのでどうにもならないと言われた。何を話しても落ち着いてにこやかに応対して
下さったってことは、この手の苦情に慣れているのだろう。
では、どこに要望をしたらよいのか、国へか?との問いに「そうですね・・・」の返事。
市民の要望は市が纏めて国に提出するものではない、となると、個人がどんな方法で
国を相手にこの手の改善策をお願いすればいいんだろう。4年前の新聞の“言いたい”
欄で
同じ気持ちの方が投書していたものを、切り取って大切に持っていた。

                         
 
                        
        
                  

先日、図書館から借りてきた本。
これを読んでいると、なぜか心が
落ち着き、カリカリと、怒りたい
気持ちが不思議と収まってくる。
「怒らない人にこそ智慧がある。」
の言葉に、もっとその意味や方法
を知り
たいと思った。
言いたいこと、思ったことを、怒り
なしで会話する術を習得したい。
愚人凡人のbiancaにとっては、
今のところ修行不足なのだが、
訴えたいことがある時、実り多い
方法を、知りたいと、思った。
幾つになっても勉強することの
山だなぁ。

きょうはベランダ側のシートが取り除かれ、風が心地よく部屋に流れている。
9月下旬までかかる大規模修繕工事も、半分は終わったようだ。
が、一番いやなことが一週間後にやってくる。ヤダ(゜ロ゜*)ノ やだ!
室内の自動火災報知器の、点検ではなくて、交換作業で、全部屋に入室される~ッ!
本当はブログどころではないのに、なんでブログ書いているんだろう。
本来は昨日が作業日の所を、来週の土曜日にしてもらったのに。
間に合わな~い。
その上、今夜は花火大会と来ているんだよね。もう~!
もちろん見に行きますよ。
はいっ、怒らず焦らず、冷静に、こうなったらもうまな板の鯉だ。


 


GAYA20周年おめでとう!

2007-07-19 | weblog
★2007年案内状
YMさんのお店の20周年記念展示会の案内をいただいた。気がつけば最終日。一日中雨降りの土曜日。展示即売会はいつも「GAYA」の近くの一口坂ギャラリーで行っている。
以前のブログにも書いたが、以前、同じマンションに住んでいたし子供同士も長年の友達。
彼女の書く案内状の文にいつも引き付けられてしまう。
いつもはハガキの左に細長くインド綿の布を貼った案内状だったが、今回は20周年だからか、二色使いの案内状には、内側の緑色二枚の紙にインドへの思いが溢れんばかりに綴られていた。

・・・・・・・・・
GAYAのモノ探しは、広大なインド亜大陸を北から南へ、春から夏へ、新月から満月へと移動を繰り返し、祭りを追いかけ、祭祀に見入り、日射しや風を感じながら村々を訪ねました。私たちは地図を頼りに、いつも突然押しかけましたが、誰もが笑顔で迎え入れてくれ、食事や宿をずいぶんお世話になりました。
インドの人は、不意に来た人を「神様が姿を変えてやって来た」と思うのだそうです。
・・・・・・・・
インドはまた、モノだけでなく、人の在り様のさまざまを見せつけて、問いかけ続けてくれました。その光と影に眼が眩むときもありました。
・・・・・・・・

★1995年案内状

★探しものをしていたら1995年にいただいた案内状が見つかった。私のモノ持ちの良さったら!というより、ハガキも文も素敵だからだ。
YMさんの言葉をたどっていくと、インドという国が私にも非常に身近に感じられる。今の所、宗教とは無縁の私でも、宗教心の厚い魅力的な国として、日本に今、絶対的に求められている何かしらの拠りどころ、必要とされている大切な要素が探せるのではないか、と、ふと思ってしまう。
12年前のハガキは、ご覧になれば画面でも読み取れるかも知れないが、こんな文面で始まっている。
 今ごろは熱風が唸るように吹き
 川は砂漠のように干上がっているだろうけれど
 思い出す人たちの顔はみんな微笑んでいる
 地べたにいざり込んで鉄打つ人も
 染料で手足を染めた職人も
 ロバもコブラも羽蟻の群れも
 早くおいでよ、と私を誘う
 生きる、ということに過不足なく
 一日づつをていねいに終えてゆく
 インドの村の善良な友人たちを
 うらやましい、とふっと思ったりもする
 ・・・・・


私はこの雨の日、運動がてら眼の保養にと思ってJRとメトロ有楽町線を乗り継いで尋ねたけれど、
やっぱりインド綿のウェアーに目が行ってしまった。ジーンズでもスパッツの上にでも着用できる深めにスリットの入ったワンピース型。滅多に着ない赤系色だけど、ブラジルの友人から頂いたばかりのアクセサリーを付けたらちょっとお洒落な雰囲気に。

               
                   
20周年記念のプレゼントは右上の写真の大判ハンカチ。手触りがとてもイイ感じだし包装も案内状と同じピンク系の薄紙を組み合わせてあり 素敵だ。
カラフルなターバンを巻いたインド人がラッピングをしてくれたが、そのターバンを、ギャラリーに居合わせた子供の頭に被せたのでびっくり。ターバンハットにハッとした!これぞハットトリックかぁ。なぁんてね。
デジカメの存在をすっかり忘れていたので残念だったけど、Aちゃんにも会えたし、パリから休暇で帰国しているRちゃんにも会えた。
み~んなみんな、お年頃の素敵なお嬢さん♪
まるで昨日の私を見ているようで(!)若さが目に眩しかった~。
YMさんとも、どの位振りでおはなししたかしら?近所に住んでいてもお互い仕事をしていると一年間会わないってことはザラ。なのに、気持ちがシックリ伝わる相手って、いるんだよね。
彼女の魅力は、と言えば 「逸らさない」視線。
5月に親しいインドの方に誘われて聖地巡礼に加わったという。

    インドの各地からやって来て、ガンジス河の上流、
    聖地ハリドワールの河岸を埋め尽くした人々の「歓喜」
    と共に、凍るように冷たい雪解けの「ガンガーパニ」
   (ガンジスの水)に浸るとき、この国を土俵に、働かせて
    いただいた20年に感謝しました。(案内状より)


一ヶ月で南米から帰宅した息子のことを、「なぁ~んだ、一年は行っていると思った。残念だったね。」と言われ、本当に残念に思えて来てしまった。

一口坂ギャラリーの真向かいに、先月探したけどお休みだったお煎餅屋さんの「さかぐち」があることがわかり、帰りに寄ってみたが、中がこんな風!で、お煎餅がどれもこれも美味しそう!
こんなショーケースって、いまどき珍しいよね。
色とりどりで可愛らしい"一口あられ” を買った。母へと、知人用にも買った。
一口坂ギャラリーの帰り道に一口坂で一口あられを買った。雨の日に、ウキウキ気分で
傘も一緒にゆらゆらと踊りながら市ヶ谷まで歩いた。
     Just walking in the rain・・・・・♪


帰りはもう一つ、用があり、有楽町で下車。東京国際フォーラム内のチケットぴあで、本日「追加公演」のチケット発売初日とのことで、迷っていたがついに買ってしまった。
エグベルト・ジスモンチ。一回限りの公演が即日完売され、(完売でなければどうだったかな?)追加公演が草月会館で行われることに決定との情報を得、行って見たくなった。
ちょっと難解な、ジャズというか、彼独自の音楽だし、今回はソロなので、仕事帰りに行って眠くならなければいいけど・・・。とは言っても、絶対に素晴らしい演奏だと思う。

きょうは(もう一日が経過)サンパウロ市のコンゴーニャス空港でTAM航空の旅客機が着陸に失敗し、近くの建物に衝突して炎上、とのニュースにショックを受けた。国際空港が出来るまでは、昔の羽田空港と同じように国内外の航空機の発着すべてを一手に引き受けていた空港だったし、その周りは住宅地だったから。
台風のあとの大地震、そして旅客機の炎上。忙しすぎるくらいに色々なことが起きている。良いことより良くないことが際立つ。
私の心のなかでも日々、気持ちの良いことと気分を害することのバランスが、上手い具合にとれないことがある。なのに更にこういう事が起きると落ち込んでしまう。

鏡を見ながら口を半分に切った西瓜型にしてみる。私も今を乗り切らなきゃ。

色々とやらなきゃならない事がたまってしまい、しかもそれがはかどらず、ブログは停滞気味になってきた。そうこうしている内、河合隼雄さんが亡くなった。このあいだまで生きていた方がどんどん亡くなっていく不思議さをこのごろ特に強く感じてしまう。自分はこんな生き方でいいんだろうか・・と。

          欲なければ一切足り
          求むる有れば万事窮す
          ・・・・・
かぁ。
 


ICHIRO

2007-07-12 | weblog

 (朝日新聞より)

イチロー君、米大リーグ第78回オールスター戦での
3打数3安打2打点 + ランニングホームラン 
お め で と う!

メジャーデビューを果たしてから7年目。その7年連続のオールスター戦出場。
今回は球宴史上初めてのランニングホームランだったし、日本人選手としても
アジア人としても、初めてMVPー最優秀選手ーに選ばれたとのこと。実に快挙です。
いつもながらの爽やかな笑顔が殊更嬉しそうで、こちらまで満足感で一杯です。
毎日不愉快なニュースが紙面を賑わせていますが、そんな中でパッと明るい気持ちに
させてくれる話題はとっても貴重です。
年俸の額は小市民にはピンとこない額ですし、小市民には不必要な額です。
でも貴方はきっとその用途を探し出せるでしょう。

イチロー君、ありがとう! 

 最近のイチローは自分のプレーを「作品」と表現することが多くなった。オリックス時代から自分にしかできないプレーに対するこだわりはあったが、米国では年を重ねるごとにその傾向が強まっている。「それぞれファンの立場で僕の何を楽しむのか。そのことが僕にとっては一番大事なんです。今年もまたファン投票で選んでもらったことは(自分にとって)ものすごく意味がある」

★7度出場は日本での球宴出場回数と並ぶ。「日本で残した数字を超えることがこちらでしっかりプレーしていることのあかし」。ファンからの大きな支持で自分なりの節目に届いた。イチローはさらなる独自性を求めていくのだろう。

イチローは大リーグのたった1試合しかないオールスター戦について、「この儚さがなんともいえず好きだ」と語った。まさに、大リーグオールスター戦は、夏の夜空に煌めいて、一瞬に夢のように消える大輪の花火に似ている。

イチロー総額9000万ドル 受給完了25年後
 【シアトル=共同】
米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手の来季から5年間の契約内容の一部が18日、明らかになりイチローが総額9000万ドル(約110億円)すべてを受け取るのは最短でも25年後の2032年までかかるという。AP通信が伝えた。
 
今回成立した契約では、新規契約料として500万ドルが支払われ、1年当たりの年俸は、1700万ドルとなる。しかし、そのうちの1200万ドルは毎年振り込まれるが残りは引退後に5・5%の利子がついて後払いされる。それ以外にも家族を含めた日米往復ファーストクラス航空券の支給、専属トレーナー、個人通訳などが保証されている。
 
(以上web上の紙面より)
 


空中都市「MACHUPICCHU」

2007-07-08 | weblog
 

  昨日は七夕。
  しかし雲に覆われた空では星も見えず、ちょっと冴えない一日でしたね。
  前回入れなかったマチュピチュの写真を少しupします。
  息子の旅を引きずるのは本当はイヤなんですが、先日はNHKスペシャルで
  取り上げていたし、上野の科博ではそれと連動して7月14日(土)より、
     失われた文明「インカ・マヤ・アステカ」展
  が開催されます。そこでは世界初公開のマチュピチュの遺物やアンデスの
  父子のミイラなど、殆ど初公開ものが展示されるようですよ。
  当分は海外旅行など行けっこない私は、上野に行くしかないですかね~。

  クスコからマチュピチュの下にある村、アグアス・カリエンテスまで列車に
  乗ること約3時間半。そこから更にバスに揺られて到着した村は、写真を
  見ているだけでも想像力を掻き立てられます。



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クスコからマチュピチュへ出発!
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  尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にある
  マチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味します。
  山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの
  遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、
  インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。 マチュピチュの
  総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や
  宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。
  16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに
  奥地へと消えてしまう。
  その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史
  学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。
  マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。(webより)
 

    アヒ・デ・ガジーナ」 
         「コカ茶」

現地のお年寄りなどは葉っぱを噛んでいたそうですが、コカ茶はあちらでは一般的に
飲まれているようです。ちょっとドキドキしちゃうけど飲んで見たい気もしますねぇ。

You Tubeにマチュピチュの映像がありました。よろしかったらどうぞ。


sora

2007-07-04 | weblog
     夏空を見上げていたら、大好きな金子みすヾの
      「星とたんぽぽ」という詩が浮かんで来ました。
       見えるものだけでなく、見えぬものの中をも 、
       しっかりと感じ取れる自分でいたい。

       息子が旅先で写してきた写真の中で
       特にこの一枚がとっても気に入りました。
       虹のかかったイグアスの滝の前で、
       何を語らっているのでしょうか?


<
星とたんぽぽ

        
     青いお空のそこふかく、

     海のこいしのそのように、

     夜がくるまでしずんでる、

     昼のお星はめにみえぬ。

     見えぬけれどもあるんだよ。

     見えぬものでもあるんだよ。

     


     ちってすがれたたんぽぽの、

     かわらのすきに、だァまって、

     春のくるまでかくれてる、

     つよいその根はめにみえぬ。

     見えぬけれどもあるんだよ。

     見えぬものでもあるんだよ。 


金子 みすゞ